【雅歌】神の愛の賜物【1章,2章,3章】#4

目次

人間の愛は神の愛を例示する

人間の男女の愛の関係はいろいろな意味においてキリストとその民との関係を表しています。人間はしばしば,相手がまだ自分に何ら関心を持っていないうちからその人の愛情を勝ち取ろうとします。キリストは私たちが彼に関心を持つ前に私たちのために死なれ,キリストに結ばれたいと望む前から私たちをご自分に引きつけておられます。

求愛中の男女は互いに相手を理解し,関係を深めようとします。彼らは親密な交わりによって永続的なきずなを培おうとします。これと同じように,新しいクリスチャンはみことばと聖霊の導きに従うことによって,キリストとの関係にはいり,その勧告に従い,彼のみこころを理解し,彼と親しく交わります。

結婚は永続的な愛のきずなであるキリストとの永遠の結合を象徴しています。

次の聖句をつなぎ合わせると,どんな物語が出来上がりますか。

雅1:4,6,7,12,
雅2:4,
雅3:1,4,6〜8,
雅4:8,
雅8:1,2,5

Ⅰ. 雅歌の背景

雅歌についての二つの見解

  1. 二人の人物一ソロモン,シュラムの田舎娘

H ・H ・ローリーは次のように要約しています。「王は彼女を見て,恋におちいその田舎の家からエルサレムに連れてきて自分の花嫁と結果,彼の愛は単なる肉体的な愛情から真の純粋な愛へと高められた」(『主のしもくと旧約聖書についてのその他の随筆』

2. 三人の人物一ソロモン,シュラムの田舎娘,羊飼いの恋人

「この見解によれば,娘は王の求愛を拒絶する。彼女は王の宮殿に連れて来られるが,なおも田舎の恋人を慕い続ける。彼女の愛情を勝ち取ることができなかった王はついに,彼女が田舎の恋人のもとに帰るのを許す。これは,純粋な愛が王の誘惑に勝利するという物語になっている」(H・H・ローリー『主のしもくと旧約聖書についてのその他の随筆』213,214ページ)。

ソロモンの妻たちについてどんなことが記されていますか。

列王上3:1,11:1,14:21

不完全な記録 三人の人物説を主張する人たちは,ソロモンが著者であることを否定します。この物語においてはソロモンが悪役として描かれていますので,もしそれが雅歌の真の意味だとすれば,ラビたちがなぜそれを聖書の正典に加えたのか理解できなくなります。雅歌が多くの妻のうちの一人に対するソロモンの求愛と結婚について述べています(列王上1 1 : 1 , 1 4 : 2 1 ) 。しかし,その第一の王妃がだれであるのかは明示されていません。

詩的描写 この詩は単純で田園的な東洋の詩歌のスタイルで書かれています。ソロモンは最愛の王妃と共に自分たちの愛を詩的に描いたものと思われます。それはソロモンとシュラムの女の歌であるばかりでなく,結婚したすべての夫婦の歌でもあります。それはまた親しい人間関係の中にあるすべての人の歌でもあります。

◆人間の「心」が「頭」と同じく重要であるのはなぜですか。雅歌がすべての人に愛されているのはなぜですか。そのテーマの現代性はどこにありますか。

Ⅱ. 愛の写実的描写

雅歌はどんな言葉をもって始まっていますか(雅1 :2 ) 。この言葉に加えて,雅歌1:13,2:6,7:7〜9は雅歌についてどんなことを明らかにしていますか。

私的な世界への招待ソロモンの雅歌は結婚した夫婦の私的な世界への招き,彼らと共に愛の歌をうたうようにとの招きです。彼らは自らの愛をあからさまに語ることを恥じていません。これらの言葉は今日の読者にとってはあまりにも率直で,大胆で,おおっぴらなように思われるかもしれません。しかし,雅歌のおおらかさは愛と性に対する聖書の積極的な見方と矛盾するものではありません。

創世記は神の賜物としての性について何と述べていますか。

創世1:27,31,2:23〜25

次の聖句は結婚愛を何のたとえとして用いていますか。これらの聖句は,預言者たちが人間の性に対して積極的で健全な見方をしていたことについて何を示していますか。

イザ54:5,62:4,5 ,エレ2 : 2 , 3 : 8 , 2 0 , エゼ1 6 : 8 , ホセ1 〜3 章

人間の「からだ」や「肉体」が全体的統一体である人間の一部であることについて,聖書は何と教えていますか。

創世2:7,詩63:1, 詩84:1, 2, 詩139:13〜17, 1テサ5 :23

「聖書の考えの中には物的世界と霊的世界の区別が全くないということを認識しなければならない。……聖書の見方によれば, 人間はいつでも精神物理学的統一隊とみなされている。人間は魂と肉体、心と精神に分割することのできないものである」〈エリザベス・アクテマイヤー『献身した結婚』157ページ)。

◆ セブンスデー・アドベンチストは人間を全体的なもの,完全な統一体とみなしています。これは人間の性を理解するうえでどんな助けになりますか。クリスチャンの霊的生活と感情的,肉体的欲求とのあいだにはどんな関係がありますか。

Ⅲ. 神の愛についての例話

ソロモンと彼の花嫁との愛は神と神の民との愛を例示しています。

聖書はイスラエルを主の妻として描写しています(イザ54:5参照)。では,キリスト教会は何にたとえられていますか。

Ⅱコリ11:2,エペ5:25〜27,黙示21:2

聖なる一致の描写 神と神の民との契約関係が結婚愛というたとえをもって描かれています。しかし,人間の堕落ゆえに,結婚の経験は多くの人々にとって不満と失望に満ちたもの,さらには苦しみに満ちたものとなっています。結婚したことのない人々もいます。幸せな結婚は愛と忠誠のよい模範です。全能の神はご自分の民に対して結婚における愛の関係に目を向けるように望んでおられます。なぜなら,結婚はキリストとキリストの教会とのあいだにある卓越した関係を人間的な水準で例示してくれるものだからです。「旧約聖書においても新約聖書においても,結婚の関係は,キリストとその民,すなわちカルバリーの価を払って買いとり,晴(あがな)われた者たちとの間のやさしく聖なる結合を表すために用いられています。……雅歌では,花嫁がこう言うのが聞かれます。『わが愛する者はわたしのもの,わたしは彼のもの』。そして彼女にとって『万人にぬきんで』た彼はご自分の選んだ者にこう言われます。『わが愛する者よ,あなたはことごとく美しく,少しのきずもない』(雅歌2:16, 5:10, 4:7)。

キリストとその民との一致が次の聖句でどのように描かれているかを見てみましょう。

雅2:3 キリストにある平和と安息にあずかる(『教会へのあかし』第7巻69ページ,『教育』307, 308ページ)。
雅2:4天の宴会場においてキリストの義を着せられる(『キリストの実物教訓』186ページ)。
雅4:7キリストはご自分の犠牲によって教会を評価される(『ミニストリー・オブ・ヒーリング」329ページ)。
雅4:15 神のみことばにある尽きることのない恵みの泉(『思いわずらってはいけません』25ページ)。
雅5:10, 16 キリストの品性の美しさ(『患難から栄光へ』上巻297ページ,『教育』67ページ,『伝道』186ページ)。
雅6:4,10 キリストの義を着て,神の使命を遂行する教会(『国と指導者』下巻326ページ,『教会へのあかし』第5巻81, 82ページ)。
雅8:6,7キリストの忍耐づよい愛(『教育』96ページ)。

Ⅳ. 道徳的堕落と背信

聖書は神の民の背信と不忠実をどのように描いていますか。

エゼ23:2〜4, 30,ホセ2:2,黙示17章

聖書は神の民の不忠実を道徳的堕落にたとえています。古代イスラエルは霊的不品行におちいった神の花嫁でした。聖書は現代の霊的バビロンを,地の王たちと姦淫を行ったみだらな女として描いています(黙示17:1〜6)。このたとえは次の理由にもとづいています。

1.神はご自分の教会を神の花嫁とみなされます。したがって,神の民が神から離れることは,彼らが神とのあいだで結んだ結婚の契約を破ることになります。

2.人間は神から離れるときサタンの手先になります。サタンと悪霊たちは堕落した人間の心とからだに働きかけて,彼らを不道徳な思いと行為に導こうとします。人類歴史における偶像崇拝と不道徳とのつながりに注目してください。神に対する不忠実は道徳的,肉体的影響力を持ち,個人と社会を滅びに導くものです。

パウロは霊的背信と性的不品行との関係について何と言っていますか。

ロマ1:22〜32

パウロは,すべての人が光を与えられているゆえに神に対して責任を負うと言っています(ロマ1 :20)。不信仰のゆえに,「その無知な心は暗くなった」のです(ロマ1:21)。その結果が感情的,肉体的苦痛をともなった性的倒錯でした。「彼らの中の女は,その自然の関係を不自然なものに代え,……男は男に対して恥ずべきことをなし,そしてその乱交の当然の報いを,身に受けたのである」(ロマ1:26,27)。聖霊の抑制力がなければ,人間は獣以下の存在になります。夫と妻を霊的,感情的,肉体的に豊かにするために結婚生活の中で用いられるべき,神から与えられた性的能力は,不浄と汚れの手段となります。

◆もしあなたが結婚しているなら,あなたと配偶者との関係はキリストと教会との関係に比べることができますか。ソロモンがシュラムの女を愛したように,あなたもあなたの配偶者を愛していますか。もしあなたが独身なら,あなたの人間関係はキリストのそれに比べることができますか。

V. 愛の完成されるとき

ソロモンは美しい自分の花嫁に対する愛をどんな喜びに満ちた言葉で表現していますか。

雅4:16〜5:1

雅歌の中間部分は結婚式の夜に起こる出来事を描写しています。花嫁と二人だけの場で,ソロモンは彼女を,閉じてはいるが快く,香りのよい園にたとえています(雅4:12〜15) 。彼女は花婿に,園に来て,その実を食べるように招きます。ソロモンは彼女の招きを受け入れます。巧みに書かれたこれらの聖句(雅4:16,5:1)は最高潮に達したふたりの愛を描写していて,雅歌の中で中心的な位置を占めています。へブル語聖書では,雅歌1:2〜4:15までが111行,5:2〜8:14までが111行なので,これらの聖句はちょうど真ん中にあることになります。

神は結婚による一致によって神と神の民の親しい関係を描写しておられるので,雅歌のテーマはきわめて意義深いものがあります。

キリストとキリストの民との結婚式はいつ最高潮に達しますか。

黙示19:7〜9,21:1〜7,9〜11

天の花婿であるキリストと彼の民である地上の「聖徒」との結婚式は,再臨前審判の完了と共に終わります。このあとにイエスの再臨が続きます。それは天の花婿がご自分の汚れない花嫁を天の新エルサレムに移されるときです(ヨハ1 4 :1 〜3 , 1 テサ4 : 1 6 〜1 8 比較)。そこで1 000年のあいだ,キリストとキリストの民は恵み深い愛の実にあずかり,天の王国において共に支配するのです(黙示20:4参照)。

黙示録21章では,新エルサレムが「夫のために着飾った花嫁」と表現されています(2節)。ヨハネは,「小羊の妻なる花嫁……聖都エルサレムが,神の栄光のうちに,神のみもとを出て天から下って来る」のを見ました(9,10節)。

聖なる都の美しさはそれを受け継ぐ者たちの霊的完全さを表しています。彼らはキリストの恵みによって悪魔の策略に打ち勝ちました。新エルサレムがあらゆる点において完全なように,義なる聖霊に満たされた神の民は霊的に完全な者たちです。花嫁がまだ地上にいたときに結んだ結婚の契約は,永遠の神の都においてその最高点に達するのです。

◆天の花婿であるキリストを知ることは私たちの特権です。あなたはキリストを知っていますか。

まとめ

ソロモンの雅歌は字義的な意味と象徴的な意味の両方を持っています。幸福な夫婦が経験する真の喜びは,キリストとキリストの民の喜びを象徴しています。結婚愛が夫と妻に喜びと晄惚をもたらすように,キリストとキリストの教会との結婚は永遠の喜びをもたらします。

*本記事は、1992年第4期安息日学校教課『雅歌 愛の歌』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
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