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契約の思想は聖書全体に流れているテーマです。それはノア、アブラハム、モーセ、預言者のうちに、また『ヘブライ人への手紙』の中に認められます。契約を通して、神は私たちの天の親となり、私たちは神の子となります。契約は神によって始まり、神にあって愛と信仰と服従を実践する民の共同体を確立します。
創世記17:1 ~ 11 を読み、神がアブラハムと結ばれた契約について考えてください。
イスラエル人は自分の体だけでなく心をも神に捧げるように求められていました。割礼は神の契約に対する彼らの信仰のしるしであって、神の御心に従うことによって罪から分離したこと、また心が清められたことの象徴でした。神の御心に従うことによってのみ、彼らは苦難の中にあっても契約による信仰を保ち、大争闘に 勝利することができるのでした(ロマ2:29、4:11、12参照)。
アブラハムの信仰が最も激しく試されたのは、息子イサクを犠牲として捧げるように神から命じられた時でした。サタンはアブラハムの心に疑いの種を蒔いたことでしょう。自分の息子を犠牲として捧げることなどできるでしょうか。もしイサクを捧げるなら、契約はどのようにして実現するというのでしょうか。人間を犠牲として捧げることは周囲の異教徒たちが行っていたことでした。神はそのような環境と慣習から離れるように命じられたのではなかったでしょうか(レビ20:1 ~ 5 参照)。
◆ ある父親がモリヤの山におけるアブラハムとイサクの物語を読み、アブラハムが神からどんなことを求められたかを説明したとき、8 歳になる娘が尋ねました。「もしお父さんが同じことを求められたら、どうする?」。あなたはどのように答えますか。
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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。