この記事のテーマ
問題が持ち上がる
すぐに、イエスの言動をめぐって論争が持ち上がりました。無理もないことです。だれでもイエスの言われたようなことを言い、イエスのなされたようなことをするなら、論争になるのも当たり前です。
問題はそれだけではありません。イエスは安息日に人をいやされますが、また12人を選んで、宣教のために任命されます。この雑多な人々の群れはのちに世界を決定的に変えることになります。それから、イエスは身内の人たちに、また御自分とその使命に対する彼らの誤解に対処しておられます。
今回は、救い主の生涯と働きのもう一つの側面に注目します。イエスの言葉と行いの一つ一つは、たとえサタンと結託しているとか、安息日を破っているとか非難されようとも、私たちがイエスをさらに深く愛する一助となります。
人のために定められた(マルコ2:23~28)4月10日
問1
マルコ2:23~28を読み、イエスの「人のために定められた」と言われた言葉の意味を考えてください。
イエスのご在世当時、二つの特徴がヘブライ民族をほかの民族と区別していました。すなわち、唯一神礼拝と安息日遵守です。民がバビロンに捕囚になり民族消滅を経験したのは、偶像礼拝と安息日をやぶる罪に陥ったからでした。捕囚から帰還したとき、彼らは過ちを繰り返してはならないと決意し、安息日の周りに防壁を築くために、許されることと許されないことを定めた詳細なリストを作ります。体系化されたユダヤ人の口伝律法「ミシュナ」には、安息日に禁じられている労働が大きく39種類に分類されています。しかし、「これらの一般的な規則はさらに詳細に説明されていた。これらの主要な規則に加えて、安息日遵守に関して数え切れないほどの規定があった。最もよく知られているのはたぶん、2000キュビトという、いわゆる『安息日の道のり』(約1050メートル)である。……壁に固定された鏡で見たり、……ろうそくの火をともすことも安息日を破ることであった。……地面につばを吐くことも草に水をやることになるので、不法と見なされた。一端を衣に縫いつけてない限り、安息日にハンカチを持ち歩くことも許されなかった。ただし、衣に縫いつけてあれば、それは厳密な意味でハンカチでなく、衣の一部と見なされた」(『SDA聖書注解』第5巻587ページ)。
ユダヤ人指導者たちが細かい規定に拘泥したのに対して、イエスはものごとの精神を重要視されました。彼は人間の作った規定を無視して、安息日本来の目的を回復しようとされました。安息日は重荷ではなく喜びとなるように定められていました。それは礼拝と休養、回復と喜びの日であり、隣人の幸福のために奉仕する日でした。安息日は人類に対する神の賜物です。律法学者たちはそれを重荷に変えていました。
手の萎えた人(マルコ3:1~6)
問2
マルコ3:1~6を読んでください。指導者たちがイエスを殺害しようとしたのはなぜだと思いますか。イエスが安息日に病人をいやされたからですか。それとも自分たちの立場を危うくするような深刻な問題がほかにあったからですか。ヨハ11:48、使徒17:6参照
礼拝の日であり、天の事物について瞑想する日である安息日においてさえ、イエスの敵はひと時もイエスから目を離すことができませんでした。神が聖書朗読と祈り、交わりを通して与えようとしておられる祝福に心を開く代わりに、彼らはイエスを非難する口実を見つけるために絶えずイエスに目を注いでいなければなりませんでした。イエスが安息日を犯していることを立証しようとしながら、彼ら自身、心の中で安息日を犯していました。
イエスは彼らのかたくなな心を悲しまれた、とマルコは記しています。しかし、彼らの心のかたくなさは安息日の厳格な守り方について言われているのではなく、むしろイエスに対する態度について言われているのです。イエスは彼らの権威を脅かしておられました。また、民に対する彼らの宗教的、政治的影響力を脅かしておられました。だから、彼らはイエスを徹底的に憎んだのです。彼らはそのことを直接、イエスに言うことができませんでした。それゆえ、彼らは何か口実を作りあげて、イエスを非難し、イエスの権威を弱めようとしたのです。彼らは影響力を失うことを恐れるあまり、いやしの奇跡に現された神の偉大な力を喜ばないで、イエスが安息日を破っていると言って非難したのでした。
問3
マルコ3:4を読んでください。彼らがキリストの質問に答えなかったのはなぜですか。答えるべきではなかったのでしょうか。彼らの沈黙は真の動機についてどんなことを示していますか。
12使徒(マルコ3:7~19)
イエスの伝道は拡大していきます。彼は先にさまざまな人を弟子として召されましたが、ガリラヤ中を巡回し、その名声が広まるにつれて、従う者たちの数がさらに増えていきました。多くの者たちの中から特別な働きに従事する者たちを選ぶ時が来ていました。
問4
マルコ3:7~14を読んでください。イエスがこの段階で共に働く者たちを任命されたのはなぜだと思いますか。
人気が絶頂に達したところで、イエスは山に退かれます。ルカは詳しく、イエスが祈りのうちに夜を明かされたと記しています(ルカ6:12)。イエスは重要な決定に直面して、いつもの通り、父なる神の導きを求められたのでした。
問5
イエスが12人を使徒として任命されたのはどんな二つの目的のためでしたか(マルコ3:13~15)。さらにどんな大きな目的がありましたか(マルコ16:15、マタ10:5~15参照)。
使徒という言葉は字義的には、「遣わされた者」を意味します。イエスに召された12人は宣教するため、また悪霊を追い出すために派遣されるのでした。イエスがまだ地上におられる間は、その働きを拡大し、イエスが父なる神のもとに帰られた後は、その働きを継続するのでした。しかし、その前に、彼らはイエスと共にいて、イエスの方法を学び、イエスの品性に似る者となる必要がありました。
これらの12人は、経歴も、個性も、能力も、みな異なっていました。何人かは漁師、一人は徴税人、もう一人は熱心党の一員で、ときどき暴力に訴える民族主義者でした。大胆で性急なシモン・ペトロは多くのことを学ぶ必要がありました。ヤコブとヨハネは激しい気性の持ち主でした。それに、イエスを裏切ることになるイスカリオテのユダがいました。
イエスとベルゼブル(マルコ3:20―30)
イエスの多くの驚くべき奇跡は否定しがたく、その内に人間以上の力が働いていました。ところが彼につきまとって非難の口実を探そうとする者たちは、イエスが神の御子であることを認めようとはせず、それどころか、イエスが悪霊のベルゼブルと結託している、と主張しました。
問6
悪霊と結託しているという批判に対して、イエスは何と答えられましたか。マルコ3:20~27
イエスの働きはサタンの王国を打ち倒しました。彼は悪霊を追い出し、病人をいやし、罪と悪習に縛られていた男女を解放されました。これはサタンとは正反対の働きです。もしイエスが悪霊と結託していたのなら、サタンの業を行い、サタンの王国を築き上げていたはずです。
問7
イエスが言及された「赦されない罪」はどのようなものでしょうか。
「イエスがこの警告をお与えになったパリサイ人たちは、キリストを非難しながらも、心の中ではその非難が正当であるとは思っていなかった。高い地位を占めているこれらの人々の中には、救い主に心をひかれていない者はひとりもなかった。彼らは、みたまの声がイエスをイスラエルの油そそがれた者として宣告し、キリストの弟子となることを告白するようにすすめるのを自分自身の心の中で聞いていた。キリストの前に出ると、彼らは自らの不潔をみとめ、自分ではつくり出すことのできない義をあこがれた。しかしキリストをこばんでしまってからは、いまさらキリストをメシヤとして受け入れることはあまりに不面目でできなかった。不信の道に足をふみ入れた以上、あやまちを告白することは、彼らの高慢心がゆるさなかった」(『各時代の希望』中巻38、39ページ)。
イエスの母と兄弟たち(マルコ3:31~35)
イエスは、御自分の家族の支持を得ていませんでした。ヨハネは「、兄弟たちも、イエスを信じていなかった」と言っています(ヨハ7:5)。母マリアはイエスの誕生と少年時代のことを心に納めていましたが(ルカ2:19、51)、イエスがメシアとして成し遂げようとされた使命は理解できませんでした。
イエスが群衆に囲まれて食事をする暇もないほどなのを見て、「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」(マルコ3:21)。彼らはたぶん、イエスが交わっておられた人々のことで迷惑し、また彼を批判する者たちのイエスは悪霊と結託しているという非難に悩ませられていたのでしょう。しかし、最大の悩みの種は、イエスが宗教指導者たちから拒絶されていたことでした。というのは、彼らこそイスラエルを憎むべきローマ人から解放する者としてイエスを迎えるはずの人たちであったからです。
問8
「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」とのイエスの言葉は何を意味していましたか。マルコ3:31~35(申30:20、マタ7:21、ヨハ15:14、Iヨハ5:3参照)
イエスにはヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンという兄弟たち、また、姉妹たちもいました(マルコ6:3)。マリアの夫ヨセフのことは書かれていません。イエスを弟として指示を与えているイエスの兄弟たちは、ヨセフのおそらく死別した前妻の子だったのでしょう。イエスの伝道においても、彼の名は出てきませんが、この時すでに亡くなっていたのかもしれません。
ところが、イエスの復活後、身内の人たちのイエスに対する見方は変わります。五旬祭のときにはイエスの兄弟たちが信者の中にいましたし(使徒1:14)、パウロも主の兄弟ヤコブを「使徒」と呼んでいます(ガラ1:19)。
ガイド
イエス様は弟子たちの中から12人をお選びになって「使徒」と名づけられました。「使徒」というのは「特別な使命を帯びて派遣された者」の意味で、現代でいうなら一国を代表する大使のような光栄ある職務です。教会では「第一に使徒」と預言者にまさる務めとして認められていました(1コリ12:28)。使徒に選ばれたヤコブとヨハネは「雷の子」と呼ばれるような気性の激しい人でした。キリストが彼らをお選びになったのは、彼らが使徒にふさわしく円熟していたからではなく、そのように未熟であったにもかかわらず、です。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハ15:16)。使徒たちは誰が一番偉いだろうかといって争ったり、キリストが逮捕されると主を見捨てて逃げ去ったり、使徒にあるまじき行動をしましたが、彼らの召しと選びとは変えられることはありませんでした。その不動の選びの中で彼らは使徒にふさわしく成長していったのでした。
私たちも神の国の王から選ばれ、特別な使命を帯びてこの世に遣わされた大使、すなわち使徒なのです。未熟であるにもかかわらず、このような光栄ある任務を受けている私たちは主の寛容に感謝しつつ奮起したいものです。主の選びにとどまっている限り、私たちは弱点や失敗を乗り越えて成長していくことができるのです。イスカリオテのユダはせっかく12使徒に選ばれていながらも、自分の方からその選びを放棄してしまいました。私たちはユダのようになってはなりません。パウロは言います。「神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(使徒20:24)。彼にとっては主の選びと任命は、彼の全存在を燃焼させるほどに感動的なものであったのです。
*本記事は、安息日学校ガイド2005年2期『マルコの見たイエス』からの抜粋です。