信仰によるいやし【イエスの奇跡と大争闘】#44

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サタンは12年間もこの女を不治の出血病の中に閉じ込め、肉体的、精神的、霊的に苦しめてきました。この病気によって不浄な者とされていたために(レビ15:25 ~ 27)、彼女は家族や友人と共に礼拝することも、交わることもできませんでした。あらゆる手を尽くし、すべての財産を使い果たし、何の希望もなくなったときに、彼女はイエスが町に来られることを伝え聞きます。イエスはいやしてくださるでしょうか。

イエスはこの女をいやす前に、いろいろな人のために少なくとも16の奇跡を行っておられます。その中のだれかが彼女にイエスのことを話したとも考えられます。イエスについてあかしすることはサタンに勝利する第一歩です。

しかし、イエスについて聞くだけでは不十分です。聞くことは信仰に、そして信仰は行動にまで発展しなければなりません。イエスによっていやされた人々はみな、イエスのもとに行くまでは普通の、喜びに満ちた生活が送れないと考えました。この女の場合は、イエスのもとに行くだけでなく、イエスに触れるまでは喜びはないと考えました。

私たちもイエスに「触れる」までは大争闘に勝利することができません。私たちを救う信仰は知的に真理を認め、受け入れることではなく、イエスを自分の救い主とする信仰です。私たちに必要なのはこの女のような信仰です。「真の信仰はいのちである。生きた信仰とは、活力と信頼心とが増し加わり、それによって魂が勝利する力となることを意味する」(『各時代の希望』中巻75ページ)。

イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と尋ねられました。それは非難の問いかけではなく、むしろサタンが支配するこの戦場にあっても信仰によって神に触れることができるという是認の問いかけです。

◆ 今日、イエスにいやしを求める人が皆いやされるわけではありません。福音書の出来事と今日の出来事との違いをどう理解したらよいのでしょうか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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