【ガラテヤの信徒への手紙】福音の一致【2章解説】#3

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宗教改革者ジョン・カルヴァンは、不一致と分裂が教会に対する悪魔の重要な策略であると信じていたので、クリスチャンは分派を疫病のように避けなければならない、と警告しました。

しかし、真理を犠牲にしてまで、一致は保たれるべきでしょうか。もし宗教改革の父であるマルティン・ルターが、ヴォルムスの帝国議会に召喚されたとき、一致の名の下に、信仰のみによる救いについての彼の見解を取り消すことを選んでいたならどうなったでしょうか。想像してみてください。

「もしもルターが1つの点でも妥協したならば、サタンとその軍勢は勝利をおさめたことであろう。しかし、彼がゆるがず堅く立ったことが、教会解放の道を開き、新しい、そしてよりよい時代の開始となった」(『希望への光』1670ページ、『各時代の大争闘』上巻199ページ)。

私たちはガラテヤ2:1〜14において、使徒の集まりの一致を壊そうとする何人かの信者による試みのただ中で、パウロがその一致を維持するために全力を尽くしているのを見ます。しかし、その一致がパウロにとって重要であったのと同じくらい、彼は一致団結するために福音の真理が損なわれることを許しませんでした。一致の中には多様性の余地がありますが、福音はその過程において決して損なわれてはならないのです。

一致の重要性

Iコリント1:10〜13を読んでください。この箇所は、パウロが教会における一致をどれほど重要だと思っていたかを教えています。パウロの福音は神から与えられたものではないという主張に反論したあと、パウロはガラテヤ2:1、2において、彼に向けてなされていたもう一つの非難に注意を向けます。ガラテヤの偽教師たちは、パウロの福音はペトロやほかの使徒たちが教えたことと一致していない、と主張しました。パウロは変節者だと、彼らは言っていたのです。

パウロはこの非難に対して、彼の回心から少なくとも14年後にエルサレムへ行ったときのことを詳しく語ります。その旅がいつなされたのかはよくわかりませんが、昔の旅で楽な旅は一つもありませんでした。もし彼がアンティオキアからエルサレムへ陸路を旅したなら、300マイル(480キロ)ほどの旅に少なくとも3週間かかり、さまざまな困難と危険がそれには伴ったことでしょう。しかし、そのような困難にもかかわらず、パウロは旅に出ました。使徒たちに呼ばれたからではなく、聖霊に呼び出されたからです。そしてエルサレムに滞在する間に、彼は使徒たちに彼の福音を示しました。

パウロはなぜそうしたのでしょうか。教えていたことに何か疑いを持っていたからでは決してありません。何しろ、彼は14年間も同じ福音をすでに宣べ伝えてきたからです。また彼は、ほかの使徒たちの許可や承認を必要とはしていませんでしたが、彼らの支援と励ましを高く評価していたのです。

それゆえ、パウロのメッセージが異なるものだという非難は、彼に対する攻撃であるばかりか、使徒たちの一致と教会そのものに対する攻撃でした。使徒の一致を維持することは、極めて重要でした。なぜなら、パウロの異邦人伝道とエルサレムの母教会の分裂は、悲惨な結果をもたらすからです。異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンの交わりがなければ、「キリストは分けられてしまい、異邦人世界の伝道のためにパウロが注いできた、そしてこれから注ぎたいと思っているすべてのエネルギーは無に帰すだろう」(F・F・ブルース『ガラテヤ書』111ページ、英文)。

割礼と偽の兄弟たち

特定のユダヤ人クリスチャンたちとパウロとの論争において、割礼が重要な争点でした(創17:1〜22、ガラ2:3〜5、5:2、6、使徒15:1、5参照)。異邦人でも割礼を受ける必要があると、ある人たちが信じたのも無理のないことでした。

割礼は、神がユダヤ民族の父であるアブラハムと結ばれた契約関係のしるしでした。割礼はアブラハムの子孫の男性だけのものでしたが、神との契約関係にはすべての人が招かれました。割礼のしるしは、創世記17章でアブラハムに与えられています。この出来事は、アブラハムに息子を与えるという神の約束の成就を手助けしようと、彼がひどい企て——妻のエジプト人奴隷との間に子どもをもうけるという企て——を実行したあとに起きました。

割礼はこの契約にふさわしいしるしであり、それは、よく練られた人間の計画も、神が約束されたことは決して実現できないということを思い出させるものでした。外面的な割礼は、心の割礼の象徴になるのでした(申10:16、30:6、エレ4:4、ロマ2:29)。それは、私たちの自己信頼を剥ぎ取り、神に忠実に信頼することをあらわしています。

しかしパウロの時代には、割礼はすでに、当初あらわすことを意図していたものではなく、国民的、宗教的アイデンティティーの貴重なしるしになっていました。イエスがお生まれになる150年ほど前、あまりに熱狂的な愛国者の中には、パレスチナ地方の割礼を受けていないすべてのユダヤ人に割礼を強要したばかりか、管轄下にある周辺諸国のすべての男たちにもそれを要求した者たちがいました。ある者たちは、割礼が救いへの保障だと信じさえしました。このことは、「割礼を受けている男は、ゲヘナ〔地獄〕に降ることはない」(C・E・B・クランフィールド『ローマ書の釈義的注解』172ページ、英文)と確信をもって明言している古代の格言などに見られます。

パウロが割礼そのものに反対していたと推測するのは、間違いでしょう。彼が反対していたのは、異邦人が割礼を受けなければならないという主張でした。偽教師たちは、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒15:1)と言いました。つまり、実のところ、問題は割礼に関することではなく、救いに関することだったのです。救いはキリストに対する信仰のみによるのか、それとも、救いは人間の服従によって得られるものなのか、ということです。

多様性の中の一致

問1

ガラテヤ2:1〜10を読んでください。パウロは、偽の兄弟たちが「わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来た」(ガラ2:4)と言っています。クリスチャンは何から自由ですか。次の聖句を読んでください(ヨハ8:31〜36、ロマ6:6、7、8:2、3、ガラ3:23〜25、4:7、8、ヘブ2:14、15)。私たちはこの自由を、いかに自ら味わっていますか。

クリスチャン経験の一つの表現として、「自由」は、パウロにとって重要な概念です。彼は、新約聖書のどの記者よりもこの言葉を頻繁に用いており、ガラテヤ書の中では、「自由な」「自由」という言葉が何度も登場します。しかし、クリスチャンにとっての自由は、キリストにある自由を意味します。それは、妨げられずに神に献身した人生を送ることです。その言葉には、私たちの罪深い性質の欲望に捕らわれることからの自由(ロマ6章)、律法が罪に定めることからの自由(ロマ8:1、2)、死の力からの自由(Iコリ15:55)を含みます。

使徒たちは、「ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたし〔パウロ〕には割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを」(ガラ2:7)認めました。このことは、教会内の一致と多様性の性質について、示唆しています。使徒たちは、ユダヤ人に福音を説くために神がペトロを召されたように、異邦人のために神がパウロを召されたことを認めました。いずれの場合も福音は同じですが、それを伝える方法が、使徒たちの伝道しようとする対象者によって変わるということです。上記の聖句の中には、「まったく同じ文言も、異なる社会的文化的背景の中では異なるように聞こえ、異なる影響力を持つはずだという重要な認識が〔暗に含まれている〕。……まさにこのような一体性が、クリスチャンの一致の基礎であり、まさに多様性の中の一致としての基礎なのである」(ジェームズ・D・G・ダン『ガラテヤ書』106ページ、英文)。

アンティオキアでの衝突

エルサレムでのパウロとの協議からしばらくして、ペトロは、最初の異邦人教会のある場所、パウロの伝道活動の拠点だと使徒言行録に記されているシリア州のアンティオキアを訪れました。そこに滞在中、ペトロは異邦人クリスチャンと自由に食事をしていましたが、ヤコブのもとからユダヤ人クリスチャンの一団がやって来ると、彼らの目を恐れて態度をすっかり変えてしまったのです。

ペトロはもっとわきまえているべきでした(ガラ2:11〜13と使徒10:28を比較)。彼の行動は、文化や伝統が私たちの生活の中にいかに深く染み込みうるかということについて、物語っています。ある人たちは、ペトロや彼と一緒にいたほかのユダヤ人たちが清い食べ物と汚れた食べ物に関する旧約聖書の律法に従うことをすでにやめていた、と誤解しています。しかし、どうもそうではないようです。もしペトロとすべてのユダヤ人クリスチャンが彼らの食物規定を捨てていたなら、教会の中に大きな騒動が確実に起きていたでしょう。もしそうであれば、それに関する何らかの記録があるはずですが、そのようなものはありません。むしろ問題は、異邦人と食事をともにすることだったようです。多くのユダヤ人は異邦人を汚れたものとみなしていたので、一部のユダヤ人の間では、異邦人との社会的接触をできるだけ避けることが慣例になっていました。

ペトロはこの問題と自ら格闘したことがあり、彼にはっきりとわからせてくれたのは、神からの一つの幻でした。ペトロはローマ軍の百人隊長コルネリウスの家に入ると、「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました」(使徒10:28)と言っています。ペトロはよくわかっていたにもかかわらず、同郷人を怒らせることを恐れて、従来の生き方に戻ってしまったのです。明らかにそれは、文化や伝統の影響がペトロの生活の中でいかに強かったかということです。

しかしパウロは、ペトロの行動をまさにそのとおりに評しています。ガラテヤ2:13で彼が用いたギリシア語は「偽善」という言葉です。パウロは、バルナバでさえ「偽善に引きずり込まれた」(口語訳)と言っています。1人の神の人から、別の神の人への強烈な言葉です。

パウロの心配事

アンティオキアの状況は、間違いなく緊迫していました。教会の2人の指導者であるパウロとペトロが、公然と衝突したのです。パウロはペトロの行動を非難する際に、包み隠そうとはしません。パウロは公然とペトロに立ち向かいました(ガラ2:11〜14参照)。パウロの考えでは、問題は、ペトロがエルサレムからの客と一緒に食事しようと決めたことではありませんでした。もてなしに関する古代の伝統は、確かにそれぐらいのことを求めたでしょう。問題は、「福音の真理」でした。つまり、これは単に交際や食事の習慣に関する問題ではありませんでした。ペトロの行動は、事実上、福音のすべてのメッセージを傷つけたのです。

ガラテヤ3:28、コロサイ3:11を読んでください。これらの聖句の中の真理は、パウロの強い反発を理解するうえで助けとなります。パウロがペトロやほかの使徒たちとエルサレムで会った際に、彼らは、異邦人が最初に割礼を受けなくても、キリストにあるすべての祝福を享受できるという結論に達していました。ペトロの行動は、今やその合意を危機にさらしたのです。かつてユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが自由に交わる環境の中で集まっていたのに、今やその教会員が分けられ、それは将来の教会の分裂を予想させました。

パウロの視点からすれば、ペトロの行動は、ひいき目に見ても異邦人クリスチャンが二流の信者であることを意味していました。またペトロの行動は、もし異邦人クリスチャンが十分な交わりを体験したいと思うなら、同化しなければならないという強い圧力を加えることになると、パウロは考えたのです。それゆえ、「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」(ガラ2:14)と、パウロは言っています。「ユダヤ人のように生活すること」という句は、文字どおりには、「ユダヤ風にすること(to Judaize)」と訳せます。この言葉は、「ユダヤ人の生活様式を採用すること」を意味する慣用語で、会堂に通い、ユダヤ人のそのほかの慣習にならう異邦人たちに用いられました。このことは、パウロが「偽の兄弟たち」と呼んでいるガラテヤの敵が、しばしば「ジューダイザー(Judaizers)」と称された理由でもあったのです。

さらなる研究

参考資料として、『セレクテッド・メッセージI』第5章「初期の言葉の説明」を読んでください。

「どんなに立派な人たちでも、好きなようにさせておかれるなら、大きな失敗を犯すだろう。人間に課せられた責任が多ければ多いほど、また彼が命令し、統制する地位が高ければ高いほど、慎重に主の道に従わないなら、彼の性格や心は歪み、より多くの危害を加えてしまうのである。ペトロはアンティオキアで、誠実の原則を破った。パウロは、その破壊的な影響力に真正面から抵抗しなければならなかった。このことが記録されているのは、ほかの人たちがそれによって恩恵を受け、その教訓が高い地位にある者たちへの厳粛な警告となり、彼らが誠実さにおいて失敗せずに、原則を忠実に守るためである」(エレン・G・ホワイト『SDA聖書注解』第6巻1108ページ、英文)。

まとめ

キリストの真の弟子となるために、異邦人は割礼を受けなければならないという、一部のユダヤ人クリスチャンたちによる主張は、初代教会の一致に深刻な脅威を与えました。この問題によって教会が二つの運動に分裂しないよう、使徒たちはともに働き、内部での対立にもかかわらず、キリストの体が一体であり続け、福音の真理に忠実であるようにしました。

*本記事は、安息日学校ガイド2017年3期『ガラテヤの信徒への手紙における福音』からの抜粋です。

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そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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