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神を神とするー聖書は大争闘の争点に関して組織的な説明を与えてはいませんが、聖書全体を読むと、それらの争点が神の品性と神の品性の現れである神の律法に関係していることがわかります。
今週(#6~#10、テーマ:「大争闘の争点」)の研究を進めるにあたっては、神の無限性と私たちの有限性、神の全能と私たちのひ弱さを理解する必要があります。神は神秘に満ちたお方であり、私たちは死すべき者です。神は聖なるお方であり、私たちは罪人です。大争闘における神のおもな武器は恵みと愛です。私たちはこの神の前で履物を脱ぐ、即ち敬虔な思いを持たなければなりません(出エ3:5、6)。
「天において支配なさるかたは、初めから終わりまでごらんになるかたである。そのかたの前には、過去と未来の神秘が同じように展開されている。彼は、罪がもたらした不幸と暗黒と破滅のかなたに、神ご自身の愛と祝福のみこころが達成されるのをごらんになる」(『人類のあけぼの』上巻16 ページ)。
「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った」(黙示12:17)。
もしサタンが律法に忠実な神の民に戦いを挑むとすれば(黙示12:17)、大争闘の争点の一つが神の律法にあると考えられます。
聖書は、「罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです」(Ⅰヨハ3:4)と教えています。しかし、罪は法に背くこと以上のものです。罪とは神ご自身に背くことです。
Ⅰヨハネ3:8 には、「悪魔は初めから罪を犯している」とあります。このことから、ルシファーが大争闘の当初から、律法に従うことを疑問視することによって、神に背いてきたことがわかります。
◆ 国の良し悪しはその法律によってわかります。悪い国には悪い法律があり、良い国には良い法律があります。神の律法が「神の品性の写しである」(『各時代の大争闘』下巻152ページ)なら、神が統治される国は神のご品性を表す完全な律法によって治められるのです。
◆ ここで「律法」をより広い意味にとって考えてみましょう。神の「法」には自然界の法則はもちろん、人体の不思議な仕組み、ミクロの世界、宇宙の広がり、そして人間の社会の成り立ち、また精神的・霊的な法というものを含んでいるのではないでしょうか。その全体に神のみ心がどのように表されているかを考えてみましょう。
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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。