回復力【健全な精神と感情―心が愛で満たされるとき】#8

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ヘレン・ケラーの回復

ヘレン・ケラーは、一八八〇年にアラバマ州タスカンビアの裕福な家庭に生まれました。わずか生後一九か月の時、当時の診断によれば脳炎に冒され、耳が聞こえなくなり、目が見えなくなりました。その結果、彼女の幼年時代は無秩序な状態で、環境からほとんど何も学べませんでした。ところが六歳の時、両親は、かつて盲目であり、手術で視力を回復した二〇歳の教師アン・サリバンを雇い入れました。アンはヘレンの片方の手を取って、ポンプから流れ出る水に触れさせ、ヘレンのもう片方の手に指で「みず」と書きました。その時にヘレンは、コミュニケーションが可能なんだ、自分は触れるものを学ぶことができるんだ、と気づいたのでした。

やがてヘレンは、隆起印刷物を読んだり、文字を書いたりすることを学びました。アンから、耳と目の不自由なノルウェーの女の子が話すことを学んだという話を聞いて、ヘレンは自分も話せるようになりたいという意思を示したので、スピーチのレッスンを受けるためにホレイス・マン聾学校へ送られました。最終的にはラドクリフ大学に通い、学士課程を優秀な成績で卒業したのです。その時以来、活発な文筆生活を送り、本を数冊出版するとともに、盲目、聾、社会問題、女性問題、宗教などのトピックについて定期的に雑誌や新聞に投稿しました。ヘレンはおびただしい数の賞、栄誉、名誉博士号を授与されました。ヘレンの興味深い実りある人生は多くの人々に刺激と祝福をもたらし、一九六八年にその幕を閉じました。

ヘレン・ケラーは回復力の強い女性で、このように書いています。「私は自分の限界を罰や災難だと、いかなる意味でも思ったことがありません。そのような見方をしていたら、限界を克服するために力を発揮することはできなかったでしょう。私のハンディキャップを神に感謝します。このハンディキャップを通して自分自身を、私の仕事を、私の神を見いだすことができたのですから」①

逆境の中で与えられる回復

回復力とは、病気、変化、不幸に耐え、危機を前にして、目標を達成するための思いもよらぬ力とともに元気を取り戻す能力のことです。回復力については、近年、本格的な研究がなされています。人間の苦しみには、通常以上の力をふりしぼらせる何かがあるのです。

右斜め下から右斜め上へと折れ曲がっているやじるし

人々が逆境に対してすぐれた業績で応じたという事例は、まれではありません。カリフォルニア大学とミシガン大学で教育を受けた研究専門の心理学者ヴィクトル・ゲーツェルと高校教諭で職業作家でもある妻のミルドレッドは、『揺りかごから始まる偉人の生涯』(Cradles of Eminence: Childhood of More Than 700 Famous Men and Women)という本を出版しました。②

彼らは、伝記になった数を基礎にして、著名だと判断できる人を四〇〇人選び出したのです。そのリストには、フランクリン・ルーズベルト、マハトマ・ガンジー、ウィンストン・チャーチル、アルベルト・シュバイツァー、セオドア・ルーズベルト、アルベルト・アインシュタイン、ネルソン・ロックフェラー、レフ・トルストイ、マーク・トウェイン、ウィリアム・ジェームズ、ジークムント・フロイトらが入っていました。それからゲーツェル夫妻は数年間にわたって、この人たちが成長した環境を分析しました。

このような著名人たちの中には、温かい、支援的な環境で育った人もいくらかいることがわかりましたが、同時にまた、彼らの多くが、意外なほど学校や教師を嫌い、自説に固執する両親、失敗の多い父親、威張り散らす母親に育てられたことがわかったのです。他の多くの人たちは、身体の欠陥や障害があり、実際、彼らの多くは、秀でようという動機付けを与えてくれたのは身体的ハンディキャップだった、と言っています。

男性と風船を持った車椅子の女性の二人が日暮の海辺にいる様子。

二〇〇四年、ゲーツェル夫妻の息子テッド・ゲーツェルは、さらに近年の三〇〇人の著名人を加えて改訂版を出しました。③ その人たちの中には、ロバート・ケネディ、ネルソン・マンデラ、ヘルマン・ヘッセ、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ウォルト・ディズニー、マザー・テレサ、タイガー・ウッズ、オプラ・ウィンフリー、バーバラ・ストライサンド、ヒラリー・クリントン、ビル・ゲイツらが加えられました。全体的に見て、より現代的なこの人たちも、明解な目標とそれに到達しようとする内的な動機付けを持っており、初版で取り上げた人たちと同じような背景から身を起こした人たちでした。

今日、深刻な病、愛する人との別れ、離婚、失業、貧困、片親の子育て、(家庭内の、犯罪の、あるいはテロの結果としての)暴力、自然災害、戦争などに耐えている人たちが、何百万といます。そのような状況を切り抜けた多くの人は、立ち直る力がさらに増し加えられることでしょう。それは単に裕福な成功した職業人になるためではなく、健全な精神衛生と幸福を享受するためです。これが可能なのは、ひとえに愛する創造主がご自分の被造物に、挫折から立ち直り、幸福な生活を築き上げるための仕組みと資質をお与えになっているからです。

聖書には回復の早い個人への言及がたくさん含まれています。ひとたびその人たちを抑圧していた激しい逆境が過ぎ去ると、神は御自分の使命を達成するチャンネルとして彼らをお用いになりました。そのような男女の人生を研究することで、神の無敵の力に頼り、私たちのストレスの多い状況に立ち向かっていく助けを得ることができます。

聖書の人物に与えられた苦難

ノア

ノアは百年単位でその生涯が数えられるほど長生きしましたが、それゆえにあらゆる種類の悲しみを経験したに違いありません。二、三、私たちに伝えられていることを挙げるとすれば、彼は神の子どもたちの堕落がひどくなっていくのを目撃しました。ノアはまた、実質的にすべての人に嘲られながら箱舟を建造するという大変な要求に立ち向かうとともに、洪水後には、彼自身の子孫の退廃を目撃しました。さらに、自分の息子の一人を呪わなければなりませんでした。

アブラハム

アブラハムは見知らぬ目的地へ向かう旅に出るため、自分の国、同胞、父の一家と別れました。彼は、子孫が「砂粒のように多く」なるという神の約束と奥さんの不妊とに関係する多くの問題に直面しました。家族や家の者たちとの激しい緊張関係も経験しました。さらには、十代の息子、約束の子をささげて忠誠を試されるという、最も大きな試練の一つを経験したのです。

モーセ

モーセは果てることのない圧力に耐えました。彼がヘブライ人であることで、エジプトの宮廷での緊張は高まりました。エジプト人の職長を殺したことで、彼は恐れと罪悪感を覚え、逃亡しました。ファラオとの交渉は難航し、恐ろしい天災が襲ってくることになりました。そして四〇年近く、イスラエルの人々の絶えざる反逆に直面しなければなりませんでした。

バプテスマのヨハネ

新約聖書に出てくるバプテスマのヨハネは、メシアの先駆けであり、イエスによれば最大の預言者でしたが、謙遜で献身的で犠牲的な生活を送りました。しかしそれにもかかわらず、彼の奉仕は中途半端な結果に終わり、正当な理由なくして投獄され、弟子を遣わして、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(マタイ一一の三)とイエスに尋ねさせた事実からわかるように、その牢獄で彼の信仰は揺らいだのです。

パウロ

使徒パウロのライフ・スタイルは、回心後、劇的に変化し、信仰のゆえに何度も投獄されました。激しく鞭打たれたことは数回ありましたし、石を投げつけられることも一回あります。彼は危険な状況下で広い範囲を旅行し、その一方、初期のクリスチャン共同体に対する配慮と責任という、絶え間ない重圧に耐えたのです。

ヨブとヨセフを襲った試練

これらの人たちも、そして聖書に記されている他の多くの人たちも、激しい苦しみに遭いましたが、一つひとつの試練を経て、彼らは強くなっていきました。彼らは神によってしか与えられない回復力を身につけていたのです。

最も回復の早かった二人の聖書人物、ヨブとヨセフについてもっと詳しく見てみましょう。

ヨブ

主の僕ヨブは「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて」(ヨブ一の一)生きていました。しかし彼は、耐えるのが一層困難な厳しい試練にさらされました。というのも、当時のたいていの人たちは、苦難は当事者が犯した悪事に対する直接的な結果だ、と信じていたからです。この試練は極めて個人的なものでしたが、他方、宇宙的な意味合いも含まれていました。ヨブが主を畏れているのは、主が彼を祝福し、守っているからだと、サタンが主張した時、ヨブの試練は悪の力と善の力が対決する試金石となったのです。神の許可を得て、サタンはヨブの富、家族、健康を破滅させました。サタンは敵を送り込んでヨブの家畜と牧童たちの命を奪い、さらにヨブの羊と羊飼いたちを火で焼き殺したのです。その次には、荒れ野から大風を送り、ヨブの子どもたちが宴会を開いている家を破壊し、彼ら全員を殺してしまいました。そして最後に、サタンは身体全体をおおう痛々しい腫れ物でヨブを苦しめたのでした。ヨブは主の意志にまったく服従することでこれらすべてに応じ、次のように言いました。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ一の二一)。

しかし、ヨブを襲った試練は、財産、子どもたち、健康を失うことで終わりませんでした。彼に残されていた社会的ネットワークも役に立たなくなります。苦しみの最中に奥さんは、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」(ヨブ二の九)と言って彼を弱らせました。さらに、ヨブを慰めにきた三人の友だちは、彼の不幸を彼のせいだとしましたが、そのような非難は彼の助けにまったくなりませんでした。

多くの手に指さされ、非難されている様子

ヨブの経験は、忍耐、我慢強さ、不屈の精神の最高のお手本です。彼の態度は、信じる者が逆境に直面した時、特にそれが不当なものである時に、理想的な応じ方の模範でしょう。ヤコブはヨブに言及しています。「兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです」(ヤコブ五の一〇、一一)。ヤコブが指摘している教訓には、二つの点が含まれています。

・あなたのために最善を望んでおられる神、憐れみに富み、慈悲深い神に対する希望にしがみつきなさい。

・神のなされることは、長い目で見れば、常に良いことを理解しなさい。

そういうわけで、「主を待ち望みなさい」と、詩編記者は何度も言ったのです。

マルザック博士との思い出

私がフィリピンの大学院(the Adventist International Institute of Advanced Studies)の学長であった時、誰かが私に会う約束をしてきたなら、それはトラブルが起きていることを意味するのだ、と思うことがよくありました。もちろんいつもそうであったわけではありません。少なくとも、旧約学の教授ケン・マルザック博士が私に会いに来られる時には、私に問題を押し付けていかれないことを確信していました。博士が訪問されると、いつでも牧会的な祈りと励ましの言葉を残してくださったのです。

マルザック博士は癌を煩っておられました。彼の闘病生活について尋ねた時の返事を、私は決して忘れることがありません。彼はこう言ったのです。「神は厳しくなさることはあっても、首を締めたりなさいませんよ」──このスペイン語の諺は、困難な目に遭っている人を励ます言葉です。マルザック博士は、長年にわたって闘病生活を送られましたが、今はイエスの声で目覚める時まで眠っておられます。

私たちは多くの苦しみに耐えなくてはならないかもしれませんが、いつでも神は私たちのためにはるかに良いものを備えていてくださるという確信を持つことができます。友人たちの哲学的議論に対するヨブの答えは、彼がこの確信を持っていたことを表しています。「わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも この身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう」(ヨブ一九の二五、二六)。

ヨセフ

ヤコブのお気に入りのこの息子(ヨセフ)は、彼の人生の方向を完全に変えたひどく痛ましい経験を少なくとも二つしました。最初の経験は兄弟に関わるものでした。ヨセフは自分の見た夢について兄弟に語ったり、色とりどりの上着を見せたりした時、気配りに欠けていたのかもしれませんが、彼が支払わされた代価は、彼の犯した罪とは不釣り合いのものでした。兄たちは冷酷にも彼を殺そうとしたのですから。ルベンが兄弟の中に割って入って殺害を食い止めましたが、彼らは特別な晴れ着をヨセフからはぎ取ってイシュマエル人の隊商に売り、この商人たちは彼をエジプトで奴隷として売り飛ばしました。

その次に、ヨセフは不当にも投獄されました。彼はファラオの侍従長ポティファルに仕えていましたが、ポティファルの妻が幾度となく彼を誘惑しようとしたのです。結局、言い寄られたヨセフが拒むと、彼女は自分を強姦しようとしたと言って訴え、彼は投獄されました。

いずれの場合も、ヨセフが受ける必要のない不当な扱いという結果になりました。しかし、ヨセフはそれらの出来事から立ち直り、ついにはそれらの出来事によって、ファラオに次ぐエジプト高官への道が開かれたのです。そしてそのエジプトにおいて、ヨセフは自分の親族を含む多くの人たちを死から救うという大きな使命を全うすることができました。

聖書の人物に与えられた苦難(女性)

ラバンの娘

ラケルは偶像崇拝の家で育てられた美しい女性でした。彼女の父親は占いをして、やがて結婚するようになるラケルとヤコブを含む他の人たちをよくだましていました。ラケルは結婚すると、子が授けられないことや、姉で第一夫人であるレアとの間のライバル関係のゆえに、さらに何年も苦しむことになります。しかし最終的には、ヨセフとベニヤミンという子どもを授かりました。

ルツ 

ルツは、時には人身御供を要求する神々を礼拝していた異教の民の土地、モアブの住民でした。彼女は、飢饉のためにイスラエルの家を離れたユダヤ人移民、エリメレクとナオミの子マフロンと結婚しました。しかし、すぐにルツは未亡人となり、イスラエル人の夫との間に子を授かってはいませんでしたが、子どもに死なれた同じく未亡人である義母のナオミと一緒に生活することに決めました。ナオミがベツレヘムの家に戻った時、ルツはリスクを負っていました。彼女は女であり、外国人であり、若い未亡人だったからです。しかし、先行きの不安と苦労を経てボアズと結婚し、彼女は良い生活が与えられました。

ハンナ

ハンナは、不妊、ペニナの挑発、その結果として彼女を不幸にしたうつ状態のために、ひどく苦しみました。しかし、やがて神は彼女を豊かに祝福なさり、彼女にはサムエルという息子と、さらに三人の男の子と二人の子が与えられました。

マリア

若き処女マリアは、メシアの母親となる偉大な仕事を託されました。妊娠という状況が彼女に大きな困難をもたらし、許婚のヨセフとの関係さえ脅かすことになります。彼女は不安定な状況下でイエスを出産し、貧しさに加えて、イエスの誕生の次第に疑問を抱く多くの人たちの懐疑心にさいなまされながら、一家は生活しなければなりませんでした。イエスの在世時、メシアとしての彼の働きと役割について、マリアは限られた理解しか持っていませんでしたが、それでも、「イエスの地上生涯の間中、彼女はイエスと苦難を共にした」④のです。

これらの女性たちは皆、神の召しを受け、神の導きを与えられましたが、全員が多くの苦難を耐え忍ばなければなりませんでした。しかしそれでも、一人ひとりが増し加えられた力でその試練を切り抜けたのです。

ナオミ

イエスの先祖ナオミは、与えられた逆境の意味がわかるまでに、長年にわたって大きな苦しみを経験しました。ナオミにとって特に困難であった事柄を以下にいくつか挙げます。

ナオミと夫エリメレクは、二人の息子とともに飢饉のために国を出ざるを得ませんでした。これは新しい機会を求めて出て行くのとはまったく違った経験です。彼らの目的地であるモアブの地は、生き残りが可能な農業地帯でしたが、この地にはイスラエルの信仰を脅かす偶像崇拝者が住んでいました。

ナオミの夫は妻と養育すべき二人の男の子を残して亡くなりました。この衝撃的な出来事は、彼らが外国の地にいたがゆえに、一層きついものでした。

ナオミの息子マフロンとキルヨンは、地元の女性たちと結婚しましたが、この事実はおそらくナオミを仰天させ、一家に騒動をもたらしたことでしょう。なぜなら、モアブ人は主の集会に入ることができない──しかも、一〇世代まで入れない──と、モーセの律法が定めていたからです(申命記二三の三)。「柔弱」「病弱」という意味の名前の息子たちも亡くなり、近い血縁者が一人もいないという、信じられないほど悲劇的な状況に陥りました。

この深刻な悲劇の時に、ナオミの義理の娘ルツは、神から与えられた精神的支えを提供しました。ナオミは、二人の義理の娘の献身的な愛情を引き出すような、すばらしい女性であったに違いありません。特にルツは、イスラエルの神を受け入れ、旧来からの敵の土地においても、生涯、義母を養うという堅い決心をしました。しかしながらナオミは、最終の苦しい試練が終わるまでに、まだ多くの先行きの不安と厳しい歩みを経なければなりませんでした。ナオミがベツレヘムの友人に言った言葉は、彼女の気持ちをよく表しています。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです」(ルツ一の二〇)。

貧しい女性が二人して戻って来たものの、ボアズとの関係が良い結果を生じるかどうかもわからず、その血縁者にして身請け人がどのように対応してくれるのかについても不確かなのです。しかし物語は、すばらしい出来事の連続で結末を迎え、ナオミはその結果に満足しました(ルツ四の一六、一七)。

エステル

エステル記の中のどこにも「主」という名前は出てきません。それでも、エステル記は神の摂理と導きにあふれた書です。中心人物のエステルは、幾多の困難な状況に対処する中で強い回復力を見せています。

エステルには両親がいません。そういうわけで、ネブカドネツァル王によってエルサレムからバビロンへ捕虜として連れてこられたいとこのモルデカイが、彼女を養女にしました。エステルは成長するに伴い、孤児であるがゆえの偏見を経験したかもしれません。

エステルが王妃として選ばれた時、モルデカイは、国籍や家族の背景を明かさないように、とエステルに指示しました。宮廷のライフ・スタイルは、ユダヤ人の信仰やアイデンティティーと著しい対照をなしていたに違いないので、これは特に大変な要求でした。エステルはしばらくの間、ユダヤ人だと身元が知られてしまうことへの恐れや、もし知られてしまったらどうなるのだろうか、という不安を抱えながら暮らしました。

エステルは、王の私室の番人二人が王を殺そうと画策しているという情報を王に伝えました。このことも彼女にとってストレスの種であったに違いありません。なぜなら、陰謀は調査する必要があり、もし充分な証拠がなければ、彼女は処刑されたかもしれないからです。

額に手を当て悩んでいる様子の女性

たぶんエステルが負った最大のストレスは、バビロンのユダヤ人を救うことができる唯一の人であったという重圧でした。最初、エステルは介入するのをためらいましたが、モルデカイは彼女にさらなる重圧を加えました。「この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない」(エステル四の一四)。

王宮の内庭にいる王に召し出されずに近づく者は、誰でも死刑に処せられることになっていました。さらに、王はしばらくエステルを召し入れていなかったので、彼女が同胞を救うために王室へ入っていった時、彼女は死を覚悟していました。

エステルは直面したすべての重圧にもかかわらず、くずおれることがありませんでした。その代わりに、彼女は不可能に見えることを達成する方策を考えました。スサにいるすべてのユダヤ人が集まって三日間断食するように、彼女は求めたのです。それから、王の前に出て行きました。いくつかの奇跡的な出来事が続き、ユダヤ人の全住民はエステルの調停によって救われました。エステル記の残りの章には、その話が非常に興味深く描かれています(五章から一〇章)。

神はなおもそこにおられる

私たちが極度の重圧の下にある時でさえ、神はなおもそこにおられ、私たちの弱々しい祈りでさえも受け入れ、答えてくださいます。レオナルド・マルカイの経験から、この結論が確かなものであることがわかります。レオナルドはボストン大学の精神医学リハビリテーション・センターで働いており、「フィットネス運動」「健康管理」「健康回復」の講座を担当しています。『精神医学リハビリテーション・ジャーナル(Psychiatric Rehabilitation Journal)』の記事の中で、彼は自らの子ども時代の幸福な生活や愛と思いやりに満ちた家庭について語っています。彼はまた、多くの友だちがいて、いろいろなスポーツに参加していた高校時代の精神的に健康な生活について述べています。しかし、ボストンのマサチューセッツ大学の学部生時代、彼はうつ病を経験するようになりました。陰うつな気分、孤独感、自殺念慮、さらには、通常うつ病には見られない精神病の症状である妄想症まで経験したのです。レオナルドは人を疑うようになりました。他の人たちが自分についてうわさし、笑っていると思い込み、そのことが彼の孤立感を深めました。

レオナルドにとって転換点になったのは、祈りでした。体験談の中で、彼はこう言っています。「『回復力(resilience)』という言葉は、私にとって馴染みのないものでしたが、病気が進行するにつれて、生き延びるためには回復力が必要であるということが明らかになってきました。私は多くの時間を割いて、……貧しい人たちや路上生活者のために祈りました。祈りは私の命の恩人であり、この世における私の居場所を見つける手助けをしてくれたのです」。うつ病の症状が現れ始めると、具合が悪くて祈れないと、レオナルドは療法士に伝え、それを聞いた療法士は、とにかく祈って、霊的な命を育むように、彼を励ましました。

レオナルドはスープ接待所でボランティアとして働き、定期的に祈祷会に出席しました。「回復が早くなるための一つの方法は、他の人たちと関わり合うことです」と、彼は指摘しています。そして彼の証しを次のように結んでいるのです。「多くの試練と苦難に満ちた旅路において、自己崩壊と死の方向にではなく、霊的に健全な正しい方向へ進み続けることができたのは、祈りによってでした。……祈りは私を活気にあふれさせ、霊的に目覚めさせてくれます。それは、大変効果があるものだったのです」⑤

次のような使徒パウロの言葉に賛同することは、たやすいことではありません。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています」(二コリント一二の一〇)。高校生時代、三年間連続して(外国語としての)英語の試験が不合格であった時の気持ちをまだ覚えています。しっかり勉強しており、充分準備できていると思ったのですが、それは違っていたようです。その評価方法が厳しいものであり、信頼できないものだったということは本当です。私たちは丸一年間地元の高校でさまざまな科目を勉強し、六月には、最終試験の一週間、市の反対側にある一斉試験会場へ行きました。どう転ぶかわからない、というのがその時のストレスでした。けれども、他の最終試験は不合格にならなかったのです。ただ英語だけが、三年連続して不合格になったのでした。

毎夏、補習から解放されなかった理由が、私には理解できませんでした。しかしその後の年月の中で、私は神がこのことを引き起こされたのだと──つまり、このことであれ何であれ、神がお許しになったのだと──確信するようになりました。このお陰で、三度の夏を余分に英語を勉強して過ごさねばならなかったのですから。のちになって、その追加の勉強は極めて有用であったとわかりました。なぜなら、大学では英文の資料を読む必要がありましたし、大学院の勉強は米国ですることになったからです。

私たちは困難の中にある時でさえ、苦しみはいつか終わり、それには目的があるのだという信仰を持たなければなりません。ある夜、有名なウェールズ人の牧師で聖書注解者であるマシュー・ヘンリーは、盗賊に襲われ、お金を盗まれました。その事件について、ヘンリーは日誌にこう書いています。「感謝したいことは、第一に、これまで一度も盗まれなかったこと。第二に、財布は取られたが、命は取られなかったこと。第三に、全財産を取られたが、さしたる額ではなかったこと。第四に、私が盗まれた方であって、盗んだ方ではなかったこと」⑥

もしあなたが今、苦しみのただ中におられるなら、理解するのは大変難しいとお感じになるでしょうが、その苦しみがやがて過ぎ去るものであることを知り、以下の約束の言葉を知るなら、勇気を得ることができるかもしれません。

「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも」(詩編四六の二~四)。

参考文献

①     Helen Keller, Light in My Darkness, 2nd ed. (West Chester, Penn.: Chrysalis Books, 2000), 120.

②     Victor Goertzel and Mildred George Goertzel, Cradles of Eminence (New York: Little, Brown & Company, 1962).

③     Victor Goertzel, Mildred George Goertzel, Ted George Goertzel, and Ariel M. W. Hansen, Cradles of Eminence, 2nd ed. (Scottsdale, Ariz.: Great Potential Press, 2004).

④     エレン・G・ホワイト『各時代の希望』上巻 90頁(昭和38年)。

⑤     Leonard Mulcahy, “My Journey of Spirituality and Resilience,” Psychiatric Rehabilitation Journal 30 (2007): 311, 312.

⑥     Paul Lee Tan, Encyclopedia of 15,000 Illustrations. Digital edition; entry 13179.

*本記事は、フリアン・メルゴーサ『健全な精神と感情──心が愛で満たされるとき』からの抜粋です。

著者:フリアン・メルゴーサ博士
ワラワラ大学教育心理学部学部長。スペインのマドリッド出身。マドリッド大学で心理学と教育学の研究をし、アンドリュース大学院から教育心理学で博士号を授与される。スペイン、英国、フィリピン、米国において、教育者、カウンセラー、行政家として奉仕。フィリピンの神学院アイアス(The Adventist International Institute of Advanced Studies)元学長。精神的・霊的健康に関する主な著作に以下の書がある。Less Stress (2006),  To Couples (2004), For Raising Your Child (2002), Developing a Healthy Mind: A Practical Guide for Any Situation (1999). 最近の学術論文に以下のものが含まれる。‘An Adventist Approach to Teaching Psychology’ (70-4, 2008) Journal of Adventist Education.  ‘Professional Ethics for Educational Administrators’(66-4, 2004) Journal of Adventist Education.

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