【列王記・歴代誌】ユダ―ヨラムからヨアシュまで【解説】#8

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【ヨラム、アハズヤ、アタルヤ、ヨアシュ―悲劇的な過ち】

今回は、ヨラムからヨアシュまでの、58年間に及ぶユダの指導者について学びます。ここで驚かされるのは、聖書が公然とあからさまに彼らの欠点を描写している点です。古代メソポタミアにおいては、年代記作者が勝利や征服を碑文などに記録することはあっても、王たちの失敗、欠点、過ちは書かないことを考えると、これは異例のことでした。

しかし、ユダヤ人はこれとは全く逆でした。「主の目に悪とされることを行った」(歴代下21:6)……。ヨラムに始まり、まずまずのスタートを切りながら(所詮(しょせん)、7歳の子供にどんな悪事ができたでしょう)、最後はがっかりさせるような記録(自分の即位を手助けしてくれた男の息子を殺した)で終わっているヨアシュに至るまで、今回は、時にはリバイバルと改革も含まれていますが、戦争、反乱、殺人、背信、宮廷内の陰謀(いんぼう)といった、まさに信じがたい出来事について学びます。指導者たちの間の醜聞(しゅうぶん)は今も昔もあまり変わっていません。

今回の研究ではヨラム王の悪感化、アタリアの王位就任と殺害、祭司ヨヤダの改革、ヨアシュのスタートと悪の結末、と今回の勉強は指導者たちの行政と宗教的な変遷の記録をたどります。現代に生きる私たちにこうした過去の歴史はさまざまな教訓を与えます。

悪事の始まり(歴代下21章)

「ところが、ヨラムは父の国を支配下に置いて勢力を増すと、自分の兄弟のすべてと、イスラエルの高官のうち何人かを剣にかけて殺した」(歴代下21:4)。

これが、ダビデの子孫、善良な王ヨシャファトの長男、(神の選民である)ユダの新しい支配者、メシアなるイエスの先祖、ヨラムについての最初の記録です。若い王ヨラムは自分のすべての兄弟、また王位を脅かす政敵を殺し、自分の霊的欠点を政治的悪知恵によって補おうとしました。事情は全く異なりますが、ソロモン王も同じことをしています(列王上2章)。共通して言えることは、神の選民が王を求めたその選択の悲しい結果を刈り取っているということです。

その後のヨラムの統治は、歴代誌下21章に記されているように、初期と大差ありません。このような悲惨な統治の原因の一つを6節に見ることができます。彼はアハブとイゼベルの娘と結婚していました。イスラエルとの同盟関係を強めるために父親によって仕組まれた結婚でした(歴代下18:1、21:5、6参照)。どんな善良な人であっても、自らの過ちの結果を刈り取るということのよい例です。

問1

預言者エリヤからヨラムに届いた手紙を読んでください(歴代下21:12~15)。エリヤは王に何と言っていますか。王の家族が王自身の背信のために苦しまなければならないのはなぜですか。無実の者が他人の過失のために苦しむという例がありますか。このことは神の公正・正義と矛盾しませんか。

聖書読者がしばしばつまずく聖句の一つは、たとえば「主は……打つ」(14節)といった表現です。確かに神が直接報復された例はありますが(創世7章参照)、ここにある「主は……打つ」という表現は、聖書記者が不従順に対する必然的な結果について述べる方法の一つです。言い換えれば、たとえ聖書記者がそのような表現を用いているとしても、これらの悲しむべき結果は必ずしも神の超自然的な行為の結果であるとは限らないということです。いずれにせよ不従順が滅びをもたらすという原則に変わりはありません。これは、聖書、特に列王記・歴代誌に繰り返し強調されている点です。

王妃による支配(歴代下22章)

ユダの王ヨラムによる悲劇的な統治の後(前854~841)、息子のアハズヤが統治しますが、彼はわずか1年後、殺害されます(歴代下22:2)。

問2

アハズヤが殺害された経緯が歴代誌下22章に描かれています。彼が北王国でアハブの家と共に滅びても不思議でなかったのはなぜですか(2~4節参照)。

アハズヤに関して特筆すべきことは、その統治より、むしろそれ以後のことです。つまり、アハズヤの母、ヨラムの妻、イゼベルとアハブの娘、アタルヤによる統治です。彼女はイスラエルの自分の王族に起こったことを見て、ユダの王族に対しても同じことをしようとしました。しかもその試みはほとんど成功するところでした。これはイスラエルの王朝をめぐる争い、権力をめぐる殺人と陰謀に(いんぼう)見えますが、実際には、ずっと大きな問題が含まれていました。

サムエル記下7:25、26において神はダビデに対して、彼の王朝が堅く据えられると約束しました。主はダビデの家系よりメシアが現れると計画されていました(マタ1:1、ルカ1:32、33、使徒2:29~31、13:22、23、黙示3:7、22:16)。さらに、創世記49:10には、メシアがユダから出ると書かれています。しかし、もしアタルヤが「ユダの家の王族をすべて滅ぼ」していたなら(歴代下22:10)、家系は断たれ、ダビデの家系から出るというイエスについての預言は実現しなかったはずです。「この虐殺によって王位継承者であったダビデの子孫は、ひとりを除いて皆殺されてしまった。大祭司エホヤダの妻は、ヨアシという赤子を神殿の中に隠したのである」(『国と指導者』上巻183ページ)。

問3

ヨシェバとは誰でしょう(歴代下22:11、列王下11:2)。彼女の名は聖書の中で2回しか出てきません。しかし彼女はメシアの出現するダビデの家系を守る上で非常に重要な役割を果たしました。このようなことは決して珍しいことではありません。ごく平凡な人物の忠誠や献身が重要な役割を果たした例を、聖書や一般の歴史から挙げてみてください。私たちはヨシェバのような立場にないかもしれませんが、この事件は私たち自身について、また私たちが御業のために果たすことのできる可能性についてどんなことを教えていますか。

宮廷における反乱(歴代下23章、列王下11章)

「全会衆が神殿の中で王と契約を結ぶと、ヨヤダは彼らに言った。『見よ、王の子を。主がダビデの子孫について言われた言葉に従って、彼が王となる』」(歴代下23:3)。

アハズヤの死後、彼の母で異教徒のアタルヤが6年間王位に就きます(歴代下22:12)。彼女はダビデ王の子孫とは無関係でした。6年に及ぶ彼女の支配の間、ユダにおけるダビデの支配が中断しました。

問4

ヨヤダはどんな理由で反乱を正当化しましたか。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう」(ロマ13:1、2)。もちろん、ヨヤダはパウロの言葉を読んでいませんが、この原則はどの時代にも当てはまるものでしたか。彼が安息日を待って(歴代下23:8)反乱に着手したのはなぜですか。

「ヨヤダは、自分とすべての民と王との間に、主の民となる契約を結んだ」(歴代下23:16)。彼はユダの民を主に立ち帰らせようとしました。彼はユダの民を「主の民」にしようと望みました。彼らが「主の民」になるとはどういう意味でしょうか(レビ26:12、エレ31:33、34、32:38~40)。「主の民」という称号は生まれながらにして自動的に与えられるものではありません。そうでなければヨヤダが民に主との契約を更新するように勧める必要はなかったでしょう。

ヨアシュ王の初期の統治(列王下12:1~16、歴代下24:1~14)

ヨアシュはその治世の23年目になって(列王下12:7)、アタルヤの子らによって汚された神殿(歴代下24:7)を修理すると宣言します。列王記下12:8にある彼の言葉に注目してください。

「ヨアシュ王は祭司ヨヤダおよびほかの祭司たちを呼んで言った。『なぜ神殿の破損を修理しないのか。以後あなたたちはあなたたちの担当の者から献金を受け取ってはならない。それは神殿の破損を修理するために使われるべきものだからだ』」。

明らかに祭司たちは民から献金を受け取り、それを自分自身のために、また神殿の修理以外の目的に使っていました。神殿の修理は祭司たちにとってはあまり気の進まない事業でした(歴代下24:5参照)。神殿のために献金を使えば使うほど、自分たちの取り分が少なくなることを知っていたからでしょう。

問5

修理のための献金はどこから入ることになっていましたか(列王下12:5、6、10、11――口語訳12:4、5、9、10)。

「ここに、3種類の献金が述べられている。(1)『奉納物』。主に誓約をした人や、動物または物品を主に捧げた人からの献金(レビ27:2~28)。(2)『割り当てに従って課された献金』。これは各人に割り当てられた税金で、富める人、貧しい人にも一律に半シェケルであった(出エ30:13~15)。(3)『自発的にもたらされる献金』は各種の自由献金のこと」(『SDA聖書注解』2巻923ページ、列王下12:4)。

問6

神殿を修理するための献金はどのように捧げられるべきでしたか(歴代下24:8~10)。それが大いに成功したのはなぜですか。「多くの献金」(11節)が集まったのは、民が強制されてではなく自発的に捧げたことと関係がありますか。この出来事を出エジプト記36:3~6の出来事と比較してください。

感動的なのは歴代誌下24:10の記録です。指導者も民もみな喜んで捧げています。彼らはこの重要な事業に自発的に参加することができて満足だったことでしょう。私たちにも重要な教訓を含んでいます。

ヨアシュの背教(歴代下24:15~27)

シェイクスピアの戯曲『リチャード3世』の中に、「子供によって支配される国は呪(のろ)われる」という言葉がありますが、この言葉はわずか7歳でユダの王位に就いたヨアシュには当てはまりません(歴代下24:1)。ヨアシュの初期の統治はすぐれていたからです。歴代誌下24:2には「ヨアシュは祭司ヨヤダの生きている間は主の目にかなう正しいことを行った」とあり、列王記下12:3には、「祭司ヨヤダの教えを受けて」という言葉が付け加えられています。王は祭司ヨヤダがそばにいる間は主の目に正しいことを行ったのでした。幼いヨアシュをアタルヤの魔手から救ったヨシェバは、祭司ヨヤダの妻でした(歴代下22:11)。そのヨヤダはアタルヤに対する反乱を指導した人物でした。ヨアシュは祭司ヨヤダの指導を受けているうちは忠実でしたが、ヨヤダが死ぬと状況は一変します。

問7

「ヨヤダの死後、ユダの高官たちが王のもとに来て、ひれ伏した。そのとき、王は彼らの言うことを聞き入れた」(歴代下24:17)。このことはヨアシュの品性についてどんなことを物語っていますか。

ヨアシュは他人の影響を受けやすい人物でした。これは長所でもあり、弱点にもなります。私たちは人の教えや助言を素直に受け入れる必要がありますが、この素直さは両刃の剣です。良い忠告者に耳を傾けさせるその素直さが、同時に悪い忠告者に耳を傾けさせてしまいます。ヨアシュがその例です。助言を受け入れることと、その助言をよく吟味し、正しいか否かを判断することとは全く別のことです。

問8

歴代誌下24:21、22にはどんな原則を見ることができますか。

人が誤った影響の下で堕落する速さと程度は想像を越えています。ヨアシュはゼカルヤの警告を無視しただけでなく(20節)、ヨヤダの子であるゼカルヤを石で打ち殺させたのでした。21節には「彼らは共謀(きょうぼう)し……」とあります。「彼ら」とはヨアシュに偶像礼拝を吹き込んだあの高官たちです。聖書によれば、預言者を殺すように命令したのは王自身でした。誤った影響が信仰に根ざしていない人間をどれほど堕落させるかについての警告に満ちたよい例です。

まとめ

「こうしてイスラエルに保証された祝福は、広い天の下のすべての国家と個人とに、同じ条件の下において、同じように与えられることが保証された」(『国と指導者』下巻109ページ)。

「現代の教会は、大きな特権と祝福を神から受けており、神はそれにふさわしい感謝の行為を期待しておられる」(『キリストの実物教訓』275ページ)。

ミニガイド

【家族相互の感化と影響力を学ぶ】

ヨラムはよい父(ヨシャファト)、よい祖父(アサ)に恵まれながら、悪名高いイゼベルの娘、悪婦アタルヤと結婚したため、大きな悪に傾きました。彼は主を捨てて、主の目に悪を行い、民に淫行を行わせて主の怒りを招きました。最後は「悪質な内臓の病にかかり」、内臓が外に出て苦悶(くもん)の死を遂げました。死んだとき「一人も彼を惜しむ者がいなかった」(歴代下21:20、口語訳)とあります。

アハズヤはイゼベルの孫、アタルヤの子で悪王。「母が悪い勧めを与えたので」(歴代下22:3)同じように主の目に悪とされることを行い、ついに将軍イエフは矢を射かけて彼を殺しました。人々は彼を「心を尽くして主を求めたヨシャファトの子」と冷評しました。

アタルヤはイゼベルの娘で、母に似て悪魔的でした。彼女はユダの王ヨラムと結婚し、次王アハズヤの母でした。こうして彼女は王妃として8年、王母として1年、自ら政権をとって6年、合計15年間政治を行いました。彼女は熱狂的にバアル神を信じ、自分の孫を殺害して王位を奪い、流血の暗黒時代を続けました。彼女は祭司ヨヤダらによって捕らえられましたが、「アタルヤが剣にかけられて殺された後、町は平穏であった」と記録されています(列王下11:20)。

ヨアシュは悪女王アタルヤの孫でした。アタルヤが王の血筋を殺したときに、アハズヤの子ヨアシュは幼児であったために盗み出されて宮の中に6年間かくまわれました。7歳のとき、祭司ヨヤダはヨアシュを王位に就けました。ヨヤダの指揮のもと、ヨアシュは国内のバアル教を一掃し、アタルヤが破壊した宮を修理し、神礼拝を回復しました。見事なほどの宗教改革です。ところが祭司ヨヤダの死後、王は信仰を放棄して偶像を再建しました。彼を取り巻く高官たちがヨアシュを破滅させたのです。神は彼らを立ち返らせるために預言者を次々に送りましたが、戒められても耳を貸さず、亡き祭司ヨヤダの子ゼカルヤが神から送られましたがこれも殺しました。「主がこれをご覧になり、責任を追及されますように」と彼は叫びました。キリストはマタイ23:35で、このゼカルヤのことを語り、ユダヤの民の相次ぐ神への背信を非難されました。

*本記事は、安息日学校ガイド2002年3期『列王記と歴代誌ー反逆と改革』からの抜粋です。

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