この記事のテーマ
グリーンランド周辺の海には、さまざまな大きさの氷山が浮いています。時として、小さな浮氷塊はある方向へ、大きなほうの片割れは別の方向へ流れて行くことがあります。このようなことが起きるのは、海面の風が小さな氷塊を押し流す一方で、大きな氷塊は深い海流とともに運ばれるからです。歴史上の国々の興亡を考えるとき、それは海面の風と海流による説明と似ています。風は、人間の意志のように変わりやすく、予測不能なすべてのものをあらわします。しかし、もう一つの別の力がこのような突風や強風と同時に作用しているのです。その力はもっと強く、海流によく似ています。それが、神の賢明で最上の目的という確かな動きです。エレン・G・ホワイトはこう記しています。「だが定められた広大な軌道にある星のように、神の目的は急ぐことも遅れることもない」(『希望への光』682ページ、『各時代の希望』上巻22ページ)。国家、思想、政治集団といったものの興亡は、人間の気まぐれな判断によって起きるように見えますが、ダニエル2章は、人類史を終幕へと実際に動かしておられるのが天の神であることを示しているのです。
神の内在
問1
ダニエル2:1~16を読んでください。主が王に見せられた夢のために、そのヘブライ人たちは、どのような危機に直面しましたか。
古代世界では、夢をとても真剣に受け止めました。夢が虫の知らせのように思われるとき、それはしばしば間近に迫った惨事を告げていました。それゆえ、ネブカドネツァルが、(一層不吉なことに、)思い出すことのできない夢にひどく不安を抱いたのは無理もありません。バビロンの専門家たちは、神々が夢の解釈を示すことができると信じていましたが、ダニエル書のこの夢の場合は、彼らにできることが何もありませんでした。王がその夢を忘れてしまったからです。もし夢の内容が専門家たちに伝えられたなら、彼らは王を喜ばせる解釈を考え出したでしょう。しかし、王の夢が何に関するものであるのか、王に告げることができない前代未聞の状況の中で、夢の専門家たちは、「これに応じることのできるのは、人間と住まいを共になさらぬ神々だけでございましょう」(ダニ2:11)と認めざるをえませんでした。
苛立ちに耐えきれなくなった王は、バビロンのすべての賢者を殺せ、と命令します。古代世界では、そのような残虐行為が珍しくありませんでした。陰謀のゆえに、ダレイオスⅠ世が占星術師を全員処刑させたとか、クセルクセスが崩落した橋を建設した技師たちを殺害したとか、さまざまな史料が証言しています。ネブカドネツァルが命令を下したとき、ダニエルと彼の友人たちはちょうど訓練を終えたばかりで、王の専門家たちの輪の中に入ることを認められていました。そのようなわけで、王が発した命令は彼らにも適用されたのです。実際、原語は、殺害がすぐに開始され、ダニエルと彼の友人たちも次に処刑されるであろうことを示唆しています。しかしダニエルは、処刑を実行する責任者のアルヨクに「思慮深く賢明に」(ダニ2:14)近づきます。最終的に、ダニエルは王に、夢の秘密を解き明かすために時間を求めました。興味深いことに、王は、「時間」稼ぎをしようとしたまじない師たちは非難したのですが、ダニエルが「時間」を求めるとすぐに与えています。ダニエルは確かに、このような秘密を解くことのできる人間はいません、と王に告げたまじない師たちに同意しますが、この預言者は、夢の内容とともに解釈を明らかにできる神を知っていました。
祈り
ダニエルは緊急の祈祷会のために3人の友人を呼び集め、もし神が夢を明らかにしてくださらないなら、自分たちは処刑されることになる、と説明しました。私たちも大きな問題に直面するとき、私たちの神が最も解決しがたい問題さえ解決できるほど偉大なお方であることを自覚すべきです。
問2
ダニエル2:17~23を読んでください。ここでささげられている二種類の祈りは、どのようなものですか。
この章では、二種類の祈りが出てきます。第一の祈りは、夢の内容とその解釈を明らかにしてください、とダニエルが神に求めた嘆願の祈りです(ダニ2:17~19)。その祈りの具体的な言葉はわかりませんが、ダニエルと彼の友人たちは、「他のバビロンの賢者と共に殺されることのないよう、天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った」(同2:18)と記されています。彼らが祈ると、神は彼らの嘆願に応え、王の夢の内容とその解釈を明らかにしてくださいました。私たちが「天の神に憐れみ」を願うとき、この場面ほど劇的な形ではないにしても、その祈りはいつでも応えられると、私たちは安心することができます。ダニエルの神は私たちの神でもあられるからです。
ダニエルと彼の友人たちは、神が彼らの嘆願に応えてくださったことに対して、感謝と賛美の祈りをすぐに始めました。彼らは、神が知恵の源であり、自然界と国家の歴史を支配しておられることのゆえに神を賛美したのです。ここには、私たちが学ぶことのできる一つの重要な教訓があります。私たちが多くの物事について神に祈り、嘆願するとき、どれほどしばしば、私たちは祈りに応えてくださったことを神に感謝し、神を賛美しているでしょうか。10人の重い皮膚病患者とのイエス様の体験は、人間が恩知らずであることを的確に説明しています。いやされた10人の中で、「神を賛美するために」(ルカ17:18)戻って来たのは1人だけでした。ダニエルの対応は、感謝と賛美の重要性を私たちに思い出させるばかりでなく、私たちが祈りをささげる神の御品性も明らかにしています。私たちは神に祈るとき、神が私たちにとって最も益となることをしてくださると信じることができます。それゆえ、私たちはいつも神を賛美し、神に感謝すべきです。
像(その1)
問3
ダニエル2:24~30を読んでください。ダニエルはここで、私たちが常に覚えておくべき重要なことを言っています。それはどのようなことですか(ヨハ15:5も参照)。
祈りに応えて、神は夢の内容とその解釈を明らかにしてくださいました。そこでダニエルはためらうことなく、この秘密の解決は「天の神」からもたらされたものです、と王に告げました。また、ダニエルは夢の内容とその解釈を報告する前に、最近、王が眠れずにベッドで横になっていたときの、言いあらわしがたい彼の思いと心配にも言及しています。このような詳しい情報は、メッセージの信頼性をさらに際立たせました。なぜなら、王しか知らないそのような情報は、超自然的な力を通してダニエルにもたらされたに違いないからです。しかし、ダニエルが夢の内容を報告し始めたとき、彼はもう一つの危機を招く恐れがありました。なぜなら、その夢がネブカドネツァルにとって必ずしも良い知らせではなかったからです。
問4
ダニエル2:31~49を読んでください。夢は、ネブカドネツァルの王国の運命がどうなると告げていますか。
その夢には、大きくて壮麗な像が登場します。「それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました」(ダニ2:32、33)。そして最終的に、「一つの石が……その像の……足を打ち砕き」(同2:34)、構造全体が壊れ、風に吹き払われるもみ殻のように砕け散りました。異なる金属は、歴史の流れの中で次々と置き換わる一連の王国をあらわしていると、ダニエルは説明しています。ネブカドネツァルにとって、そのメッセージは明らかでした。力と栄光にあふれるバビロンは、やがて過ぎ去り、別の王国に取って代わられるということです。しかし、その後もほかの諸王国が続き、最終的にまったく異なる性質の国、永遠に続く神の不滅の王国がそれらに置き換わるのです。
像(その2)
問5
夢とその解釈を読み直してください(ダニ2:31~49)。それは、神が世界史を予知しておられることに関して、何を教えていますか。
ネブカドネツァルの夢によって伝えられた預言は、預言の概略を提供するとともに、ダニエル7章、8章、11章のもっと詳しい預言に取り組む際の物差しの役割を果たします。また、ダニエル2章は条件付きの預言ではありません。それは終末論的な預言、つまり神が予見し、将来、確かに実現されることの決定的な預言なのです。
①純金の頭は、バビロン(紀元前626~539年)をあらわしています。確かに、バビロン帝国の力と富をあらわすのに、金よりもふさわしい金属はありません。聖書はこの帝国を「黄金の都市」(イザ14:4、いくつかの英訳聖書)、「主の手にある金の杯」(エレ51:7、さらに黙18:16と比較)と呼んでいます。古代の歴史家ヘロドトスは、豊富な金がこの町を飾り立てていたと報告しています。
②銀の胸と腕は、メディアとペルシア(紀元前539~331年)をあらわしています。銀は金よりも価値が劣るように、メディアとペルシアの帝国は、バビロンの栄華には到達しませんでした。加えて、銀はペルシア人にふさわしい象徴でした。彼らは税制の中で銀を用いていたからです。
③青銅の腹と腿は、ギリシア(紀元前331~168年)を象徴しています。エゼキエル27:13は、ギリシア人が青銅の製品を物々交換していると描いています。ギリシアの兵士は、青銅の武具で有名でした。彼らの兜、盾、戦斧は、真鍮〔銅と亜鉛の合金〕でできていました。ヘロドトスは、エジプトのプサメティコスⅠ世が、侵入して来たギリシアの海賊を「青銅の男たちが海からやって来る」と予告した託宣の成就だと見なした、と伝えています。
④鉄のすねは、ローマ(紀元前168~西暦476年)を的確にあらわしています。ダニエルが説明したように、鉄はローマ帝国の破壊的な力を象徴し、この帝国はそれまでのどの国よりも長く続きました。鉄は、この国を象徴する完璧な金属です。
⑤一部が鉄、一部が陶土の足は、分裂したヨーロッパ(西暦476年~キリストの再臨)をあらわしています。鉄と粘土が混じり合ったものは、ローマ帝国の分裂後に起こったことの適切な描写です。ヨーロッパを統一するために、王家の間の婚姻による同盟から現在の欧州連合に至るまで、多くの試みがなされてきましたが、分裂と不統一は広く行き渡っており、この預言によれば、神が永遠の王国を樹立されるまでそれは続くでしょう。
石
問6
ダニエル2:34、35、44、45を読んでください。これらの聖句は、私たちの世界の最終的運命について、どのようなことを教えていますか。
夢の焦点は、「将来何事が起こるのか」(ダニ2:28)に合わされています。金属(や粘土)の諸王国は力強く、豊かであったかもしれませんが、石の王国樹立への準備段階にすぎませんでした。金属や粘土は、ある程度、人間の手によって製造されうるものであるのに対して、夢の中の石は人手によらずにあらわれます。言い換えれば、それまでの諸王国はどれも終局を迎えます。石が象徴する王国は永遠に続くということです。そして岩の比喩は、しばしば神を象徴しますが(例えば、申32:4、サム上2:2、詩編18:32〔口語訳18:31〕)、同様に石は、メシアをあらわすことがあります(詩編118:22、Ⅰペト2:4、7)。それゆえ、神の永遠の王国の樹立を象徴するのに、石のたとえほどふさわしいものはありません。
石の王国はイエスの地上での働きの中で樹立され、福音の宣布は、神の国が世界全体を奪い返したことを示している、と主張する人たちがいます。しかし、石の王国が出現するのは、四つのおもな王国が滅び、人類史が像の足とつま先で象徴される分裂した王国の時代に達したあとです。この事実は、西暦1世紀の成就の可能性を排除します。なぜなら、イエスの地上での働きは、第四の王国であるローマが支配していた頃になされたからです。
しかし、この石は山に変わります。つまり、「その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです」(ダニ2:35)。このような山はシオンの山を連想させます。そこは神殿が立っていた場所、旧約聖書時代に神の地上の王国を具体的に象徴していた場所です。興味深いことに、山から切り出された石が山そのものになっています。この山は、聖句によればすでに存在しており、天のシオン、天の聖所を指し示しているようです。キリストは永遠の王国を樹立するために、そこから来られます。そして、いつの日か天から降って来るエルサレムの中に(黙21:1~22:5)、この王国は最終的な成就を見いだすのです。
さらなる研究
ダニエル2章の像が、金や銀といった経済力に関係する金属でできていることに注目することは有益です。像はまた、道具や武器に用いられた青銅や鉄、古代世界では実用的な目的や家事の目的のために用いられた粘土でもできています。このように、像は人類と人類の業績を生き生きと描いているのです。また極めて適切なことに、像の異なる解剖学的部位は、世界の諸王国の連続性と、人類史の最後の時代にはびこる不一致をあらわしています。しかし石は、「人手によら(ない)」(ダニ2:45)ものとして、つまり一時的なこの世と人類のあらゆる業績に訪れる超自然的な終焉を効果的に思い出させるものとして、異なる描かれ方をしています。
「人間の肉眼には、人類史が勢力と反勢力の無秩序な相互作用に見えるかもしれない。……ダニエルは私たちに、このようなことすべての背後に神がおられ、天からそれを見下ろし、最善と思うことが実現するよう、その中で動いておられることを請け合っているのである」(ウィリアム・H・シェイ『ダニエル書』98ページ、英文)。
*本記事は、安息日学校ガイド2020年1期『ダニエル書 主イエス・キリストの愛と品性の啓示』からの抜粋です。