依存症からの回復【健康な精神と感情ー心が愛で満たされるとき】#11

目次

依存とは

英国バークシャー州ブラックネルのその日は天気が良く、私は通り沿いの公衆ベンチに腰掛けて昼食をとることができました。すぐに気づいたのは、座っていたベンチが電子ゲーム施設の前にあるということでした。サンドイッチを食べながら、入口近くのスロット・マシーンが見えました。二十代の男性が小銭とは言えない硬貨──五○ペンス、一ポンド、二ポンド硬貨──を入れ始めました。すると突然、ベルの音やヒューヒューという音が辺りの空気を震わせ、たくさんの硬貨がマシーンから飛び出してきたのです。私は、その男が望んでいたものを手に入れたんだ、と思いましたが、彼は戦利品を持って出て行く代わりに、マシーンが間違って出したかのようにそれらの硬貨を一つ一つマシーンに入れ戻したのです。言うまでもなく、スロット・マシーンは貴重な硬貨を一枚残らず飲み込みました。その男性はポケットをすべて調べ、もう硬貨がないことを確認し、それから立ち去りました。彼がギャンブルに病みつきになっているのかどうか私にはわかりませんが、もしそうであれば、彼はきっと次の日、硬貨の入った新しい袋を持ってここに戻り、同じことを繰り返すでしょう。

この訳がわからない行為は何なのでしょうか。あの若者はおそらく大当たりを狙っていたのでしょう。でも大当たりを出したとしても、すでに儲け以上の金を注ぎ込んでいるのです。

あらゆる依存症は自由を阻害する深刻な病です。依存症が人々の行動を支配すると、彼らは自由を失います。幸福とは依存症からの自由である、と定義されてきたのも不思議ではありません。

いちばんよく知られている依存症は化学的なもので、マリファナ、コカイン、ヘロインなどの薬物依存、また他には、合法化され、規制されているので容認できると思われているアルコール、タバコ、カフェイン、睡眠薬、痛み止めなどがあります。こういった物質は多かれ少なかれ次のような症状を引き起こします。

  • 依存──依存とは、その物質を数回使用すると、使用を中止することが困難になることです。原因の一つは習慣性であり、もう一つの原因は、再びその物質を使用するまで使用者に不快を感じさせる化学的プロセスです。
  • 禁断症状──禁断症状とは、その物質の使用を中止した時に使用者が経験する深刻な症状のことです。
  • 強化──強化とは、物質や活動によって報酬や快感を得るときに形成される心理的メカニズムで、それを何度も使用し(行い)たいと思わせるものです。
  • 耐性──耐性とは、物質に対する身体の適応によって生じるもので、常習者が以前に体験したのと同じレベルの結果を得るために、使用物質の増量を余儀なくさせます。
  • 中毒──中毒とは、物質によって感覚・精神機能が鈍くなることです。

これらの反応は、依存物質をやめることが困難になる理由を説明しています。依存症の人たちは大抵、家族、親友、治療グループ、専門家の支援を必要とします。とりわけ、神が彼らにお与えになる力を必要とするのです。

世界中のアドベンチストの大多数は、上述した物質から解放されています。しかし、強い依存症に成り得る非薬物的習慣はたくさんあります。例えば、セックス、ポルノグラフィー、ギャンブル、リスクの多い投資、金銭や物品の蓄財、ビデオ・ゲーム、携帯電話のメール、個人のイメージへの気遣い……など。さらに人々は、食べ物、薬、ショッピング、運動といった日常生活で必要とされるものを乱用し、依存症になることがあります。合法であろうとなかろうと、薬物であろうとなかろうと、社会的に認容されていようといまいと、健康に有害であろうとなかろうと、すべての依存症は自由を制限し、あるものは完全に奪いとってしまうのです。神のみかたちに、自由に創造された人たちが(創世記二の二七、三の一六)薬物や習慣の奴隷となるような決断をすることは、不道徳なことです。

薬物依存症

依存症を引き起こす物質はたくさんあります。コカイン、アンフェタミン(交感神経興奮薬)、ニコチン、カフェインといった興奮剤は、過剰の刺激とエネルギーを供給します。バルビツール酸系催眠剤、ベンゾジアゼピン系薬(神経症、心身症、睡眠障害用薬剤)、アルコール、ヘロインを含むアヘン剤といった抑制剤は、人間を落ち着かせ、憂うつな気分を高揚させます。LSD、マリファナ、ハシシュなどの幻覚剤は、幻覚と呼ばれる著しい感覚の変化──時には心地よく、時には恐ろしい感覚──をもたらします。接着剤、トルエン(シンナーの主成分)、エーテルのような吸入抗原は、時として抑制剤、時として幻覚剤として作用します。ドーバント(麻薬)やボディビルダーのようなステロイドは筋肉を増強し、身体能力を向上させます。いちばん問題となる麻薬から始めて、依存症を二、三、見ていくことにします。

薬が入った注射器が人体を貫通しているイメージ画像

アルコール

アルコール──中毒性のあるすべての物質の中で、アルコールとタバコは、健康、社会、経済、家族、地域社会、国家に最大の重荷を負わせています。世界保健機構によると、飲酒者は二〇億人、喫煙者は一三億人いるということです。この数を不法麻薬使用者の一億八五〇〇万という数と比べてみてください。

アルコールは、薬物質依存症における主犯格であり、最大多数の人々に影響を及ぼしています。問題を複雑にしているのは、アルコールに魅力的なイメージがあることです。ワインの醸造所は訪問するのに楽しい場所であり、ワインは特別の機会やお祝いの席で乾杯をするために用いられ、アルコール飲料は知的な活動につきものであり、上流中産階級の間で好まれています。加えて、適量を使用すると、心臓病や糖尿病の危険を減らすという証拠も発表されています。

この言葉で事足りるということでしょうか。タバコの歴史が何かを指し示すとするなら、おそらくそうではないでしょう。わずか数世代前の科学は、喫煙を健康に良いものとしていました。数十年間、クラーク・ゲーブル、ハンフリー・ボガート、及び他のハリウッド・スターたちは、常にタバコを持っていることで魅力的な人と見られていました。今日、タバコは恐ろしい害を与えるものという連想がついて回り、信用を落としており、労働者階級と発展途上国においてのみ蔓延しています。

聖書はアルコールについて強く警告しており、魅力的な側面と共に醜悪な側面を示しています。「酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが 後になると、それは蛇のようにかみ 蝮の毒のように広がる」(箴言二三の三一、三二)。同じ章では、酒に酔いつぶれたあとの結果──不幸、嘆き、いさかい、愚痴、理由なき傷、にごった目、異様なものを見る──も幾つか挙げられています。そして、精神的な依存症がもたらす習慣性を思い出させることで、締めくくられているのです。「酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう」(箴言二三の三五)。

飲酒の悪影響は長期に及びます──栄養失調、アルコール性肝硬変、末梢神経損傷、心疾患、膵臓炎、胃炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、ウェルニッケ・コルサコフ症候群、若年死亡、また妊産婦の場合には、早産、胎児性アルコール症候群、先天奇形など。また行動と感情の合併症があります。例えば、薬物乱用・精神衛生サービス局のジャネット・グリーンブラットは、米国中の一五歳から二〇歳までの人たちのデータを調べましたが、その調査結果のいくつかは以下のとおりです。①

  • 自動車事故を起こした一五歳から二〇歳までの人たちの二一パーセントは、飲酒をしていた。
  • 一五歳以前に飲酒を始めた人たちは、二一歳以降に飲酒を始めた人たちよりも四倍多くアルコール中毒になっている。
  • 飲酒する大学生は、不承不承のパートナーに性的接触や性交を強いるケースが飲酒しない大学生と比べて二・三倍多かった。
  • 高校三年生の中退者の八○パーセントは、飲酒運転をしたことがあった。
  • 高校三年生の中退者の五○パーセントは、飲酒のために病気、長期欠席、法に触れる問題を起こしたことがあった。
  • 飲酒者の半数は、非飲酒者の二七パーセントと比べて学業を疎かにしていた。
  • 飲酒者で自傷・自殺行為を試みたことのある人は、非飲酒者と比べて三倍以上多くいた。
  • 飲酒者で家出をしたという人は、非飲酒者と比べて三倍から五倍以上多くいた。
  • 飲酒者で盗みや万引きをしたという人は、非飲酒者と比べて三倍から四倍以上多くいた。
  • 飲酒者で物を破損したり、他人を脅したり、他人に暴力を働いたという人は、非飲酒者と比べて二、三倍多くいた。
  • 大量飲酒者で喧嘩をしたという人は、非飲酒者と比べて三倍以上多くいた。
  • 飲酒者で学校の権威に従わず、授業をさぼるか不登校をしたという人は、非飲酒者と比べて二倍多くいた。

アドベンチストの中には、「適度に」飲酒することで教会の節制という歴史的立場をないがしろにしている人たちがいます。アルコール飲料を用いないという、一〇〇年以上にわたって証明されてきた健康のメッセージが私たちに託されてきたのに、それは残念極まりないことです。

私は適度であっても飲酒することはないでしょう。父はアルコール中毒で、家族に多大な痛みをもたらしました。父は四十二歳の時に自殺しましたが、その時、私は二歳、姉は五歳で、極めて不愉快な状況に取り残されたのです。はっきり言えることは、父がアドベンチストの家庭で育っていたなら、適度であろうと過度であろうと、決して酒を口にすることはなく、彼の生涯ははるかに有益であったであろうということです。実際、酒によって私の家族は不必要な苦しみを経験しました。母がアドベンチストの信仰を受け入れ、十代の姉と私を教会に誘ってくれたことを、私は神に感謝しています。若い頃に受け入れた節制の生活を続けていなかったら、私は生きていただろうか、と危ぶむことが時々あるのです。

他の薬物

他の薬物依存症──他の化学物質の中には、それほどはっきりした破壊的な依存症を引き起こさないかもしれないもの、例えば砂糖やカフェインがあります。プリンストン大学の心理学者たちは、糖の大量摂取、糖断ち、渇望という段階を含む、ネズミの糖依存症サイクルの証拠を提示しています。② 多くの人たちは経験から人間は砂糖にも中毒になることを知っています。

カフェインは、コーヒー、お茶、さまざまなソフト・ドリンクに含まれる刺激性の少ない興奮剤ですが、依存、耐性、禁断症状を引き起こすことがわかっています。実際、『精神疾患の診断と統計の手引き(DSM-IV)』は、一日二五〇ミリグラムのカフェイン消費をカフェイン中毒と規定しています。その影響は、落ち着きのなさ、神経過敏、興奮、不眠、利尿、顔面紅潮、筋れん縮、消化不良、散漫な思考と会話、頻脈・頻拍、精神運動興奮まで及びます。

非薬物依存症

物質を摂取するというよりも、行動や習慣に根ざした依存性習慣というものがあります。このような依存症の原因はさまざまかもしれませんが、その心理的プロセスは薬物依存症によって引き起こされるプロセスに著しく類似しています。そういうわけで、アルコール中毒者匿名会が独自に作った一二の段階は、他のグループの療法──ギャンブラー匿名会、仕事中毒者匿名会、セックス中毒者匿名会、万引き匿名会、過食者匿名会、喫煙者匿名会など──のいずれにもあてはまるのです。非化学物質依存症の共通点を二、三吟味してみましょう。

セックス依存症

セックス依存症──聖書は性的結合を夫婦の楽しみの源として、またその結婚関係を強める方法として示しています。ソロモンは、姦淫を警告する文脈において、夫婦が愛し合う恩恵について極めて明解に述べています。「あなたの水の源は祝福されよ。若いときからの妻に喜びを抱け。彼女は愛情深い雌鹿、優雅なかもしか。いつまでもその乳房によって満ち足り 常にその愛に酔うがよい」(箴言五の一八、一九)。この神からの賜物は、子孫繁栄のためのみならず、結婚生活の喜び、親密さ、一致の源として人間に与えられています(創世記一の二七、二八、一コリント七の二)。

しかしながら、セックスがその元々の枠組みと目的から外れると、もめごとの種となります。姦淫は以下のようなさまざまな結果を招きます。例えば、姦淫は第七条の戒めの違反であり、神の名誉を汚すことであるから(一コリント六の一九、二○)神に対する不貞、過ちを犯した伴侶への不忠実、安定した結婚関係の崩壊、姦淫者の傷。パウロが、「人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」(一コリント六の一八)と言うとおりです。しかも依存症にかかる深刻なリスクを負うことになります。

姦淫は、その性的関係が満足のゆくものであり、しかも誰にも気づかれない時に、当事者をセックス依存症に向かわせます。姦淫者は快楽を得ると性行為を繰り返し、その繰り返しからセックス依存症になることがあるのです。大学院で教えていた頃、姦淫の問題について二、三、取り組まなければならないことがありました。その学校の学長は、修士過程と博士課程の学生たち──彼らのほとんどが結婚し、子どもがいました──に姦淫という話題を取り上げて話し、重大な警告を与えました。「奥さんに不貞を働いても誰も気がつかないと思うのは間違いです。悪魔は確かにあなたの行為を暴き出し、あなたとあなたの教会は信用を失うでしょう」。学長は、学生たちが不倫関係に突き進む前に、その結果について考えさせたかったのでした。

イエスの姦淫の定義は、身体の行為以上のものを含みます。イエスは言われました。「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」(マタイ五の二八)。この定義は、現代の誘惑と直接的な関係があります──ポルノ雑誌やポルノ映画、ストリップ・バー(ストリップショーのある酒場)、サイバー・セックス(コンピューター上の疑似セックス)。最後のネット上のものは、マスターベーションを伴うエロチックでロマンチックな会話で、過去数年間、驚くほど蔓延しています。今では男性と同じく女性も夢中になっており、推定では、サイバー・セックスをする人たちの九パーセントが依存症にかかっています。依存症の徴候としては、性格が変わること、人目を避けたがること、家事が疎かになること、伴侶とのセックスに無関心になること、クレジット・カードの請求に関して嘘をつくこと、家族との交わりがなくなることなどが挙げられます。

カップルが各々携帯に夢中で互いに無関心な様子

サイバー・セックスが結婚生活や家庭生活に与える衝撃は深刻です。離婚弁護士と同様、結婚家族療法士たちは、ネット上の浮気が原因で離婚を希望する夫婦の数が増加していると報告しています。ジェニファー・P・シュナイダーは、アリゾナ地域医師会で働く内科医で、内科、薬物中毒、疼痛管理の資格を持っています。彼女は、伴侶がインターネット・セックスに関わっている人たちをサンプル調査しました。回答者たちは、傷心し、裏切られ、拒絶され、捨てられ、打ちのめされ、寂しさを感じ、恥意識に悩み、孤立し、屈辱感にさいなまされ、妬み、怒り、自尊心の低さに苦しんでいました。③ 回答者の六八パーセントは、夫婦の片方または両方が、伴侶とのセックスに関心を失っていました。このような仮想現実の浮気は、大きな被害を与えていたのです。回答者の二二パーセントは、別居または離婚し、他の何人かは、関係を絶つことを考えていました。事実上、すべての回答者が、サイバー上の浮気は本当の浮気と同じ程に感情が傷つくと感じていました。子どもに関して言うと、彼らはサイバー・ポルノにさらされ、依存症の親から放任されており、彼らの多くも両親の争いや離別という結果に苦しまなければならなかったのです。

仮想現実の浮気による深刻な家族問題に加えて、それに夢中になっている人たちは、自らが負う結果に苦しみます。アンドレアス・フイラレトーと彼の同僚たちは、サイバー・セックスの抑え難い衝動がこの依存症の人たちに与える影響を調べました。④ 彼らはインターネット・セックス依存症に陥った男性参加者との広範囲のインタビューに基づく事例研究方法を採用しました。彼らの観察によると、罪悪感、うつの症状、不安の症状、現実生活の伴侶と親密な交わりを持てないことなどが、インターネット・セックス依存症の結果の一部でした。

私たちは間違った方向に一歩ですら踏み出すことを避ける必要があります。「あなたの道を彼女[遊女]から遠ざけよ。その門口に近寄るな」(箴言五の八)。

私が若かった頃、ある青年牧師がこんな良い助言を私たちによくしてくれました。「ある若い女性を好きになったものの、彼女は結婚していることがわかったと想像してみてください。みなさんには二つの選択肢があります。好きだという思いを完全に捨て去るか、彼女が結婚しているという事実を無視して、彼女と一緒にいる様子を空想し始めるかです。第二の選択はトラブルを生じる扉を開くことになるので、容易にできる間に最初の選択に従ったほうがいいですよ」と。この牧師の論点は、問題がこじれる前に「否」と言うべきだということです。「神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたから逃げて行きます」(ヤコブ四の七)。

ギャンブル

ギャンブル──この営みは依存症を最も引き起こしやすい気晴らしの一つです。人々はわずかの「罪のない」賭けをし始め、時折の報酬によって、失ったものをすべて取り戻せる大きな報酬をじきに手にすると期待しつつ、何度も賭けを繰り返してしまうのです。依存症である証拠には、賭けに対する執拗なこだわり、嘘、手に入ったお金を使い果たしてしまうこと、さらには、賭けを続けるために借金や盗みをすることなどが含まれます。

ビンゴ、ポーカー、スロット・マシーン、ルーレット、スポーツの賭け事、くじなどは、依存症に至るかもしれないギャンブルの種類です。聖書はギャンブルや賭けについて直接的に語ってはいませんが、関連する事柄についての教えに注目することでアドバイスを得ることができます。例えば、「働きたくない者は、食べてはならない」(二テサロニケ三の一○)とあります。十戒は貪りを禁じていますが(出エジプト記二○の一七)、貪欲こそ最高の賞をねらうギャンブラーたちが心に秘める情動なのです。

さらにパウロは金銭を愛することを警告し、これこそあらゆる悪の根源である、と言っています(一テモテ六の一○)。私たちは、ギャンブラーや賭けをする人が金銭を愛していると推測できます。なぜなら、彼らはほんのわずかな現金を得ようとしていますが、時間やお金やエネルギーといった大きな負債は背負い込みたくないのですから。

私の通った小学校は、マドリッドの中心街にあるサン・イルデフォンソ・スクールです。この学校はスペインで最古の小学校、欧州でも最古の小学校の一つで、設立は一五世の終わり頃にさかのぼります。スペインの国営くじが一七六三年に始まった直後に、サン・イルデフォンソ・スクールの男の子たちは、当たりくじを引き、くじを引くたびに大きな賞を称える歌を歌うように依頼されました。この伝統は今日も続いています。

沢山の宝くじとお金が写っている画像

二、三年間にわたり、私は月に三度このくじ引きを手伝いました。私たちは焼印された数字のついたブナ材の玉を引き出す装置を動かしました。その小さな玉は全部、大きな透明の球体の容器の中に入っていました。子どもだったので、六万もの可能性の中から当たりの数字を引き出す数学的確率を充分理解してはいませんでしたが、こう独り言を言ったのをはっきり覚えています。「大きくなったら、くじでは遊ばないぞ。だって、賞を得るのは大変なことじゃないか!」。私は正しかったのです。

今日、国営のくじに参加するのは一〇〇万人以上に上ります。二等賞を得る勝算はどれくらいなのでしょうか。一等賞を得る勝ち目はどれくらいなのでしょうか。確率はものすごくわずかで、たったの一ペニーを投資することも割に合いません。でもこのような論理的な分析では、この種のギャンブルをひいきにする多くの人たちを納得させられないのです。どうしてでしょうか。単に彼らが欲張りだからとか、手っ取り早く大儲けをしたがっているから、といった理由ではありません。自尊心が最大の要因であるように思えます。多くの人が大当たりした時を空想することで満足を得ています。それを想像することがエゴの役に立つからです。当たらなければ、次回の大当たりを期待して、次々とギャンブルを続けていきます。私たちがその期待を無効とすることができるのは、イエス・キリストを通して私たちの神から受ける多くの確かな祝福と、くじに当たるというわずかな確率とを対比させることによるのです。

お金・財産|物質愛

所有物──富それ自体は、必ずしも悪いものではありません。実際、非常に富んだ人ヨブは、その世代において神のお気に入りの人でした。しかしながら聖書は、戒めています。例えば、すでに述べたように、パウロは弟子のテモテに、「金銭の欲は、すべての悪の根です」と教え、ある人たちはその欲によって信仰を失った、と言ってその危険性を説明しています。そしてイエスは、「人の命は財産によってどうすることもできないからである」(ルカ一二の一五)と言われました。

あの金持ちの若い指導者は、信仰と行いにおいて良いユダヤ人でした。しかし彼は、神の国以上に彼の所有物を高く評価しました。そういうわけで、イエスが、それらを売って従ってくるようにその青年に求めた時、いちばん大切だと思っているものを失う痛みに耐えることができませんでした。それゆえに、「その人は……気を落とし、悲しみながら立ち去った」のです(マルコ一○の二二)。優先順位を誤って、彼は永遠の命を犠牲にしてしまったのです。

人々の物質愛は、蓄積する生活に焦点が合わせられる時、特に危険なものになってきます。ある人たちは、投資したものを監視するために不相応な多くの時間を用いることで、神、人間関係、レクリエーションをおろそかにしているかもしれません。インターネットで銀行口座から他の銀行口座へと移動することが可能になりました。国際的にも望むままに全資金の移動を行うことができます。さらに、家の中で株式投資を行うことができます。さまざまな指標や為替レートの絶えざる変動は、さらに五ドルか一○ドルを儲けるために私たちを絶え間なくコンピューターに張りつかせるかもしれませんが、これも依存症の徴候なのです。

私たちは正直に心開いて、私たちの必要を神に願い求める必要があります。「貧しくもせず、金持ちにもせず わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り 主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き わたしの神の御名を汚しかねません」(箴言三○の八、九)。

他者からのイメージ|人の価値観

個人のイメージ──何年か前に、奥さんが体重で悩んでいる、と私に言ってくれた同僚がいました。奥さんが彼に、「私、鏡を見るたびに気がふさいじゃうの」とよく言うので、「それじゃ、鏡の中の姿なんか見ないことだね」と彼は返答していたそうです。体重が一○ポンド増えようが増えまいが、彼は同じように奥さんを愛していました。あるがままの彼女を受け入れていたのです。

どうして奥さんは気がふさいだのでしょうか。一つには、社会が個人のイメージに過度の価値を置き、標準からはずれている人たちの内に欲求不満とふさぎ込む気分を作り出しているからです。これで儲けるビジネスも現れます。世界中の化粧品産業は、世界中の食品小売市場の半数以上に匹敵する利益を生み出しています。化粧品購入に加えて、多くの人たちは外見を良くするために、ボディービル、美容整形、ボトックス(しわ治療薬)注射、植毛、形成外科手術、特別なダイエット食などに私財を注ぎ込んでいます。

美容注射を打っている画像

ここでの問題もまた、人の価値観に関するものです。最近放送された「トラベル・チャンネル」というテレビ番組(米国民放の旅行ドキュメンタリー)の中で、原始文化そのままの生活を送っている五人の南太平洋の島民をアメリカに連れて来て、アメリカ人の暮らしを目の当たりにさせていました。彼らが経験した多くの事柄の中に、南カリフォルニアの美顔術がありました。美容師が、「一○歳、若く見られたいと思いますか」と尋ねると、「とんでもない。一〇年長生きするほうがいいね」と、南国の島民は答えました。彼らの文化では、たとえふけて見えたとしても、年齢というものが高く評価されていたのです。美容師の文化では、若く見えることが最高の価値なのです。

使徒ペトロはクリスチャンが重んじるべき価値を指し示しました。「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです」(一ペトロ三の三、四)。大事なのは外見の美しさではなく、キリストのような柔和な品性であるということです。

その他社会に溢れる依存症

まだ論じていない依存症は他にもあります──食べ物、運動、仕事、テレビ、ビデオ・ゲーム、インターネット上の情報をあちこち見て回ること、携帯電話のメール、買い物、趣味、あるいはフェイス・ブックでさえも。カウンセラーたちの報告によると、フェイス・ブック、マイ・スペースといった社会ネットワークキング・サイトを使用することに問題を覚えているという人の数が増加しているそうです。ある人たちはこれらのサイトに一日九○分を費やして、新しく加わった写真やメッセージを検索しています。

もしあなたが依存症にかかる危険を冒しているか、あるいは依存症で苦しんでいるなら、あなたに自由を得させてくださるイエスに目を向けることを、真剣に考えてみてください。「もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」(ヨハネ八の三六)。

参考文献

①     Janet C. Greenblatt, “Patterns of Alcohol Use Among Adolescents and Associations with Emotional and Behavioral Problems,” Office of Applied Studies Working Paper (Substance Abuse and Mental Health Services Administration, 2000).

②     Nicole Avena, Pedro Rada, and Bartley Hoebel, “Evidence for Sugar Addiction: Behavioral and Neurochemical Effects of Intermittent, Excessive Sugar Intake,” Neuroscience & Biobehavioral Reviews 32 (2008): 20–39.

③     Jennifer P. Schneider, “The Impact of Compulsive Cybersex Behaviours on the Family,” Sexual and Relationship Therapy 18 (2003): 329–354.

④     Andreas G. Philaretou, Ahmed Y. Mahfouz, and Katherine R. Allen, “Use of Internet Pornography and Men’s Well-Being,” International Journal of Men’s Health 4 (2005): 149–169.

*本記事は、フリアン・メルゴーサ『健全な精神と感情──心が愛で満たされるとき』からの抜粋です。

著者:フリアン・メルゴーサ博士(英: Julian M. Melgosa, PhD)
ワラワラ大学教育心理学部学部長。スペインのマドリッド出身。マドリッド大学で心理学と教育学の研究をし、アンドリュース大学院から教育心理学で博士号を授与される。スペイン、英国、フィリピン、米国において、教育者、カウンセラー、行政家として奉仕。フィリピンの神学院アイアス(The Adventist International Institute of Advanced Studies)元学長。精神的・霊的健康に関する主な著作に以下の書がある。Less Stress (2006),  To Couples (2004), For Raising Your Child (2002), Developing a Healthy Mind: A Practical Guide for Any Situation (1999). 最近の学術論文に以下のものが含まれる。‘An Adventist Approach to Teaching Psychology’ (70-4, 2008) Journal of Adventist Education.  ‘Professional Ethics for Educational Administrators’(66-4, 2004) Journal of Adventist Education.

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