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私たちの主また救い主イエス・キリストの輝かしい再臨は、地上の住民に大きな衝撃を与えます。イエス・キリストを自分の救い主また主として受け入れることを拒んだ人たちにとって、それは恐怖の時となります。また、キリストに従うと公言しながら、キリストを生活の中で主としなかった人たちにとっても、それは恐ろしい裁きの時となります。
今期の研究(『主イエスを体験する』2005年 第3期)に照らして、次の聖句を注意深く読んでください。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」(マタ7:21 ~ 23)。これらの聖句は、イエスを「主」と告白しながら、イエスを自分の主としないことについて何を教えていますか。イエスを主と告白することと、イエスを自分の主とすることとの間には、どんな重要な違いがありますか。
主ははっきりと教えておられます。主を信じると告白することと主に従って生きることとを切り離すことはできません。イエスがここで、服従を実際にイエスとの救いの関係に結びつけておられることに注意してください。イエスは神の御心に従っていない人たちを「全然知らない」と言われます。たとえイエスを主と告白し、イエスの御名によって働いていても、です。これはイエスの最も強い言葉の一つであって、クリスチャンであると公言しながら、それにふさわしい生き方をしないことがいかに無益であるかを教えています。クリスチャンとして生きることは天の父なる神の御心に従うことを要求します。そうでなければ、私たちの信仰は砂のようにもろいものです。
◆ これらのキリストの言葉の直後にあるたとえを読んでください(マタ7:24 ~ 29)。このたとえがマタイ7:21 ~ 23 の言葉にふさわしいのはなぜですか。
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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。