小羊はふさわしい方【ヨハネの黙示録-イエスキリストの働きを知る】#4

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この記事のテーマ

私たちは先週、地上の御自分の民に対するキリストのメッセージに目を向けました。4章に入ると、ヨハネの幻は地上から天上へ移り、「この後必ず起こること」(黙4:1)、つまり未来に焦点を合わせます。

黙示録4章、5章の幻は、天の玉座の広間で起きていることです。4章と5章の場面は、神が歴史と救済計画を支配しておられることを象徴的に描いています。しかし私たちは、未来が啓示される前に、天における大祭司としてのキリストの働きの重要性を示されます。その働きが、地球の問題と人類の救済に対するキリストの主権の中心だからです。そのようにして、4章、5章は、この書巻の残りの部分に記録されている未来の諸事件の意味について、天の視点を与えてくれます。

また、七つの教会へのメッセージは、わかりやすい言葉で書かれていましたが、ここからは、わかりにくいと感じる象徴的な言葉が用いられていることに気づく人もいるかもしれません。このような言葉は、旧約聖書に記録されているように、神の民の歴史から取られています。黙示録を正しく解釈するには、旧約聖書を踏まえて、その象徴的な言葉を適切に理解することが必要になります。

天の玉座の広間にて

黙示録4:1の開始早々、イエスは、天に上って来るようにヨハネを招かれます。ヨハネの時代からキリストの帰還までの歴史を彼に外観させるためです。

問1

黙示録4:1〜8、エゼキエル1:26〜28、黙示録5:11〜14は、天の玉座の広間を描写しています。天の玉座の広間の性質について、何を学べますか。

使徒は開かれた門から天の神殿の中をのぞき込み、神の玉座を見ました。玉座は、神の統治と被造物に対する支配権を象徴し、その一方、玉座の周りの虹は、神が御自分の約束を忠実に守られることをあらわしています。しかし、サタン(この地球の支配権を強奪した神の敵)は、神の統治に異議を唱えてきました。神とサタンの大争闘における中心的問題は、だれが支配権を持っているかということです。ヨハネが目にした、天上の玉座の広間に招集された天の会議の目的は、全宇宙に対する神の正当な統治を確認することでした。

問2

黙示録4:8〜11と5:9〜11を読んでください。真の礼拝について、何を学ぶことができますか。黙示録4章で、なぜ主なる神は礼拝されるにふさわしく、また黙示録5:9〜14で、小羊は礼拝されるにふさわしいお方なのですか。

黙示録4章は、天の神殿の中の玉座の広間と、そこで繰り返し行われている礼拝の概要を記しています。4章における礼拝は、神の創造の力をほめたたえていますが、5章は、ほふられた小羊によって提供された贖いを称賛しています。これらの章は、真の礼拝が、創造と贖いという神の力強い業を思い返し、祝うものであることを示しているのです。6日間でこの世界を創造された神は、それをもとの状態に回復し、御自分の民の永遠の住まいに変える力と能力を持っておられます。それらはすべて、実行すると神が約束された通りです。

玉座の広間における天の会議

黙示録4:4の長老たちの描写は、天使のような存在でないことを示しています。聖書の中で、「長老」という称号は、いつも人間に対して用いられるからです。神の前で常に立っている天使たちとは対照的に、長老たちは玉座の周りに座っています。着ている白い衣は、神の忠実な民の服です(黙3:4、5)。頭にかぶっている勝利の冠(ギリシア語で「ステファノス」〔黙4:4〕)は、勝利した聖なる者たちだけのものです(ヤコ1:12)。これらの点から、24人の長老が栄化された聖なる者たちであることを示唆しています。

24という数字は象徴的なもので、それは、聖書の中で神の民の象徴である数字12の倍数です。24人の長老は、旧新両約聖書時代の神の民全体をあらわすことができます。また24という数字は、地上の聖所の奉仕を交代で行った24組の祭司の長たちをも反映しています(歴上24:1〜19)。

24人の長老が聖書の中でこれまでに言及されてこなかった事実は、天の玉座の広間における新しいグループであることを示唆します。たぶん、イエスが亡くなられたときに死者の中から生き返った者たちなのでしょう(マタ27:51〜53)。

もしそうであるなら、イエスとともに昇天したこれら24人の長老は、人類の代表となり、救済計画の実現における神の業が公正であることの目撃者です。黙示録5:8において24人の長老は、四つの生き物とともに、屠られたが今も生きておられる小羊の前にひれ伏します。彼らは一緒に新しい歌を歌い、礼拝を受けるにふさわしい方として小羊を賛美するのです。「あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します」(黙5:9、10)。

問3

黙示録4:6〜8も四つの生き物(あるいは、四つの存在)について述べています。その描写をエゼキエル1:5〜14、10:20〜22の四つの生き物や、イザヤ6:2、3のセラフィムと比較してください。

四つの生き物は、代理人や玉座の守護者として(詩編99:1)神にお仕えするために高く上げられた存在の象徴です。羽は、神の命令を迅速に運ぶことを象徴的に示し、彼らの目は、知性を象徴的に示しています。24人の長老や玉座を取り巻く無数の天使たちと一緒にいることは(黙5:11)、天と地の双方が玉座の広間であらわされていることを示します。

封印された巻物

問4

黙示録5:1〜4を読んでください。イザヤ29:11、12を踏まえると、巻物にはどのような意味があり、なぜヨハネは泣いたのですか。

ギリシア語の原文は、この巻物が父なる神の右側の玉座の上にあったことを示唆しています。巻物は、それを受け取って「封印を解(く)」(黙5:2)にふさわしい者を待っていました。

エレン・G・ホワイトの言葉によれば、その封印された巻物には、「神の摂理の歴史、諸国民と教会の預言的歴史が含まれている。そこには、神の言葉、神の権威、神の命令、神の律法、永遠なるお方のあらゆる象徴的な勧告、諸国の中におけるすべての支配勢力の歴史が含まれていた。その巻物には、象徴的な言葉で、地球史の初めから終わりに至るまでのあらゆる国民、言葉の違う民、民族の影響力が含まれていたのである」(『原稿集』第9巻7ページ、英文)。

要するに、封印された巻物には、罪の問題を解決し、堕落した人類を救う計画に関する神の神秘が含まれているのです。この神秘が完全にわかるのは、キリストの再臨においてでしょう(黙10:7参照)。

問5

黙示録5:5〜7を読んでください。なぜキリストは、全宇宙の中で、この封印された巻物を受け取って封印を解くにふさわしい唯一のお方なのですか。

玉座の広間における危機は、サタンの反逆と関係しています。この惑星は、神によって創造されたものの、強奪者であるサタンの支配下に置かれてきました。ヨハネが泣いたのは、アダム以来、罪の縄目からの救いを求めて神の民が流してきた涙のあらわれでした。封印された巻物には、罪の問題の解決のための神の計画が含まれていました。計り知れない神の力を用いれば、間違いなく、神はその計画を実現することがおできになりました。しかし、堕落した人類の贖いには、特別なものが必要とされたのです。それがイエスでした。このお方は「勝利」され、それゆえに、この巻物を開き、地球の支配権を奪い返し、天の聖所で私たちの仲保者となるにふさわしかったからです。

小羊はふさわしい方

問6

黙示録5:8〜14をエフェソ1:20〜23、ヘブライ10:12と一緒に読んでください。それらの箇所は、希望も慰めもほとんど与えないこの世にあって、私たちは何から大いなる希望と慰めを得られると述べていますか。

小羊なるキリストは玉座に近づかれ、巻物を受け取られます。この行為は、あらゆる権威と主権が彼のものであることを示しています(マタ28:18、エフェ1:20〜22参照)。その瞬間、全宇宙は、地球に対するキリストの正当な主権を認めます。アダムによって失われたものが、キリストによって取り戻されたのです。

キリストが巻物を受け取られるとき、それは、全人類の運命が彼の手に握られたことを示しています。四つの生き物と24人の長老たちは、キリストの前にひれ伏し、黙示録5:9でしたように、礼拝します。「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です」。この礼拝行為によって、高く上げられた天使と贖われた人類の代表者たちは、人間のためのキリストの犠牲を支持します。キリストはその血によって、堕落した人類の身代金を支払い、贖いのあらゆる希望を彼らに与え、私たちが想像しがたい未来を約束してくださるからです。

四つの生き物と長老たちは、今や玉座を取り囲む無数の天使の軍団と一緒になって、小羊をほめたたえます。その小羊は、かつて屠られたが、今や堕落した人類の執り成しをするために「生きて」いるのです(ヘブ7:25)。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です」(黙5:12)。

この時、天と地のすべての被造物が一緒になって、父なる神とキリストの双方に王にふさわしい礼拝をささげます。「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように」(黙5:13)。彼らの賛美の声は、四つの生き物の「アーメン」という言葉と、24人の長老たちの平伏によって迎えられ、天の玉座におけるこの熱烈な崇拝は、こうして終わります。

五旬祭の重要性

五旬祭において聖霊が降り注がれた際に、使徒言行録2:1〜4は、救済史上、最も決定的な出来事の一つを確認しています。それは、キリストが王として、また大祭司として就任し、天の聖所でカルバリー後の働きを始められたことです(使徒1:4〜8、2:33も参照)。父なる神の右側における大祭司としての働きを通して(黙5:6、7)、キリストは救済計画を最終的に実現することがおできになります。天の聖所で仲保者として、イエスは私たちを救うために働かれるのです。彼を通して、信じる者たちは自由に神に近づき、罪の赦しを得ることができます。

問7

使徒言行録2:32〜36をヨハネ7:39と一緒に読んでください。天において、イエスが私たちの祭司、王として立っておられるという事実の中に、あなたはどのような希望と励ましを見いだしますか。

天の聖所にイエスが挙げられたあと、弟子たちに聖霊が降りました。黙示録5:6は、「全地に遣わされ(る)」七つの“霊”に言及しています。先の課で触れたように、この七つの“霊”は、聖霊の働きの十分さを意味します。キリストの即位とともに、“霊”は地球へ遣わされました。聖霊の派遣は、キリストが天の聖所の大祭司として最初にされた働きの一つです。聖霊の注ぎは、イエスが父なる神の前に出られて、人類のための犠牲が神に受け入れられたことを意味していました。

「キリストの昇天は、主に従う者たちが約束の祝福を受けることのしるしであった。彼らは、仕事にとりかかる前にこれを待たなければならなかった。キリストは天の門の中に入って行かれて、天使たちのさんびのうちに王座につかれた。この儀式が終わるとすぐ、聖霊は豊かな流れとなって弟子たちの上にくだり、キリストは永遠の昔から父と共に持っておられた栄光をお受けになった。ペンテコステの聖霊降下は、あがない主の就任式が完了したことを知らせる天からの通報であった。主はその約束に従って、ご自分が祭司、また王として、天と地のすべての権威を引き継ぎ、神の民の上に立つ油そそがれた者となられたしるしとして、弟子たちに天から聖霊を送られたのであった」(『希望への光』1370ページ、『患難から栄光へ』上巻32、34ページ)。

さらなる研究

参考資料として、『各時代の希望』第87章「わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ」と『患難から栄光へ』第5章「聖霊の働き」を読んでください。

黙示録4章、5章のメッセージは、地球史の終わりに生きる神の民にとって特に重要です。五旬祭において聖霊が降ったことは、全世界に福音を伝える幕開けとなりました。その中心メッセージは、祭司として、王として、父なる神の右側に挙げられたイエスについてであり、イエスに関するこの真理が、初期のキリスト教信仰の中心(ヘブ8:1)、宣教の要石でした(使徒2:32、33、5:30、31)。それはまた、迫害や困難な生活状況に直面しながらも、彼らの動機であり、信仰と勇気の源だったのです(使徒7:55、56、ロマ8:34)。結果として、多くの人が説教に応じました。その時以来、神の国はあらわれ、聖霊の働きを通してあらわれ続けています。

人の心に届き、それを変えることができ、また、神を畏れ、神に栄光を帰し、神を礼拝せよという永遠の福音(黙14:7)の呼びかけに人々を応じさせることができるのは、キリストによる救いの良い知らせだけです。私たちはそのことを忘れてはなりません。私たちの唯一の希望は、天の聖所におられる私たちの祭司、王であられる救い主のうちにあります。キリストは御自分の民とともにあり、最後の最後まで、いつも彼らと一緒にいてくださるでしょう(マタ28:20)。彼はその手の中に未来を握っておられるのです。

それゆえ、福音の本質を心に留めておくことが、迷い、苦しむ人類に最終のメッセージを宣べ伝えることにおいて完全な成功をもたらすことを忘れてはなりません。私たちが説くことで、十字架と、十字架が神について教えていることより重要なことは、ほかにないのです。

*本記事は、アンドリュース大学神学科新約学教授ランコ・ステファノビック(英: Ranko Stefanovic)著、安息日学校ガイド2019年1期『ヨハネの黙示録 イエス・キリストの働きを知る』からの抜粋です。

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