「光の主」対「闇の君」【二人の論争者】#12 

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「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ』」(ヨハ8:12)。

創造の初めに、創造主なるキリストは、「光あれ」と言われました(創世1:3、ヨハ1:1 ~ 5)。それによってキリストは地上を覆っていた闇を追い払われました。同じキリストは今、ご自身を世の光、つまり罪の結果として世を覆っていた道徳的・霊的闇を追い払うために来られた光と宣言されます。

イエスは光として私たちに何を与えてくださいますか。次の聖句を瞑想しましょう。

 「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(Ⅱコリント4:6)。

世界中の闇も1本のろうそくの光を覆い隠すことはできません。同じように、現状がいかに暗くても、光なるイエスはご自分に従う人々を闇から救い出してくださいます。

父なる神とキリストは光です。ということは、両者のうちには闇が全くないということです(Ⅰヨハ1:5)。光は闇と対立するものなので、キリストも闇の君であるサタンと対立します。光が闇を追い払うように、キリストの臨在はサタンの敗北を保証するものです。

◆ 科学者は宇宙空間にブラックホールが存在すると考えています。きわめて高い密度と大きな質量を持つこの天体は、その強力な重力のゆえに光でさえも閉じ込めてしまうといわれています。霊的な意味でのブラックホールがあるとすれば、それはどんなものでしょうか。たとえば「絶望」を挙げることができそうです。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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