山上の垂訓でのイエス・キリストの有名な言葉と教え|聖書の名言

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この記事はこんな人におすすめ!
・新約聖書に登場する名言を知りたい
・有名なイエスの名言の解説を見たい
・山上の垂訓の教えをざっくり知りたい

「8つの幸い」や「主の祈り」などの有名な教えが話された山上の垂訓は、「豚に真珠」や「狭き門」、「砂上の楼閣」などのことわざの由来となっています。

この記事では、そんな山上の垂訓の中で話された名言を解説していきます。

目次

山上の垂訓とは

その目的と内容は?

山上の垂訓とはマタイによる福音書5章に記録されているイエス・キリストによる説教です。

「8つの幸い」や「主の祈り」など、有名なキリストの教えはここで話されたもので、「豚に真珠」や「狭き門」、「砂上の楼閣」などのことわざも、この説教が由来となっています。

ここでキリストは、自分自身の働きとクリスチャンの生き方について教えられました。

山上の垂訓で語られた数々のキリストの名言とその教えは、現代のわたしたちの生活のヒントとなります!

山上の垂訓全文はこちら

マタイによる福音書5章

1イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。 2そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

4悲しんでいる人たちは、さいわいである、

彼らは慰められるであろう。

5柔和な人たちは、さいわいである、

彼らは地を受けつぐであろう。

6義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、

彼らは飽き足りるようになるであろう。

7あわれみ深い人たちは、さいわいである、

彼らはあわれみを受けるであろう。

8心の清い人たちは、さいわいである、

彼らは神を見るであろう。

9平和をつくり出す人たちは、さいわいである、

彼らは神の子と呼ばれるであろう。

10義のために迫害されてきた人たちは、

さいわいである、

天国は彼らのものである。

11わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。 12喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

13あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。 14あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 15また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 18よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。 19それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。 20わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。

21昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 22しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。 23だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、 24その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。 25あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。 26よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。

27『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 28しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。 29もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。 30もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。 31また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。 32しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。

33また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 34しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。 35また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。 36また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。 37あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。 40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。 41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。 42求める者には与え、借りようとする者を断るな。

43『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。 46あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。 47兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。 48それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

マタイによる福音書6章

1自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。

2だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。 3あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。 4それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

5また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。 6あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。 7また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。 8だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。 9だから、あなたがたはこう祈りなさい、

天にいますわれらの父よ、

御名があがめられますように。

10御国がきますように。

みこころが天に行われるとおり、

地にも行われますように。

11わたしたちの日ごとの食物を、

きょうもお与えください。

12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、

わたしたちの負債をもおゆるしください。

13わたしたちを試みに会わせないで、

悪しき者からお救いください。

14もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 15もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

16また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。 17あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。 18それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。

19あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 20むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 21あなたの宝のある所には、心もあるからである。 22目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。 23しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。 24だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

25それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 26空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 27あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 28また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 29しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

マタイによる福音書7章

1人をさばくな。自分がさばかれないためである。 2あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 3なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 4自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 5偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

6聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

7求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 8すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 9あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 10魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 11このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 12だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

13狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 14命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

15にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。 16あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。 17そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 18良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。 19良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。 20このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。 21わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。 22その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。 23そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

24それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。 25雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。 26また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。 27雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。

28イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。 29それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。

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人間関係で悩んだときに読みたいキリストの名言

 
人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさいマタイによる福音書7章12節


「自分がしてほしいこと」を考えて、人にも同じようにすることを教えている言葉

新約聖書の中で最も重要な教えの一つであるこの聖書の言葉は、黄金律とも呼ばれています。

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

マタイによる福音書7章12節

「律法と預言者」とは、この当時の聖書(旧約聖書)を指す言葉で、黄金律と隣人愛が聖書全体の教えの原則であることを、キリストは伝えたのです。

孔子の「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」に代表されるように、多くの宗教や思想では「してほしくないこと」が中心となりますが、キリストは「してほしいこと」を中心とした教えを説いていきました。

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汝の敵を愛せよマタイによる福音書5章44節


自分と対立する人であっても、親切にするようにと教えている言葉

敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

ルカによる福音書6章27節(新共同訳)

「敵を愛せ」と言われると難しく感じますが、他のところでは「親切にしなさい」とも表現されています。

新約聖書の原語のギリシャ語では愛と訳せる4つの言葉がありますが、聖書の中では主に、フィリアとアガペーが出てきます。

「敵を愛しなさい」は、アガペーで書かれていて、フィリアではありません。フィリアはアガペーよりも感情的な愛を指す表現で、アガペーは理性的なニュアンスのある言葉です。

フィリアで示される愛は、アガペーに比べて感情や気持ちに基づいた愛情や感傷的な愛です。 ……これは、アガペーが尊敬や敬意の愛という原則であり、理性と知性を用いる愛だからです。この愛は、クリスチャンが敵に対しても持つべきものです(マタイによる福音書5章44節参照)。つまり、敵に敬意を払うことが求められていますが、フィレオで示されるような温かい感情的な愛情を抱くことは命じられていないのです。

Siegfried H. Horn, The Seventh-Day Adventist Bible Dictionary (Review and Herald Publishing Association, 1979), 682.

また、旧約聖書では「ヘセド」という言葉で同じ概念が出てきますが、これも「やさしさ」「親切」「憐れみ」「好意」をあらわす表現です。

聖書では、愛は感情ではなく、具体的な行為をあらわす言葉として出てきます。そのため、「敵を愛せ」は、他のところでは「敵に親切にしなさい」とも表現されているのです。

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右の頬を打たれたら左の頬を差し出せマタイによる福音書5章39節


ガンジーにも大きな影響を与えた、非暴力の教え

悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

マタイによる福音書5章39節

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

マタイによる福音書5章9ー10節

ガンジーに代表されるように、悪に対して暴力で応じないというこの教えは有名です。

キリストは、人々に平和をつくり出す者であるようにと教えられました。

そのあとで、迫害される人々に対するメッセージが出てきますが、迫害は一方的な暴力です。

平和をつくり出す人々は暴力的な手段を取らないために、迫害されるのです。

ガンジーと山上の垂訓

ガンジーは次のように述べています。「山上の垂訓は私の心に響き」、「山上の垂訓を読んだとき、それは私の心に深い印象を残しました」。そのため、山上の垂訓はガンジーにとって非常に大きな影響を与え、生涯を通じて彼はその教えを守り続けました。そして「非暴力の使徒」とも呼ばれるようになったのです。
ガンジーが特に感銘を受けたのは、イエスの「悪に逆らわない」という教えでした。そのため、彼はしばしばマタイによる福音書5章39節を引用しています。

Bombay Sarvodaya Mandal / Gandhi Book Centre,”https://www.mkgandhi.org/articles/mahatma-gandhi-and-sermon-on-the-mount.php”,2024/10/7閲覧

 
柔和な人は幸いであるマタイによる福音書5章5節


自己中心的ではなく、穏やかで謙虚な生き方を聖書はすすめています

聖書の原語であるギリシャ語で、柔和は「温厚で穏やか」「優しい気配りができる親切さ」「謙虚」といった特性をあらわす言葉です。

聖書は、自己中心的に自己主張をするのではなく、穏やかで優しい親切さ、謙虚な生き方を選ぶようにとすすめているのです。

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山上の垂訓の8つの幸いとは?

山上の垂訓は、8つの幸いのメッセージ(マタイによる福音書5章3ー10節)で始まります。

これらのメッセージはクリスチャンの成長を表していて、「心の貧しい人は幸いである」はその最初のステップである、神の助けが必要であることを認めることをすすめています。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

自分自身には何もなく、神の助けが必要であることを認めることが、まず最初のステップです。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

この悲しみは、自分の罪についての悲しみです。

柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

キリストは自己中心な思いは罪であるとし、自己を主張するのではなく、謙虚な態度で生きるようにとすすめています。

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

「義に飢え渇く」とは、キリストに似たものになりたいと思う気持ちで、聖書の教えに従いたいという思いのことです。

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

自分たちが神からゆるされたように、あなたがたも人々をゆるしなさいと、キリストは教えました。

心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

心のうちで罪を犯すならば、それを行ったのと同じであるとキリストは教えました。表面的な行いだけでなく、心の中の状態も大切なのです。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

キリストの教えに従う人々は、平和をつくり出すものであることが求められています。

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

最後に、迫害される人たちへのメッセージがありますが、迫害は一方的な暴力でもあります。

平和をつくり出す人々は、暴力に応戦しないため、迫害されるのです。

聖書を囲み、3人で手を繋いで祈っているイメージ画像

お金が不安から解放される名言

 
明日のことを思い煩うな。一日の苦労は一日で足れりマタイによる福音書6章34節


思いわずらっていると、もっと大切なことを失ってしまうことを伝えている言葉

キリストは、お金と生活の心配が人々の大きな不安であることを知っていました。そのため、このことについての言葉を多く残しています。

あなたも、不安で夜も眠れないということがあるのではないでしょうか?

そんなときに思い出したい名言ですね!

あなたの宝のある所には、心もあるからである。

マタイによる福音書6章21節

あなたがたのうち、だれがおもいわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

マタイによる福音書6章27節

あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

マタイによる福音書6章34節

マタイによる福音書6章34節の「明日のことを思い煩うな。一日の苦労は一日で足れり」のイメージ画像

 
野の花を見よ、空の鳥を見よマタイによる福音書6章34節


神が必ず助けてくれることを信じるようにという教え

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてください。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

マタイによる福音書6章26節

何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。……あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。

マタイによる福音書6章34節

キリストは、人々の不安を神が知っていることと、必ず助けられることを教えました。

マタイによる福音書6章26節の「野の花を見よ、空の鳥を見よ」のイメージ画像

実は由来は聖書?豚に真珠、狭き門より入れ、砂上の楼閣の本当の意味とは?

 
豚に真珠マタイによる福音書7章6節


高い価値あるものでもそれのわからない者には無価値に等しいことのたとえ

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

マタイによる福音書7章6節

「豚に真珠」は上のキリストの言葉がもとになっています。

当時、犬や豚はけがれた動物とされ、また不要な残飯をえさとして食べていました。

真珠や価値のある聖なるもの(供え物)と残飯の違いがわからない動物をたとえに、キリストは人々の目がくもっていることを痛烈に告げていくのです。

現代では、「高い価値あるものでもそれのわからない者には無価値に等しいことのたとえ」として使われています(広辞苑第六版)

「猫に小判」は、日本由来のものですが、意味としては「豚に真珠」と同じになります。

また、似たことわざとしてある「馬の耳に念仏」は、中国で活躍した詩人である李白の詩に登場する言葉が由来とされ、「人の意見や忠告を聞き流して、まったく効果がないこと(三省堂国語辞典第七版)という意味です。

「馬の耳に念仏」と同じ由来とされる「馬耳東風」という四字熟語も同じ意味となります。

豚に真珠のイメージ画像

 
狭き門より入れマタイによる福音書7章6節


競争が激しくて入学・就職などのむずかしいことを意味する言葉

狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者は多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

マタイによる福音書7章6節

当時は、丘や岩の上に都市が築かれることがあり、その場合、安全な城壁の中に入るためには細い道を通り、狭い門から入る必要がありました。

それをたとえに、「狭い門から入りなさい」とキリストは救いに至る道について話したのです。

転じて現代では、「競争が激しくて入学・就職などのむずかしいこと」を指します(広辞苑第六版)

「狭き門」のイメージ画像

 
砂上の楼閣マタイによる福音書7章24節


永続きしない物事、または、実現不可能な計画のたとえを意味する言葉

キリストは、狭き門についての話をした後に、岩の上に家を建てた人と砂の上に家を建てた人のたとえ話をします。

これが「砂上の楼閣」の由来です。

岩の上に建てられた家は洪水が来ても流されませんでしたが、砂の上に家を建てた人は流されてしまいます。

このたとえの意味をキリストは次のように言っています。

わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。

マタイによる福音書7章24節

ただ聞くだけでなく、それを実行する大切さについてキリストが話していくなかで「狭き門より入れ」「砂上の楼閣」といった言葉が出てきました。

現代では、転じて「永続きしない物事、または、実現不可能な計画のたとえ」として使われています。

砂上の楼閣のイメージ画像

神の国と神の義とを求めなさい

神の国と神の義とは? 

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

マタイによる福音書6章33節

神の国とは?

神の国は「天国」という意味だけでなく、聖霊の働きによってキリストの品性がわたしたちに根付くことも意味します。

神の義とは?

「義」とは、人間と神の間に正しい関係が存在する状態を指す言葉で、救いを意味しています。

キリストは山上の垂訓の中で、「神の国と神の義とを求めなさい」と言われました。これは何よりも、救いが大切であることを意味しています。

そして、この「神の国と神の義(救い)」は求めれば与えられるのです。

 
求めなさいそうすれば与えられるマタイによる福音書7章7節


何かを成就するためには、与えられるのを待つだけではなく、進んで求める姿勢が大切ということ

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。……求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか。

ルカによる福音書11章9ー13節

聖霊なる神の働きのひとつは、わたしたちの品性をキリストに似たものにすることです(コリント人への第二の手紙3章18節)

求めれば、正しい神との関係が与えられ、キリストに似た品性を得ることができるという教えが本来の意味なのです。

これが転じて、「何かを成就するためには、与えられるのを待つだけではなく、進んで求める姿勢が大切」という意味になりました。

まとめ

「8つの幸い」や「主の祈り」などの有名な教えが話された山上の垂訓の中で、キリストは自分自身の働きとクリスチャンの生き方について教えられました。

また「豚に真珠」や「狭き門」、「砂上の楼閣」などのことわざも、この説教が由来となっていて、多くの名言が生まれた説教です。

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