いちばん大切なこと
かつて私が、あるアドベンチストの大学の行政に携わっていたころ、アドベンチストの理念に忠実であるかどうかを調べに、監査委員会がやってきました。委員会が大学の行政担当者たちと最初の会合を持った時、一人の委員が実際何をしようとしているのかを大学側に説明しました。安息日の午前中、教会に出席しない学生たちがシャワーを浴びていないかどうかを見に、男子用シャワールームに入るつもりだ、とその人は言いました。また、学生食堂で並んでいる列の端に立って、学生たちが(チーズなどは食べず)適正な健康規準に従って食べているかどうか、お盆をのぞいてみるだろう、とも言いました。そして彼は、真の霊性の最も重要な指標は規準への関わり方だと信じているので、こういうようなことをするのだ、と付け加えたのです。
パウロが賛成するかどうか、私には定かではありません。ローマの信徒は、ある規準について意見が分かれていました。明らかに何人かは、パウロが白黒をはっきりつけて、全員にとって正しい行為の規準を示してくれるものと期待していました。ところが、パウロはそういうことはしませんでした。代わりに、規準にどう関わるかよりも重要なことがある、と言ったのです。そのもっと大切なこととは、彼らが神や仲間といかに関わるか、ということでした。
この忠告は、福音の本質的なメッセージに付け加えられた非本質的な付録などでは決してありません。これはローマの信徒への手紙のクライマックスなのです。これこそ、初めからパウロが言おうとしていたことなのです。信仰を通して恵みによって救われるというメッセージは、信じるべき単なる理論的公式ではありません。信じる者の共同体において実行すべきメッセージなのです。今から私たちは、このメッセージがいかに機能すべきかを見ます。ローマの信徒への手紙が私たちに伝えたい一番大切なことが書かれている部分に入るのです。
弱い者と強い者(ローマの信徒への手紙14章1節~15章13節)
パウロは14章の冒頭で信仰の弱い者を受け入れるようにという勧めをしています。誰のことを言っているのでしょうか。ある規準について厳格で几帳面な人たちです。彼らは野菜だけを食べ、特定の日を他の日よりも特別だと考えます。ローマの信徒への手紙15章1節において、パウロは自分自身を、おそらくこういったことにそれほど厳密ではない「強い者」だとみなしています。
どうやらローマのクリスチャンは、食べ物や特定の日のことで意見が分かれていたようです。あいにくパウロはこの問題について詳細を記していません。私たちが見る限りでは、パウロはお互いの人間関係と比べてこの問題にはあまり関心を払っていません。しかしまず、ローマの状況について言えることを見ていきたいと思います。
食べ物についての論争がどういうものであれ、たぶん偶像にささげられた食物が問題ではありませんでした。コリントの信徒への手紙一・8章から10章においては、明らかにそれが問題です。ローマの信徒への手紙において、パウロはコリントの信徒に与えたのと同じ原則をたくさん述べていますが、偶像に供えられた食物については具体的な言及をしていません。コリントの信徒への手紙において、パウロは偶像に供えられた食物を食べることに言及する際に、とても具体的な用語を用いています。ローマの信徒への手紙の中でこういった用語が用いられていないことは、ここでの問題が異なるものであることを示唆しています。
パウロの時代、人が肉を食べない理由はいくつもありました。例えば、異邦人世界の理由としては、カルトの儀式、娯楽の否定、贅沢を避けること、健康維持、霊魂の輪廻、動物虐待の回避など。「弱い」ローマ人がどういう動機から肉食をしなかったのかは、まったくわかりません。
ローマの信徒への手紙14章14節において、パウロは汚れたものと清いものの問題も提起をしています。それがローマでの論争の一部なのか、パウロが単に一般的な助言を与えているのにすぎないのかは、断定しにくいところです。いずれにせよ、パウロが「それ自体で汚れているものは何もない」と言う時、彼は何を食べても良いと言っているわけではありません。一世紀には、ある物に触れただけでも祭儀的に不浄であるという意味で、汚れたものと清いものとの本来的な違いを信じる人たちが、まだたくさんいました。しかしパウロは、この清いものと汚れたものとの間の違いの祭儀的理解をもはや信じてはいませんでした。
論争されている特定の日に関しては、パウロはさらに多くを語っていません。彼は、ある人々が特定の日を尊んでいる、とだけ言っています。新国際訳では、「ある人はある日を他の日よりも聖なる日と考えている」(ローマ14章5節)となっていますが、この訳は極めて誤った印象を与えやすいものです。元々の聖句では、その日について「聖なる」などとは言っていません。これは解釈的な付加です。「ある者はある日のほうが他の日よりもましであると判断しています」という新改訂標準訳のほうがまだ良い訳です。この問題は、聖なる日とか礼拝の日に関するものだとは思えません。一世紀に、ローマのあるクリスチャンたちがすべての日を同様に考え、礼拝する日を特別に設けなかったというのは、考えられないことです。
ここにおける文脈は食物に関係していますから、その特定の日も食べることに関係していると推測するのがいちばん賢明です。たぶん、ある人々は特定の日に断食をし、他の人々は定期的に断食をしていなかったのでしょう。イエスはファリサイ人の断食をたしなめられましたが、初代教会のさまざまなところで断食がまだ行われていたことを私たちは知っています。そのことを思い起こしてください。例えば、『デイダケー』と呼ばれるクリスチャンの教訓の書は、週の二日目と五日目に断食する偽善者(ユダヤ人を指している)のように断食をしないように勧めています。代わりに、クリスチャンは週の四日目と六日目に断食するようにと伝えています(8章)。ローマでいちばん起こりやすい論争は、すべて食物に関することでした。何を食し、いつ食するかという問題です。
しかし、パウロの関心事は論争の詳細部分ではありません。彼の関心事は、論争の双方の側の人たちがいかに関わるかなのです。パウロの言うところによれば、いずれの側のクリスチャンも、問題を抱えているように見えます。厳格なクリスチャンたちはあまり厳格でないクリスチャンたちに、裁きの指先を向ける誘惑に駆られました。やはり、あまり厳格でないクリスチャンたちは、批判する者たちのようには行動の規準を真剣に受け止めていなかったのです──それは「弱い」霊性の明らかなしるしでした。その一方、あまり厳格でないクリスチャンたちには、人を裁くという問題がありませんでした。彼らの性癖は、行動の規準について心配しすぎている心得違いのおそまつな形式主義者をあざ笑うことだったのです。それゆえ、いずれの側も相手に対して敵意のようなものを持っていました。厳格な人たちはあまり厳格でない人たちを裁き、あまり厳格でない人たちは厳格な人たちをあざ笑っていたというわけです。それこそがパウロを悩ます両者間の敵対意識だったのです。
おそらく、この敵対意識は二つの理由──神学的な理由と実際的な理由──からパウロを悩ましていたのでしょう。神学的には、この敵対意識は福音と矛盾しています。福音の目標は、キリストにあって結びつけられた信徒の共同体を作り、この世に対する証し人として奉仕することです。クリスチャンの不一致は福音の妨げになります。実際的には、パウロはローマをスペイン伝道の支援基地にしたいと思っているわけです。教会が分裂していたのでは強力な支援基地になりません。
なぜパウロは厳格な人たちを「弱い者」と呼び、あまり厳格でない人たちを「強い者」と呼ぶのでしょうか。たぶんそれには、少なくとも二つの理由があります。一つの理由は、厳格になればなるほど、強い人たちの行動にますます傷つきやすくなってしまうということ。もう一つの理由は、「弱い」という言葉が、私たちの連想するような否定的な意味合いを含んでおらず、当時の通俗的な言い回しにおいて、几帳面な人々を言い表すのに使われていたということです。①
ローマの信徒への手紙15章1節において、パウロ自身は明らかに強い者であると認めていますが、すべての人に彼の立場に立つように仕向けてはいません。それどころか、パウロは注意してそれを避けています。彼は、弱い者たち、強い者たち、それぞれに向けて助言すると共に、双方に助言をしています。以下の表は、それぞれのグループへのパウロの助言をまとめたものですが、ここからパウロの目指しているところを要約することができます。
弱い者たちへ
*食べない人は、食べる人を裁いてはならない。他人の召し使いを裁くことがあってもならないし、強い者も神の僕である。(ローマ14章3、4節、10~13節)
*確信に背いてはいけない。疑いながらする人は罪を犯している。(ローマ14章23節)
強い者たちへ
*弱い者を侮ってはいけない。(ローマ14章3、10節)
*兄弟の前につまずきとなるものを置いてはいけない。(ローマ14章13節)
*兄弟の心を痛めてはいけない。キリストはその兄弟のために死んでくださったのだから。(ローマ14章15節)
*あなたのしていることによって兄弟姉妹を罪に誘うのは間違っている。(ローマ14章20、21節)
*弱い者の弱さを担うべきであって、自分だけを喜ばすべきではない。(ローマ15章1節)
両者に
*お互いを受け入れ、その考えを批判してはいけない。キリストが受け入れてくださったように、お互いを受け入れなさい。(ローマ14章1節、15章7節)
*自分の心の確信に基づいて決めるべきである。(ローマ14章5節)
*神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びであるということを覚えていなさい。(ローマ14章17節)
*平和や互いの向上に役立つことを追い求めなさい。(ローマ14章19節)
*自分が抱いている確信を心の内に持っていなさい。(ローマ14章22節)
*信仰によらないことは何であれ、罪である。(ローマ14章23節)
*隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきである。(ローマ15章2節)
*互いに同じ思いをもって生活しなさい。(ローマ15章5節)
*希望と喜びに満ちあふれなさい。(ローマ15章13節)
このリストはパウロの実際の関心事について、かなり良い手がかりを提供してくれています。彼の目標は、問題になっている具体的な行為についていかなる立場に立っていようと、すべての人が一致して共に生きるということなのです。弱い者、強い者、いずれもが自分の確信を心の内に強く持つように、とパウロは勧めています。全員をどちらか一つのグループに入れようとはしません。たぶんこれによって欲求不満を感じた人もいたでしょう。私の耳には、ローマの信徒の何人かがこう言っているのが聞こえてきます。「パウロ先生、正解はどちらですか。両方大丈夫というのでは答えになりません。どうしたら良いか教えてください」。しかし、パウロは抵抗します。明らかにこれは、あらゆる行動の問題にあてはまることではないでしょう。コリントの教会で近親相姦があった時、パウロは「自分が抱いている確信を心の内に持つように」とは言いませんでした。こういう時には、信徒に何をなすべきか、正確に言いました(一コリント5章)。しかしパウロは、この論争における常習的な行為に基本的な道徳問題が関係しているとは考えていません。彼は道徳問題とは無関係なところで、信徒が互いにどう関係し合って行くべきかという現実の問題を考えているのです。
弱い者は強い者を裁くべきではありません。神のみが裁かれるからです。神の役割を奪い取ろうとすると霊的に危険な状態に落ち込みます。弱い者は裁くのではなく、受け入れるべきです。しかし弱い者もまた、自分の確信に忠実であるべきです。神が禁じておられると信じていることをしてしまうのは、神に反逆することなのです。弱い者は、神が命じておられることについて誤解することはあるかもしれませんが、彼らの人生に対する神の御心に背いてはなりません。そうすることは、神との関係を侵害することになるでしょう。
他方、強い者は弱い者を傷つけることのないよう、自分の行為を調整する必要があります。容認できると思うことを控えるのは、自分の確信に背くことではありません。自分の自由を損なうことでもありません。むしろそれは、非常に自由であるがゆえに、誰か他の人を犠牲にしてまで自分たちの自由を行使する必要がないことを表しているのです。ですから、強い者は弱い者を軽蔑の眼で見下すべきではなく、弱い者の確信に敏感であっても、自分だけを満足させないようにすべきです。強い者の行動が弱い者を傷つけるようなら、弱い者のために強い者は理にかなっていると信じていることを放棄するぐらいの強さを発揮すべきなのです。
両者ともお互いを受け入れるべきです。ローマの信徒への手紙14章1節と15章7節は、「受け入れる」という概念によって、ここでの議論全体をくくっています。「受け入れる」ことには、寛容であること以上の意味が含まれています。それは、神が私たちを受け入れてくださったことへの感謝から生じるものです。神は私たちに同意しない人々でさえもお受け入れになるのです──私たちも同様に受け入れることができるでしょうか。
それゆえ、私たちは平和と一致を生み出し、互いを向上させるものを追い求めるべきです。「向上する」という言葉は、パウロのお気に入りの言葉です。パウロはこの言葉を(原語の)エフェソの信徒への手紙において4回、コリントの信徒への手紙において9回、ローマの信徒への手紙のこの議論において2回(14章19節、15章2節)使用しています。向上する目標は、一致と平和の中で、喜びをもって生活することです。食べ物と特定の日に関するローマの信徒の論争を終わらせる以下の聖句に注目してください。パウロは食べ物にも特定の日にも言及していません。代わりに彼は、平和と喜びをもって共に生活する中心課題に照準を合わせています。その生活にはユダヤ人も異邦人も含まれることが、異邦人は喜びをもって受け入れられるべきことを示す旧約聖書の聖句をいくつか(サムエル記下22章50節、詩編18編49節、申命記32章43節、詩編117編1節、イザヤ書11章10節)引用しつつ、強調されています。以下の数節は、ローマの信徒への手紙におけるパウロのメッセージの目標を要約した内容となっています。
だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。また、「異邦人よ、主の民と共に喜べ」と言われ、更に、「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」と言われています。また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
パウロの伝道と計画(ローマの信徒への手紙15章14~33節)
ローマの信徒への手紙のこの箇所については、既に本書の第一章で書いたので、ここでは少し触れるだけにします。本書の第一章では、エルサレムへ献金を持って行くというパウロの誓いが、いかに何百マイルもの余計な旅を彼にさせ、スペインへ行くという計画の実行を妨げたかについて考えました。またパウロが、エルサレムのユダヤ人クリスチャンから受け入れられるかどうかを心配していたこと、彼のために祈ってくれるよう、ローマの信徒に願っていたことについても考えました。そして三点目として、パウロが自分自身を異邦人への使徒とみなしていることを確認し、本書の第二章でその意味するところを探求しました。
先に注目しなかったのは、パウロがローマの信徒の読者に、「ところどころかなり思い切って書きました」(ローマ15章15節)と述べている点です。これは多分、修辞的工夫でしょう。なぜなら、パウロは訪問していない教会に手紙を書いており、また具体的な目標を心に抱いていたからです。コリントの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙と比べて、ローマの信徒への手紙は決して大胆には見えません。ローマの信徒を分裂させていた事柄を追求する時でさえ、パウロは極めて落ち着いています。しかしある人々は、彼がなぜローマの信徒に書き送っているのか、疑問に思ったことでしょう。この短い断り文は、パウロが出しゃばろうとしているのではないことを示すものなのです。
実在の人々(ローマの信徒への手紙16章)
読んでみて、世界中で一番退屈な本は何でしょうか、と聞かれたなら、あなたは電話帳の個人別加入者欄であると答えるかもしれません。次から次へと名前だけ読んでいく様子を思い浮かべてみてください。ローマの信徒への手紙16章は主に名前の羅列であって、電話帳を読む程度の興味しかわかないので、読者はたぶん飛ばし読みをするのではないかと思います。けれども、これらの名前は人々、実在の人々を示しており、一人ひとりの裏には興味深い話があるのです。あいにく、そのほとんどの話はわかりませんが、これらのうちの何人かについて私たちが知り得るわずかのことは、もっと知りたいという興味をそそります。信仰の義の最終目標が神や仲間と調和して生きていく信徒の共同体であるなら、その目標達成のための本の最終部分に信徒のリストを掲げるというのはふさわしい方法です。
ローマの信徒への手紙16章は、5つに区分されています。(1)フェベの推薦、(2)ローマのさまざまな教会員への挨拶、(3)勧めと警告、(4)パウロの同胞からの挨拶、(5)神への賛美。
フェベの推薦
パウロはローマの信徒にフェベを推薦することで、この最終章を始めています。パウロはコリントから書き送っていますが、フェベはコリントの東部の海港であるケンクレアイの出身者です。パウロの書簡をコリントからローマに運んだのは、おそらくこのフェベでした。パウロの時代、一般住民のための郵便サービスはなく、手紙は使者が持ち運ぶことになっていました。フェベはおそらくローマの信徒への手紙を読んだ一人であったと思われます。
パウロはフェベを「ディアコノス」と呼んでいますが、この語についてははっきりしません。ある英訳聖書(欽定訳、新国際訳)はこれを「奉仕者」(新共同訳)と訳し、他の英訳聖書(新改訂標準訳)は「執事」(口語訳、新改訳、詳訳)と訳しています。この語は新約聖書において執事を表す語なのですが、より一般的には奉仕者という意味でも使用されていました。パウロ自身も新しい契約に「仕える者」(2コリント3章6節・口語訳)、福音に「仕える者」(コロサイ1章23節・新共同訳)と自らを呼んでいます。パウロはこの語に「教会の」と付け加えているので(ローマ16章1節)、たぶん彼は、フェベが執事であると言うためにこの語を使用しているのです。「ディアコノス」は男性形の名詞で女性形はないため、「女執事」と訳すのは間違いでしょう。パウロが伝道における女性の働きに対して認めていた重要性を、私たちは16章全体に渡って見ていくことになります。フェベは単なる奉仕者ではなく、教会の指導者です。パウロはローマの信徒に、フェベの要求していることをし、フェベの必要を満たすようにと指示しています。たぶんフェベは、パウロのもくろんでいるスペイン伝道の備えを既に始めていたと思われます。
ローマのさまざまな教会員への挨拶
ローマの信徒への手紙の多くの注解者は、16章が元々のローマの信徒への手紙の一部であると信じなかった時がありました。エフェソとか別の会衆のために書かれたのかもしれない、と考えたのです。パウロはこの手紙を書いている時点でローマにまだ行っていません。それゆえ、彼がこれほど多くのローマの人々を知っているなどとは、注解者たちは思ってもみなかったのです。しかし一世紀に全ての道はローマに通じていました。パウロがこの手紙を書いていた時、ローマにいた多くの人々が帝国の他の場所に住んだり、訪問したりして、そこでパウロに出会ったということは驚くにはあたりません。これらの人全てには言及しませんが、私たちが何がしかを知っている一部の人々について見て行きましょう。
プリスカ②とアキラ(3~5節)
本書の第一章ですでに見たように、使徒言行録18章によると、この夫婦は皇帝クラウデイウス一世(訳者註:在位41~54年)によってローマから退去させられた(訳者註/その命令は49年から50年の間)後、コリントでパウロと出会いました。後にパウロとエフェソへ旅行し、そこにしばらく滞在して働きました。今はローマに戻り、彼らの家で教会員が集会を持っているのです。1世紀にはクリスチャンのための教会堂がありませんでした。彼らは家で集会を開いていました。パウロがまずプリスカの名前を出していることから、彼女が教会の指導者であったことがうかがえます。
たぶんコリントで一緒に働いていた時、プリスカとアキラはパウロのために命(首)を賭けてくれた、とパウロは言っています。これは比喩的表現かもしれませんが、ローマの市民のみが斬首されるので、この比喩は、彼らがローマ市民であったということをほのめかしているのかもしれません。
アンドロニコとユニアス(7節)
アンドロニコという名前は男性形、ユニアスという名前は女性形なので、たぶん二人は夫婦であったと思われます。パウロによると彼らは縁者であり(文字通りの意味かあるいは比喩的意味。新共同訳では「同胞」)、ある時はパウロと一緒に投獄されたこともあり、彼より前に使徒(伝道者)でした。そうするとこれは女使徒(伝道者)の事例となります。パウロは他にも女性の共労者何人かに言及しています。ですから、女性が初代教会の伝道の重要な役割を担っていたということが言えます。
アリストブロ家の人々(10節)とナルキソ家の人々(11節)
パウロはたぶんこの二人の家で働いていた奴隷や自由な身の召し使いについて言及していると思われます。アリストブロという名前から、この人はユダヤ人貴族の出であることがうかがえます。ナルキソは以前奴隷であった人によく用いられる女性の名前です。ひょっとするとこれらの屋敷の大黒柱はいずれもクリスチャンではなく、彼らが所有していた多くの奴隷や過去、奴隷であった人たちはクリスチャンでした。おそらく、これらのグループはそれぞれ家の教会を持ち、家の主人の許可を得て集会を開いていたのでしょう。
ルフォス(13節)
一連の名前の中で、その背後にある物語のゆえに、ルフォスという名前はたぶんいちばん興味をそそるものでしょう。ルフォスという名前はありふれた名前なので、新約聖書に2回出てくるからといって、必ずしも同一人物を指すとは限りません。しかし、同一人物であったかもしれないという格好の証拠があります。ルフォスはマルコによる福音書15章21節においても触れられていますが、彼はイエスの十字架を背負ったクレネ人シモンの息子でした。読者がシモンの息子たちと面識があることを知らなければ、マルコが彼らの名前をあげることはあり得ません。パウロがローマの信徒への手紙をローマに送ってからおよそ10年後、マルコはローマの信徒のためにマルコによる福音書を書いたという伝承があります。それゆえマルコが、ローマの人々はルフォスが誰であるかを知っていると思っていたのなら、たぶんこのルファオスも同じルフォスなのでしょう。この話でまことに興味をそそるのは、パウロが、ルフォスの母は自分の母でもある、と言っていることです。これは紛れもなく比喩的な表現です。おそらく、彼女はパウロにとって母親同然の存在である、という意味なのでしょう。しかし、マルコによる福音書に出てくるルフォスがローマの信徒への手紙のルフォスでもあるとしたら、このことは、単に命じられてイエスの十字架を運んだクレネ人シモンがクリスチャンになり、二人の息子(そのうちの一人はローマでも知られていたし、パウロとマルコも知っていた)とパウロにとって母親のような人である妻を持っていたということを示唆するのです。これらのことがみな本当であるのかどうか、知りたいと思いませんか。
14、15節において、パウロは二種類のグループの名前をあげ、彼らに挨拶し、彼らと一緒にいる兄弟姉妹への挨拶を加えます。ここでパウロは二つの異なる家の教会に言及しているのかもしれません。そうなると、私たちは一六章の中に少なくとも五つの異なる家の教会を見たことになります。おそらく、家の教会にふさわしい最大人数は、七五人ぐらいだったでしょう。もちろん、パウロが言及していない家の教会は、他にもあったかもしれません。
勧めと警告
17節から20節において、パウロはローマの信徒への手紙で三度目の具体的な勧告をしています(最初の二つは、12章1節と15章30節)。パウロは、「あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい」(17節)と彼らに勧告しています。この手紙において偽りの教師に対する警告は、これが初めてです。パウロは、ローマに来ていた特定のグループについて知っていたのでしょうか。それとも、そういう人たちはどこにでも見かけるので、単に一般的な助言をしたのでしょうか。確かなことはわかりません。へつらいの言葉を語り、自分の腹に仕えている人々は、後のフィリピの信徒への手紙におけるパウロの似通った警告を思い起こさせます(フィリピ3章)。パウロはまたローマの信徒に向かって、すぐにイエスが彼らの足の下でサタンを打ち砕かれるという希望を与えています。
パウロの同胞からの挨拶
パウロはローマの人たちに挨拶をするのみならず、またコリント地方に彼と一緒にいる人々からの挨拶を送っています。この人たちはおそらくパウロと親しい関係にあった人たちでしょう。パウロは第三次伝道旅行の、コリントにおける3ヶ月間の滞在の最後に、この手紙を書いていました。第二次伝道旅行ではコリントに一年半滞在したのです。
テモテ(21節)
テモテはパウロの最も親しい協力者、また主要な仲裁者でした。コリントの信徒への手紙二、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一、二、フィレモンへの手紙などのパウロの共著者として名前があげられています。またもちろん、テモテはテモテへの手紙一、二を受け取った人です。パウロは、コリントの教会が分裂している時にテモテを派遣し(コリント14章17節)、フィリピの信徒への手紙2章19節から22節において、彼の忠実さをほめています。
ルキオ(21節)
これはルカという名前の別の形です。このルキオがルカによる福音書と使徒言行録の著者なのかどうかはわかっていません。しかし、コリントからエルサレムへのパウロの旅を伝える使徒言行録の箇所(使徒言行録20~21章)を書いていた時、ルカは「わたしたち」という一人称の複数形を用いているので、その時パウロと同行していたのかもしれません。
ヤソン(21節)
使徒言行録17章5節から9節は、パウロを自宅に招待し、その結果、迫害を受けたテサロニケのあるヤソンという人の話を伝えています。しかし、21節のヤソンと使徒言行録のヤソンが同じ人なのかどうかは、まったくわかりません。
テルティオ(22節)
これは「三番目(の人)」という意味です。一番、二番、三番、四番といった名前を与えられていたのは、ほとんどいつでも奴隷でした。この奴隷はパウロが口述した内容を実際に手紙として筆記した書記でした。パウロ書簡の中で書記の名前がわかるのは、この手紙だけです。
ガイオ(23節)
パウロがエルサレムに向けて出発した時、ガイオが同行したことが使徒言行録20章4節に記されています。また、コリントの信徒への手紙1・1章14節には、パウロがコリントでガイオに洗礼を施したと記されています。
エラスト(23節)
パウロはコリントの市の収入役という傑出した人物エラストからの挨拶を伝えています。コリントで考古学者が見つけた1世紀中葉の碑文によると、道路保全局長のエラストという人は、ある道路を自費で建設したことによってその役職を得たということです。この公共事業者と収入役は同じエラストです。③
クアルト(23節)
パウロが最後に言及する人の名前はクアルトで、「四番目(の人)」という意味です。彼もまた奴隷でした。
最後にあがった二人が奴隷と裕福な公務員であるというのは、興味深いことではないでしょうか。これは言い換えれば、福音がさまざまな社会階層のあらゆる種類の人々に達していたということです。また、16章中の名前、ユダヤ名、ギリシア名、そしてラテン名(ローマで挨拶を受ける人々とローマに挨拶を送る人々の名前)もまた福音がさまざまな国籍の人々に届いていることを示しています。
ですから、ローマの信徒への手紙における名前のリストは、電話番号簿の名前のリストのような退屈なものではありません。それらは福音の実である人々の名前です。この人たちは信仰の結実なのです。
過去7年半、私は牧師として奉仕する特権にあずかることができました。現在の教会員名簿にあがっている名前は2010です。このリストは、退屈なものなどでは決してありません。洗礼をほどこした人たち、共に笑い合った人たち、共に泣いた人たち、病院で御見舞いした人たち、献児式を依頼してくださった人たち、結婚式で司式をする特権を与えてくださった人たち、伴侶の方の告別式をつかさどらせてくださった人たち……の名前が載っているからです。2010人全員を知っています、と言えればよいのですが、実際はそうではありません。でも、名前に目を通していくと、多くの物語が心によみがえってきます。このリストにある多くの人が、安息日の朝、どの場所に座っておられるか、私は正確に言うことができます。神様を賛美する時の彼らの顔が、私の目に浮かんできます。この人たちが私にとってどういう意味を持つかは、言葉で言い表すことができません。
パウロが名前のリストをローマの信徒への手紙の結びにしているというのは、なんと適切なことでしょうか。信じる人たちが、賛美において、信仰において、伝道において一つに結ばれるところ、そこが教会です。そのようなあるべき形を目指してローマの信徒への手紙は終わりに近づいていきます。単なる名前のリストであっても、それは神御自身が熟知され、命の書に書き記される名前なのです。
神への賛美
最終部における神の賛美において、パウロは「信仰による従順」について語っています。彼はこの用語を1章5節でも既に使用し、「わたしたちはこの方[イエス]により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました」と語っています。パウロの時代の書き手は、初めと終わりに同じ言葉を使って作品に統一性を持たせ、大切な点を強調することがよくありました。この1章5節の言葉と16章25節から27節の神への賛美を比較して、パウロが何を最も重要だと考えていたのかを推し量ることができるかどうか、確認してみてください。
神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
参考文献
① 参照Horace, Sermones,1.9.60-78.
② プリスキラ(使徒言行録一八章二節)をパウロはプリスカと綴っている。
③ 碑文の写真は、『SDA聖書辞書』の「エラスト」の項を参照。
この記事は、ジョン・ブラント(村山晴穂・訳)『信仰による従順──信じる者すべてに救いをもたらす神の力』からの抜粋です。