離脱者【内なる戦い】#51

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内なる戦いー大争闘の争点がいかに壮大で宇宙的なものであれ(それは天で始まった)、結局のところ、地上の私たちにとっては人間の心と思いをめぐる戦いです。それは、銃や戦車や戦闘機を用いてなされる騒々しい戦いとは違い、人間の良心の中でなされる静かな戦いです。 

確かに、キリストは十字架において大争闘に勝利し、サタンは敗北しました。その結果、神は千年期の終わりにサタンと罪と死を宇宙から完全に除去されます。

これらは十字架によって保証された既定の事実です。しかし、私たちにとって重要な問題がひとつ残されています。それは、私たちも罪と死とサタンと一緒に除去されるか、それとも十字架におけるイエスの勝利を受け入れて、滅びることのない王国で永遠に生きるか、です。

これが、私たちが現在、また将来において直面する最大にして最も重要な戦いの争点です。今週の研究(#51~#55、テーマ:「うちなる戦い」)を進めながら、あなた自身に次のように問いかけてください― .「私は日ごとの選択においてキリストとサタンのどちらを選んでいるだろうか」。

 「しかし、12 人の中の1人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った」(ルカ22:3)。

イエスの弟子たちはみな欠点を持っていました。粗野で自己中心でいろいろな問題を引き起こしていました。しかしユダにサタンが入ったということは他の人にない違ったものがあると考えられます。ユダの致命的な問題についてヨハネ12:1 ~ 7 とマタイ26:14、15 を読んでみましょう。

「ユダは病人や体の不自由な人や目の見えない人たちが町々や都市からイエスのもとに群がり集まってくるのを見た。彼は瀕死の病人がイエスの足下に置かれるのを見た。彼は、救い主が病人をいやし、悪鬼を追い出し、死人をよみがえらせられた偉大なみわざを目に見た。彼は、自らキリストの力の証拠を感じた。彼は、キリストの教えがこれまで聞いたどんな教えよりもすぐれていることに気づいた。彼は、この大教師を愛し、いっしょにいたいと望んだ。彼は、品性と生活を変えたいという願いを感じ、イエスと関係することによってこのような経験をもちたいと望んだ。救い主はユダを拒否されなかった。主は彼を12人の中にお入れになった。主はユダが伝道者としての働きをするものと信頼された。主は、病人をいやし悪鬼を追い出す力をユダにおさずけになった。しかしユダはキリストにまったく従いきるところまで行かなかった。彼は世俗的な野心や金銭欲を放棄しなかった。キリストに仕える立場を受け入れながら、一方では天来の型にはまろうとしなかった。彼は自分自身の判断と意見を持っていてもよいと考え、批判と非難の精神を育てた」(『各時代の希望』下巻216 ページ)。

◆ ユダの性格の特徴について復習してください。私たちもどんな意味でユダと同じ特徴を持っていますか。ユダの犯した致命的な失敗を避けるためにはどうしたらよいですか(ガラ5:16 ~ 25 参照)。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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