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邪悪で、道徳的に堕落した王、ティルスの君主を比喩として用いることによって、エゼキエルはすべての悪の王について描写しています。
エゼキエル28:12~16には「油そそがれたケルブ」であった者が神の敵へと堕落したルシファーについて書かれています。次の点に注意してください。
・彼は被造物であったこと。
・神のみ座の前で高い役目を持つ者であったこと。
・神の聖なる山にいたこと。
・最初に無垢であったこと。
・不正が彼の内に起こったこと。
・高慢であったこと。
堕落する前のこの天使は「翼を広げて覆うケルブ」と描写されています。この描写は聖所の贖罪所と関係があります(出エ25:8 ~ 22、37:6 ~ 9、ヘブ8:5)。罪がこのような高位の者、「完全なもの」として造られた者のうちに起こったのはなぜでしょうか。ここにおいて自由はどんな意味を持つのでしょうか。
ルシファーの堕落は、聖職者の地位も力も罪に対する防壁とはならないことを教えています。ただ一つの安全は創造主にして維持者なる神との生きた関係のうちにだけあります(黙示12:11参照)。ルシファーのような完全な者でさえ、創造主との謙遜で従順な関係を必要としました。私たちの場合はなおさらです。
◆ エゼキエル書28:15 には、最高位の天使であったルシファーが創造された者であったと書かれています。被造物が創造主と同等になろうとすることにはどんな誤りがあるでしょうか。私たちも、公然と神に等しいと主張はしませんが、ひそかに同じ過ちを犯す危険があるかもしれません。
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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。