七つのラッパ【ヨハネの黙示録-イエスキリストの働きを知る】#7

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私たちは第五の封印の場面において、あらゆる時代の忠実な者たちの叫びをあらわしている虐げられた神の民の叫びを見ました。この忠実な者たちは、祭壇の下で神に正義と雪辱を求めて、「主よ、いつまで……ですか」(黙6:10)と叫んでいる魂として描かれていました。天からの声は、神の民に危害を加えた者たちを神が裁かれる日は来るから「待つように」と、強く求めました。黙示録6:15〜17は、イエスが地球に戻って来られ、御自分の忠実な弟子たちに悪事を働いた者たちを裁かれる様子を描いています。

第五の封印の場面は、アベルの時代から、神が最終的な裁きをなさって「御自分の僕たちの流した血」(黙19:2)に報復なさる時に至るまでの、全歴史上の苦しむ神の民の経験を象徴しています。苦しむ神の民は揺らぐことなく、神が彼らの祈りを聞いてくださることを信じる必要があります。

七つのラッパの幻は、神が歴史を通じて、虐げられた御自分の民のために介入し、彼らに危害を加えた者たちを裁いてこられたことを示しています。七つのラッパの目的は、天が神の民の苦しみに無関心でないことを確信させることです。

聖なる者たちの祈り

黙示録8章は、神の前に立つ7人の天使がラッパを吹き鳴らそうとしている光景で始まります。ラッパが吹かれる前に、もう一つ別の場面が挿入されています。その目的は、七つのラッパの神学的意味を説明することです。

黙示録8:3、4を、(以下に記す)エルサレムの神殿における日々の奉仕の描写とともに読んでください。あるユダヤ人の聖書注解書は、次のように説明しています—夕方の犠牲において、小羊は焼き尽くす献げ物の祭壇の上に置かれ、その血が祭壇の基に流された。当番の祭司は金の香炉を取って神殿の中に入り、聖所の金の祭壇で香をささげた。祭司が出て来ると、香炉を敷石の上に投げ出したので、大きな音がした。その瞬間、7人の祭司がラッパを吹き、その日の神殿の奉仕が終わったことを告げ知らせたのである。

この夕方の犠牲に関する言葉が黙示録8:3〜5の中で用いられていることは、だれもがわかります。天使が「玉座の前にある金の祭壇」(黙8:3)のところで香を受け取っている点は重要です。香は神の民の祈りを象徴していて(同5:8)、彼らの祈りは、今や神によって応えられます。

黙示録8:3〜5は、黙示録でのラッパに関して重要な情報を提供しています。

①七つのラッパは、反抗的な人類に対する神の裁きであり、その裁きは、神の虐げられた人々の祈りに応えたものであるということ。

②ラッパは、小羊なるイエスの死のあとに吹かれ、歴史を通じて、再臨に至るまで連続して続くということ(黙11:15〜18参照)。

問1

黙示録8:5をエゼキエル10:2とともに読んでください。背教のエルサレムの上に火を投げつけるエゼキエルの幻は、黙示録におけるラッパの特質をいかに明らかにしていますか。

天使は祭壇の火を香炉に満たして地上へ投げつけます。意義深いことに、この火は、聖なる者たちの祈りがささげられた、まさにその祭壇から取られています。火がその祭壇から取られているという事実は、七つのラッパの裁きが、神の民の祈りの応答として、地上に住む者たちに下されることを示しており、神は彼らのために定められた時に介入してくださいます。香炉を投げつけることは、キリストの執り成しが永遠には続かないという警告です。恩恵期間には終わりがあるのです(黙22:11、12参照)。

ラッパの意味

神の民のための神の介入を描く際に、黙示録は旧約聖書におけるラッパの比喩を用います。ラッパは、古代イスラエルの日常生活の重要な一部分でした(民10:8〜10、代下13:14、15参照)。ラッパの音は、神殿での礼拝を人々に思い出させましたし、ラッパは、戦場でも、収穫期にも、祭りの中でも吹かれました。

ラッパを吹くことは、祈りと密接に関係していました。神殿での礼拝や祭りの中で、ラッパは神に、御自分の民との契約を「思い出させ」ました。ラッパはまた人々に、「主の日」(ヨエ2:1)に備えることを気づかせました。戦争の中で、ラッパの音は重要な指令や警告を伝え、御自分の民を救ってください、と神に訴えました。このような概念が、黙示録におけるラッパの背景にあります。

黙示録8:13、9:4、20、21を読んでください。黙示録において、ラッパによって引き起こされる諸事件は、神の民の祈りに応えて、神が歴史に介入されることを意味します。封印がおもに神の民と自称する者たちに関係しているのに対して、ラッパは地上に住む者たちに対する裁きの先触れをしています(黙8:13)。それと同時に、ラッパは、手遅れになる前に地上に住む人々を悔い改めさせるための警告です。

七つのラッパは、ヨハネの時代からこの地球史の終わりに至るまでの一連の諸事件を扱っています(黙11:15〜18)。七つのラッパは、執り成しが天で続いており(同8:3〜6)、福音が地上で宣べ伝えられている(同10:8〜11:14)間に吹かれます。ラッパの裁きは部分的であり、被造物の三分の一にしか及びません。第七のラッパは、神が正当な統治を担われる時がやって来たことを告げています。七つのラッパは、七つの教会と七つの封印が扱っているのとほぼ同じ時期に相当します。

①最初の二つのラッパは、キリストを十字架につけ、初代教会を迫害した国民(反抗的なエルサレム)とローマ帝国への裁きの先触れをしています。

②第三、第四のラッパは、中世時代のキリスト教会の背教に対する天の裁きを描いています。

③第五、第六のラッパは、中世後期から宗教改革後の時代の宗教界における反目し合う派閥争いを描いています。この時代は、世界をハルマゲドンの戦いへと最終的に引きずり込む、拡大する悪魔の活動によって特徴づけられています。

開いた巻物を持った天使

第六のラッパは、私たちを終わりの時へ連れて行きます。この時代に、神の民は何をするように命じられているでしょうか。第七のラッパが吹かれる前に、一つの出来事が挿入されており、それは終末時代の神の民の務めと経験を説明しています。

黙示録10:1〜4を読んでください。「ヨハネに指示した力強い天使は、ほかならぬイエス・キリストであった」(エレン・G・ホワイト『SDA聖書註解』第7巻971ページ)。彼の足は海と地を踏みしめており、そのことは、全宇宙の支配権を持ち、これから宣言することには世界的な重要性があることを意味します。彼は、獅子がほえるように叫びます。獅子のほえ声は、神の声の象徴です(ホセ11:10、黙5:5参照)。

ヨハネは、雷が語ったことを書き留めることを許されませんでした。未来に関することで、神がヨハネを通して私たちに啓示されなかったがことがあります。

黙示録10:5〜7を読んでください。天使は、「もはや時がない」(黙10:6)と述べていますが、その際の「時」に相当するギリシア語「クロノス」は、一定の時に言及していることを示します。この時はダニエル12:6、7を指しており、そこでは、天使が、聖なる者たちへの迫害は「一時期、二時期、そして半時期」、つまり1260年間(西暦538年〜1798年)続くだろう、と述べています。その間に、教会は教皇制によって迫害を受けました(ダニ7:25と比較)。ダニエル書や黙示録において、預言の「1日」は1年を象徴するので(民14:34、エゼ4:6)、360「日」は360年に相当し、三時期(3年)半は1260「日」(年)に相等します。この預言的期間のあとしばらくして、終わりが来るのです。

「もはや時がない」という言葉は、ダニエルの時の預言、とりわけダニエル8:14の預言的2300日(紀元前457年〜西暦1844年)を指しています。この期間のあと、もはや預言的期間はありません。エレン・G・ホワイトは、次のように記しています。「厳粛な誓いとともに天使が宣言したこの時は……預言的な時であり、それは私たちの主の再臨に先立つものです。つまり、人々は明確な時に関する別のメッセージを受け取ることはありません。1842年から1844年に及ぶこの期間のあと、預言的な時を具体的に確定することはできません。最長の計算は、1844年秋までです」(エレン・G・ホワイト『SDA聖書註解』第7巻971ページ、英文)。

巻物を食べる

黙示録10:8〜11を読んでください。聖書において食べることは、人々に伝えるために神からメッセージを受け取ることをあらわします(エゼ2:8〜3:11、エレ15:16参照)。メッセージは、受け取ったときには良い知らせなのですが、伝える時、多くの人に抵抗や拒絶をされ、苦みを経験することがあります。

ダニエル書をあらわす巻物を食べたヨハネのほろ苦い経験は、ダニエル書の終末時代の預言の開封と関係しています。ヨハネはここで、ダニエル書の1260日の時の預言(ダニ7:25)、つまり1260日(年)が終わるときに永遠の福音(黙14:6、7参照)を宣布する務めを託される残りの教会を描写しています。

文脈はヨハネの幻が、預言的2300年の期間の最後におけるもう一つのほろ苦い経験を示唆しています。ダニエル書の預言を基にキリストが1844年に戻られる、とミラーの信奉者たちが考えたとき、メッセージは、彼らにとって甘いものでした。しかし、キリストが期待どおりに来られなかったとき、彼らは苦い失望を味わい、より明瞭な理解を求めて聖書を探りました。

この世に「再び預言」しなさいというヨハネへの命令は、ダニエル書と黙示録の預言とのつながりで再臨のメッセージを宣べ伝えるように興された安息日遵守再臨信徒を指し示しています。

黙示録11:1、2を読んでください。この箇所は、黙示録10章の場面の続きです。ヨハネは、神殿と祭壇を測り、礼拝している者たちを数えなさい、と命じられました。聖書において、測るというのは、比喩的に裁きを指します(マタ7:2参照)。測られる聖所は天にあり、そこではイエスが私たちのために働いておられます。聖所、祭壇、礼拝している者たちへの言及は、贖いの日を指し示しています(レビ16:16〜19参照)。この日は、神が御自分の民の罪を裁かれる「測り」の日でした。それゆえ黙示録11:1は、再臨の前に行われる裁きに言及しているのです。この裁きは、もっぱら神の民(聖所で礼拝している者たち)だけに関係します。

黙示録11:1は、天の聖所のメッセージが終末の福音宣布の中心を成していることを示しています。それには、神の御品性の正しさの証明が含まれています。従ってそれは、キリストの贖いの働きと、人類を救う唯一の手段としてのキリストの義に関する福音メッセージの全容を明らかにするのです。

2人の証人

問2

黙示録11:3〜6を読んでください。この2人の証人は、王族と祭司の役割におけるゼルバベルとヨシュアを、いかに反映していますか(ゼカ4:2、3、11〜14参照)。

2人の証人という考えは、何かが正しいことを立証するのに最低2人の証人を必要としたユダヤ人の法制度から来ています(ヨハ8:17)。2人の証人は(旧新両約)聖書を象徴しています。この二つは分けることができません。神の民は、この世に聖書全体のメッセージを(「神の御計画をすべて」〔使徒20:27〕)宣べ伝えるために召されています。

この証人たちは粗布をまとって、預言期間1260日(年)の間(西暦538年〜1798年)、預言をしているように描かれています。粗布は喪服であり(創37:34)、それは、聖書の真理が埋められ、人間の言い伝え(伝統)によって覆われる困難な時代を指し示しています。

問3

黙示録11:7〜13を読み、あなたの言葉で、預言期間1260日(年)の最後にこの2人に起こったことを説明してください。

2人の預言者を殺す獣が、まさにサタンの住みかから上って来ます。この2人の証人の殺害は、歴史的に見れば、フランス革命の諸事件と関連して無神論者が聖書を攻撃したことや、宗教を廃止したことに当てはまります。フランスで構築されたその反宗教的体制は、ソドムの道徳的廃頽、エジプトの無神論的傲慢、エルサレムの反抗心を有していました。エルサレムでイエスに起こったことが、今やこの反宗教的体制によって聖書に対して起きました。

証人の復活は、フランス革命後における聖書に対する興味が大いに復活したことを指し示しています。結果的に、それが聖書の真理の回復を伴う第二次再臨待望運動を興し、聖書協会の設立と聖書の世界的な配布につながりました。

この世が終わる直前、地球規模での聖書の最後の宣布が目撃されるでしょう(黙18:1〜4)。この最終のメッセージは、奇跡を行う悪魔の集団によって力づけられた反発を引き起こします(黙16:13〜16、14:12参照)。彼らが奇跡を行うのは、この世を欺いて、神の忠実な証人たちとの最後の戦いへと、獣を拝む者たちを引き込むためです。

さらなる研究

第七のラッパは(黙11:15〜18)、この地球の歴史の終わりを知らせます。神が御力と主権を明らかになさる時がやって来たのです。何千年もの間、サタンの支配下にあったこの反抗的な惑星は、神の統治と支配のもとに戻ろうとしています。キリストが地球の正当な支配者であると宣言されたのは(黙12:10、11)、キリストが十字架で亡くなり、昇天されたあとでした。サタンは、自分の時が短いのを知りつつ(黙12:12)、可能な限りの惨事をもたらし続けます。第七のラッパは、強奪している勢力がすでに対処され、この世が最終的にキリストの正当な支配下に入ったことの先触れをしています。

第七のラッパは、黙示録の残りの部分の内容を概説しています。①「諸国民は怒り狂いました」(口語訳)—黙示録12章から14章は、怒りに満ちたサタンを描いており(黙12:17)、二つの盟友(海の獣と陸の獣)とともに、神の民と戦うための準備を諸国民にさせます。②「あなたも怒りを現された」—神は、諸国民の怒りに対して最後の七つの災いで応じられますが、その災いが神の怒りと呼ばれています(黙15:1参照)。③「死者の裁かれる時」は、黙示録20:11〜15で説明されています。④神の僕たちに報いが与えられることについては、黙示録21章と22章で描かれています。⑤「地を滅ぼす者どもを滅ぼされる」—黙示録19:2は、終末時代のバビロンが、地を滅ぼしたがゆえに裁かれる、と述べています。サタンと悪天使と二つの盟友たちの滅びが、大争闘というドラマにおける最終幕です(同19:11〜20:15)。

*本記事は、アンドリュース大学神学科新約学教授ランコ・ステファノビック(英: Ranko Stefanovic)著、安息日学校ガイド2019年1期『ヨハネの黙示録 イエス・キリストの働きを知る』からの抜粋です。

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『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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