3つの宗教の聖地エルサレムとは?キリスト教の聖地と巡礼地を紹介

アイキャッチ「聖地巡礼とは」

この記事は約6分で読むことができます。

この記事はこんな人におすすめ!
・エルサレムが3つの宗教の聖地となった理由を知りたい
・キリスト教の聖地を知りたい
・プロテスタントが巡礼をしない理由を知りたい

主にカトリック教会の中で巡礼が行われており、そこがキリスト教の聖地となっていきました。一方、プロテスタントはこの根底にある価値観を否定し、巡礼を廃止しています。

聖地を見るときに、カトリックとプロテスタントの価値観の違いと歴史がわかるのです。

この記事では、聖地の紹介と巡礼の意味や価値観の違いをまとめています。

目次

イスラエルにある聖地エルサレムとは?

名前の由来

旧約聖書には、ヨシュア記10章1節に「エルサレム」という名称が登場しますが、それよりも前に創世記14章18節にも「サレム」という名称で登場しています。

伝統的には、サレムは「平和」を意味するため、ヘブライ語でエルサレムは「平和の町」を意味すると考えられています。

なぜ、3つの宗教の聖地となったのか?

イスラエル共和国の首都エルサレムは、ユダヤ教にとってはかつて神殿があった聖都であり、キリスト教にとってはキリストの十字架と復活の舞台であり、イスラム教にとっては第3の聖都でムハンマドが昇天した場所です。

それゆえに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地となっています。

嘆きの壁ーエルサレム神殿の跡地

古代イスラエル王国のソロモン王がエルサレム神殿を建設しました(第一神殿)。

当時は、預言者モーセが神から授かった十戒などが納められた契約の箱が神殿の最奥に置かれていましたが、その後の戦乱で失われます。

新バビロニア王国によって一度、エルサレム神殿は破壊されてしまいますが、後にアケメネス朝ペルシアの時代に神殿の再建が始まります。

アルタクセルクセス王の命令により、ユダヤ人の自治権が認められると、神殿とエルサレムの完全な再建が可能となりました(第二神殿)。

しかし、紀元70年にローマ帝国によってエルサレムが攻め落とされたときに、神殿は再び破壊されてしまったのです。

この神殿の跡地は、「嘆きの壁」と呼ばれ、ユダヤ教徒の聖地となっています。

嘆きの壁の写真

聖墳墓教会

335ー336年にコンスタンティヌスにより、建設されたのが聖墳墓教会です。

コンスタンティヌスの母ヘレナが、326年にキリストの墓を発見したために建設されたという逸話がありますが、キリストの墓の場所には諸説あります。

聖墳墓教会は614年に火災のために消失。その後、再建されますが、今度は1009年にファーティマ朝の第6代カリフ・ハーキムにより破壊されてしまいます。

1048年にビザンツ帝国のコンスタンティノス9世モノマコスが再建に着手すると、十字軍の動きと共に再建が加速、1149年に再建が完成します。

現在の聖墳墓教会は、この12世紀の教会を原型としていますが、その後も火災や破壊などによる増改築を繰り返したため、基本は変わらないものの、失われたものもあります。

また、キリスト教も多くの教派に分かれているため、キリスト教の聖地ではあるものの、管理は一元化されているわけではなく、複雑になっています。

現在は、ギリシャ正教会、ローマカトリック教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、エチオピア正教会、シリア正教会によって共同管理されており、内部にはそれぞれの教派が独自に管理する区域があります。

クリミア戦争(1853ー56)では、カトリックを支援するフランスと正教会を支援するロシアが聖墳墓教会の管理権をめぐって対立したことが要因の一つであると考えられています。

そのため現在では、聖墳墓教会の鍵の管理をイスラム教徒の2家族が、伝統的に鍵の管理を受け継いでいます1

聖墳墓教会の写真

岩のドーム

イスラム教の預言者ムハンマドが昇天したと考えられている、紀元7世紀後半に建てられた現存する最古のイスラム教の建築です。

また、一説によると岩のドームが立っている場所はソロモンが建てた第一神殿の場所と考えられ、さらにアブラハムが息子イサクを神へのささげ物としようとした場所であるともされています。

加えて、一部のキリスト教徒とユダヤ教徒が焼失している神殿が再建される場所であると考えており、宗教対立がある場所ともなっています2

岩のドームの写真

キリストが誕生したベツレヘムや故郷ナザレとは?

クリスマスの舞台ベツレヘム

「ダビデの町」とも呼ばれるベツレヘムは、イエス・キリストが誕生した街としてよく知られています。

天使たちが羊飼いにキリストの誕生を告げたり、東方からの賢者たちの訪問、ヘロデ王による幼児虐殺など、キリストの誕生エピソードの多くが起こった場所です。

約326年にコンスタンティヌスによって、キリストが生まれたという伝承がある場所に「ベツレヘムの聖誕教会」が建てられました。

その後、6世紀に立て直されますが、12世紀には十字軍によって大規模な改修と装飾が行われましたが、一部は建てられた当時のままであると考えれ、現存する世界最古の教会とも考えれています。

ベツレヘムの聖誕教会の写真

キリストの故郷ナザレ

ガリラヤ地方にある町で、キリストの両親であるヨセフとマリアの故郷であり、天使がキリストの誕生をマリヤに告げた舞台となる町です。

旧約聖書やタルムード、また歴史家ヨセフスの『ユダヤ古代史』にも登場していない町で、キリストの時代にもこの町から救い主(メシア)が出るとは考えられていませんでした(ヨハネによる福音書1章46節)。

しかし4世紀以降、エルサレムやベツレヘムと並んで、キリスト教の重要な中心地となりました。

キリスト教三大聖地

巡礼とは?その目的は?

一般的に知られているキリスト教三大聖地は、三大巡礼地のことです。

三大巡礼地としては、イスラエルのエルサレム、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラがあげられます。

巡礼
特別な恵が与えられると信じる聖なる土地に旅行すること。聖地パレスチナへの巡礼はかなり早くから行われた。償罪の行為として巡礼がすすめられ、聖母崇敬・聖人崇敬が盛んになるとともに、ゆかりの土地への巡礼も盛んになった。

『キリスト教大事典』教文館、542ページ

主にカトリック教会の思想の中で、罪の償いの行為として巡礼が行われており、エルサレム、フランスのルルド、イタリアのロレント、ローマなどが巡礼地となっていました。

また、人気があった巡礼地の一つであるエルサレムが、セルジューク・トルコの手に落ち、巡礼が困難になったことが、十字軍結成の要因の一つとなります。

教皇ウルバヌス2世は「十字軍に加わる者は罪を赦され、償いも免ぜられる」(贖宥の特権)と説いていきます。これは、当時の人々にとって重要な意味を持っていました。

カトリック教会の教えでは、善行を積まなければ死後、煉獄へ行き、さまざまな苦しみを経て、天国に行くと教えていたからです。人々にとって、十字軍は天国への切符となったのでした。

しかし、プロテスタント教会はこの根底にある価値観を否定し、信仰によってのみ救われることを強調しているため、プロテスタント教会では巡礼は廃止されています。

スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ

伝説では、使徒ヤコブの殉教といわれ、遺体もここに埋葬されたとされています。ヤコブの骨が発見されたと伝えられている場所には、大聖堂が建てられています。

また、イベリア半島内だけでも約800kmある、サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路は有名で、11ー12世紀には年間50万人の巡礼者が訪れたとされます。

サンティアゴ・デ・コンポステラの写真

バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂は、ローマ・カトリック教会の主聖堂で、使徒ペテロの墓という伝承がある場所に建てられました。

326年にコンスタンティヌスが建てましたが、その後、全面的な再建がなされ、ミケランジェロも関わりました。

このサン・ピエトロ大聖堂の改築工事の資金を集めるために、カトリック教会は免罪符(贖宥状)を発行し、それが発端となり、宗教改革へと至りました。

サン・ピエトロ大聖堂の写真

まとめ

主にカトリック教会の思想の中で、罪の償いの行為として巡礼が行われていましたが、プロテスタント教会はこの根底にある価値観を否定し、信仰によってのみ救われることを強調し、巡礼を廃止しました。

そのため、プロテスタント教会において、聖地はカトリックや正教会ほど重要視されていません。

また、聖地の一つであるサン・ピエトロ大聖堂の再建資金を集めるために免罪符(贖宥状)を発行したところ、反発したルターから宗教改革が起こり、プロテスタントが誕生しました。

聖地を見るときに、カトリックとプロテスタントの価値観の違いと歴史がわかります。

関連コンテンツ

いつでも どこでも だれでも気軽に学べるオンライン講座講座

VOPオンラインでは、豊富なコンテンツがありますが、
さらに学びを深めたい方は
無料の聖書講座『読んでまなぶ』がおすすめです!

\ 詳細はこちらから /

聖書の開き方から預言まで。個人での聖書の学びはこちらから!

幅広くマンツーマンやグループで学ぶことができるオンライン聖書講座、
それが『講師とまなぶ』です。

\ 詳細はこちらから /

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

当サイトの活動はすべて無料で行われており、皆様の寄付金によって支えられております。今後とも、皆様からの温かいご支援をよろしくお願いいたします。
ご協力いただける方は、ゆうちょ銀行の下記口座へご送金いただければ幸いです。 

口座番号 00220ー1ー73287
加入者名 アドベンチスト・メディアセンター

参考文献

H. Horn, The Seventh-Day Adventist Bible Dictionary (Review and Herald Publishing Association, 1979).

M. G. Easton, Illustrated Bible Dictionary and Treasury of Biblical History, Biography, Geography, Doctrine, and Literature (New York: Harper & Brothers, 1893).

The Editors of Encyclopaedia Britannica Article History, “Britannica”, https://www.britannica.com

『新聖書辞典』いのちのことば社

『キリスト教大事典』教文館

藤井 陽子「聖墳墓教会の巡礼―17 世紀聖地巡礼記から―」『筑波大学フランス語フランス文学論集』第 30 号、2015 年

コトバンク

  1. 産経新聞2017年6月25日「キリスト教聖地の鍵を管理するのはイスラム教徒だった… 多数の宗派が共同使用「聖墳墓教会」の謎を解く」https://www.sankei.com/article/20170625-7UJHVNGPTNK27ELYNS4SPVTHKQ/

2. 「Got Questions」https://www.gotquestions.org/Dome-of-the-Rock.html,(2024年5月23日閲覧)

よかったらシェアしてね!
目次