エルサレムでのイエス【ルカによる福音書解説】#12

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イエスの地上生活における最後の1週間は、エルサレムで繰り広げられました。そして、なんと騒々しくも重大な出来事が、この週に起こったことでしょう。勝利の[エルサレム]入城、無関心なエルサレムに対するイエスの落涙、宮清め、イエス殺害の画策と謀略、最後の晩餐の悲哀とゲツセマネの苦悩、裁判における嘲り、十字架刑、そして最後に復活。あとにも先にも、これほど善と悪の宇宙的闘争をクライマックスへ至らせた重要な歴史の経過を目撃した町はありません。しかし、繰り広げられていることの重大さを理解している人は、イエス以外にはいませんでした。

イエスはその御生涯の中で、何度もエルサレムを通っておられました。四福音書のすべてが、エルサレムを訪れた大人のイエスを記録していますが、そのほとんどは受難週でのことです。イエスがエルサレムに姿を見せられたほかの場面—赤子のイエスが神殿に連れて行かれたこと(ルカ2:22~38)、12歳のイエスが神殿で討論なさったこと(同2:41~50)、誘惑者がイエスを神殿の頂に連れて行ったこと(同4:9~13)—はどれも有名です。けれども、福音書の著者たちの注意を特に引きつけたのは、エルサレムにおけるイエスの働きの最終週でした。

勝利の入城

イエスはベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガリラヤ、サマリア、ユダヤ、ぺレアなどの地方を巡って、教え、説き、いやされました。しかし、彼がいつも注目していた町がありました。エルサレムです。やがてイエスは、「エルサレムに向かう決意を固められ」(ルカ9:51)ました。この町への入城は、世界史上最も劇的で重要な週を特徴づけました。その週は、王にふさわしいキリストの入城行進で始まり、十字架における彼の死が目撃されました。[神の]敵であった私たちは、その「御子の死によって神と和解させていただいた」(ロマ5:10)のです。

ルカ19:28~40を読み、弟子たちの興奮を想像してみてください。彼らは、今度こそイエスがエルサレムにおいて地上の王位、ダビデ王の座に就かれると考えたに違いありません。

イエスがお生まれになったとき、東方から博士たちがやって来て、エルサレムの家々を訪ね、心に残る質問をしました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(マタ2:2)。そして、十字架の数日前である今、イエスの弟子や群衆がエルサレムに群がり、この町の空に歓呼の声を響き渡らせました。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように」(ルカ19:38)。

このすばらしい光景が預言を成就しました。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って」(ゼカ9:9)。しかしイエスは、「ホサナ!」の叫び声で始まったこの歴史的行進が、「成し遂げられた」(ヨハ19:30)という勝利の言葉を口にするゴルゴタで、間もなく終わることをご存じでした。

それはすべて神の永遠のご計画によるものでしたが、イエスの弟子たちは、言い伝えや教え、当時の期待や文化に捕らわれていたので、これから起こることやその意味についてイエスが事前に語られた警告を完全に聞き漏らしていました。

宮清め

「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした」(ルカ19:46)。

勝利の入城の前に、イエスはエルサレムのために泣かれましたが、入城のあと、彼が最初になさったのは神殿へ行くことでした。

問1

ルカ19:45~48、マタイ21:12~17、マルコ11:15~19を読んでください。イエスがなさったことから、私たちはどんな重要な教訓を得ることができますか。個人としての私たちや、ある意味で神殿のような機能を持つ共同体の一員としての私たちは、これらの記事から、どのようなことを学ぶことができますか(エフェ2:21)。

四福音書のすべてが宮清めに言及しています。ヨハネによる福音書は、イエスが西暦28年の過越祭で神殿へ行かれた際に起きた最初の宮清めについて述べており、その一方、ほかの福音書は、イエスの公生涯の最後(西暦31年の過越祭)に起きた宮清めについて記しています。このように、二つの宮清めはイエスの公生涯の最初と最後に起きており、そのことは、彼が神殿とそこでの儀式の神聖さをどれほど気にかけておられたか、また彼がメシアとしての使命と権威をいかに戦略的に主張なさったのかを示しています。

神殿におけるイエスの行動、とりわけ、彼の死の直前に起こった二回目の宮清めの行動は、興味深い疑問を投げかけてきます。イエスは、御自分が間もなく死に、神殿とそこでの儀式もじきに無効になることを知りながら、なぜ商品で神殿を汚していた者たちを追い出されたのか、という疑問です。なぜ彼は、神殿を腐敗するままに放っておかれなかったのでしょうか。それはやがて不要になるばかりか、数十年後には破壊されてしまうというのに……。

その答えは私たちに与えられていませんが、たぶん、神殿は依然として神の住まいであり、そこは救済計画が啓示されている場所であったからでしょう。ある意味で、間もなくやってくるイエスの死によって、神殿とそこでの儀式は、彼の正体と彼の十字架における死の本当の意味を忠実なユダヤ人に理解させる重要な機能を果たしたのだ、と言えるかもしれません。救済計画全体を表現した神殿は、多くの人がイエスの中に「天地創造の時から、屠られた小羊」(黙13:8)を見るようになるのを助けました。

不忠実な者たち

「ぶどう園と農夫」のたとえ話(ルカ20:9~19)は、救済史に関する教訓を私たちに教えています。その歴史の中心は、神と神の愛—誤れる罪人に対する継続的な愛—です。このたとえ話は、特に当時のユダヤ人指導者たちに向けられたものですが—彼らは、「イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づい(て)」(同20:19)いましたが—、いつの時代にも当てはまります。神から愛と信頼を注がれ、忠実なお返しを期待されてきたあらゆる世代、あらゆる教会、あらゆる個人に、このたとえ話は適用できます。私たちは現代の小作人(「農夫たち」)であり、神が歴史をご覧になるように、歴史上の教訓をいくつか、このたとえ話から引き出すことができます。

問2

ルカ20:9~19を読んでください。もし私たちがこのたとえ話の農夫たちと同じ過ちを犯すとしたら、ここで教えられている原則は、いかに私たちに当てはまりますか。

愛と忠誠の実(収穫)を神に収める代わりに、神のぶどう園の小作人たちは神を捨て、裏切りました。しかし、ぶどう園の持ち主であられる神は、変わらぬ愛をもって僕を繰り返し遣わし(ルカ20:10~12)、「預言者を、繰り返し遣わし」(エレ35:15)、御自分の民に管理の責任を果たさせようと懇願し、説得なさいました。しかし、いずれの預言者も拒絶の犠牲となったのでした。「いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか」(使徒7:52)。

神の歴史は、長い愛の物語です。これからも悲劇は繰り返し頭をもたげるでしょうが、最終的には栄光が勝利します。復活が十字架に続かなければなりません。捨てられた石が、今や、神の民を住まわせる偉大な神殿の隅の親石であり、その神殿に、贖われたすべての者が、富める人も貧しい人も、ユダヤ人も異邦人も、男も女も一つの民として住むでしょう。彼らは終末論的なぶどう園に入り、その収穫を永遠に楽しむでしょう。

神かローマ皇帝か

問3

ルカ20:20~26を読んでください。私たちがどこの国に住んでいようと、イエスがここで教えられたことをいかに理解し、自分の状況にどう適用したらよいのでしょうか。

イエスが地上におられた頃、ローマによる徴税は一触即発の問題でした。[『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』の著者である]ヨセフスによれば、西暦6年頃、革命の指導者であったガリラヤのユダは、ローマ皇帝に税金を払うことは神に対する反逆だと断言したといいます。この問題が、メシアを要求し、熱望する風潮と相まって、ローマに対する反乱を定期的に引き起こしました。そのような微妙な背景にもかかわらず、税金を払うことは律法に適っているかどうかとイエスに尋ねたということは、そこには質問者の隠れた動機が明らかにあります。つまり、律法に適っていると答えれば、イエスはローマの味方とされ、それは、エルサレム入城の際に群衆が宣言したようなユダヤ人の王に彼がなれないことを意味します。一方、律法に適っていないと答えれば、イエスがガリラヤ人の意向に従っていて、ローマ法は非合法であると宣言し、反逆罪に御自身をさらすことを意味します。彼らは、逃れ難い苦境にイエスを落とし入れたいと願っていたのでした。

しかし、イエスは彼らの考えを見抜かれました。そして、銀貨に刻まれた皇帝の肖像を指さして、御自分の意見を述べられました。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(ルカ20:25)。皇帝のもとで生き、日々の必需品のためにその通貨を使うことには、皇帝に対する義務が伴います。しかしその一方で、もう一つの義務、もっと大事な義務があります。それは、私たちが神にかたどって造られており、究極的な忠誠を神に尽くすという事実から生じるものです。

「キリストの答は言いのがれではなく、質問に対する率直な答であった。……イエスは、彼らがローマの権力下に生活しているのだから、神に対する義務と矛盾しない限り、ローマの求める支持を与えるべきであると宣言された。しかしその国の法律に従順に従う一方で、いつでも神への忠誠を第一としなければならなかった」(『希望への光』987ページ、『各時代の希望』下巻50ページ)。

最後の晩餐

ルカ22:13~20を読んでください。イエスは聖餐式を過越の食事の歴史的背景をもとに創設なさいました。過越祭の状況は、神の偉大な力とは対照的に、人間の無力さを浮き彫りにしています。私たちが罪の結果から逃れられないように、イスラエルはエジプトの隷属から自ら逃れることができませんでした。解放は、神の愛と恵みの賜物として神からもたらされたのであり、このことは、イスラエルが代々子どもたちに教える教訓だったのです(出12:26、27)。イスラエルの解放が神の贖いの行為によって歴史に深く根ざしているように、罪からの人類の解放は、キリストの十字架という歴史的出来事に基づいています。確かに、イエスは私たちの「過越の小羊」(Iコリ5:7)であり、彼の聖餐式は、「信仰の共同体がキリストの死の輝かしく、決定的な重要性を表明する宣言行為である」(G・C・ベルカウワー『聖餐式』193ページ、英文)。

聖餐式は、「引き渡される夜」(Iコリ11:23)、つまり十字架にかけられる前夜、イエスが弟子たちにお与えになった厳粛なメッセージ(パンは、裂かれようとしているイエスの体を、ぶどう酒は、罪の赦しのために流されようとしているイエスの血を象徴しているというメッセージ)を思い出させるものです。イエスの死だけが、私たちを死から贖うための神の唯一の手段でした。イエスの死が私たちを救うために天から与えられたものであることを忘れないように、イエスは聖餐式を制定し、彼が戻って来るまで行いなさい、とお命じになりました(Iコリ11:23~26)。

御自分の血は、「罪が赦されるように、多くの人のために流される」(マタ26:28)ものだというイエスの訴えは、歴史の終わりまでも覚えられ続けるということです。この訴えを無視して、救いのためにほかの手段を選ぶことは、神と、神が選択された救済の方法を否定することです。

(多くの)重要な教訓の中で、特に二つが際立っています。主の食卓において覚えられるべき第一の教訓は、「キリストがわたしたちのために死なれたこと」です。第二の教訓は、私たちを一つの交わりの中へと招かれたキリストの死のゆえに、私たちは一つの体として食卓に着いているということです。食卓に着いているときでさえ、私たちは主が戻って来られることを待つ共同体、終末時代にキリストによって贖われた共同体として座っています。その時まで、主のこの食卓は、歴史には意味があること、人生には希望があることを思い出させます。

さらなる研究

「イエスの肉を食べ、その血を飲むということは、キリストを自分自身の救い主として受け入れ、キリストがわれわれの罪をゆるしてくださることと、彼のうちにあるときわれわれが完全であるということとを信じることである。キリストの愛を見つめ、これについて瞑想し、これを飲むことによって、われわれはキリストの性質にあずかる者となるのである。肉体にとって食物がなくてはならないように、魂にとって、キリストはなくてはならないものである。食物は、われわれがそれを食べて、それがわれわれの生命の一部となるのでなければ、何の役にもたたない。同様にキリストは、もしわれわれが彼を自分自身の救い主として知るのでなければ、われわれにとって何の価値もないのである。理論的な知識はわれわれに何の益も与えない。キリストのいのちがわれわれのいのちとなるためには、キリストを食べ、キリストを心に受け入れねばならない。キリストの愛、キリストの恵みを同化しなければならない」(『希望への光』870、871ページ、『各時代の希望』中巻138ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2015年2期『ルカによる福音書』からの抜粋です。

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