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私たちが人々のためにできる最高の業は、十字架によってすべての人の罪を贖ってくださったイエス・キリストの救いを彼らに知らせることです。キリストの犠牲についてのこの福音を世に告げ知らせることは、すべてのクリスチャンに与えられた使命です。とするなら、問題はそれを証しすべきか否かではなく、どのように証しするかです。この点においても、イエスは私たちの模範です。「人の心を動かすにはキリストの方法だけが真の成功をもたらす。人間と交際しておられた間、救い主はその人たちの利益を計られ、同情を示し、その必要を満たして信頼をお受けになった。そして『わたしについてきなさい』とご命令になった」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』115 ページ)。
上記の引用文をもう一度読み、それに当てはまるイエスの模範を福音書の中から探してください(たとえば、ルカ19:2 ~ 7、マコ2:15 ~ 17、マタ12:9 ~ 14)。私たちにはこのような奇跡はできないにしても、イエスのようにどんな奉仕の業をすることができますか。
キリストの伝道法はクリスチャンに多くのものを捨てるように要求します。その最大のものが自分自身を捨てることです。伝道資金として献金を献げ、伝道集会のためのビラをまけば、それで十分と考えるかもしれません。確かにそれも必要です。しかし、それは人々と交わり、人々の必要のために奉仕することではありません。人々に奉仕することは自分自身を捨てて、無我の精神で仕えることを意味します。これは必ずしも容易なことではありません。それは自己に死に、人に仕えることによって喜んで主に仕えることです。日ごとに自分自身を捧げ、日ごとに自分の十字架を負うことによってのみ、それは可能です。これこそクリスチャンの奉仕の本質であって、人々の心を私たちのメッセージに開かせるものです。それはいかなる議論、聖書研究、預言研究によってもできないことです。
◆ あなたの周りに福音を知りたがっている人はいませんか。キリストの方法によって彼らに福音を伝えるためにはどうしたらよいですか。そのために、個人的な犠牲を払う用意がありますか。
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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。