この記事のテーマ
「キリストは律法の生きた代表者であられた。キリストは一生の間律法の聖なる戒めを一つも破られなかった。あかしの国民でありながら、イエスを罪に定める機会をねらっていた彼らをごらんになって、イエスは、『あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか』と言われたが、これに挑戦できる者はいなかった」(『希望への光』814ページ、『各時代の希望』中巻371ページ)。
イエスの御生涯は、神の律法、つまり十戒の意味を完全に反映していました。彼は、肉体を取って、人間たちの中で生きた神の律法でした。それゆえ、私たちは彼の人生を研究することによって、戒めを守るとはどのようなことなのか、冷淡で生気のない律法主義ではない戒めの守り方を学びます。そして言うまでもなく、それらの戒めの中には第四条、第七日安息日も含まれています。
私たちは今回、マタイによる福音書の研究を続けながら、安息日に関するいくつかの争いに目を向け、イエスの人生の中に、安息日を守るとはどういうことかの模範を見ます。もし律法が確かに神の御品性の反映であり、もしイエスがその律法を体現されたのなら、彼の第四条の守り方やそれに関する教えを学ぶことで、私たちは神の御品性についてさらに知り、もっと重要なことに、その御品性を私たちの生き方にどう反映できるかを学べます。
キリストの軽いくびき
マタイ11:20〜27において、イエスは彼の働きを拒絶したガリラヤのいくつかの町を厳しく叱り始めておられます。その叱責と彼の有罪宣告が恐ろしいのは、これらの町に真理を知る大いなる機会が与えられていたからです。真理であるイエスが(ヨハ14:6)、肉体を取ってこれらの町の中を歩かれました。もしそれでも不十分だとして、彼はそこで数多くの「奇跡」(マタ11:20)を行われました。しかし、彼らは悔い改めることを拒みました。実際にイエスは、もしカファルナウムでなされた「奇跡」がソドムで行われていれば、「あの町は今日まで無事だったにちがいない」(同11:23)と言われています。つまり、カファルナウムの住民はソドムの住民より悪かったということです。
その直後、11:25〜27において、イエスは父なる神に祈り始め、感謝し、そして両者の親密な関係について語られました。さらには、父なる神によってすべてが自分に任されていることも認め、ある意味で、これらの町に拒絶されたことがなぜ極めて悲劇的なのかをさらにはっきりと示されました。
マタイ11:28〜30を読んでください。不信仰を責め、父なる神との親密さを改めて断言されたあと、イエスは疲れているすべての人に、彼にある休息を提供しておられます。言い換えるならば、彼は人々に、彼を拒絶することでこれらのほかの人たちが犯した誤りを犯さないようにしなさい、と言っておられます。イエスは、御自分が言われることを実行する権威と力を持っていて、そのイエスが、彼のもとに来ることであなたは魂に安らぎを得るだろう、と言っておられます。前後関係を考えるなら、その安らぎには、平安、救いの確証、イエスを拒絶する者たちが手に入れることのできない希望が含まれるでしょう。
私たちに安らぎを与えようと、イエスが言われるとき、彼はほかにどのようなことを意味しておられるのでしょうか。それは怠惰を意味するのでしょうか。自由気ままにすることを意味するのでしょうか。もちろん、そうではありません。イエスは私たちに対してとても高い標準を設けておられます。山上の説教の中に、私たちはそのことを見ました。しかしイエスとの関係は、私たちを疲れさせることを目的としていません。彼のことを知り、彼とその品性を見習うことによって、私たちは人生の苦労や困難の多くから安らぎを得ることができます。そして、これから学ぶように、そのような安らぎの一つのあらわれが、安息日を守ることの中に見いだされます。
休息の日を巡る騒動
キリスト教界の大半が主張するように、もし第七日安息日が廃止され、置き換えられ、座を奪われ、役割を終えたのなら、なぜイエスは安息日の守り方を論じるために、これほど多くの時間を費やされたのでしょうか。
問1
次の聖句を読んでください(マタ12:1、2、ルカ14:1〜6、マコ2:23〜28、ヨハ5:1〜16)。これらの場面で論争となっている問題点は何ですか。
イスラエルがバビロン捕囚に至った理由の一つは、民が安息日を冒したからでした。ファリサイ派の人々はそのことを知っていたので、同じことが再び起こるのを防ぎたいと思っていました。それゆえ、彼らは安息日の神聖さを守ろうという思いから、安息日に容認できることとできないことについて多くの規則や規定を作りました。その規則にはどのようなものがあったでしょうか。
「もしめんどりが安息日に卵を産むなら、それを食べることは許されるのでしょうか」。ファリサイ派の人々の大多数の意見は、もしそのめんどりが産卵用であれば、その鳥は働いたのだから、安息日に生まれた卵を食べることは許されない、というものでした。しかし、もしそのめんどりが産卵用ではなく、食用に太らされた鳥であれば、産卵はその鳥の主要な働きではないから、卵を食べることは許されました(そこには、もし産卵用のめんどりが産んだ卵を安息日に食べたとしても、あとからそのめんどりを殺すなら、安息日を破ったことにはならないという示唆も含まれていました)。
「安息日に鏡で自分の姿を見ることは許されるのでしょうか」。答えは「許されない」です。なぜなら、もし白髪を見つけて抜きたくなり、それを抜けば刈り取りをしたことになり、安息日違反になるからです。
「安息日につばを吐くことは許されるでしょうか」。答えは、岩の上は許されるが、土の上は許されないというものです。なぜなら、土の上につばを吐けば、泥かしっくいを作ることになってしまうからです。
イエスの答え
イエスが働いておられたのは、昨日学んだような社会的風潮の中においてでした。安息日の順守に対して求められる杓子定規な規則が、安息日の本来の目的を破壊していました。安息日は、私たちの仕事を離れて休む日、神を礼拝し、週日にはできない形でほかの信徒と交わる日、子どもたちがほかの日よりも両親と一緒にいられると思える日、私たちの創造主、贖い主によってなされたことを特に喜ぶ日になるはずでした。
マタイ12:3〜8を読んでください(サムエル上21:1〜6も)。イエスは、のちにもっと強い口調で言ったこと(マタ23:23、24参照)を述べています。それは、彼らが本当に重要なものに注目するということです。イエスは、逃亡中のダビデが、祭司だけに食べることを許されていた幕屋のパンを食べたという、聞き慣れた物語を改めて話しておられます。あの状況において、ダビデと彼の従者たちの空腹は、別の目的のために意図された天幕の儀式よりも重要でした。同様に、イエスの弟子たちの空腹は、別の目的のために意図された(刈り取りに関する)安息日の規則よりも重要でした。
イエスはまた、安息日に神殿にいる祭司の働きについても言及しておられます。奉仕の働きは安息日に認められました。同様に、イエスの弟子たちの働きも安息日に認められます。なぜなら、イエスと彼の働きは神殿よりも偉大だからです。
安息日の順守に関してイエスがここや別の箇所で言われたことは、安息日を守るようにという神の命令の重要性を低めるものではありません。彼が人々を解放しようとしておられたのは、安息日からではなく、安息日のあるべき姿をわからなくさせた無意味な規則からでした。安息日は、創造主であり、贖い主であられるキリストにあって私たちが手に入れる休息の一例です。
安息日になされたいやし
とても興味深いことに、四福音書を一読すると、聖書記者たちが頻繁にイエスと宗教指導者たちとの安息日論争を記録していることがわかります。もし安息日が廃止されようとしていたのなら、四福音書の記者がみな、安息日順守を巡るイエスと指導者たちとの争いに関する多くの話を記録しているわけがありません。この点は、四福音書がイエスの公生涯のあと何年も経ってから書かれたことを思い出すとき、一層はっきりします。正確な年代に関して意見は分かれているものの、ほとんどの学者が、少なくともイエスの死後20〜30年経ってからのことだとしています。それゆえ、もし第七日安息日がそれまでに日曜日に置き換わっていたのなら(ごく一般的な主張)、その変更は、霊感を受けて書かれたイエスの生涯に関するいずれかの物語の中で示唆されていたのではありません。従って、第七日安息日が廃止されたり、変えられたり、取って代わられたのは、四福音書に記録されているように、少なくともイエスの何らかの模範や命令によってではないという有力な証拠を、私たちは持っています。それどころか、もし私たちがイエスの命令と模範に注目するなら、福音書は第七日安息日の継続的な妥当性を示しています。
マタイ12:9〜14を読んでください。
「またほかの安息日に、イエスは会堂にお入りになって、そこに手のなえた男をごらんになった。パリサイ人は、イエスがどうされるか熱心に見守っていた。救い主は安息日に人をいやせば律法を破る者とみなされることをよくご存じだったが、安息日のまわりにバリケードを築いていた言い伝えの規則という壁を打破するのにちゅうちょされなかった。……善をなす機会があるのにそれをしないのは、悪をなすことであるというのが、ユダヤ人の格言であった。いのちを救うことを無視するのは殺すことであった。このようにイエスはラビたちの立場に立って、彼らに応対された」(『希望への光』813ページ、『各時代の希望』上巻368、369ページ)。
この前の安息日論争においてと同様、再びイエスは、律法のより高い目的、信仰生活のより高い目的を人々に指し示そうとなさっています。この人たちは、安息日に関して人間が作った規則を犯すよりは、痛みと苦しみを持つ男を放置して満足しています。その規則は非常に歪んでおり、彼らは安息日に羊を穴から引き上げるはずなのに、苦しんでいる同胞は救おうとしません。
私たちの信仰の行為が、神の御旨に従って信仰を生きるのを妨げないように、いかに注意深くあらねばならないことでしょう。
安息日を順守する
福音書の記録から明らかなように、イエスは安息日を廃止しませんでした。それどころか、彼は安息日を回復し、人々が負わせてきた厄介な重荷からそれを解放なさったのです。数百年後のクリスチャンたちも、依然として安息日に休み、礼拝をしていました。5世紀の歴史家ソクラテス・スコラスティコスは、次のように記しています。「世界中のほとんどすべての教会が、その聖なる秘儀(聖餐式)を毎週安息日に祝っていた。しかし、アレクサンドリアとローマのクリスチャンたちは、何らかの古代からの言い伝えのために、これを行うことを拒んでいる」(『教会史』第5巻289ページ、英文)。こういった争いが福音書に記録された理由が何であれ、それは安息日からだれの目をも逸らさせるためではありませんでした。
問1
マタイ12:12を読み直し、「だから、安息日に善いことをするのは許されている」という言葉に注目してください。これは、イエスが話をしておられる直近の文脈において、何を意味していますか。また、安息日順守について、私たちにどのようなことを教えているのでしょうか。
ユダヤ人の律法は、命が危険な状況にある人に対して安息日に治療を施すことを許していましたが、イエスはさらに突っ込んでお考えになりました。治療は、別の日にしてもよい治療でさえ、安息日に認められていました。このことを心に留めたうえで、イエスがマタイによる福音書の中であとから言われた言葉に注目してください。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」(マタ13:52)。間違いなく、イエスは新しいものも取り出しておられたのです。
問2
イザヤ58:7〜13を読んでください。ここで表現されていることは、主に従うということ、安息日を含む律法の原則を生きるということの意味を説明するうえで、いかに助けとなりますか。「城壁の破れを直す者」という言葉を、特に三天使の使命との関連において、私たちはどう理解したらよいのでしょうか。
さらなる研究
ある人が言いました。「宗教があろうとなかろうと、善人は良いことをするし、悪人は悪いことをするだろう。しかし、善人が悪いことをするには、宗教が必要だ」。1600年代のフランスの神秘主義者ブレーズ・パスカルは、「人は宗教的確信に促されて行うときほど、完全に、また喜んで悪事を働くことはない」と警告しました。多少大げさではあるものの、残念ながらこれらの感想には一理あります。このような真理は、ファリサイ派の人々と安息日に関する今回の研究の中にも見られます。
「安息日に善をなすのと悪をなすのと、またいのちを救うのと殺すのと、どちらが律法にかなっているかという質問で、イエスがパリサイ人に迫られた時、彼はパリサイ人を彼ら自身の邪悪な目的に直面させられた。彼らは、激しい憎しみをもって、イエスのいのちをねらっていたが、イエスはいのちを救い、民衆に幸福をもたらしておられた。キリストがされたように、苦しんでいる者を安息日にいやすよりは、彼らが計画していたように安息日に殺す方がよかっただろうか。神の聖なる日にすべての人に対する愛を心にもち、その愛が憐れみの行為となってあらわれるよりは、心の中で殺人をする方が正しかっただろうか」(『希望への光』813、814ページ、『各時代の希望』上巻370ページ)。
*本記事は、安息日学校ガイド2016年2期『マタイによる福音書』からの抜粋です。