カイサリアでの監禁【使徒言行録―福音の勝利】#12

目次

この記事のテーマ

パウロはカイサリアに移送されると、その町に、より正確には、ローマ総督の公邸であったヘロデの官邸に(使徒23:35)、2年間監禁されました(同24:27)。その数年の間に尋問が何回かなされ、パウロは2人のローマ総督(フェリクスとフェストゥス)と王(アグリッパ2世)の前に出廷し、そうすることで神から与えられた職務をさらに果たしたのです(同9:15)。

尋問のたびに、パウロは常に無実を訴え、証人不在であることが示すように、彼に不利な証拠は提示されえない、と主張しました。実際のところ、この話はすべて、パウロが逮捕に値することを何もしておらず、もし皇帝に上訴しなければ(使徒26:32)、釈放されえたであろうことを示すためのものなのです。しかし、パウロはそれらの尋問を通して、イエスと、復活の約束の中に見いだされる大いなる希望をあかしする機会を得ました。

とはいうものの、その数年は深い不安の歳月であるとともに、退屈な監禁の歳月でもあり、その間、使徒はエルサレム教会から何の支援も受けられなかったようです。エルサレム教会の指導者たちは、「パウロに対する偏見の大部分の責任は彼が負うべきであると、いまなお……考えていた」(『希望への光』1509ページ、『患難から栄光へ』下巻88ページ)のです。

フェリクスの前で

パウロがカイサリアに移送された5日後、ユダヤ人の重要な指導者たち(大祭司、最高法院の議員数名、テルティロという弁護士)がエルサレムから下って来て、フェリクスの前で使徒に対する陳述を行いました(使徒24:1〜9)。

使徒言行録の中で、告発者たちが弁護士を雇ったのは、この裁判だけです。テルティロは告発の中で、総督に気に入られるために興味深い戦術を試しました。それはまったくのうそでしたが、フェリクスのお陰で、ユダヤ人は長らく平和を享受してきた、と言ったのです。実際には、彼はどの総督よりも抑圧的かつ暴力的であり、その抑圧がローマの支配に対する大きな敵意をユダヤ人の間に生み出していました。テルティロは、この訴訟においても厳しい抑圧によってのみ政治的安定は実現できるだろう、とフェリクスを説得するために、この総督の施政方針を巧妙に用いたのでした。

続いて、テルティロはパウロに対して三つの具体的な責任を問いました—①パウロは、帝国中のユダヤ人の間に絶えず騒動を引き起こしている煽動者である(使徒24:5)。②パウロは「ナザレの分派」の主謀者である(つまり、キリスト教は全体として、破壊的な運動だということ)。③パウロはエルサレムの神殿を汚そうとした(同24:6)。

使徒言行録24:10〜19を読んでください。パウロが提起した次の二つの点は、告発者の訴えに大きな打撃を与えました。①アジア州の証人がいないこと(使徒24:18、19)(それは、この裁判を無効にする可能性がありました)。②その場にいるユダヤ人たちは、数週間前に行われた最高法院でのパウロの尋問についてしか語ることができず(使徒24:20)、彼らは、パウロが死者の復活を信じているということ以外に非難すべき理由がないという事実(同23:6と比較)。

フェリクスはすぐに、パウロの論拠の重みを理解しました。恐らく、彼のユダヤ人の妻ドルシラを通じて、キリスト教についていくらか知っていたからでしょう。実のところ、彼は、追って通知するまで審議を延期しました(使徒24:22)。

フェリクスの反応(使徒24:24〜27)は、彼の性格について多くのことを明らかにしています。彼は、ぐずぐず先延ばしにする人間、金の力になびく人間、そして日和見主義者だったのです。フェリクスのような人間によってパウロが公平に審理される可能性は、ほとんどありませんでした。

フェストゥスの前で

ユダヤ人に気に入られるためだけにパウロを2年間監禁したのち、ユダヤの総督フェリクスは、ポルキウス・フェストゥスに取って代わられました(使徒24:27)。フェストゥスは西暦60年から62年まで統治しました。

使徒言行録25:1〜5を読んでください。恐らく、パウロに対する告訴でフェリクスを説得することにすでに一度失敗していたので、〔ユダヤ人〕指導者たちは再び運に任せようとは思わなかったのでしょう。フェストゥスにとって最初と思われるエルサレム訪問において、彼らはお願いとして、裁判の管轄移転を要求し、パウロを彼らに返還してほしい、と頼みました。ユダヤ人の律法に従って、最高法院で彼を裁くことができるようにするためです。

しかしその要求は、パウロを殺すという彼らの真意を隠すための偽装にすぎませんでした。フェストゥスは審理の再開にやぶさかではなかったものの、尋問をエルサレムでなく、カイサリアで行う、と答えました。それは、パウロがローマの法律によって裁かれることを意味しました。

カイサリアに戻ると、フェストゥスはすぐに法廷を開き、パウロの敵は、彼に対する罪を言い立てました(使徒25:7)。今回、ルカは告訴内容を繰り返していませんが、私たちはパウロの答えに基づいて(同25:8)、彼らが2年前の人たちと同様であり、パウロが煽動者であるがゆえに帝国にとっても脅威になる、とさらに強調したであろうことがわかります。

問1

使徒言行録25:9〜12を読んでください。フェストゥスが政治的理由のためにパウロを利用できると感じたとき、パウロはどのように反応しましたか。

結局、フェストゥスは、政治的戦略に関してフェリクスとさほど違わないことがわかりました(使徒24:27)。フェストゥスは、パウロを無罪と宣告することで、自分の政権におけるユダヤ人の支持を早々に失うことを嫌がり、彼らの最初の要求、つまり使徒をエルサレムの最高法院で裁くことを認めよう、と考えたのです。

しかし、それはパウロにとって受け入れがたいものでした。彼は、エルサレムでは公正に扱われず、敵の好き勝手にされることを知っていました。そこでパウロはローマの市民権を利用して、自分にはローマの法廷で裁かれる資格があることを訴え、またこの危険な状況を逃れる方法はほかにないと考え、ローマの司法の最高裁に上訴することにしたのです。それは皇帝自身でした。

アグリッパ王の前で

フェストゥスは、パウロがローマへ送られることに同意しました(使徒25:12)。その一方で総督は、ヘロデ・アグリッパ2世の公式訪問を利用して、パウロの件について、とりわけ公式報告書の中でどのような情報を皇帝に送るべきかということについて、アグリッパ王に相談したのです。フェストゥスはユダヤ人の事情をまだよく知らず、確かにアグリッパ王は彼の助けになりました(同26:2、3)。

問2

使徒言行録25:13〜22を読んでください。フェストゥスはパウロについて、何とアグリッパ王に言いましたか。王はどのように答えましたか。

ヘロデ家の最後の王であるアグリッパ2世は、新しい総督に敬意を表するため、姉妹のベルニケと一緒にカイサリアへ来ました。

フェストゥスはパウロの訴訟を説明する際に、パウロに対する告訴は、政治的にも犯罪的にもまったく死罪に相当しない、と意外なことを明らかにしています。その代わりに、彼らはユダヤ人の宗教、とりわけ「死んでしまった(のに)……生きていると、パウロ(が)主張している」(使徒25:19)イエスとかいう者に関する問題を処理しなければなりませんでした。パウロは最高法院の前で、イエスの復活のゆえに自分は裁判にかけられている、とすでに語っており、今やフェストゥスは、確かにそれが問題の核心であることを明らかにしたのです。

問3

使徒言行録25:23〜27を読んでください。ルカは、パウロがアグリッパ王の前に引き出されたときの式の様子を、どのように描写していますか。

「さて、パウロは、まだ手錠をかけられたまま、集まった人々の前に立った。これは何と著しい対照であろう。アグリッパとベルニケは権力と地位を持っていて、そのために世人の支持を受けていた。しかし彼らは神が尊ばれる品性に欠けていた。彼らは神の律法を犯し、心も生活も堕落していた。彼らの行動は天に忌みきらわれていた」(『希望への光』1521ページ、『患難から栄光へ』下巻122ページ)。

パウロの弁明

場所が準備され、総督の横に王家の来賓が着席する中、囚人が弁明のために連れて来られました。その弁明は、おもにアグリッパ王に対するものでした。フェストゥスはすでに聞いていたからです(使徒25:8〜11)。

使徒言行録26:1〜23を読んでください。パウロの話は、実のところ、彼の回心前と回心後の自伝的報告でした。内容について言えば、それは、彼がエルサレムにおいて群衆の前で語った話(使徒22:1〜21)を思い起こさせます。

使徒は、アグリッパ王の好意を得ようと努めることで話し始めました。パウロは、このような高位の人の前で自分の主張を述べる機会が与えられたことへの感謝の意を、またアグリッパ王がユダヤ人の宗教に関する慣習や争点をみなよく知っているがゆえに、一層の感謝の意をあらわしました。アグリッパ王はそのような慣習や争点を知っていたからこそ、パウロに対する告発が何の利点もなく、偽りであることをローマ総督に理解させる大きな助けとなりえたのです。

パウロの話は、三つの部分に分けることができます。第一の部分(使徒26:4〜11)において、彼はファリサイ人としてのかつての信心深さを説明しました。そのことは、エルサレムの当時の人たちに広く知られていました。ファリサイ人として、彼は死者の復活を信じており、それはイスラエルの先祖の望みの実現にとって不可欠でした。それゆえ、ユダヤ人がパウロの教えに反対するというのは、矛盾していました。彼の教えの中には、基本的にユダヤ的でないものはなかったからです。しかしパウロは、彼らの気持ちがよくわかりました。なぜなら彼自身がかつて、神がイエスを復活させられたことは信じがたいと感じ、そのことを信じる者たちを迫害さえしたからです。

パウロは第二の部分(使徒26:12〜18)において、ダマスコヘの途上でイエスに出会い、異邦人に福音の知らせを伝えよ、という召しを受けて以来、彼の物の見方がいかに変わったかを報告しています。

最後にパウロは、彼が目撃したもの(使徒26:19〜23)の衝撃は、服従して宣教活動を実行する以外に選択の余地がないほどのもので、彼が今裁かれている唯一の理由はそれなのだ、と言いました。それゆえ、彼が逮捕されたことの裏にある真の問題は、ユダヤの律法を犯したとか、神殿を汚したとかいうことではなく、むしろ、イエスの死と復活のメッセージでした。しかも、そのメッセージは聖書と完全に調和しており、異邦人信者にも平等に救いを得させるものだったのです。

指導者たちの前でのパウロ

パウロはアグリッパ王に話していましたが、使徒言行録26:24にあるように、最初に反応したのはフェストゥスでした。もしパウロが魂の不滅について語ったのなら、フェストゥスは何の問題も感じなかったでしょう。しかし、古代のギリシア人やローマ人でさえ、二つの概念(不死と復活)が並びゆかないことを知っていました。それゆえ彼らは、前者を保持し、後者を放棄したのです。パウロが聖書のほかの箇所(Iコリ1:23)で、福音は異邦人にとって愚かなものだと述べているのは、そういう理由からです。

礼儀正しく、パウロは自分の考えの健全さを主張し、アグリッパ王を頼りにしました。アグリッパはパウロの言い分を理解できるだけでなく、その言い分がヘブライの預言者たちと一致していることを確認できるユダヤ人だったからです。

使徒言行録26:27、28を読んでください。パウロの質問は、アグリッパ王を難しい立場に追い込みました。ユダヤ人として、彼は聖書を信じていることを否定できないでしょう。その一方で、もし肯定的な返事をするなら、イエスをメシアとして受け入れるしかなくなります。アグリッパ王の返事は、仕掛けられた論理的わなから逃れる賢明な方法でした。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」(使徒26:28)。

パウロの返答は、福音に対する感動的なほどの献身を明らかにしています。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」(使徒26:29)。

使徒はこの審理における最後の言葉で、彼の言葉を聞いている人たちのように自由にしてほしい、とは懇願しませんでした。その代わりに、腕を縛る鎖は別にして、彼のようになってほしい、と望んだのです。パウロの宣教に対する熱意は、自分自身の安全に対する心配をはるかにしのぐものでした。

使徒言行録26:30〜32を読んでください。フェストゥスがアグリッパの助けを必要としたのは、単に報告書を作成するためでした(使徒25:25〜27)。皇帝へのパウロの上訴は、すでに正式に認められていました(同25:12)。囚人パウロは、もはや総督の管轄下にはなかったのです。

問4

使徒言行録26:24〜28を読んでください。パウロは何に訴えましたか。私たちは信仰における最終的権威が何であるかについて、何を学ぶべきですか。

さらなる研究

「その言葉に、アグリッパは彼の一家の過去の歴史と、パウロが宣べ伝えているお方に対する彼らの無駄な努力を思い返しただろうか。彼は、曽祖父のヘロデと、ベツレヘムのいたいけな子どもたちの大虐殺を考えただろうか。大叔父のアンティパスと、バプテスマのヨハネの殺害を考えただろうか。自分の父親であるアグリッパ1世と、使徒ヤコブの殉教を考えただろうか。彼は、これらの王を急襲した災厄の中に、神の僕たちに行った彼らの犯罪の結果である神の不興の証拠を見ただろうか。その日の壮麗な様子はアグリッパに、彼よりも権力を持っていた父親の国王が、きらびやかな服に身を包んでこの町に立ち、人々から「神だ」と大声で呼ばれたときのことを思い出させただろうか。その賞賛の叫びが消え去る前にもかかわらず、すばやくも悲惨な復讐がこの虚栄心の強い王をいかに襲ったのかを、彼は忘れてしまったのだろうか。これらのうちのなにがしかが、アグリッパの脳裏をよぎった。しかし彼の虚栄心は、目の前の華やかな光景に煽られ、高慢とうぬぼれがあらゆる高貴な思いを払いのけてしまったのである」(『SDA聖書註解』第6巻1066、1067ページ、英文)

*本記事は、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次