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これらの指示は重要な目的を持っています。「だから、あなたがたは、このvパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(Ⅰコリ11:26)。言い換えるなら、主の晩餐を執り行うことによって、私たちはサタンに勝利された神の力についての信仰を表明しているのです。この神の力はイエスの死による神のあがないのみ業に基づいています。
イエスは過越の歴史に基づいて聖餐式を制定されました(出エ12 章)。過越はユダヤ人のサタンへの隷属、人間の無力さ、そしてこの隷属から解放される唯一の望みとしての神の恵みを思い起こさせるものです。イスラエルの解放が神のあがないの業という歴史に基づいていたように、私たちの罪からの解放も十字架という歴史的出来事に基づいています。イエスは私たちのために「屠られた」「過越」の子羊です(Ⅰコリ5:7)。この犠牲のゆえに、私たちは大争闘においてキリストの勝利にあずかるのです。
イエスは、御自分の裂かれた体と流された血が新しい契約の基礎であると言われます(マタ26:28、Ⅰコリ11:25)。このことは大争闘の中心的な争点です。サタンは、神の律法が独断的で、不公平で、遵守不可能であると非難します。しかし、イエスは御自分の死によって新しい契約を立て、それによって神の律法が神の民の心に記されるようにされました(エレ31:31 ~ 34)。私たちはこの新しい契約のゆえに、聖霊の内住によって、主を愛し、主の戒めに従うことができます。主は、「この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」(ガラ1:4)。
「信仰によって主の大いなる犠牲を瞑想するとき、魂はキリストの霊的生命に同化する。その魂は聖さん式のたびに霊的な力を受ける。この式は、信者をキリストにむすびつけ、さらに天父とむすびつける生きたつながりとなる。それは、特別な意味において、神にたよっている人間との間のつながりとなる」(『各時代の希望』下巻142 ページ)。
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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。