ぶどう園【勝利の模範イエス】#38 

悪い農夫たちのたとえ(マタイ21:33~ 41)―当時の不安定な社会経済状況の中では、農夫たちが権力者に反抗することがしばしばありました。このたとえで「ぶどう園」はイスラエルの民、「家の主人」は神、「農夫たち」はイスラエルの宗教指導者、「しもべたち」は神から遣わされた予言者たち、「息子」はメシヤなるイエスご自身の運命を予言しておられます。

42節で引用されている聖句は、詩編118:22、23にあります。この聖句で「家を建てる者たち」は「農夫たち」、神の家を建てるべきイスラエルの宗教的指導者を意味しています。「捨てた石」「隅の親石」となった石はイエスご自身を指していると理解されます。イエスは捨てられ、苦難を受け、死からの復活によって新しい神の教会の土台石となられたのです。

神は愛と恵みに満ちたお方です。ぶどう園の主人は垣を巡らしてぶどう園を守ります。同じように、もし私たちが聖霊の内住によって神の律法に従うなら(ガラ5:16~6)、神はご自分の律法によって私たちを守ってくださいます。ぶどう園の主人は、ぶどう園が豊かな収穫をもたらすのに必要なすべてのものを用意し、農夫たちに忠実に働くように期待します。同じように、神は私たちが霊的な実を結ぶのに必要なすべてのものを用意し、私たちに忠実に従うように望まれます。しかし、このたとえの中では、責任を与えられた者たちがその責任を果たさず、そのうえ主人に真っ向から背いています。

◆ このたとえは次のような痛烈な言葉で結ばれています。「この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう」(マタ21:44)。石は苦難を受けて隅の親石となられたイエスご自身を表しています。緊迫した状況の中で、ユダヤの指導者たちはイエスを亡き者にしようとしていました。そのような反抗に対して石であるイエスが審判者として立たれることを、この 聖句は示しています。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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