全宇宙の告白【王の王、主の主】#65

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イエスが主であると告白するクリスチャンは、それにふさわしい服従の生活を送る必要があります。服従の生活が私たちを救うのではありません(そのようなことはありえません)。それは、御自身の血によって私たちを贖ってくださった神に対する真の信仰の現れです。

エフェソ1:7、コロサイ1:14、ヘブライ9:12 を読んでください。これらの聖句は私たちの贖われる方法について何と教えていますか。

しかしながら、これらの人たちだけがイエスを主と認めるのではありません。使徒パウロによれば、すべてのものがひざまずき、すべての舌がイエスを主と告白する日が来ます。

フィリピ2:9 ~ 11 を読んでください。パウロはここで何について語っていますか。

「初臨において、キリストは人々から拒まれ、拒絶され、犯罪人としてピラトの法廷まで引き回され、そこで冒瀆罪で告発された。彼はむちで打たれ、十字架につけられた。釘がその手と足に打ち込まれた。……再臨において、光景は一変する。キリストはすべてのものによって栄光の王と認められる。すべてのものがイエスの御名にひざまずき、すべての舌がイエス・キリストを主と告白し、父なる神をたたえる。天使たちもイエスを崇めて御前にひざまずく。敵は自らの誤りを悟り、すべての舌がイエスの神性を告白する」(エレン・G・ホワイト「大いなる力と栄光を帯びて」『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』1905 年4 月19 日)。

しかしながら、悪人に関しては、これは救いをもたらす告白ではなく、単に紛れもなく真実であることを認めているに過ぎません。彼らの心は変わっていません。悔い改めていません。事実、黙示録20:7 ~ 9 によれば、彼らはなおも主に背き続けます。

対照的に、罪人で、不完全で、自らのうちに何ら義を持ち合わせていないのに、意思を主にささげることによって、魂を主イエスにゆだねている人たちがいます。このような人たちはイエスを主と告白し、その告白にふさわしい生き方をしています。苦痛と悲しみ、罪と堕落に満ちたこの世でさえイエスを愛し、イエスに仕えていたとすれば、新天新地においてはなおさらそうです。これこそ、イエスが私たちのために勝ち取られた勝利です。

黙示録19 ~ 22 章を読んでください。

黙示録22:1 ~ 5 に描かれている新天地の光景について瞑想してください。

「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に12 回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである」。

私たちにはこのような祝福に満ちた希望が与えられています。救い主イエス・キリストは王の王、主の主として再臨されます。キリストは新しい天と新しい地を創造し、私たちは彼と共に永遠に支配します。主イエスよ、来てください。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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