この記事のテーマ
ダニエル書の最後の幻はダニエル10章で始まり、11章、12章でも続きます。私たちはその冒頭において、この幻が「大いなる戦い」(ダニ10:1、口語訳)に関するものであると知らされます。ダニエル11章はその戦いの詳細をいくらか具体的に記していますが、10章はその霊的側面を示し、地上の戦いの舞台裏で宇宙規模の霊的戦いが激しく続いていることを明らかにしています。この章の研究を進めるにつれ、私たちが祈るとき、大きな影響を及ぼす形でこの宇宙的戦いに関わっているということがわかるでしょう。しかし、私たちだけがこの争いの中にいるのではありません。イエスが私たちのためにサタンと戦っておられるのです。私たちが参加している究極的戦いは、地上の人間の勢力との戦いではなく、闇の勢力との戦いであることを、私たちは学ぶでしょう。
ダニエルから何世紀も経ったのち、使徒パウロはそのことを次のように述べています―─「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェ6:12)。最終的に私たちがこの戦いで勝利するのは、イエス・キリストにかかっています。このお方だけが、十字架においてサタンを打ち負かされたからです。
断食と祈りをもう一度
問1
ダニエル10:1~3を読んでください。ダニエルは再びどのようなことをしていますか。
ダニエルは、長きにわたる嘆きの期間の理由を詳しく説明していません。しかし、このような熱心な執り成しは、十中八九、ユダの人々の状況に動機づけられたものでしょう。彼らはバビロンからパレスチナへ帰ったばかりでした。
問2
エズラ4:1~5を読んでください。帰国早々、ユダの人々はどのような困難に直面していますか。
エズラ4:1~5を読むと、その頃、ユダの人々は神殿を再建しようとして、強い反対に遭っていることがわかります。サマリア人はペルシアの宮廷に偽りの報告を送り、王をそそのかして建設工事をやめさせようとしました。そのような危機に直面して、ダニエルは3週間、キュロスの心を動かしてその働きを継続させてください、と神に嘆願したのです。
この時点で、ダニエルはたぶん90歳ぐらいだったでしょう。彼は自分自身のことではなく、同胞のことや彼らが直面する問題について考えています。そして彼は、神から何らかの答えを受け取るまで3週間ずっと祈り続けたのです。その間、この預言者は非常に質素な食事をし、美食も香油も断ちました。彼は自分の快適さや外見をまったく気にせず、遠く離れたエルサレムにいる仲間のユダの人々の幸福に深く心を寄せています。
ダニエルの祈りの生活を調べるとき、私たちはいくつかの貴重な教訓を学ぶことができます。第一に、私たちの嘆願がすぐに応えられなくても、祈り続けることです。第二に、私たちは時間を割いて、ほかの人のために祈ることです。執り成しの祈りには、特別なところがあります。「ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻(された)」(ヨブ42:10)ことを覚えてください。第三に、祈りは、神が何か具体的で実際的なことをされるのを促します。ですから、絶えず祈ることです。あらゆる種類の祈りをささげましょう。耐え難い試練、大きな問題、圧倒されるような挑戦に直面するとき、祈りによって私たちの重荷を神のもとへ持って行きましょう(エフェ6:18)。
天使長の幻
問3
ダニエル10:4~9を読んでください。ここではダニエルにどのようなことが起きていますか。
ダニエルが自分の体験を述べているように、私たちは、彼が見た圧倒的な壮麗さを想像することができません。その人間のような外見は(ダニ10:5、6)、天の裁きの幻の中で描かれていた「人の子」(同7:13)を思い起させます。彼の麻の衣は祭司の服を連想させ(レビ16:4)、その様子から、この人物は、天の聖所とのつながりで描かれていた「天の万軍の長」になぞらえられます(ダニ8章)。純金は、王家の品格のしるしとして、祭司の正装とも関連しています。最後に、この人物を稲妻、炎、青銅、力強い声になぞらえることで、彼は超自然的存在として描かれています。これは、祭司、王家、軍隊の特性を備えただれかです。この人物はまた、エリコとの戦いの直前にヨシュアの前にあらわれた天の存在とも興味深い類似性を示しています(ヨシュ5:13、14)。祈っていると、ヨシュアは「主の軍の将軍」を見ました。興味深いことに、ここで「将軍」と訳されているヘブライ語(「サール」)は、ダニエル10:21でミカエルに関して「天使長」と訳されている言葉と同じです。しかしダニエルとヨハネの間には、もっと緊密な類似性があります。
問4
ダニエル10章における神の幻と、ヨシュア5:13~15、黙示録1:12~18における幻との間には、どのような類似点がありますか。
ダニエルによれば、彼と一緒にいた人々は恐怖に襲われ、彼自身も力がなくなり、地に倒れてしまいました。神の存在の兆候が単純に彼を圧倒したのです。しかし、その場での恐怖がどのようなものであれ、ダニエルの幻は、神が歴史を支配しておられることを示しています。確かに、この幻が展開するにつれて、私たちは、神がダニエルの時代から神の王国の樹立に至るまでの人類史の概略を彼に提供されるのを見ます(ダニ11、12章)。
天使に触れられる
問5
ダニエル10:10~19を読んでください。天使がダニエルに触れるたびに、どのようなことが起きていますか。
天来の光の輝きに打ちのめされた預言者は、倒れてしまいます。すると天使があらわれて彼に触れ、慰めます。この物語を読むとき、天使がダニエルに三度触れていることに注目してください。
最初に触れられた預言者は、立ち上がって、天からの慰めの言葉を聞くことができました―─「ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た」(ダニ10:12)。ダニエルの祈りはすでに天を動かしていました。私たちにとって、これは、神が私たちの祈りを聞いておられるという確信をもたらします。それは悩みの時の大いなる慰めです。
二度目に触れられたダニエルは、話すことができました。預言者は主の前に言葉を注ぎ出し、自分の恐れの気持ちや感情をあらわします―─「すると見よ、人の子のような姿の者がわたしの唇に触れたので、わたしは口を開き、前に立つその姿に話しかけた。『主よ、この幻のためにわたしは大層苦しみ、力を失いました。どうして主の僕であるわたしのような者が、主のようなお方と話すことなどできましょうか。力はうせ、息も止まらんばかりです』」(ダニ10:16、17)。このように、神は私たちに語りかけられるだけではありません。神は、私たちが口を開いて、自分の感情、必要、願望について語ることを望んでおられます。
三度目に触れられた彼は力を得ました。ダニエルが自分の不十分さを認めたとき、天使は彼に触れて神の平安で彼を慰めました―─「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい」(ダニ10:19)。天使がダニエルの祈りに応えて遣わされたのは、彼に洞察と理解を与えるためであることを思い出してください。つまり、11章に続くこの幻は、ダニエルがエルサレムの現状を嘆き、熟慮することへの応答として、彼を励ますために意図されたものです。神が私たちの側におられるので、私たちは苦しみに遭遇するときも、平安でいられます。神に愛情深く触れていただくことで、私たちは希望をもって未来を見通すことができるからです。
大きな闘争
問6
ダニエル10:20、21を読んでください。ここではどのようなことがダニエルに示されていますか。
天の使いはカーテンを開き、人類史の舞台裏で起きている宇宙規模の戦いをダニエルに見せました。ダニエルが祈り始めるとすぐに、天と地の間で霊的戦いが始まったのです。天の存在は、ユダの人々に神殿の再建を続けさせるため、ペルシアの王と争い始めました。私たちはダニエル10章の冒頭によって、ペルシアの王がキュロスであることを知っています。しかし、人間の王が独りきりで天の存在に激しく抵抗することなどできません。これは、人間の王の背後に霊的存在がおり、ユダの人々の神殿再建をやめさせるよう、キュロスにけしかけているということを意味しているのです。
同様の状況がエゼキエル28章でも生じており、そこではティルスの王がサタン(この町の人間の王の背後にいる霊的勢力)をあらわしています。ですから、ミカエルが戦うことになったペルシアの王にサタンと彼の天使たちが含まれるとしても驚くべきではありません。このことは、エルサレムの神殿再建に対する人間の反対に相当するものが、霊的領域にもあることを示しています。
問7
ダニエル10:13を読んでください。ここにはどのような戦いが描かれていますか。
「サタンがメド・ペルシャ王国の最高の権威者に働きかけて、神の民に敵意を示させようと努力する一方において、天使たちは捕囚の民のために働いていた。この争闘は、全天が関心を持ったものであった。われわれは預言者ダニエルによって、善と悪との軍勢間の、大きな戦いの片鱗を知ることができる。ガブリエルは3週間にわたって、クロスの心に働いていた影響力に対抗しようとした、暗黒の勢力と戦った。そしてその戦闘の終了に先立って、キリストご自身がガブリエルを助けに来られた。ガブリエルは言っている。『ペルシャの国の君が、21日の間わたしの前に立ちふさがったが、天使の長のひとりであるミカエルがきて、わたしを助けたので、わたしは、彼をペルシャの国の君と共に、そこに残してお』いた(ダニエル10:13)。天が神の民のためになし得ることは、すべてなされた。勝利はついに得られた。そして敵の勢力は、クロスの全時代と7年半にわたった彼の子カンビセスの時代全体にわたって、制圧されたのであった」(『希望への光』599ページ、『国と指導者』下巻178ページ)。
勝利を得た天使長
ダニエル書の中で最も目立っている登場人物は、「人の子」(ダニ7:13)とか「万軍の長」(同8:11)と当初呼ばれていた人物です。最終的に彼の名前はミカエルであるとわかります(同10:13)。その名前は、「だれが神のようであろうか」という意味です。彼は、ペルシアの王と戦うガブリエルを助けるために来ました。ガブリエルはこの天からの存在を「お前たちの天使長ミカエル」(同10:21)、つまり神の民の長と呼んでいます。ミカエルはダニエル書の終盤で、神の民を代表する者として登場します(同12:1)。私たちはユダ9節によって、「大天使」とも呼ばれるミカエルが、サタンと争ってモーセを復活させたことも知っています。黙示録12:7は、ミカエルが天の軍隊の指揮官であり、その軍隊がサタンと堕落天使たちを打ち負かしたことを明らかにしています。このように、ミカエルはイエス・キリストにほかなりません。ペルシア帝国が王の背後に霊的勢力のサタンという最高司令官を有するように、神の民はミカエルという総司令官を有しています。ミカエルは民のためにこの宇宙規模の戦いに勝利を得てくださいます。
問8
コロサイ2:15を読んでください。宇宙規模の争いにおいて、イエスはどのように勝利なさいましたか。
私たちは悪の勢力に遭遇するとき、私たちの勝利者であられるイエスを信頼することができます。イエスは公生涯の初めに、サタンを負かされました。地上での生涯の間、誘惑によって荒れ野で挑戦されたときにサタンを負かし、悪霊に取りつかれた群衆と戦い、闇の力から人々を解き放たれました。イエスは、御自分がカルバリーに向かうのをやめさせようとするペトロの企ての裏に悪が潜んでいたときにも、悪を負かされました。イエスは弟子たちへの最後の言葉の中で、(サタンに対する決定的な勝利で終わる)戦いとしての差し迫った御自分の死について語られました―─「今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハ12:31、32)。
時として周囲を見回すとき、状況は本当にひどく見えます。暴力、不道徳、退廃、病気が、あらゆるところで生じています。肉と血でできていない敵が、四方八方から私たちを攻撃してきます。しかし、私たちの参加しなければならない戦いがいかに困難なものであろうと、イエスは私たちのために戦い、私たちの長(君)、天の聖所の大祭司として、立ち上がってくださいます。
さらなる研究
「ガブリエルは3週間にわたって、クロスの心に働いていた影響力に対抗しようとした、暗黒の勢力と戦った。……天が神の民のためになし得ることは、すべてなされた。勝利はついに得られた。そして敵の勢力は、クロスの全時代と7年半にわたった彼の子カンビセスの時代全体にわたって、制圧されたのであった」(『希望への光』599ページ、『国と指導者』下巻178ページ)。
「天の神からダニエルに大いなる栄誉が与えられました。神は震えおののく御自分の僕を慰め、彼の祈りが天で聞き入れられているという保証を与えられます。その熱心な嘆願に答えて、天使ガブリエルがペルシア王の心を動かすために遣わされました。ダニエルが断食し、祈っていた三週間の間、王は聖霊の働きかけに逆らっていました。しかし、かたくなな王の心を動かして、ダニエルの祈りに答えるような何か決定的な行動を取らせるために、天の君、大天使、ミカエルが遣わされます」(『清められた生活』49ページ)。
*本記事は、安息日学校ガイド2020年1期『ダニエル書 主イエス・キリストの愛と品性の啓示』からの抜粋です。