赤毛のアンとは?あらすじと時代背景|名場面とテーマをキリスト教視点で読む

目次

『赤毛のアン』のあらすじ

『赤毛のアン』は、カナダ、プリンス・エドワード島を舞台に、赤毛の少女アン・シャーリーが成長していく物語です。

孤児院からグリーンゲイブルズに迎えられ、マリラとマシュウ、同級生ギルバートや親友ダイアナとの出会いを通じて、数々の出来事を経験します。

シリーズには続編も多く、子ども時代から大人になり、家庭を築くまでの歩みが描かれています。

本記事ではあらすじや登場人物、時代背景を整理し、さらにキリスト教的視点から作品のテーマを解説します。

 

『赤毛のアン』は何を伝えたい?

『赤毛のアン』のテーマの一つは、キリスト教の教えである「隣人愛」です。

主な登場人物

アン・シャーリー

孤児院から手違いでやってきた赤毛の少女。想像力豊かでおしゃべり、感受性が強い。失敗や騒動を起こしながらも、誠実さと明るさで周囲に愛され、成長していく。

マシュウ・カスバート

内気で心優しい兄。アンを気に入り、最初から強い愛情を示す。アンにとって心の支えとなる存在。

マリラ・カスバート

マシュウの妹。最初はアンを返そうとするが、次第に情を抱き母親代わりとなる。厳格で現実的だが、アンを通して柔らかくなってくる。

ダイアナ・バリー

アンの「腹心の友」。隣家の娘で、誠実で穏やかな性格。アンの親友として常に寄り添う。

ギルバート・ブライス

アンの同級生。初対面で赤毛をからかい、長く絶交されるが、努力家で優秀。やがてアンの良きライバル、後の友人となる。

あらすじを簡単に……

アンとカスバート兄妹との出会い
グリーン・ゲイブルズでの暮らしの始まり

舞台はカナダ、プリンス・エドワード島。グリーンゲイブルズに暮らす老兄妹マリラとマシュー・カスバートは、農作業を手伝うために孤児院から男の子を引き取るはずでした。

ところが、やってきたのは11歳の赤毛の少女アン・シャーリー。最初は返すつもりだったマリラも、アンの境遇を知り、引き取る決心をします。

レイチェル・リンド夫人との出会い

アンは新しい故郷アヴォンリーで生活を始めます。花や森に愛称をつけ、日々を物語のように彩る一方で、失敗や騒動も絶えません。

レイチェル・リンド夫人に容姿をからかわれたアンは激しく怒り、失礼な口をきいてしまいます。その後、アンは反省して謝罪し、それからリンド夫人と良い関係を築いていくこととなります。

アンの学校生活
親友ダイアナ・バリーとの出会い

隣に住む同い年のダイアナ・バリーに、出会ったその日のうちに「わたしたちは一生の親友になりましょう」とアンは真剣に提案します。そして二人は庭の中で手を取り合い、互いに「永遠の友情」を誓い合いました。

ギルバート・ブライスに怒るアン

クラスメイトのギルバート・ブライスに「にんじん」とからかわれ、怒りのあまり石盤を割る事件を起こしてしまいます。その日から、長い間ギルバートを許そうとしません。

親友との危機

ある日、アンがお茶会でいちご水と間違えてお酒を出し、ダイアナが酔ってしまったことで、親同士の仲にひびが入り、二人の交友は禁じられてしまいます。

けれども後日、ダイアナの妹ミニー・メイが急病にかかった際、アンが冷静に看病して命を救い、バリー家との関係は修復されます。

アンの失敗と成長
髪を染めようとしたり、舟を沈めてしまったり、アンの失敗の日々

赤毛を嫌っていた彼女は、黒く染めようとしますが失敗して緑色にしてしまい、やむなく髪を短く切る羽目に

また、仲間たちと遊びで小舟に乗ると、舟が沈みかけて危うく命を落としかけることもありました。

その際に、ギルバート・ブライスに助け出されますが、強情なアンはギルバートと仲直りすることができませんでした。

クィーン学院への進学

アンは勉強に打ち込み、ライバルのギルバートと競い合いながら実力を伸ばしていきました。

努力の末にクィーンズ学院へ進学し、教師資格を取得。さらに優秀な成績が認められ、名誉あるエイヴリー奨学金を受賞します。

マシュウの死去とギルバートとの和解
アンの決断

順調に未来が開けたかに見えましたが、銀行の破綻によって家計は困窮し、マシュウはその衝撃の影響で倒れて帰らぬ人に。

さらにマリラも視力を失いつつありました。アンは奨学金を受賞したにも関わらず、家族を支えるために地元で教える道を選びます。

ギルバートとの和解

アヴォンリー校の教師職を引き受ける予定だったギルバートが、自ら譲ってアンに任せます。長く続いた確執が解け、二人は友情を取り戻しました。

グリーンゲイブルスのモデルとなった家
アンの家のモデルになったモンゴメリーの母方祖父のいとこの家(プリンスエドワード島)

『赤毛のアン』の時代背景

『赤毛のアン』の作者L. M. モンゴメリとはどんな人?その生い立ちは?

ルーシー・モード・モンゴメリは、1874年にカナダで誕生。モンゴメリが1歳の時に、母を亡くし、父も遠くに行ってしまいます。

そのため、しつけに厳しい祖父母のもとで、両親が身近にいない寂しさを感じながら少女時代を過ごしたのです。

モンゴメリは大学卒業後、教員となりますが、その間に執筆活動も行なっていきました。

1908年、モンゴメリが33歳の時に『赤毛のアン』が書籍化され、その後、彼女はカナダで初めて原稿料で生活できた作家となります。

L・M・モンゴメリの写真

また『赤毛のアン』執筆時には、モンゴメリは長老派教会の牧師と婚約中で、その後牧師夫人となっていきます。

そのため、『赤毛のアン』には多くのキリスト教や教会にまつわるエピソードが登場します。

キリスト教がわかるともっと面白い『赤毛のアン』の名場面

マリラの宗教教育|教理問答

 「私、お祈りはしないの」アンは、ぬけぬけと言った。
 マリラは恐怖と驚きの入り混じった顔をした。
 「あれまあ、アン、一体どういうことだね? お祈りを教わらなかったのかい。神様は、女の子がお祈りをするよう、お望みだよ。それともあんたは、神様を知らないのかい」
 「『神は、無限にして永続不変の魂なり。神は、知と力、聖と正義、善と真実の存在なり』」アンは、すらすら淀みなく言った。
 マリラは、いくらかほっとした。
 「少しは知っているんだね。ああ良かった! まったくの異教徒ではなさそうだ。どこで教わったのかい」
 「あら、孤児院の日曜学校よ。教理問答集を覚えさせられたの。……」

L・M・モンゴメリ. 赤毛のアン (文春文庫) (pp. 78-79). (Function). Kindle Edition.

これは『赤毛のアン』の第7章「アン、お祈りをする」の一場面です。

お祈りをするようにと進めたアンが、教理問答を暗唱してマリラがホッとするというシーンですが、この時アンが暗唱したのは、長老派教会の小教理問答集の「神とは何か」という問いに対する答えです。

マリラの宗教教育では、この教理問答集が活用されます。それはアンの時だけでなく、後に引き取ったデイビーとドーラの双子の兄弟を育てるときも同様でした。

マリラは言うまでもなく、双生児に昔風の宗教教育をさずけているのであり、個人の空想的な憶測はいっさい排斥した。デイビーとドーラは日曜日ごとに讃美歌と教理問答と聖書二章ずつおしえられていた。

モンゴメリ(村岡花子・訳)『アンの青春』新潮文庫、201ページ

教理問答とは?

用語解説

キリスト教の信仰内容を、質問と答えの形でまとめた教科書です。信者や子どもが基本を理解できるように作られました。

たとえば、プロテスタント教会では以下のようなものがあります。

  • ルター『小教理問答』(1529年)
  • 『ハイデルベルク教理問答』(1563年、改革派)
  • 『ウェストミンスター教理問答』(1640年代、長老派)

安息日と『ベン・ハー』|カナダにおける日曜休業令

「……二度としませんから許してくださいってステイシー先生に頼んだわ。戦車レースの結果はもちろん、一週間まるまる『ベン・ハー』は読みませんから、それで罪滅ぼしさせてくださいって自分から申し出たの。でもステイシー先生は、そんなことしなくていいからと快く許してくださったのよ。それなのに、結局は家に言いつけに来るなんて、あんまりだわ」

「アン、先生は、そんなこと、一言もおっしゃらなかったよ。あんたは自分が後ろめたいもんだから、そのことだと思ったんだろ。それに、学校に小説本を持っていくなんて、もってのほかだ。とにかくあんたは小説の読みすぎだよ。私が子どもの時分には、小説本なんぞ、見るのも許されなかったよ」

「まあ、どうして『ベン・ハー』が小説本なの? とても宗教的な本よ」アンは口をとがらせた。「もちろん、多少は、はらはらどきどきするから、日曜日に読むには、ふさわしくないけど、私は平日にしか読まないわ。……

L・M・モンゴメリ. 赤毛のアン (文春文庫) (pp. 342-343). (Function). Kindle Edition.
ベンハーの映画のポスター

宗教的に厳格で敬虔な環境で思春期を過ごしたモンゴメリは、『赤毛のアン』を通して、その信仰観を明らかにしていきます。

アンが独特なお祈りをするので、「主の祈り」をアンにマリラが教えようとした時のことです。

アンはそれを暗記することを忘れて、「おさな子らを祝福するキリスト」と題された石版画の前に立ち止まってしまいました。それをマリラに咎められたアンは次のように答えるのです。

実はこのやり取りの背景には、日曜休業令が関係しています。

1888年、カナダでは長老派とメソジストが「主の日同盟」をつくり、日曜を守る法律を求めました。その結果、1906年に「主の日法」が成立し、翌年から日曜日の商取引が禁止されました。

アメリカにおいても、1888年には「日曜休業法案」が提出されましたが、最終的には成立しませんでした。

これは、日曜日を休みの日として守らせようとする法律で、郵便業務や商業活動を止めることを目的としていました。日曜日を神聖な日とする考えを公共の法律にしようとした点で、カナダの「主の日法」と同じ方向性でした。

しかし、アメリカではセブンスデー・アドベンチストやユダヤ人など少数派の反対が強く、最終的に成立しませんでした。また、カナダのケベック州でも、同様に反対が起こり、ユダヤ人やセブンスデー・アドベンチストの権利を保障する州法を制定しました。

1905年に、モンゴメリは『赤毛のアン』を執筆しましたが、そこには彼女の子ども時代の経験が多分に盛り込まれています。そして、1888年「主の日法」が成立した時には、彼女は13〜14歳でした。

つまり、まさにアンと同じ多感な思春期の時代、宗教的な厳格さが社会に大きな影響を与えていたのです。

モンゴメリは次のように述べています。

それは愛の執筆でした。今まで書いてきたどの作品も、これほど豊かな書く喜びを与えてはくれませんでした。私は「道徳」や「日曜学校」の理想はかなぐり捨て、「アン」を本物の人間の女の子に創り上げたのです。子ども時代の経験や夢の数々を色々な章に盛り込みました。キャベンディッシュの風景も小説の背景となったのです

1907年8月16日、モンゴメリの日記より、引用元、L・M・モンゴメリ. 赤毛のアン (文春文庫) (p. 496). (Function). Kindle Edition.

『ベン・ハー』

用語解説

『ベン・ハー』は、1880年にルー・ウォーレスが書いた歴史小説を原作とする物語で、映画化によって広く知られています。

ユダヤの貴族ベン・ハーが親友メッサラに裏切られ、奴隷に落とされながらも復讐を誓い、戦車競走で勝利する姿が描かれます。

しかし最終的には、イエス・キリストとの出会いを通して赦しと愛に生きるようになります。復讐から赦しへの転換をテーマとし、特に1959年の映画版はアカデミー賞11部門を受賞し、映画史に残る名作となりました。

安息日

用語解説

安息日(シャバット、Sabbath)は、聖書に基づく休みの日です。神が天地創造を終えた第七の日を祝福し、聖なる日とされたことに由来します(創世記2章1–3節)。

聖書では「夕べから朝まで」を1日と数えるため、安息日は金曜の日没から土曜の日没までに当たります。

一般的に、キリスト教の礼拝日は日曜日であり、主の復活を記念するためであると理解されていますが、当初は日曜日ではなく、今のユダヤ教と同じく土曜日でした。

歴史の流れの中で土曜日から日曜日へと変更されていきました。

「主の祈り」とアン

宗教的に厳格で敬虔な環境で思春期を過ごしたモンゴメリは、『赤毛のアン』を通して、その信仰観を明らかにしていきます。

アンが独特なお祈りをするので、「主の祈り」をアンにマリラが教えようとした時のことです。

アンはそれを暗記することを忘れて、「おさな子らを祝福するキリスト」と題された石版画の前に立ち止まってしまいました。それをマリラに咎められたアンは次のように答えるのです。

L・M・モンゴメリの写真

イエス様をこんなに悲しそうに描かなければいいのに。よく見ると、イエス様の絵はみんなそうよ。イエス様は、あんなに悲しそうな顔をなさってなかったと思うわ。子どもたちがこわがってしまうもの

L・M・モンゴメリ. 赤毛のアン (文春文庫) (p. 87). (Function). Kindle Edition.

モンゴメリは怒っている神ではなく、愛の神を描こうとしていきました。それは次のような文章からも垣間見えます。

この子は、人と人に通う愛情を仲立ちとしてあらわれる神の愛を感じたことがないから、神の愛を知りもしなければ、関心すらないのだ。

L・M・モンゴメリ. 赤毛のアン (文春文庫) (p. 80). (Function). Kindle Edition.

これはマリラのアンに対する最初の思いですが、この後、アンは成長するにつれて、その信仰も変わっていきます。まさに、人からの愛を受けて、そこにあらわれる神の愛を感じるようになっていったのです。

また、『赤毛のアン』の続編である『アンの友達』では、牧師と死の間際にある人の会話が登場します。そこでこのようなセリフが登場するのです。

神様は愛の神様です。どんな者でも許してくださる――わたしでさえ――わたしでさえ。何もかも、すっかり知ってなさるのだ。わたしはもうこわくない。わたしの赤ん坊が生きていたら、その子がどんなに悪い子であろうと、またどんなことをしようと愛し、許してやるように、神様はわたしを愛し許してくださるのだ。

モンゴメリ(村岡花子・訳)『アンの友達』新潮文庫、140ー141ページ

これこそ、モンゴメリが伝えたいと持っていたメッセージのひとつです。

『赤毛のアン』は、愛を受けてこなかったアンが、厳格なマリラが、愛を受け与え、そこにあらわれる神の愛を感じて、変化する物語なのです。

著者|高橋 徹
1996年、横浜生まれ。三育学院カレッジ神学科卒業後、セブンスデー・アドベンチスト教団メディアセンターに勤務、現在はセブンスデー・アドベンチスト教団牧師。

  • セブンスデー・アドベンチスト教団牧師
  • 光風台三育小学校チャプレン・聖書科講師、三育学院中等教育学校聖書科講師
  • 著書『天界のリベリオン』

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