「私達と共におられる神」対「ほえたける獅子」【二人の論争者】#11

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「光の主」対「闇の君」―新約聖書の多くの比喩が大争闘における二人の論争者について描写しています。これらの比喩について研究するとき、大争闘の性格がよく理解できるようになります。二人の敵対者はきわめて対照的に描かれています。すなわち、それはインマヌエル(私たちと共におられる神)に対するほえたける獅子であり、光の主に対する闇の君であり、真理の神に対する偽りの父であり、キリストに対する反キリストであり、羊飼いに対する狼です。

これら二人の論争者の間には妥協の余地は全くありません。両者の間の論争はあまりにも根深く、分裂的で、決定的なものなので、戦いによく見られるような休戦、条件付降伏、あるいは和解のための妥協などは一切ありえません。あるのはただ、完全なる善の勝利か、完全なる悪の勝利かのどちらかです。中立の立場、妥協の余地は全くありません。勝利は完全で、無条件のものです。すでに2000年前に決定しているように、私たちは主イエスの指揮のもとで、この激しい戦いに勝利するのです。

神によって天から追放されたとき、サタンは全世界をだます決心をします(黙示12:9)。彼はアダムとエバを堕落させることによって、この世界を戦場に変えました。そこでは、二人の敵対者が第2課(#6~#10、テーマ:「大争闘の争点」)で学んだ争点をめぐって戦っています。

エバに対してそうであったように、サタンはしばしば私たちの味方であるかのように見せかけます。「サタンはしばしば光の天使のように現れ、友だちのふりをして、独特の誘惑をしかける。未熟な者たちはそれに耐えることができない」(『教会へのあかし』第4巻207ページ)。しかし、いかに巧妙であろうとも、サタンはつねに私たちの「敵」であり、「ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(Ⅰペト5:8)。

ペトロは自分自身の経験に基づいて、私たちの敵であるサタンがえじきを求めて忍び寄る獅子のような存在であると言うことができました。イエスは最後の過越のときに、サタンがペトロにつきまとって悩ますだろうと言われました(ルカ22:31)。その通り、夜が明けないうちに、ペトロは三度、主を知らないと言います(34、54 ~ 62節)。しかし、イエスはペトロを見捨てられませんでした。イエスは言われました。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32 節)。

イエスは神の無限の知恵によって立てられた救いの計画があるので、ペトロに希望を与えることがおできになりました。神はこの計画をいつお立てになったのでしょうか。

Ⅰペト1:20、黙示13:8

サタンはこの世を自分のものと主張しましたが(マタ4:8、9、ヨハ14:30)、神は御子を私たちにお遣わしになり、御子は「インマヌエル」(マタ1:23)となられました。御子は私たちと同じ人性を負い、それによってサタンを砕かれました。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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