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創世記3 章から6 章にかけて、サタンが大争闘において優勢になったので、「主は……地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。……しかし、ノアは主の好意〔恵み――口語訳〕を得た」(創世6:5 ~ 8)。
主の心が痛みで満たされたという表現をどう解釈しますか。神は感情を持たれるのでしょうか。神の感情をどのように理解したらよいでしょうか。
神の「感情」は洪水をもたらしました。この洪水は、神が善と悪に深い関心を寄せられること、神の宇宙が道徳的なものであること、神が悔い改めない罪人を罰せられることを証ししています。しかし、神は罪人に対するその愛のゆえに120 年の猶予期間をお与えになりました。大争闘においてどちらの側につくか考える機会を与えるためでした。彼らは自分の目で見て決めなければなりませんでした。神の福音の象徴である箱舟は、目の前で少しずつ完成していきました。
洪水は罪に対する神の裁きです。正義に劣らず愛は地上が罪から清められることを要求しました。神の裁きは恵みを反映しているのです。
神の裁きは罪を滅ぼしますが(Ⅱペト3:5~)、神の恵みと愛はどこまでも罪人を探し求めます。神の愛は無限で、その正義は確実です。この愛の象徴として、神は裁き〔洪水〕の終わりにノアと契約を結ばれました(創世9:8 ~17)。そして、箱舟から出てきたひと握りの人々を憐れみ、二度と洪水によって地を滅ぼさないと誓われました。この契約のしるしとして、神は空に虹を置かれました。この契約と虹はノアがつくり出すことができるものではありません。神のみ約束があるので、その慈愛は決して尽きることがないという確信を私たちは持つことができます。
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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。