婚宴と礼服【勝利の模範イエス】#39 

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マタイ21:28 ~ 22:14 にある3つのたとえ(「二人の息子」「ぶどう園と農夫」「婚宴」)はメシヤを拒絶することによって選民の特権が取り上げられること、神の国が異邦人や罪人を含めた新しいイスラエルに与えられることを教えています。

婚宴のたとえでは「王」は神、「王子」はキリスト、「披露宴」は神の国、「招いておいた人々」はユダヤ人を表しています。

ここで王は寛容と忍耐をもって招き続けます。しかし招かれた者たちはそれを気にもかけず、自分の利益を優先し、かえって王の家来を殺してしまいます。王は怒り、刑罰を行います。

そこで婚宴の招きが「町の大通り」で「善人悪人」を問わず発せられました。そして「婚宴は客でいっぱいに」なりました。しかしそこに「礼服」を着ないで出席している者がいました。実は「礼服」は王宮で支給されたのです。「礼服」を着ないということは王が備えられたものを否定することになります。そこでその人は「婚宴」にふさわしくないと拒絶されるのです。

神の備えー婚宴の主催者は客が必要とするものをすべて準備しました。彼は牛や肥えた家畜を屠り、慣習に従って、特別な着物を用意しました。同じように、神は私たちに永遠の命を与えるために、罪のための犠牲を備えられました。また、私たちが信仰によって受けることができるように、キリストの義の衣を用意しておられます(イザ61:10、ゼカ3:3 ~ 5)。

神の最終的な裁きー自分自身の誤った選択のゆえに、婚宴の客はその場にとどまることができませんでした。同じことが私たちについても言えます。私たちが大争闘に勝利するか敗北するかは、キリストに対して信仰を告白する前、あるいは後における私たちの選択にかかっています。言い換えるなら、婚宴に主席することを選んだだけでは、最終的な婚宴の恵みにあずかる保証にはならないということです。これは、招待を受けていると主張するすべての人にとって厳粛な事実です。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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