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「ペトロは、『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません』と言った。弟子たちも皆、同じように言った」(マタ26:35)。
「そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた」(74 節)。
ペトロは二面的な性格の持ち主でした。彼はキリストが人となられた神であるという真理を受け入れた最初の弟子の一人でした。しかし、メシアの使命には死ぬことも含まれるという言葉をキリストから聞いたとき、ペトロはキリストをたしなめて、そのようなことはありえないと言います。ペトロのメシア観は十字架よりも王冠をよりどころにしていました。イエスは、そのようなメシア観はサタンから出たものであると言って叱責されました(マタ16:22、23)。
ペトロの弟子としての確信は最後の晩餐の後にふたたび揺らぎます。イエスが、御自分が間もなく死に、弟子たちは離散すると言われたからです。ほかの人はいざ知らず、自分は決してあなたを知らないなどとは申しません、というペトロの衝動的な応答は自己過信から出たものでした。しかし、主はペトロのことをよくご存知でした(マタ26:33 ~ 35)。
衝動的なペトロは、ゲッセマネでは眠っていたので、イエスと共に祈ることができませんでした(マタ26:40)。それでも、その後で、剣を抜いて敵に切りかかっています(51 節)。しかし、衝動的な勇者から臆病な裏切り者へと変身するにはさほど時間がかかりませんでした。彼は鶏の声を聞いて正気に返り、主のまなざしに接して主の警告と約束を思い出します(ルカ22:31、32)。ペトロは心から悔い改めてサタンの支配から逃れ、再び弟子たちの交わりに復帰します。こうして、彼は復活の主にお会いし(使徒2:32)、主から使命を受ける特権にあずかったのでした(ヨハ21:15 ~ 17)。
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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。