バベルの塔【戦いが地上に移る】#20 

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ノアの子孫はなぜ天にまで達する塔を造ろうとしたのですか。バベルの塔を造ろうとした人々の企てにひそむ動機と、天におけるルシファーの反逆の動機に共通点がありますか。

創世11:4

バベルの塔は神の御言葉に対する不信仰の象徴でした。神はノアと契約を結び、全地は二度と洪水によって滅ぼされることがないと、彼の子孫に約束されました(創世9:11)。しかし、彼らはなおも神を疑い、自らの行いによって自分自身を救おうとしました。

人々は「この地上に再び洪水を起こさないという神の契約を信じなかった。彼らのなかには、神の存在を否定し、洪水は自然的原因によって起こったとするものが多かった。……彼らが塔を建てた目的の一つは、もし、再び洪水が起こったならば、彼らの身の安全を確保するためであった。彼らは、その建造物を、水が達したところよりもはるかに高く築き上げて、どんな危険にも耐えられるようにしようと思った。……この企てのすべては、計画者たちの誇りをさらに高め、後世の人々の心を神から引き離し、偶像礼拝に陥れようとするものであった」(『人類のあけぼの』上巻114、116 ページ)。

バベルの塔はまた、神への反逆の象徴でした。神が天地創造において、また洪水の後でお与えになった命令は、全地に増え広がるようにということでした。しかし、バベルの塔の建設者たちは自分自身を神とし、その不完全な人間の理性に頼ろうとしました。そこで、神は再びご自分の目的を達成するために介入されます。神が建設者たちの言葉を乱されたので、サタンは、言葉にこそ出しませんでしたが、再び敗北します。

◆ 「私たちは多くの分野で成長する自由を与えられているが、自分が神に取って代わったと考える自由は与えられていない。あなたは自分の人生にどんな『塔』を建てているだろうか」(『ライフ・アプリケーション・スタディ・バイブル』25 ページ)。

神の形に似せて造られた人間は、神が人間に対して抱いておられた愛のデザインに沿って生きることが望まれていました。それは人を束縛するものではなく、人の可能性を最大限に引き出すものであり、それを通して、神の栄光を表す存在になる意図がそこにはあったのです。残念なことに、人はその意図を自分の自由が束縛されるかのように誤解し、その神のデザインを無視して生きることが自立した人間で、幸福に生きられるかのように思い込んでしまいました。ここに人間の悲劇があるのです。

イエス・キリストはこの悲劇から人を救うためにこの世に来られました。神に対する誤解を解き、神の本質的な姿を人が見ることにより、人の内に神への信頼と愛を呼び覚ますためでした。今日、教会はこのキリストの働きを担うようにと招きを受けています。あなたはこの働きをどのように担っているでしょうか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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