【列王記・歴代誌】ユダのヒゼキヤによる統治ー反逆と改革【解説】#9

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【アマツヤ、ウジヤ、ヨタム】

前回の研究はヨアシュの死をもって終わりました。幼くして王になったヨアシュでしたが、後に背信し、シリアの侵略者によって負傷した後、病床において自らの家臣によって殺されます(歴代下24:23~25)。

次に即位したのがアマツヤです。彼は主の目にかなう正しいことをしましたが、「心からそうした」のではありませんでした(歴代下25:2)。彼は後に何千人もの異教徒を虐殺し、彼らの神々を拝んでいます(5~16節)。アマツヤの死後(前790)、ウジヤが52年にわたってエルサレムで支配します。しかし、彼は高慢に陥り、神殿に入って香をたこうとしました(彼にはその資格がありませんでした)。この行為によって、彼は直ちに神の裁きを受け、重い皮膚病にかかりました(歴代下26章)。

その次に即位したのがヨタムです。彼は「主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができ」ました(歴代下27:6)。彼の死後、息子のアハズが即位しますが神に忠実ではありませんでした(歴代下28章)。アハズの後を継いだのがヒゼキヤです。今回はアハズとヒゼキヤについて学びます。

アハズの背信(列王下16章)

これまでも邪悪な王の下で苦しんできたユダでしたが、今また16年に及ぶアハズの統治の下で「国内において、これまで当面したこともない恐るべき事態に直面する」(『国と指導者』上巻287ページ)ことになります。

問1

列王記下16:1~4にはどんな罪が記されていますか。

その頃、イスラエルとシリアの同盟軍がユダに攻め上って来ます(シリア・エフライム戦争)。預言者イザヤによれば、この攻撃は成功しないことになっていました(イザ7:1~9参照)。しかし、アハズはイザヤの勧告を無視してアッシリアに援軍を求めます。

問2

イザヤ書7章を読んで次の質問に答えてください。

1)イザヤはシリア(アラム)とイスラエル(エフライム)の軍事力について何と言いましたか(1~9)。

2)アハズは何と答えましたか(10~12)。

3)「主を試すようなことはしない」というアハズの答えがこの場合、間違いであったのはなぜですか(12、13)。

列王記下16:7~18を読んでください。結果はどうだったでしょう。ユダは軍事的な援助を受けましたが、そのために支払った代償は計り知れないものでした。たぶんそそのかされたのでしょうが、王はアッシリアの異教信仰を神殿そのものに取り入れ、アッシリアの神々を住まわせるために、神殿の内部を改装しました。そしてついには、「神殿の祭具」を粉々に砕き、神殿の扉を閉じ、エルサレムのあちこちに異教の祭壇を築きました(歴代下28:24、25)。

ヒゼキヤの受け継いだ遺産(歴代下29章)

ヒゼキヤが即位した頃には、父の統治によって生じた荒廃が至る所に見られました。「王は、よく選ばれたわずかな言葉によって、彼らが当面した事態を回顧した。すなわち、神殿は閉ざされ、聖所内のすべての務めは中断されていた。町の通りと王国の至るところにおいて、邪悪な偶像礼拝が行われていた。もしもユダの指導者たちが正しい模範を示しさえすれば神に忠誠をつくしたはずの多くの人々が背信した。そして、周囲の諸国間において、王国の威信は失墜(しっつい)した」(『国と指導者』上巻297ページ)。

問3

ミカはヒゼキヤが即位した頃のユダの霊的状態について何と言っていますか。ミカ2:1ミカ2:2、ミカ3:11(祭司)、ミカ3:11(預言者)、ミカ7:2~6

ヒゼキヤの言葉に注目してください。「わたしたちの先祖は不忠実で、わたしたちの神、主の目に悪とされることを行った。彼らは主を捨て、主の幕屋から顔を背け、これに背を向けた。また彼らは前廊の扉を閉じ、ともし火を消し、聖所でイスラエルの神に香をたくことも、焼き尽くす献げ物をささげることもしなかった」(歴代下29:6、7)。

彼らは神殿そのものを閉鎖していました。これほど彼らの背信を如実(にょじつ)に示すものはありません。神御自身が計画された建物(出エ25:8)、神が御自身を現される場所(出エ29:42、43)、神の民が創造主・贖い(あがな)主である神をほめたたえる場所(詩132:7、138:2)、神が統治される場所(詩99:1、2)、神の救いの御業の中心となる場所(詩24:3~5)――それがユダヤ人によって公然と見捨てられてきたのです。なんという堕落ぶりでしょう。

ヒゼキヤによるリバイバル

「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった」(列王下18:3~5)。

問4

列王記下18:1~4を読んでください。ヒゼキヤがモーセの造った青銅の蛇を打ち砕いたのはなぜですか(民数21:8、9)。このような「聖なる」像を打ち砕く必要があったのはなぜですか。

ヒゼキヤは主の目にかなう数々の正しいことを行いました。その中には、「聖なる高台を取り除」いたことがあります(列王下18:4)。これは興味深いことです。というのは、彼以前の、良い王と言われているほとんどの王でさえこれらの高台を取り除いていないからです(列王上22:43、列王下12:3、14:4)。これらの高台が実際にどのようなものであったのかは明らかでありませんが、カナン人の宗教に倣っ(なら)て異教の神々を拝むための祭壇と考えられています。ヒゼキヤはこれらの高台を取り除いた最初のユダヤの王です。このことは、彼の改革がいかに徹底的なものであったかを物語っています。

問5

ヒゼキヤによる改革について次の聖句はどのように述べていますか。列王下18:5~7、歴代下29:4、5、11、歴代下29:10、歴代下30:1~19、歴代下31:1

ヒゼキヤは正しい礼拝を回復し、間違った行為を止めました。どれほど良い規則を定め、正しい様式や伝統に従ったとしても、罪深い行為があれば、すべてを台無しにすることを知っていたからです。

エルサレムでの過越祭(歴代下30章)

ヒゼキヤがした改革の一つは、長く忘れられていた過越祭を復活させることでした。歴代誌下30章はヨシュアの時代以降忘れ去られていた過越祭についての最初の記述です(ヨシュ5:10参照)。

問6

過越祭復活の記述を読み、質問に答えてください。

1)過越祭にはだれが招待されましたか(歴代下30:1、5)。

2)ヒゼキヤの手紙を読んでください(歴代下30:6~9)。祝福と刑罰の原則がどのように述べられていますか。

3)大部分のイスラエルはリバイバルを求めるこの呼びかけにどのように応答しましたか(歴代下30:10、11)。

4)歴代誌下30:11には、この呼びかけを受け入れた人たちはどのように応答しましたか。主に仕える人たちにとって、このような応答が大切なのはなぜですか。このような応答なしに心から主に仕えることは可能ですか。

歴代誌下30:14~20を読みましょう。儀式的な清めを受ける前に過越の食事をして罪を犯した人たちについてのヒゼキヤの言葉に注目してください。「恵み深い主よ、彼らをお赦しください。彼らは聖所の清めの規定には従いませんでしたが、神、先祖の神、主を求めようと決意しているのです」(18、19節)。ここに福音が美しく描写されています。罪を犯しても、主を求めようと決意している人たちを、神は赦してくださいます(申命4:29、詩105:3、4、イザ55:6参照)。

これらが過越祭の時期に語られているのはまことにふさわしいことです。過越祭がイエスの血を信じる信仰によって救われることを示す旧約聖書の明白な予型の一つだからです(出エ12:13、Ⅰコリ5:7)。自らのうちに何の功績も持たないこれらの民は、ただ主の前に自らを低くし、信仰と謙遜と(けんそん)悔い改めをもって主を求める以外に道はありません。

アッシリアの挑戦(列王下18、19章)

ユダとヒゼキヤが直面していた状況はこうでした。当時の大国アッシリアに何年も貢ぎ(みつ)物を納めた後、ヒゼキヤはイザヤの警告にもかかわらずエジプトと同盟を結んでアッシリアに背く決意をします(イザ30:1~5、31:1~3)。センナケリブに率いられたアッシリアはイスラエルを蹂躙して滅ぼします。アッシリア軍が迫るのを見たヒゼキヤは反逆を撤回し、彼らに貢ぎ物を送りますが(列王下18:14~16)、センナケリブはそれでは満足せずに無条件降伏を要求します。ヒゼキヤはこれを拒みます(アッシリアによる侵略は2回にわたっていますが、聖書で1回目と2回目を区別することは困難です)。2回にわたる攻撃のどちらかにおいて、アッシリアはユダの民に手紙を送り、神が救ってくださるというヒゼキヤの約束に耳を傾けてはならないと嘲笑、脅迫します。

ユダの民に対するセンナケリブの脅し(列王下18:28~37)はある意味で説得力を持っています。どの国の神々もその民をアッシリアの軍隊から救ったためしがないからです。ヒゼキヤの言うことを聞いてはならない。センナケリブに従い、かつて自らの神々に従った者たちと同じ運命をたどることのないようにせよ!あなた自身が城壁の中にいるユダの民のひとりと想像してください。城壁の外は強力なアッシリア軍が囲み、神をののしり、降伏するなら命は助けると取引しています。「しかし民は、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった」(列王下18:36)。

もしこのように命令したのがヒゼキヤ王でなく、民を背信に導いたアハズやヨラムのような邪悪な王ならどうだったでしょう。民はこれほど素直に聞き従ったでしょうか。ヒゼキヤのどんな点が民をしてヒゼキヤと神の救いの約束に信頼させたのでしょうか。ヒゼキヤによるリバイバルと改革は神の救いに対する民の信仰を強める上でどんな力を持っていたのでしょうか。もしリバイバルの経験がなかったならどうだったでしょうか。結果は全く異なっていたはずです。アッシリア軍の運命は列王記下19:35~37に記されている通りです。

まとめ

アッシリアは25年ほどの間隔をおいて2度ユダを侵略しています。紀元前701年における1回目の侵略は歴史に正確に記録されています(『SDA聖書注解』(英文)第2巻955、956ページ参照。「第14年」の項目に、二つの見解が概説されています)。エレン・ホワイトは『国と指導者』上巻302、314~334ページにおいて、これらの事件を二つの別々の事件として記しています。聖書が二つの事件を一つの事件として扱っているのは、細かい年代よりも主の救いを強調しているためと思われます。

ミニガイド

【ヒゼキヤに学ぶ】

ヒゼキヤについては聖書の資料は他の王の誰よりも多く、ドラマ的です。彼の強さ、弱さ、信仰、不信の思い、悔い改めと献身、絶対的な神への信頼と依存、預言者の支援、敵国からの救出、外の敵と内側の敵、死の恐怖と解放などが記録されており、どれを取り上げても教訓に満ちています。切迫した危機の中での彼の信仰復興(リバイバル)と宗教改革(リフォーメーション)の姿勢が具体的で、しかも結果的に成功していることも聖書を学ぶ信仰者たちの励まし、支え、教訓になるからでありましょう。彼について聖書以外の資料(アッシリアなどの)が多く残されているのも学者たちの関心を集めている理由です。

【背景】

北王朝イスラエルはチグリス川流域から発生したアッシリア帝国の脅威にさらされ、ヒゼキヤの時代にサマリアは占領されて破滅しました。ウジヤ王はペリシテ、アラビア、アモンと戦い、彼の時代の南王朝ユダは小国ながら領土を最大に確保しました。勢力を張るユダとアッシリアとの衝突は必至でした。南のエジプトの後援を受けるかとの行政判断も迫られましたが、ヒゼキヤは自ら神に頼って勝つという中央突破により局面打開を考えました。預言者ミカ、イザヤの強力な祈りと激励があったことが勇気を与えました。

【シロアム碑文】(イスタンブール博物館)

アッシリアの攻撃に耐えるべく、ダビデ王のエルサレム進攻を成功させたギホンの泉を利用し、ヒゼキヤは城内に水道を引いて長い包囲への準備をしました。1880年、シロアム水道で水遊びをしていた少年たちがトンネルの中に碑文があることを知りました。そこには当時の石切工事人たちがギホンとシロアムの両方からつるはしで掘り進み、わずか1メートルのところまできて互いに声を掛け合ったことが書かかれていました。ヒゼキヤのエルサレム防備体制を確認する発見です(列王下20:20、歴代下32:3、4)。

【センナケリブ碑文】(シカゴ大学東洋研究所)アッシリア王のセンナケリブは年代記の中で、「余はユダの王ヒゼキヤの町々46を占領し、老若男女20万150名、馬、牛、羊などを奪った。またヒゼキヤをかごの鳥のようにエルサレムに閉じ込めた。彼は金、銀、象牙、宝石、宮廷の女たちなどの貢ぎ物を納めた」と書いています。ただしエルサレムを占領したと書いていないことを学者たちは注目しています(列王下18章参照)。

*本記事は、安息日学校ガイド2002年3期『列王記と歴代誌ー反逆と改革』からの抜粋です。

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