この記事のテーマ
ローマ書を学ぶ者にとって、この書の歴史的背景を理解することは重要です。神の言葉を理解しようとするとき、背景はいつも極めて重要です。私たちはそこで扱われている問題を知り、理解する必要があります。パウロは、特定の時代の、特定のクリスチャン集団に、特定の理由から手紙を書いていました。その理由をできるだけ知ることは、私たちの研究を大いに益するでしょう。
それゆえ、まず時代をさかのぼりましょう。私たち自身が西暦1世紀のローマに逆戻りし、そこの教会の一員になり、西暦1世紀の教会員としてパウロの話と、聖霊がローマの信徒に伝えるよう彼に授けられた言葉に耳を傾けましょう。
パウロの扱っている目の前の問題が、いかにある地域に限定されていようと、その問題——この場合は、「いかに人は救われるのか」という疑問——の背後にある原則は普遍的です。確かに、パウロは特定の人々に向かって語っていましたし、確かに、その手紙を書いていたとき、彼の頭には特定の問題がありました。しかしご存じのとおり、パウロが書いた言葉は、最初に書かれたときにローマの信徒にとって有意義であったように、何世紀もあとのまったく異なる時代と背景の中で、マルティン・ルターにとっても有意義でした。そしてその言葉は、現代の私たちにとっても有意義なのです。
使徒パウロの手紙
ローマ16:1、2によれば、パウロがローマ書を執筆したのは、コリントに近いギリシアのケンクレアイだったようです。彼がコリントの住人フェベに触れていることからすると、この場所がローマ書の背景になっていることは、確実です。
新約聖書の書簡がどの町で書かれたかを明らかにする目的の一つは、執筆年代を確定することです。パウロは多くの伝道旅行をしたので、特定の時における彼の居場所がわかると、年代の手がかりを得ることができます。
西暦49年から52年にかけての第二次伝道旅行の際に、パウロはコリントで教会を設立しました(使徒18:1〜18参照)。西暦53年から58年にかけての第三次伝道旅行の際には、再びギリシアを訪れ(使徒20:2、3)、旅の終わり頃に、エルサレムの聖なる者たちのための献金を受け取っています(ロマ15:25、26)。それゆえ、ローマの信徒への手紙は西暦58年の初めの頃に書かれたのでしょう。
第三次伝道旅行で、パウロはガラテヤ教会を訪問しました(使徒18:23)。パウロはガラテヤの諸教会を訪れたとき、彼が不在だった間に、偽教師たちが教会員を説得し、割礼を受けてモーセの律法のほかの掟にも従うようにさせていたことを知りました。パウロは、彼がローマに到着する前に敵が着くことを恐れ、ローマで同じ悲劇が起こるのを未然に防ぐために手紙(ローマ書)を書いたのです。ガラテヤの信徒への手紙(以下、ガラテヤ書)も、パウロが第三次伝道旅行でコリントに3か月間滞在していた間に(おそらくは到着した直後に)書き送られたと考えられています。
「パウロは、ローマ人への手紙の中で、福音の大原則を説明した。彼は、当時ユダヤ人や異邦人の教会において議論になっていた問題についての、彼の立場を表明した。そして、かつてはユダヤ人だけに与えられていた希望と約束が、今や異邦人にも与えられていることを示した」(『希望への光』1497ページ、『患難から栄光へ』下巻55ページ)。
すでに述べたように、聖書のどの書を学ぶ際にも、それが書かれた理由を知ることは重要です。つまり、その書がどのような状況に対処していたかということです。それゆえ、私たちがローマ書を理解するうえで、どのような問題がユダヤ人と異邦人の教会を揺さぶっていたのかを知ることが大切です。
ローマ訪問——パウロの強い願い
たいていの場合、直に接触することが最上のコミュニケーションの方法であることは、疑問の余地がありません。私たちは電話をかけたり、電子メールを送ったり、テレビ電話を使ったりできますが、直接会って、顔と顔を合わせることが、伝達のための最善の方法です。それゆえ、パウロはローマ書の中で、ローマの信徒と直に会うつもりだと告げています。彼がローマへ行こうとしていること、そしてその理由を、彼らに知らせたいと思ったのです。
ローマ15:20〜27を読んでください。パウロは、ローマをもっと早く訪問できなかった理由を説明しています。いつ行くかを決める理由として、宣教は重要でした。ここでのパウロの言葉から、私たちは宣教やあかしについて、大切なことを学ぶことができます。ユダヤ人と異邦人について、パウロはローマ15:27で、とても興味深い(そして重要な)指摘をしています。
異邦人のための偉大な宣教師は、福音がすでに根づいた場所での働きはほかの人に任せ、自分は福音を新しい地域へ伝えなければならないと常に感じていました。キリスト教が生まれたばかりで、働き手がほとんどいなかった当時、福音がすでに到達した地域で働くことは、パウロにとって貴重な宣教力の浪費だったのでしょう。彼は次のように言っています。「このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。『……聞かなかった人々が悟るであろう』」(ロマ15:20、21)。
ローマに定住することがパウロの目的ではありませんでした。彼の目的はスペインで伝道することでした。この冒険的企てのために、パウロはローマのクリスチャンたちの支援を得たいと願っていました。
問1
パウロは新しい地域で伝道するために、設立された教会からの支援を求めました。この事実から、宣教全般の問題に関するどんな重要な原則を得ることができますか。
ローマにおけるパウロ
問2
「わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された」(使徒28:16)。この聖句は、パウロが最終的にどのような形でローマに到着したのかについて、どんなことを教えていますか。私たちはそこから、予期せぬこと、望まぬことがしばしば身に降りかかることについて、どんな教訓を得ることができますか。
確かに、たとえ囚人としてではあれ、パウロは遂にローマへやって来ました。どんなに善意から立てた計画であっても、私たちの計画はなんとしばしば願いどおりに、また期待どおりに行かないことでしょう。
パウロは第三次伝道旅行の最後にエルサレムへ到着しました。ヨーロッパや小アジアの教会員たちから集めた、貧しい信徒のための献金を携えてのことでした。しかし、予期せぬことが彼を待ち受けていました。彼は捕らえられ、鎖につながれました。カイサリアで2年間拘留されたのち、パウロはローマ皇帝に上訴します。そして逮捕されてから約3年後、彼はローマに到着しました。おそらくは、彼が何年も前に、ローマの教会を訪問したいという意向について彼らに手紙を書き送ったときに意図していたのとは異なる形でした。
問3
ローマでのパウロの滞在について、使徒言行録28:17〜31は何を教えていますか。私たちはこれらの聖句からどんな教訓を得ることができますか。
「宮廷は、パウロの説教によってではなく、彼の受けた束縛によって、キリスト教へと注目するようになった。彼は捕らわれの身でありながら、罪の奴隷となっていた多くの魂から束縛を断ち切ったのである。こればかりではなかった。『兄弟たちのうち多くの者は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、ますます勇敢に、神の言を語るようになった』と彼は言明した(ピリピ1:14)」(『希望への光』1532ページ、『患難から栄光へ』下巻156ページ)。
ローマの「聖なる者」
パウロはローマの教会に挨拶を述べています。「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(ロマ1:7)。これらの言葉から、真理と信仰と神についての教えを得ることができます。
「神に愛され(た)」。神が世界を愛しておられることは事実ですが、神は特別な意味で、神を選んだ人たち、神の愛に応答した者たちを愛されます。
私たちはそういうことを人間界の中で目にします。私たちは、私たちを愛する人たちを特別な形で愛し、彼らとの間には、愛情の交流があるものです。相手の反応が良くないとき、愛情が最大限に表現されることはありません。
「召されて聖なる者となった」。いくつかの英訳聖書では、「となった」という部分が斜体で表記されており、それは、訳者が付け加えたものであることを意味します。しかし、この4文字を除いても意味が損なわれることはありません。それらを省いても、「召された聖なる者」、つまり「指名された聖なる者」といった表現が残るからです。
「聖なる者」〔口語訳や新改訳では「聖徒」〕は、ギリシア語の「ハギオイ」を訳した言葉です。「聖」は「ささげられた」ことを意味します。聖なる者とは、神によって「取り分けられた者」のことです。その人には、歩むべき長い聖化の道のりがまだあるかもしれませんが、彼/彼女がキリストを主として選んだという事実は、聖書的な意味において、その人を聖なる者と指名することでした。
パウロは、彼らが「神に……召されて」と言っていますが、パウロの意味を理解するうえで、エフェソ1:4、ヘブライ2:9、IIペトロ3:9を読んでください。福音の大いなる知らせは、キリストの死が普遍的なものであったということ、全人類のためのものであったという点です。天地創造の前から、すべての人がキリストによって救われるように召され、「召されて聖なる者となった」のです。神の当初からの御計画は、すべての人がイエスの内に救いを見いだすことでした。地獄の最後の火は、悪魔とその手下のためだけに用意してあったのです(マタ25:41)。市場で断食ストライキをする人が、施されたものを食べないからといってその施し物の価値が減らないように、ある人たちが提供されたものを役立てないからといって、その贈り物の価値が減るわけではありません。
ローマの信徒たち
「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」(ロマ1:8)。
ローマの教会がどのように設立されたのかは、わかっていません。この教会がペトロかパウロによって創設されたという言い伝えに、歴史的根拠はありません。おそらくは、あの五旬祭の日にエルサレムで改宗し(使徒2章)、ローマを訪問したか、そこへ転居した一般信徒たちが設立したのでしょう。あるいは、しばらく経ってからローマへ移り住んだ改宗者たちが、その世界の中心地で彼らの信仰をあかししたのでしょう。
どうやら使徒の訪問を一度も受けていないらしい一教会が、五旬祭からわずか数十年で広く知れ渡っているというのは驚きです。「反対があったにもかかわらず、キリストの十字架刑から20年後に、生き生きとした熱心な教会がローマにはあった。この教会は強く、熱心であり、主がその教会のために働いておられた」(エレン・G・ホワイト『SDA聖書注解』第6巻1067ページ、英文)。
先の聖句における「信仰」という言葉には、単なる「忠実さ」以上の広い意味が含まれているのでしょう。つまり、彼らがキリストの内に見いだした新しい生き方に対する忠実さということです。
ローマ15:14を読んでください。ローマのクリスチャンたちの体験において注目に値する点として、パウロはここで三つのことを挙げています。
①「善意に満ち」——私たちもそうだと、人々は言ってくれるでしょうか。
②「あらゆる知識で満たされ」——聖書は、啓発、情報、知識の大切さを繰り返し強調しています。クリスチャンは聖書を学び、その教えに精通するよう勧められています。「『わたしはお前たちに新しい心を与え(る)』という言葉は、『わたしはお前たちに新しい思いを与える』という意味である。心の変化には常に、クリスチャンの義務に対するはっきりした確信、真理の理解が伴う」(エレン・G・ホワイト『きょうを生きる』24ページ、英文)。
③「互いに戒め合うことができる」——仲間の信徒から孤立しては、だれも霊的に成長できません。私たちは他者を励ます必要があると同時に、他者によって励まされる必要もあります。
さらなる研究
「人類の救済は、罪が生じたのち、予期せぬ事態の展開のゆえに必要となった神の後知恵や思いつきに起因するものではない。そうではなく、それは、人間を贖うためにこの世界が造られる前に立てられた神の御計画(Iコリ2:7、エフェ1:3、14、IIテサ2:13、14)、人間に対する神の永遠の愛に根差した御計画(エレ31:3)に由来する。
この計画は、永遠の過去、歴史的現在、そして永遠の未来に及ぶ。そこには、私たちが神の聖なる民となり、キリストに似るために選ばれ、前もって定められること、贖われ、赦されること、永遠の財産を相続し、栄化されること(エフェ1:3〜14)などの現実と祝福が含まれる。この計画の中核を成すのはイエスの受難と死であり、それは歴史上の偶然でも、単に人間の決定が生み出したことでもなく、神の贖いの目的に根差したものだった(使徒4:27、28)。イエスは真に、『天地創造の時から、屠られた小羊』(黙13:8)だった」(『SDA神学ハンドブック』275、276ページ、英文)。
*本記事は、安息日学校ガイド2017年4期『信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙』からの抜粋です。