北と南から「麗しの地」へ【ダニエル―主イエス・キリストの愛と品性の啓示】#12

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この難しい章を始めるにあたって、まずいくつかの点を指摘しておくべきでしょう。第一に、ダニエル11章は、ダニエル書におけるこれまでの預言の概略と全体的に平行しています。2、7、8、9章と同様、11章の預言のメッセージもダニエルの時代から時の終わりにまで及んでいます。第二に、世界的諸勢力が連続して登場しています。しばしば神の民を抑圧する勢力です。第三に、いずれの預言の概略も幸せな結末で山場を迎えています。ダニエル2章では、石が像を破壊し尽くし、7章では、人の子が王権を受け、8章と9章では、天の聖所が油注がれた者の働きによって清められているとおりです。

11章は三つの基本的な点をたどります。第一に、この章はペルシアの王たちで始まり、彼らの運命と終わりの時について説明します。その終わりの時とは、北の王が神の聖なる山を攻撃するときです。第二に、北の王と南の王の戦いの連続と、それらが神の民にどのような影響を与えるかが記されています。第三に、北の王が「『麗しの地』の聖なる山」(ダニ11:45)のそばで終焉を迎えるときに、この章は幸せな結末で終わるのです。このような肯定的結論は、悪の終わりと神の永遠の王国の樹立を示しています。

ペルシアとギリシアに関する預言

問1

ダニエル11:1~4を読んでください。すでにダニエル書の中で見た先の預言のいくつかを思い出させるどのようなものを、私たちはここに見ますか。

ガブリエルはダニエルに、なお3人の王がペルシアから立つ、と告げます。彼らのあとに続く第四の王は、4人の中で最も金持ちであり、ギリシア人を挑発します。キュロスのあと、3人の王が連続してペルシアを統治しました──カンビュセス(紀元前530~522年)、偽スメルディス(同522年)、ダレイオス一世(同522~486年)です。第四の王がクセルクセスで、〔口語訳の〕エステル記ではアハシュエロスと呼ばれています。彼は非常に裕福で(エス1:1~7)、預言で告げられていたように、ギリシアへ侵攻するために巨大な軍隊を結集します。しかし、彼はその力にもかかわらず、勇敢なギリシア兵のずっと小さな軍隊によって跳ね返されてしまうのです。

ダニエル11:3であらわれる勇壮な王、古代世界の絶対的支配者になる王がアレクサンダー大王であると認めることは難しくありません。彼は32歳で、帝国の後継者を残すことなく死にます。それゆえ、王国は4人の将軍たちの間で分割されました──セレウコスがシリアとメソポタミアを、プトレマイオスがエジプトを、リュシマコスがトラキアと小アジアの一部を、カッサンドロスがマケドニアとギリシアを治めたのです。

問2

ダニエル11:2~4を同8:3~8、20~22と比較してください。これらの聖句は、ここでの勢力者がアレクサンダーであるとみなすのに、いかなる助けとなりますか。

これらの名前、年代、場所、歴史的諸事件の取り合わせから、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。第一に、この預言が天の使者によって予告されたとおりに成就したことがわかります。神の言葉は決して誤ることがありません。第二に、神は歴史の主であられることがわかります。私たちは、政治的勢力、指導者、王国の連続は、皇帝、独裁者、さまざまな種類の政治家たちの野心によって進んで行くという印象を受けるかもしれません。しかし聖書は、神が完全に支配しておられ、神聖な目的に従って歴史の車輪を動かしておられることを明らかにしています。その目的とは、悪の根絶と神の永遠の王国の樹立を最終的にもたらすことです。

シリアとエジプトの預言

問3

ダニエル11:5~14を読んでください。ここではどのようなことが展開していますか。

アレクサンダー大王の死によって、広大なギリシア帝国は4人の将軍の間で分割されました。そのうちの2人、つまりシリアのセレウコス(北)とエジプトのプトレマイオス(南)は、それぞれ王朝を築き、領土の支配権を巡って互いに戦いました。

聖書を学ぶほとんどの人が、ダニエル11:5~14で預言されている北の王と南の王の戦いは、これら二つの王朝を巻き込んだ多くの戦いのことを指していると理解します。預言によれば、これら二つの王朝を婚姻によって結びつけようとする企てがなされますが、その同盟は長続きしません(ダニ11:6)。歴史資料は、セレウコス一世の孫息子アンティオコス二世テオス(紀元前261~246年)が、エジプト王プトレマイオス二世フィラデルフォスの娘ベレニケと結婚したと告げています。しかし、その合意は長続きせず、神の民を直接巻き込んだ争いがすぐに再燃しました。このようにダニエル11章は、預言者ダニエルが表舞台から去ったあとの数世紀にわたる神の民の人生に関わる重要な事件をいくつか扱っているのです。

改めて、私たちはこう問うことができます─なぜ主は、世界のこの地域で覇権を争う諸王国を巻き込んだ戦争に関するこういった詳細を、前もって明らかにしておられるのだろうか、と。理由は単純です。それらの戦争が神の民に影響を及ぼすからです。それゆえ神は、御自分の民が今後直面するであろう問題を前もって予告してくださったのです。また、神は歴史の主であり、私たちが預言の記録を歴史的諸事件と比較するとき、預言の言葉が予告されたとおりに成就していることがまたもやわかります。互いに争っていたギリシア地域のこれらの王国の栄枯盛衰を予告された神は、未来を知る神です。私たちが信頼し、信じるに値するお方です。このお方は大きな神であり、人間の想像力で作られた偶像などではありません。神は、歴史的諸事件の進むべき方向を決めることができるだけでなく、もし私たちが望むなら、私たちの人生の方向をも決めることがおできになります。

ローマと契約の君

問4

ダニエル11:16~28を読んでください。この聖句は難解ですが、ダニエル書のほかの箇所にも登場するどのような象徴を、あなたは見いだすことができますか。

ダニエル11:16に描かれているのは、ギリシア地域の王たちから異教ローマへの権力の移行のようです―─「敵は意のままに行動し、対抗する者はない。あの『麗しの地』に彼は支配を確立し、一切をその手に収める」。「麗しの地」とは、古代イスラエルが存在していた場所、つまりエルサレムのことであり、その地域を占領したのは異教ローマです。同じ出来事は、小さな角の水平方向への拡張によってもあらわされており、角は「麗しの地」に達します(ダニ8:9)。それゆえ、この時点での世界を仕切っている勢力が異教ローマであることは、明らかなようです。

聖句の中のさらなる手掛かりが、この見解を補強します。例えば、「税を取る者」(ダニ11:20)とは、カエサル・アウグストゥスを指しているに違いありません。マリアとヨセフが人口調査のためにベツレヘムへ行き、イエスがお生まれになったのは、アウグストゥスの治世下のことでした。また預言によれば、この支配者のあとを継ぐのは「卑しむべき者」(同11:21)です。歴史が示すとおり、アウグストゥスの後継者は、彼の養子ティベリウスでした。ティベリウスは風変わりで、卑しい人間として知られています。

聖句によれば、最も重要なのは、彼の治世下に「契約の君」(ダニ11:22)が破られたという点です。これは明らかに、「油注がれた君」(同9:25、さらにマタ27:33~50も参照)とも呼ばれるキリストの十字架刑を指しています。彼がティベリウスの治世下に殺されたとおりです。イエスが「契約の君」としてここで言及されていることは、歴史的諸事件の順序を私たちが理解するうえで助けとなる有力な指標であり、改めて神の驚くべき予知の力強い証拠を提供しています。すでに起こったあらゆることに関して、神はこれらの預言の中で正しくあられました。ですから私たちは、将来起こると言われていることに関しても、確かに神を信頼することができます。

次の勢力

問5

ダニエル11:29~39を読んでください。異教ローマのあとに起こるこの勢力は何ですか。

ダニエル11:29~39は新しい権力組織に言及しています。この組織は、異教ローマとの連続性の中で立ち、前任者のいくつかの特徴を受け継いでいますが、同時に、いくつかの側面において異なっているようです。聖書は、「この時は前の時のようではありません」(ダニ11:29、口語訳)と述べています。これから見て行くように、それは宗教的勢力として活動し、神と神の民をおもな攻撃対象にします。この王が起こした行動のいくつかを見てみましょう。

第一に、彼は「聖なる契約に対し、怒りを燃やして行動し」(ダニ11:30)ます。これは、神の救いの契約への言及に違いありません。この王はその契約に反対するのです。

第二に、この王は「聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止」(ダニ11:31)する軍隊を生み出します。私たちはダニエル8章で、小さな角が「日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した」(同8:11)ことに注目しました。これは、天の聖所におけるキリストの奉仕への霊的攻撃として理解されなければなりません。

第三に、聖所への攻撃の結果として、この勢力は神の神殿に「憎むべき荒廃」をもたらします。「荒すことをなす罪」(ダニ8:13、口語訳)という並列表現は、小さな角による背教と反逆の行為を指しています。

第四に、この勢力は神の民を迫害します―─「これらの指導者の何人かが倒されるのは、終わりの時に備えて練り清められ、純白にされるためである」(ダニ11:35)。このことは小さな角を思い起こさせます。角は、万軍、つまり星の幾つかを投げ落とし、踏みにじったからです(同8:10、さらに同7:25と比較)。

第五に、この王は、「いよいよ驕り高ぶって、どのような神よりも自分を高い者と考える。すべての神にまさる神に向かって恐るべきことを口に(する)」(ダニ11:36)。意外でもないでしょうが、小さな角もまた、「尊大なこと」(同7:8)を神に対してさえ語ります(同7:25)。

ほかにも類似点を挙げることはできますが、ダニエル7章と8章に書かれていることを考えるとき、この勢力とはだれのことですか。また、社会的圧力にもかかわらず、私たちがその見方をしっかり持ち続けることは、なぜ重要なのですか。

終末の諸事件

問6

ダニエル11:40~45を読んでください。ここではどのようなことが起きていますか。

私たちがこの箇所を理解するうえで、次の幾つかの語句が重要です。

「終わりの時」──「終わりの時」という表現は、ダニエル書にしか登場しません(ダニ8:17、11:35、40、12:4、9)。ダニエルの預言を詳しく調べると、「終わりの時」が1798年の教皇制の失墜から死者の復活(同12:2)までの間であることがわかります。

「北の王」──この名前は、最初、地理的にセレウコス王朝を意味しますが、やがて異教ローマを、そして最終的に教皇制ローマを指します。従って、これは地理的場所を表現しているのではなく、神の民の霊的な敵を表現しているのです。加えて私たちは、「北の王」が真の神の偽者をあらわしていることに注目すべきです。聖書の中で、偽者は象徴的に北と結びつけられています(イザ14:13)。

「南の王」──この名前は、最初、聖なる地の南にあるエジプトのプトレマイオス王朝を意味します。しかし、預言が展開するにつれて、神学的側面を持つようになり、ある学者たちはこれを無神論と結びつけています。黙示録11:8におけるエジプトへの言及について、「これは無神論である」(『希望への光』1723ページ、『各時代の大争闘』上巻345ページ)とエレン・G・ホワイトが述べているとおりです。

「『麗しの地』の聖なる山」──旧約聖書の時代、この表現は、イスラエルの首都であり、中心であり、地理的に約束の地に位置するシオンを指していました。キリストの十字架ののち、もはや神の民は民族的にも地理的にも境界が明確でないので、聖なる山が、世界中に離散した神の民を象徴的に指し示すものであったに違いありません。

従って、たぶん私たちはここでの諸事件を次のように解釈できるでしょう。

①南の王が北の王に戦いを挑む──フランス革命が、宗教を根絶し、教皇制を打倒しようとして失敗する。②北の王が南の王を攻撃して破る──教皇に率いられた宗教勢力とその協力者が、最終的に無神論の勢力に勝ち、敗北した軍と同盟を結ぶ。③アンモンの選ばれた者、エドム、モアブはその手を免れる──神の真の民に数えられない人たちの一部が、最後の時にその集団に加わる。④北の王は聖なる山を攻撃しようとするが、終わりの時を迎える──悪の勢力は滅ぼされ、神の王国が樹立される。

さらなる研究

興味深いことに、少なくともダニエル11:29~39に関連して、マルティン・ルターはダニエル11:31の「憎むべき荒廃をもたらすもの」を教皇制とその教理や宗教的習慣であるとみなしました。このように、ダニエル11章が7章や8章と関連していることは、教皇制とその教えが歴史の中でこれらの預言の成就であるというルターやプロテスタントのほかの聖書注解者たちの見解を補強しています。これに関して、エレン・G・ホワイトは次のように述べています。

「ローマの管轄内にあるどの教会も、良心の自由をいつまでも保つことはできなかった。法王権は、権力を握るとすぐ、その支配を認めない者をみな粉砕するために、手を伸ばした。こうして諸教会は、次々とその支配下に陥った」(『希望への光』1617ページ、『各時代の大争闘』上巻60ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2020年1期『ダニエル書 主イエス・キリストの愛と品性の啓示』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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