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大争闘のスローガンーサタンはすべての人、特に神のしもべを自認する人たちに創造主を拒ませ、神の戒めを過酷で独断的なものに思わせようとします。このような戦いにおけるスローガンは、「あなたはだれに仕えるか」です。今週(#21~#25、テーマ:「勝利と敗北」)は、ヨセフ、モーセ、サムソン、ダビデ、エリヤがどのようにしてこのスローガンに従う備えをしたかを学びます。
「全宇宙は善悪の大争闘の最後の場面を、言葉では表現することができない深い関心をもって眺めている。神の民は永遠の世界の境界に近づいている。彼らにとって天の神に忠誠であることより重大なことがほかにあろうか。神は各時代を通じて道徳的英雄を持っておられたが、今もなおヨセフ、エリヤ、ダニエルのように、自分たちが神の特選の民であることを認めるのを恥としない人々を持っておられる。神の特別の祝福は、行動する人々の働きに伴うのである。彼らは真っすぐな義務の道から離れず、神の力によって『すべて主につく者は』だれかと尋ねる人々である(出エジプト記32:26)」(『国と指導者』上巻115、116 ページ)。
今週(#21~#25、テーマ:「勝利と敗北」)は、ここに登場する人たちの生き方を通して、私たちもどうしたら自分の直面している戦いに勝利することができるかを学びます。
「わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」(創世39:9)。
シナイ山で十戒が与えられる前でも人が従うべき道徳はありました。ヨセフは主人の妻が言い寄ったとき、「神に対して罪を犯すまい」と決心しました。誘惑に屈したとき、人はどんな言い訳をするでしょうか。
あるセールスマンが牧師に不倫の悩みを打ち明けました。彼はもっともらしい理由をつけて、次のように言いました。「どうしようもなかったのです。当時、私が受けていた外からのプレッシャーはわかってもらえないでしょうね」
牧師は答えました。「どうしようもなかったですって? 外からのプレッシャー? あなた自身の内的“はどめ”はなかったのですか?」
ヨセフも外からのプレッシャーを受けました― 魅力的な女性による執拗な誘惑、恋愛の約束、性的な欲望、不倫に対する社会的寛容、昇進の可能性。とりわけ、「どうってことはないよ」というサタンの絶えざるささやきがありました。しかし、ヨセフには内なる“はどめ”があったので、神を裏切るようなことはありませんでした。ヨセフの物語を読めば、彼がなぜあのように行動したかがわかります。ヨセフにそうさせたものは何だったのでしょうか(創世39:1、2 参照)。
◆ ヨセフがサタンの策略に屈し、主人と神に対して罪を犯したと仮定してください。彼は赦され、汚れから清められたでしょうか。その通りです。しかし、罪には単に赦されること以上の問題があります。もしヨセフがあのとき罪を犯していたなら、神はヨセフをあれほどまでにお用いになることができたでしょうか。たとえ赦されたとしても、罪は主のための働きにかなりの影響を与えずにはすまないのです。
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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。