【ヘブライ人への手紙】手紙の概要【聖所のテーマ】#1

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この記事のテーマ

【中心思想】

『ヘブライ人への手紙』は、信仰から離れるように誘惑を受けている忠実な信徒を守る目的で書かれました。いつの時代にも同じ誘惑を受けなかったクリスチャンがいたでしょうか。ここに、現代の私たちに対する、この手紙の意義があります。

『ヘブライ人への手紙』は手紙よりも説教に近いもので、倦み疲れた新約時代の信者の心をイエスに、また地上と天上におけるイエスの働きに向けさせています。この書はイエスのさまざまな働きを啓示していますが、それらはどれも私たちが彼によって与えられている大いなる救いを理解する上で助けになります。主はこれらの働きを通して各時代の御自分の民に、単純ではありますが、きわめて重要なメッセージを与えておられます。それは、あきらめてはならない!ということです。

今回は、啓示された真理の源である『ヘブライ人への手紙』について概観します。

今回の研究『ヘブライ人への手紙』の著者は誰か、誰のために書かれたのか、どんな問題が扱われているか、現代に生きる私たちとの類似点は何か、救いの計画について何を教えているかなどを研究しましょう。

差出人と受取人

『ヘブライ人への手紙』の初めの数節を『ローマの信徒への手紙』や『コリントの信徒への手紙Ⅰ』、あるいは『ガラテヤの信徒への手紙』の初めの数節と比べてみると、一つの興味深い事実に気づきます。これらの手紙と異なり、『ヘブライ人への手紙』の著者は手紙の冒頭、あるいは本文中のどこにも自分の名前を記していません。いくつかの証拠はパウロをこの手紙の著者としています。エレン・ホワイトもパウロが書いたと述べています。この点について、今期の研究は彼女の見解にそって進められます。

もう一つの疑問は、著者がだれに宛てて書いたのかということです。この手紙がだれに宛てて書かれたのかを知ることは、単なる歴史上の関心を超えた問題です。なぜなら、この手紙の受取人を知ることはこの手紙の主要な目的を理解する助けになるからです。この手紙は旧約聖書とその歴史、また聖所に重点を置いています。著者の書き方は、読者が旧約聖書の歴史と聖所についてある程度の知識を持っていることを暗示します。

次の聖句は旧約の歴史、神学などついてどんなことを明らかにしていますか。ヘブ1:1、ヘブ1:5、ヘブ5:6、ヘブ7:1、ヘブ9:1、ヘブ10:1~4

話題が聖所の制度、祭司制、ヘブライ人の歴史、ヘブライ語聖書(旧約についての相当な知識が要求された)に集中していることからも、学者によって一般的に受け入れられているように、この手紙の受取人がユダヤ人クリスチャンであったという仮説が有力となります。

手紙の内容

「ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され」(ヘブ2:3)。

前回の研究では、パウロが(おそらく)ユダヤ人クリスチャンに宛てて書いたことを学びました。次の問題は、パウロが彼らに何を言おうとしたのか、なぜこの手紙を書いたのか、ということです。

答えは、これらの人たちがキリスト教から離れてユダヤ教に逆戻りする危険の中にあったということです。彼らはキリスト再臨に対する信仰を失いつつありました(彼らはキリストがすでに来られたと考えていました)。そして、大いなる福音の真理からそれてしまう危険がありました。よくあることではないでしょうか。

次の各聖句にはどんな警告と勧告が述べられていますか。それらに共通することは何ですか。ヘブ2:1~4、ヘブ3:7~4:13、ヘブ5:11~6:8、ヘブ10:26~39、ヘブ12:1~29、ヘブ13:1~17

これらの警告と訓戒は、彼らが次のような危険の中にあったことを表しています。(1)救いを拒み、捨てる。(2)健全な新約の教えからそれる。(3)不信仰と不従順によって神の安息を失う。

(4)神を忘れて、故意に罪を犯す。(5)不道徳な生活に陥る。彼らの霊的倦怠感が永遠の運命を脅かしていました。

イエスの栄光の輝き

「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました」(ヘブ1:1、2)。

著者によれば、イエスと共に新しい時代(“終わりの時代”)が始まりました。手紙の冒頭において、イエスのさまざまな役割が述べられています。

ヘブライ1:1~4を読んでください。これらの聖句において、パウロはイエスのどんな役割に言及していますか。

これらの聖句の中で、強調点が変化していることに注目してください。1、2節では父なる神が関心の中心ですが、2節の半ばからは、焦点がイエスとその御業へと移行しています。順序にも注目してください。イエスは創造者であり、保持者ですが(2、3節)、すぐに救い主となられます。

これら4節の中のどの言葉が十字架に言及していますか。それらはどんな希望と約束について述べていますか。

『ヘブライ人への手紙』は創造主としてのイエスに始まり、すぐに救い主としてのイエスの役割へと移行しています。しかし、3節の終わりに書かれているように、それはすぐに、この手紙の中心的な要素である天の大祭司としての役割と結びつけられます。このように、創造から、この手紙の本質である、私たちのためのイエス・キリストの働きと奉仕までが、ほとんど一気に(ギリシア語では、1~4節は一つの文章)語られています。

多目的の神

イエスの名前は1章の最初の4節には出てきません。対照的に、イエスがどのようなお方で、何をなし、いま何をしておられるかが手紙全体のテーマとして現れます。次の各聖句の後に、イエスに与えられている名前と役割を書いてください。ヘブ1:5~10、ヘブ2:10、17、 ヘブ6:20、7:22、ヘブ9:15、ヘブ12:2、13:20 

イエスはさまざまな方法で描写されています。彼は御子、キリスト、救いの君、保証、仲保者、羊飼い、大祭司、信仰の創始者・完成者……です。

ここから、ひとつの非常に積極的な姿が浮かび上がります。イエスは神であるにもかかわらず、人間の方に向かわれました。彼は私たちの救いを確かなものとされました。彼は私たちの仲保者として奉仕されます。彼は私たちを最終的な目標へと導かれるお方です。

「キリストのうちに包含されている賜物以上に大きな賜物は人間に与えられることはない。……無限の価値を持った救いの宝を拒むことは、魂の永遠の滅びを意味する。神への無関心と神の賜物を無視することの危険は、救いの偉大さによって測られる。神は全能の力の限りを尽くされた。……神は罪と反逆に満ちた人類を救うために、慈愛と憐れみ、同情と愛のうちに御自分の品性を啓示された。神は救いの計画に備えるために、御自分にできるあらゆることを実行された。もし罪人が神の慈愛の現れに無関心でいるなら、もし罪人がこれほど大いなる救いを無視するなら、……彼のかたくなな心を動かすために何ができるだろうか」(『天上で』37ページ)。

「偉大な大祭司」

「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(ヘブ4:15)。

ヘブライ4:14~16と10:19~23はほとんど同じ言い回しになっています。それらは私たちにどんな勧告を与えていますか。これらの勧告に従うべき理由としてどんなことをあげていますか。

ヘブライ4:14、16には次のようにあります。(1)公に言い表している信仰をしっかり保つ。(2)大胆に恵みの座に近づく。同10:22、23では、同じ勧告が逆になっています。(1)真心から神に近づく。(2)公に言い表した希望をしっかり保つ。

どちらも、言おうとしていることは同じです。つまり、キリストに対するあなたの信仰をしっかり保ちなさい、ということです。これらの言葉は現代の私たちにとっても非常に重要です。イエスは私たちのために死なれました。十字架は歴史と私たちの運命の転換点です。イエスは大祭司として、私たちのために天で執り成しておられます。それゆえ、私たちには確信と保証があります。なぜなら、罪の誘惑がどのようなものであるかを実際に知っているお方が私たちのために天におられるからです(ヘブ4:15参照)。

天の聖所への道、神の御座への道は今、開かれているのです!神は私たちの父、私たちは神の子です。神は私たちを御自分の子として扱ってくださいます(ヘブ12:7~9)。イエスの犠牲は一度限りのものであって、すべての人にとって十分なものです。私たちはそれを受け入れるだけでよいのです。

まとめ

いったんイエスを信じて改宗したユダヤ人クリスチャンの中から背信していく人々が出てきた状況を心配したパウロは、イエス・キリストの生涯と身代わりの死と天における大祭司の働きを指し示します。これこそが、彼らに、後退するのではなく、信仰と勇気と確信をもって前進する力を与えるものだということを、彼は知っていたからです。

「キリストの人性に関する誤解を招きやすいあらゆる議論を避けなさい。キリストの人性を扱う場合には、努めて断言を慎む必要がある。あなたの言葉が示されたこと以上のものとして受け取られ、神性と結びついたキリストの人性についての明白な思想が曖昧なものになることのないためである。キリストの誕生は神の奇跡であった。……

決して、いかなる点においても、堕落の痕跡や傾向がキリストのうちに少しでも見られた、あるいはキリストが何らかの点で誘惑に屈したという印象を与えてはならない。人間がそうであるように、彼はあらゆる点で誘惑に遭われたが、『聖なる者』と呼ばれている。キリストが私たちと同様にあらゆる誘惑に遭われたにもかかわらず、罪のないお方であったということは、死すべき人間には不可解な神秘である。キリストの受肉は、これまでも、またこれからも神秘のままである。啓示されたことは私たちと私たちの子孫のものであるが、キリストを私たち自身と全く同じ人間であるかのように考えることはいかなる人間にも許されていない。そのようなことはありえないからである」(『SDA聖書注解』第5巻1128,1129ページ、エレン・G・ホワイト注)。

ミニガイド

『ヘブライ人への手紙』(1)―時代の要請

『ヨハネの黙示録』が皇帝崇拝の強要に直面した第一世紀のクリスチャンにとって大きな慰めであったように、『ヘブライ人への手紙』は、自分達のアイデンティティー*を模索し、苦しんでいたヘブライ人クリスチャン

(ユダヤ教から改宗した人々)にとって、はかりしれない価値を持つ書でした。それは、やがて間もなく彼らが目撃することになるエルサレム滅亡と、長年、彼らの宗教生活の中心をなしていた神殿の破壊(ともに紀元70年)という衝撃的出来事のさなかで、彼らを支えることになります。その意味で、この手紙は、時代の要請を受けて誕生したものと言えるでしょう。特に、旧約時代の犠牲制度や聖所の奉仕に救済論の立場から光を与えた意味において、『ローマの信徒への手紙』と並んで、パウロ神学の双璧と言っても過言ではありません。

*本記事は、安息日学校ガイド2003年3期『聖所のテーマーヘブライ人への手紙』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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