【エゼキエル書】諸国民の主【25〜30章解説】#9

目次

諸国民のための神の働き

すべての国民の主である神は、偏愛によってイスラエルをご自分の「長子」として選ばれたのでしょうか(出エ4:22)。 神は人類家族のためにどういうことをされたのでしょうか。神は何にもとづいてすべての国民に自らの行為の責任を問われるのでしょうか。

アウトライン

  • 創造主の子ら(使徒17 : 26) 
  • 近隣の諸民族(エゼ25章)
  • ツロと預言(エゼ26、27章)
  • 御座の背後にある力(エゼ28章)
  • 折れたあし(エゼ29、 30章)

すべての人を受け入れる愛

神は古代イスラエルの民を通して世界に真の自由を与えようとされました。同じように、神は今日、ご自分の教会を通して人類に福音による自由を与えようとしておられます。エルサレムは「万国の中」(エゼ5:5)、 つまりアフリカ、アジア、ヨーロッパの三つの大陸を結ぶ地点に置かれました。エルサレムは諸国民に神についての真理をあらわし、彼らを「すべての民の祈の家」となるべき神の神殿に引きつけるのでした(イザ56:7)。メシヤが来られたとき、神の選民はメシヤを世に宣べ伝えるのでした。イスラエルは「もろもろの国びとの光・・・…わが救を地の果にまでいたらせ」る者となるのでした(イザ49:6)。 キリストはイス-80ラエルの救い主であるばかりでなく、「世の救主」となられるのでした(ヨハ4:42 -1ヨハ2:2比較)。

諸国民の主は世界のすべての民を愛する聖なる愛の持ち主です。神は人をかたよりみることなく、神の救いの光であるキリストを受け入れる者ならだれでも喜んで救ってくださいます(ヨハ1:4、5、9、8:12)。

創造主の子ら(使徒17:26)

質問1

唯一の真の神であるイスラエルの神は、ほかの諸民族とどんな関係にありますか(使17:26、27)。 諸国民は神についてどれだけ知っていますか(使徒14:15~17、ロマ1:19、20)。

「神は三つの方法によって人間にご自身を啓示される。第一に、各人の理性と良心に対する内的啓示によって(ロマ2:15-ヨハ1:9比較)、 第二に、創造のわざにおける外的啓示によって(ロマ1:20)、 第三に、聖書およびキリストの人格・働きにおける特別啓示によってである。第三の啓示は他の啓示を確証し、完成するものである。パウロはここで〔ロマ1:19、20〕初めの二つに言及している」( 「SDA聖書注解』第6巻478ページ)。

「無限の神は、今もなお誤ることのない正確さをもって諸国の記録をとっておられる。神のあわれみが差しのべられて、悔い改めの招きが与えられている間、この帳簿は開かれている。しかし、数字が神のお定めになった一定の数に達するときに、神の怒りのわざが始まる。帳簿は閉じられる。神の忍耐は終わる。もはや、あわれみの声は彼らのために訴えなくなるのである」(『国と指導者』上巻331ページ)。

質問2

神は私たちに対してどんな最終的な計画を持っておられますか(ヨハ3:16)。 十字架以前の時代において、神はこの計画をどのように遂行しようとされましたか(イザ56:6、7)。 キリスト教時代においてはどうでしたか(マタ24:14)。

「今日地上の神の教会は、永遠の福音をあらゆる国民、部族、国語、民族に宣く伝えて、『イスラエルは芽を出して花咲き、その実を全世界に満たす』という占代の預言を成就している(イザ27:6)イエスの弟子たちは、天使たちと力を合わせて、急速に地の荒れ地を占領している。そして、彼らの働きの結果、多くの尊い魂が豊かに実りつつある」(「国と指導者』下巻305ページ)。

近隣の諸民族(エゼ25章)

ユダヤの預言者たちは神の民の敵にその責任を問うことになる「主の日」の到来について警告しました。諸国民についてのエゼキエルの託宣(たくせん) は、ユダの陥落後、あるいはエルサレムが包囲されていたときに与えられました。このとき、イスラエル国家の滅亡は、まだ至l1来していないとしても、事実上、確実に迫っていました。主は異教の国々をご自分の不忠実な民に怒りを注ぐ手段としてお用いになりました。主は彼らによってイスラエルを苦しめられたのではありません。それは選民に対する神の保護が取り去られたことの結果でした。しかし、イスラエルを侵略した国々も神の愛にこたえてその罪を悔い改めなかったので、神によって罰せられました。

質問3

神がアンモン人にさばきをくだそうとしておられたのはなぜですか。エゼ25:1~7(とくに3節と6節に注意)。

アンモン人はロトと彼の娘の子孫だったので、イスラエル人とは親戚関係にありました(創世19:38)。 彼らはエリコの東、ヨルダン川東方の荒野に住んでいました。彼らは残忍な民で、自分たちの子供をモレクの神にささげ(列王上11:7参照)、 たえずイスラエルに戦いをいどみました。エフタは彼らと戦いました(士師11章参照)。 サウル王は、イスラエルの兵士の右目をえぐり取ろうとしたアンモン人の手からヤベシ・ギレアデの住民を救いました(サム11:1~11参照)。 アンモン人はまた、紀元前586年のバビロンによる征服後にユダの総督になったゲダリヤを殺害しました(エレ40:14、41:1、2参照)。 

質問4

神が口卜によってイスラエルと親戚関係にあったモアブ人をさばこうとしておられたのはなぜですか(創世19:37)。 エゼ25:8~11

アンモン人はユダがバビロンによって征服されたことをあざ笑いモアブ人はあざけりました。バビロンの勝利は彼らにとって、ユダも神の特別な恵みや守りを持たないほかの国々と同じであることを意味していました。ユダが陥落してまもなく、アンモン人とモアフ人はアラビヤのナバタ人によって征服され、独立国家としての地位を失いました。

質問5

神がエドムの王国にさばきを宣告されたのはなぜですか。エゼ25:12~14(オバ1、10~14節、詩137:7比較)

エドム人もヤコブの双子の兄弟エサウによってイスラエル人と親戚関係にありました(創世25:30)。 彼らは死海の南端と紅海の北東部にあるアカバ湾とにはさまれた地域に住んでいました。この地域はセイルまたはセイルの山地と呼ばれることもありました。これらの兄弟関係にある国々は長いあいだ反目しあっていました。ユダがバビロンの手に落ちたとき、エドム人はユダに対して復譽の精神をあらわしました(エゼ35:1~15、36:5参照)。

ツロと預言(エゼ26、27章)

質問6

ツロがエルサレムの滅亡を見て喜んだのはなぜですか。エゼ26:1、2(ネヘ13:16比較)

「エルサレム滅亡に対するツロの喜びは全く利己的なものであったように思われる。ソロモンの時代には、エルサレムはアラビヤやインドからの貿易を中継する内陸の商業の中心地であった。エルサレムはフェニキヤとの貿易によって栄えていた。衰退期にあったときでさえ、エルサレムは、ツロが専売権を得ようとした商取引の中心地であったことだろう」(「SDA聖書注解」第4巻667ページ)。

質問7

エゼキエルはツロの住民をどのように描写していますか(エゼ27:3~9)。 彼らはどうなる運命にありましたか(エゼ27:26、27)。 だれが彼らの運命を嘆きますか(エゼ27:28~36)。

「商人の君であったツロの支配者たちは戦争を好まなかった(イザ23:8)。 彼らは地中海地域のあらゆる国々と、そしてのちには地中海をこえた国々と貿易をした。彼らのおもな製品は紫染料、ガラス器具、金属加工品であったが、同時に奴隷(エゼ27:13、アモ1:9、ヨエ3:5、6)-その中にヘブル人もいた-や外国の製品も売買した」( 「SDA聖書辞典』「ツロ」)。フェニキヤは商人であるばかりでなく、植民地開拓者でもありました。その最も重要な二つの植民地は、北アフリカのカルタゴと南スペインのタルシシでした。

質問8

フェニキヤ人に対してどんなさばきが宣告されていますか(エゼ26:3~6)。だれが滅ぼしますか。(エゼ26:7~14、21—同29:17~20比較)。

二つの領土を持つツロ

ギリシヤ人がパライツロスと呼んでいた古いツロは内陸にありました。新しいツロは海岸から800メートルほど離れたところにある57万平方メートルほどの岩の島の上に建てられていました。内陸のツロの住民は戦争のときには島のツロにのがれました。こうして、彼らはこの島を安住の町としました。

ネブカデネザルは内陸の町、パライツロスを征服し、滅ぼすことに成功しましたが、島の町にのがれた人々に対しては何もすることができませんでした(エゼ29:17、18参照)。 彼は島の町を13年にわたって包囲しましたが、陥落させることができませんでした。そこでついに、彼はツロに半独立国家としての王権を認めました。ツロもバビロニヤ帝国に定期的にみつぎ物を納めさせるバビロンの役人の駐在を認めました。

ツロは紀元前332年にアレキサンダー大王によって滅ぼされました。彼は古いツロから岩石を運んできて、内陸から島に道を築いて陸と海の両方から同時に島を攻撃し、要塞を攻め取りました。

古いツロは再建されない

ツロは再び建てられることはない、と神は言われました(エゼ26:14)。 しかし、ツロ人は生き返りました。イエスの時代には町があり(マタ15:21~28)、使徒時代にはそこにキリスト教会が栄えていました(使徒21:3~6)。 現在でも、アレキサンダーが築いた道と島にまたがって一つの村があります。とするなら、この預言をどう理解したらよいのでしょうか。

古いツロ、パライツロスは決して再建されることがなかったのです。それは完全に荒廃していたので、その場所を確定することができないくらいです(エゼ26:21)。 主は古代都市国家の栄光と権力について語っておられたのです。主が預言されたように、この偉大な商業都市は永久に滅びてしまったのです。

御座の背後にある力(エゼ28章)

質問9

ツロの君はどんな耐えがたい態度を示しましたか(エゼ28:2)。 ツロの尊大さはどこから来ていましたか(エゼ28:3~5)。

主はバビロンの宮廷において、ダニエルを大いに祝福されました。ダニエルの信仰と知恵は広く知られていました。彼は神から知恵と能力を与えられたことによって、かえって謙そんになりました。ツロの人々も同じ賜物によって大いなる富を得ましたが、それは彼らの心を高慢にしただけでした。 

質問10

神はどのようにしてツロの人々をへりくだらせようとしておられましたか。エゼ28:6~10(同26:7比較)

「高慢とうぬぼれほど神がおきらいになるものはなく、また人の魂を危険にさらすものはない。あらゆる罪の中で、これほど絶望的でどうにもならないものはない」(「キリストの実物教訓』134ページ)。

「サタンを天から追放したものは、彼が心に抱いていた高慢と野望であった。これらの悪は私たちの堕落した性質のうちに深く根をおろしていて、取り除かないならば、それらはあらゆる善良で高尚な特性をおおい、その災いの実としてねたみと争いを生み出す。私たちは偉大さよりも真の善良さを求めなければならない。キリストの心を持つ者たちは自分自身を謙虚にながめる。彼らは教会の純潔と繁栄のために働き、兄弟たちのうちに不和を招くよりは、むしろ喜んで自分の利益と欲望を犠牲にする」(「教会へのあかし」第5巻242ページ)。

質問11

ツロの君はまさにだれの特性をあらわしましたか。エゼ28:11~19

創造主なる神と、以前には被造物の中で最高の地位にありながら神に反逆したサタンとのあいだの道徳的闘争は、この罪にのろわれた地球において今も続いています。神がイスラエルの君たちを支配する王であられたのと同じように、サタンはまことの神に逆らう異教の国々を支配する王でした。預言の霊感は、サタンがツロの君を通して支配していたことを明らかにしていますが、誇り高きツロの君はまさにサタンと同じ特性の持ち主でした。

ツロの王とルシファー(サタン)との関係は、次の言葉のうちに強調されています。(1)「あなたは神の園エデンにあって」(13節)。(2)「わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて」(14節)。(3)「あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった」(15節)。(4)「わたしはあなたを神の山から汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを火の石の間から追い出した」(16節)。

質問12

神によって創造されたときのルシファーの品性はどのようでしたか(エゼ28:15)。 彼は天使のあいだでどんな地位を占めていましたか(エゼ28:14—出エ25:18~22比較)。彼の高慢と反逆の原因は何でしたか(エゼ28:12、13、17-イザ14:12~14比較)。

「愛の律法は神の統治の基礎であるから、すべての被造物の幸福は、この偉大な義の原則に完全に一致することにあった。神は、すべての被造物の愛の奉仕、すなわち、神のご品性に対する賢明な理解から生ずる尊敬をお望みになる。神は、強制的な忠誠をお喜びにならないで、だれでも神に自発的な奉仕をささげるように、すべてのものに意志の自由を与えておられる。

しかし、この自由を悪用した者があった。キリストに次いで最も神から栄誉を受け、天の住民の中で最高の権威と栄光を与えられていた者から罪が始まった。ルシファーは、堕落する前は、清く汚れのない、おおうことをなすケルビムの中の第1位の者であった」(『各時代の大争闘』下巻229ページ)。

「神は彼〔ルシファー〕を、可能なかぎりご自身と同じように善良で美しい者としてお造りになった」( 「SDA聖書注解」第4巻1163ページ、エレン。G・ホワイト注)。

質問13

アダムとエバの堕落後 サタンはどんな地位を占めていますか(Ⅱコリ4:4—ヨハ12:31、14:30比較)。神の介入がないなら、彼は地上でどんな権力をほしいままにしますか(ルカ4:5、6—詩50:12比較)。

折れたあし(エゼ29、 30章)

エジプトに対する預言はすべて、「主なる神はこう言われる」という言葉をもって始まっています。エゼキエル書29章から32章の4章において、七つの託宣が述べられています。

質問14

ゼデキヤはユダをどこと同盟させましたか(エゼ17:15)。この同盟はどの程度、効を奏しましたか(エレ37:5~11)。 

質問15

エゼキエルはどんな写実的な言葉をもって、エジプトに対する主のさばきを描写していますか(エゼ29:1~7)。 その力を回復するまで、エジプトはどれだけの期間、散らされますか(エゼ29:12~20、 30 : 20~26)。

エゼキエル書29:3の「龍」という言葉は、当時、ナイル川によく見られたワニをさすと考えられています。破損したくさび形文字の銘刻板には、ネブカデネザルが彼の第37年にエジプトと会戦したことが記されていますが、現在のところ、エゼキエルが描いているような広範囲におよぶ破壊については何の証拠もありません。

創造主なる神だけがユダヤ人の真の同盟者であることを印象づけるために、エジプトに対するいくつかの預言が与えられています。ユダの希望は、その真の王、天の神に対する真心からの悔い改めと信頼にかかっていました。

まとめ

聖書の神は諸国民の主でもあります。神はご自分の教会を通して、すべての民にその救いの恵みを宣べ伝えようとしておられます。神は地球を支配し、諸国民に対してその国民の正しい統治と神の民の扱いについての責任を問われます。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年2期『雨の中のにじ エゼキエル書』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次