エルサレムでの逮捕【使徒言行録―福音の勝利】#11

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パウロの第1次伝道旅行の直後、異邦人の改宗をいかに認めるべきか、ということについて、根本的な意見の違いが教会内にあると判明しました(使徒15:1〜5)。恐らくパウロは、深まりゆく対立を感じて、教会の一致を促す計画を考えました。その会議で、貧しい人たちのことを忘れないようにと求められたので(ガラ2:10)、彼は異邦人教会を誘って、ユダヤの兄弟姉妹たちへの資金援助、「聖なる者たちのための募金」(Iコリ16:1)を提供することにしたのです。たぶん、それが二つのグループの懸け橋になるように、と期待してのことでした。

このことが、危険をも顧みず、第3次伝道旅行の最後にエルサレムへ行こうとしたパウロの決意を説明しています。一方で、彼には同胞のユダヤ人に対する純粋な愛がありましたが(ロマ9:1〜5)、他方で、彼は教会の一致を望んでいました(ガラ3:28、5:6)。ユダヤ人も異邦人も、律法の行いによってではなく(ロマ3:28〜30)、信仰によって等しく救われたのですから、律法の儀礼的要求に基づく両者の間のいかなる社会的疎外も、福音の受容的性質に反していました(エフェ2:11〜22)。人生と宣教の新しい段階に入っていくパウロを追ってみましょう。

エルサレムの指導者と会う

エルサレムに到着したとき、パウロは、宿泊させてもらう家のムナソンという人に関係する信者たちによって、温かく迎えられました(使徒21:16、17)。

使徒言行録21:18〜22で、ヤコブとエルサレムの長老たちは、モーセの律法に熱心な地元のユダヤ教信徒の間でのパウロの評判に懸念を表明しています。パウロが外国に住むユダヤ人改宗者に、「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」(使徒21:21)と言って、モーセから離れるように教えていると知らされていたからです。

言うまでもなく、これはまったく事実ではありませんでした。パウロが教えていたのは、ユダヤ人も異邦人も等しくイエスへの信仰によって救われるのだから、救いに関して、割礼を受けているか否かは何の意味もない、ということでした(ロマ2:28、29、ガラ5:6、コロ3:11)。これはユダヤ人に、律法とその要求を無視しなさい、とはっきり促すこととは違います。言うまでもなく、服従それ自身は、律法主義の同義語ではありません。しかし、同義であるかのように、意図的にねじ曲げられる可能性はあります。

使徒言行録21:23〜26を読んでください。パウロは、公正な態度を取るように、と助言されました。彼は、極めてユダヤ人的な何かをすることで、彼に関するうわさが偽りであることを示さねばなりません。それは、ナジル人の誓願を立てる数人のユダヤ人信者のために、資金提供をすることでした。この誓願は、ユダヤ人がそれを通じて神に献身する、信心深い特別な行為でした。

残念ながら、パウロは譲歩しました。英雄たちは、聖書の登場人物も含めて、欠点を持っています。アブラハム、モーセ、ペトロなどの人生に見られるとおりです。パウロは、ユダヤ人に対するときはユダヤ人のように振る舞うという彼の原則に従っていただけだとか(Iコリ9:19〜23)、彼自身がしばらく前に(誓いの内容は明らかでないものの)誓願を立てたと報告されているではないか(使徒18:18)、と言うこともできるかもしれません。しかし、今回は妥協でした。それは、助言の背後にある律法主義的動機の承認を意味しました。そのような態度に含まれる意味は、まさにパウロが猛烈に反対しようとしたものでした。つまり、二つの福音があって、一つは、信仰による救いという異邦人のためのもの、もう一つは、行いによる救いというユダヤ人のためのものだということです。「しかし、パウロは、彼らが要求したほどに譲歩する権利を神から授けられてはいなかった」(『希望への光』1508ページ、『患難から栄光へ』下巻90ページ)。

神殿での騒動

教会の指導者たちの助言を受け入れたパウロは、男たちの誓願を果たす支援をするために、7日間の儀礼的清めを受ける必要があったでしょう(民19:11〜13)。それに加えて、ユダヤ人の言い伝えは、異邦人の地から来たいかなる人も汚れているので、神殿に入ることはできない、と規定していました。それゆえにパウロは、祭司のもとへ行ってナジル人に関する清めの日程を告げる前に、自分自身を清めなければなりませんでした(使徒21:26)。

使徒言行録21:27〜36を読んでください。群衆を煽動してパウロに反対させた人たちによって、暴動が起き、彼らは、パウロがユダヤ教の最も神聖な象徴を攻撃し、とりわけ神殿を汚した、と非難しました。パウロの旅の同行者の1人がエフェソ出身のトロフィモという異邦人信者だったので(使徒21:29)、彼らは、パウロが彼をユダヤ人しか入ることのできない神殿の中庭に入れた、と考えたのです。もしその非難が正しければ、パウロは最も重い罪を犯したことになります。外庭と中庭を仕切る壁に沿って、これ以上中に入らないように、と異邦人参詣者に警告するギリシア語とラテン語の看板がありました。無視すれば、彼らは死を招く責任を個人として負っていたのです。

「ユダヤの律法によれば、無割礼の者が神殿の奥に入ることは、死刑に値する罪であった。パウロは、エペソ人トロピモと一緒にいるのを町の中で見られていたので、彼を神殿の中に連れていったと憶測されたのである。そのようなことを、パウロはしていなかった。そして、彼自身はユダヤ人であるから、神殿に入ることは、律法に違反していなかった。告発は、全くの虚偽であったにもかかわらず、公衆の偏見を引き起こすことになった。神殿内に叫びが鳴りひびいて、集まっていた群衆は、狂ったように騒ぎ出した」(『希望への光』1510ページ、『患難から栄光へ』下巻91、92ページ)。

暴動の知らせがローマの兵営に届くと、ローマ軍の司令官クラウディウス・リシア(使徒21:31、32、23:26)が部隊を率いてやって来て、群衆がパウロを殺す前に彼を救出しました。

攻撃の対象として、パウロは逮捕されて鎖で縛られ、その間に司令官から、何をしていたのか、と尋ねられました。しかし、気が狂ったように群衆が叫び声をあげるので、司令官は使徒を兵営へ連れて行くように命じました。

群衆の前で

使徒言行録21:37〜40には、次に何が起こったかが記されています。取り調べのためにローマの兵営に連れて行かれようとしたとき、パウロは人々に話をする許可を司令官に求めたのです。群衆はまだ、「その男を殺してしまえ」と必死に要求していました。

パウロがギリシア語で司令官に話しかけると、司令官は、パウロが3年ほど前にローマの侵略に反対してエルサレムで反乱を起こしたエジプト出身のユダヤ人ではないか、と考えました。しかし、反乱はローマ軍によって鎮圧され、そのユダヤ人に従った者の多くは、殺されるか、または逮捕され、一方、当人は逃げたのでした。

パウロは、自分がエジプト出身ではなく、タルソス出身だ、と言ったあと、話すことを許されました。パウロは演説の中で、彼にぶつけられた非難にはほとんど触れず(使徒21:28)、イエスの信者を迫害するほどユダヤ教に傾倒していたことを強調しつつ、彼の回心の物語を語っています。多くの啓示を主から突きつけられたとき、彼はそれに従うしか選択の余地がなかったのです。このことは、パウロの人生における完全な方向転換や異邦人への宣教の召しの説明でした。神学的議論に足を踏み入れるのではなく、パウロは彼自身の体験と、なぜ今こうしているのかを人々に詳しく語ったのです。

使徒言行録22:22〜29を読んでください。パウロに話をさせるという判断は、功を奏しませんでした。異邦人への献身に言及したことで、パウロが、彼に対する非難(使徒21:28)を真実と認めているかのように見え、群衆は再び怒りだしたのです。

ローマの司令官は、パウロが話したことをすべては理解できなかったのかもしれません。そこで彼は、パウロを鞭でたたいて調べることにしました。しかし、パウロが純粋なユダヤ人であるとともに(フィリ3:5)、ローマの市民権も持っていたので、彼がそのことを口にしたとき、司令官は引き下がるしかありませんでした。ローマの市民であるパウロに、そのような拷問を課すことはできなかったからです。

最高法院の前で

ローマ軍の司令官は、パウロが帝国にとっていかなる脅威でもないこと、つまり、問題がユダヤ人の内部抗争であるとわかり、最高法院に対して、この事態に対処するよう求めました(使徒22:30、23:29)。

問1

使徒言行録23:1〜5を読んでください。パウロは最高法院の前で、どのように弁明し始めましたか。

パウロは、最初の言葉を発した途端に口を打たれました。恐らく、捕らわれの身である彼が神に言及したことが冒だと思われたのでしょう。パウロの衝動的な反応に、私たちは彼の気性の激しさを垣間見ます。彼は大祭司を「白く塗った壁」(使徒23:3)と呼ぶことで、ファリサイ人の偽善に対するイエスの糾弾(マタイ23:27)を繰り返したのかもしれません。しかしパウロは、自分が大祭司に語っているとは知らなかったので、彼の視力が悪かったという可能性も排除されるべきではありません。

使徒言行録23:6〜10を読んでください。最高法院はサドカイ派とファリサイ派から成っており、両者は、教理など多くの問題で対立していました。例えば、「モーセ五書」しか聖典としていなかったサドカイ派は、死者の復活を信じていませんでした(マタ22:23〜32)。

しかし、パウロの言葉(使徒23:6)は、最高法院をかき乱すための賢い戦術以上のものでした。復活されたイエスとのダマスコ途上での出会いが、パウロの回心と使徒としての働きの土台を成していたので、復活への信仰は、彼が審議されている問題の核心でした(使徒24:20、21、26:6〜8)。それ以外に、パウロが以前の情熱から現在の彼へといかに変わったかを説明できるものは、何もありません。もしイエスが死者の中から復活されなかったら、パウロの宣教は無意味であり、彼もそのことを知っていました(Iコリ15:14〜17)。

その夜、パウロが兵営にいたとき、主が彼の前にあらわれ、励ましました—「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(使徒23:11)。状況を考えれば、そのような約束は、パウロにとって特に意義深かったかもしれません。ローマで宣べ伝えたいという彼の長年の願いが、実現するのです(使徒19:21、ロマ1:13〜15、15:22〜29)。

カイサリアへの移送

法的手段によってパウロを排除できなかった事実に憤慨した集団が、パウロを待ち伏せして襲い、自分たちの手で殺そうと陰謀を画策することにしました。

使徒言行録23:12〜17を読んでください。40人以上のユダヤ人がパウロを殺そうと企み、誓いを立てたという事実は、彼がどれほどエルサレムで憎しみを買ったのかを明らかにしています。ルカは、この人たちの正体を記していませんが、彼らは、裏切り者や敵とされる人たちからユダヤ教の信仰を守るためなら手段を選ばない過激派でした。革命的、民族主義的情熱と一体になったそれほどの宗教的熱狂は、西暦1世紀のユダヤとその周辺ではめずらしくありませんでした。

しかし神の摂理によって、その陰謀に関する知らせは、パウロのおいの耳に届きました。パウロの家族についてほとんど何もわからないことは残念ですが、彼と彼の姉妹は、どうやらエルサレムで育ち(使徒22:3)、彼女は結婚して、少なくとも息子を1人持っていたようです。いずれにしても、パウロのおいは、兵営の中にいるおじを訪問し、そのことを告げることができました。そのおいが「若者」(同23:18、22)と呼ばれていることや、「手を取って」(同23:19)連れて行かれたという事実は、まだ10代であったことを示唆しています。

問2

使徒言行録23:26〜30を読んでください。司令官のリシアは総督フェリクスに、どのようなメッセージを送りましたか。

その手紙は、フェリクスに公正な報告をしています。加えて、それは、パウロがローマの市民権によって、いかに恩恵を受けたかも明らかにしています。ローマ法は市民を完全に守っており、彼らには、例えば、法廷に出て自己弁護のできる法的審理を受ける権利や(使徒25:16)、不公正な裁判の場合には、皇帝に上訴できる権利がありました(同25:10、11)。

フェリクスは評判を気にせずに、パウロを合法的に扱いました。彼は予備審問のあと、告発者たちが到着するまで、パウロを監視するように命じました。

さらなる研究

「パウロの一行は、異邦人の教会が、ユダヤの兄弟たちの中の貧しい人々を援助するためにおくった献金を、エルサレムの働きの指導者たちに正式に手渡した。……

こうした任意の献金は、世界中の、神の組織的働きに対する、異邦の信者たちの忠誠をあらわしていた。そして、すべての者は感謝してそれを受け取るべきであった。しかし、パウロと彼の仲間たちは、今、彼ら面会している人々の中にさえ、この贈り物の動機となった兄弟愛の精神を理解することができない人々があるのを、明らかに知った」(『希望への光』1507、1508ページ、『患難から栄光へ』下巻84、85ページ)。

「これと同じ精神が、同様の結果を招いている。神の恵みが備えて下さったものを尊重して活用することを怠るために、教会は多くの祝福を受け損じる。もし忠実な働き人の働きが、教会の人々に尊重されたならば、彼らの働きの期間を延ばそうと主が望まれたことが、幾度あったことであろう。しかし、もし教会が魂の敵によって理解力を混乱させられ、キリストのしもべの言葉と行動を誤り伝えて曲解し、彼の働きを妨害するならば、主は、ご自分がお与えになった祝福を彼らから取り去られるのである。……

脈搏が止まり、胸の上に手が組み合わされ、警告と激励の声が沈黙してしまった時、その時になって、強情な人々は初めて目を覚まし、自分たちが棄て去った祝福に気づいて、それを尊重するようになるのである。神のしもべたちの死は、彼らがその生前になし得なかったことを成就するのである」(同上1514、1515ページ、同上103、104ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

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