過去を思い起こす必要
忘れてしまいたいことがらもあるでしょうか。自分の霊的幸福のために過去の経験を思い起こすこともまた必要です。
アウトライン
- 赤貧から大金持ちへ(エゼ16: 1~43)
- この母にしてこの娘あり(エゼ16:43~63)
- 神の忍耐(エゼ20章)
- 二人の姉妹(エゼ23章)
主は過去の祝福を思い起こさせられる
M姉妹はセブンスデー・アドベンチストの信仰を受け入れた若い母親でした。エレン・ホワイトは彼女の経験について記しています。
M姉妹の夫は以前は誠実な人でしたが、アルコール中毒になってから、家庭が崩壊しました。愛と同情は虐待と暴力に変わりました。生計を立てるために姉妹は懸命に働きました。家庭も健康もアルコールによって台無しになっていましたが、彼女は神の恵みによって力と平安を与えられていました。
M姉妹の健康は次第に悪化していきました。彼女は臨終の床で、ヤコブの手紙5章にあるように、教会長老たちにいやしの祈りをささげてくれるようにたのみました。主はその熱心な嘆願を聞き入れてくださり、姉妹は完全にいやされました。
彼女は「逆境の学校」に取り残されましたが、その信仰と霊性は深められました。彼女はキリストのためのすばらしい証人となりました。周囲の困っている人々のために、またみわざを支えるために経済的な支えが与えられるように祈ったとき、主はその祈りにこたえてくださいました。
姉妹は事業に成功をおさめましたが、豊かになるにつれて、神に対する信仰は衰え始めました。彼女は新しい家を建て、多くの友人をつくりましたが、それが逆に自分をキリストから引き離す結果になりました。祈りを怠るうちに、次第にその霊的なよりどころが失われていきました。知らないまに、彼女の影響力と富は自分と神をへだてる障壁となっていたのです。
そのとき、神は預言の賜物を通して、M姉妹に神の過去の導きを思い起こすように訴えられました。神が彼女を救うためにその富を散らす前に、悔い改めるように訴えられました。姉妹が主の訴えにどのように応答したかはわかりません。過去の記憶によって、おそらくふたたび主に立ち返ったにちがいありません(「教会へのあかし』第2巻268~288ページより)。
M姉妹の経験はイスラエルの経験
イスラエルの民は、神がどのようにして彼らをエジプト人の奴隷の境遇から解放し、豊かで幸福な民、諸国民に対する有力な証人としてくださったかを忘れていました。彼らは感謝の念を失い、周辺の異教の民と同盟を結び、やがて異教の混乱の中で自分の霊性を失ってしまいました。さて、ユダがバビロニア軍による完全な滅びに直面すると、主はふたたびご自分の民に過去の歴史と神の恵み深い導きを思い起こさせられました。彼らは過去を思い起こすことによってふたたび悔い改めに、そして捕囚からパレスチナへと導かれるのでした。
赤貧から大金持ちへ(エゼ16:1―43)
主はエゼキエル言16章において、エジプトにおける出発からエゼキエルの時代までのイスラエルの霊的歴史についてふり返っておられます。
質問1
エゼキエルが、イスラエル民族の始まりをアブラハムの故郷であるメソポタミヤにではなく、カナンに求めているのはなぜですか。エゼ16:1~3(ヨハ8:33、37、39、44比較)
「イスラエル人がエルサレムに住む以前にそこにいた王たちはアモリ人やヘテ人の名前を持っていた。エルサレムはこれらの民族によって建設された。エゼキエルの言葉は、アブラハムの子孫だとうぬぼれながら、のちにイスラエルの地となるエルサレムの先住異民族の子孫のようにふるまっていたエルサレムの民に対する強いあざけりであった。品性において似ることは、ただ単に直系の子孫であることよりもはるかに重要であった」( 「SDA聖書注解」第4巻627ページ)。
質問2
捨てられた子はイスラエルの歴史のどの時代を象徴していますか(エゼ16:4、5)。野ざらしにされた赤子はどんなことを暗示していますか(出工1:22、使徒7:19参照)。赤子を「見て」、2回、「生きよ」と言ったのはだれですか(エゼ16:6)。
このたとえはたぶん、エジプトにおけるイスラエルの国家としての始まりを描写しています。イスラエル民族の数が増したとき、エジプトの指導者たちは、とくに男の子をナイル川に投げ捨てることによってへブル人の子供たちを根絶しようとしました。この計1曲i的な集団虐殺は(ぎゃくさつ) 、この「子」、つまり神の民に生きよと言われた神によってくじかれました。神が生まれたばかりの民を滅ぼそうとする計画をくじかれたおかげで、彼らは「ふえ、非常に強くなった」のでした(出エ1:20)。
質問3
主はイスラエルとのご自分の「婚姻」を、また彼女を育てて美しい「一人前の女」にしたことをどのように描写しておられますか(エゼ16:8)。この「婚姻」はいつなされましたか(出エ19:1~9、24:1~8)。
厳密な意味では、イスラエルはアブラハムを通してすでに神との契約関係に入っていましたが(創世15、17章)、 神が組織された国-73家としてのイスラエルと正式に契約関係に入られたのはシナイにおいてでした。シナイと初期王国とのあいだの期間は、神がイスラエル国家とその財力の基礎を固められた時期でした。神を信じる者たちは神と契約関係にある者として描かれています。神は象徴的に、この関係を婚姻にたとえられました。「わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破った」(エレ31:32)。図
質問4
神はイスラエルの偶像崇拝をどのように描写しておられますか。彼らは金銀、農産物、さらには自分の子供をもって何をしましたか。不信仰が不品行にたとえられているのはなぜですか。エゼ16:15~25(ヤコ4:4、 1ヨハ2:15~17比較)
パレスチナ地方が発掘されたとき、数えきれないくらいの幼児の人骨が見つかりました。このことは、イスラエル人がカナン人の堕落的で残虐な偶像崇拝に従っていたことの無言のあかしです。
質問5
イスラエルはその「初めの愛」を捨てて、政治的、霊的にだれと同盟を結びましたか。エゼ16:26、28、29(歴代下28:16~23比較)
背信は繰り返し、姦淫(かんいん) や売春行為にたとえられています。なぜなら、それは契約関係を破るものだからです。エゼキエルはイスラエルの背信に対して三つの根本的な理巾をあげています。
1. うぬぼれ「あなたは自分の美しさをたのみ」(エゼ16:15)
2.忘却(忘恩)「自分の若き日のことを思わなかった」(エゼ16 : 22、 43) 。
3.優柔不断「あなたの心はどんなに恋いわずらうのか」(エゼ16: 30)。
質問6
神は来るべきエルサレム(ユダ)の滅びを姦淫を犯した女のさばきにたとえておられます。彼女をさばくのはだれですか。神の民はこのことから何を学ぶべきですか。エゼ16:35~42 74
イスラエルが同盟を結び、その偶像崇拝に従った国々のいくつかが、イスラエルをさばく者となりました。その教計||は明らかです。つまり、私たちの礼拝の中心から神をそらすものは何でも、ついには私たちの霊的滅びをもたらすということです。
この母にしてこの娘あり(エゼ16:43~63)
質問7
主はまたどんなたとえによってユダの罪深い状態を描写しておられますか。エゼ16:45、46
聖書ではふつう、方角は東を基点にして書かれています。東に向かって立てば、左手は北(サマリヤ)をさし、右手は南(ソドム、46節)をさします。サマリヤは「姉」(字義的には、大なる者)と呼ばれ、ソドムは「妹」(小なる者)と呼ばれています。
質問8
ユダはこれらの民とどのように比較されていますか。エゼ16:47、48、51、52
主はサマリヤとソドムがユダよりも「義とされる」と言っておられますが(52節)、 これはサマリヤとソドムに罪がないという意味ではありません。主はこの驚くべき比較によって、ユダの罪がこれらの国々の罪よりも大きいという事実を強調しておられるのです。ユダはより大きな光と特権にそむきました。ユダの恐るべき堕落に-75比べるなら、ソドムとサマリヤは罪がないようなものでした。これら三つの国々が罪深いものであったことには変わりありませんが。
質問9
すでにソドムとサマリヤにさばきがくだり、やがてユダにもくだろうとしていたにもかかわらず、神はどんな約束をなさいましたか(エゼ16:53~55)。 主はユダとどんな契約を結ぼうとしておられましたか(エゼ16:60~63-エレ31:31~34比較)。
サマリヤ(北王国)はすでにアッシリヤの支配下にありました。ソドムとその周辺の町々もアブラハムとロトの時代に起きた破壊によって滅びていました(創世記19章参照)。それなのに、神がソドムの捕らわれ人を「もとに返す」とはどういうことでしょうか(エゼ16:53-新改訳参照)。それはたぶん、ロトによるソドムの子孫であったモアブ人とアンモン人をさすのでしょう。これらの国民はバビロンによって征服されました(エゼキエル書25章参照)。
神の忍耐(エゼ20章)
エゼキエル書20章のメッセージは、神がエゼキエルを預言者として召されたときからほぼ2年後に与えられました(エゼ20:1参照)。ふたたび長老たちが集まり、主にたずねています。しかし、主は彼らに答えられず、むしろ「彼らの先祖たちのした憎むべき事を彼らに知らせ」るようにエゼキエルに命じておられます(2~4節)。
質問10
神がイスラエル人をエジプトの奴隷から解放しようとされたとき、彼らはどんな霊的状態にありましたか。偶像崇拝を捨てるようにという神の勧告に対して、彼らはどのようにこたえましたか。神はなぜこのような霊的に弱い民を救われたのでしょうか。エゼ20 -765~9(出エ6:1~8比較)
「イスラエル人の中には、エジフ.卜の奴隷生活中、ずっと主の礼拝を守り続けていた人々が少数ながらいた。この人々は、自分らの子供たちが、毎日、異教の憎むべきことをながめ、偽りの神々を礼拝したりさえするようになったのを見て、非常に心を痛めていた。彼らは、大きな苦しみのなかから、エジフ.ト人のくびきからの解放と偶像礼拝の堕落的影響から救われることを、主に叫び求めた。…神に忠実であった者たちは、彼らが奴隷生活に陥るのを主が許されたのは、イスラエルが神から離れ、異邦人と結婚し、偶像礼拝をしたためであることを知っていた」(「人類のあけぼの』上巻296、297ページ)。
質問11
安息日順守が何回も偶像崇拝と関連して語られているのはなぜですか(エゼ20 : 10、13、16—出エ32: 1~6比較)。安息日が時代をこえて重要な意味をもつのはなぜですか(エゼ20 : 12、20、出エ31:13~17)。
「人々に第2の戒めを犯させることにより、サタンは、神に対する彼らの観念を堕落させようと意図した。彼は第4の戒めを人々の念頭から取り去ることによって神を全く忘れさせようとした。異邦の神々にまさって崇敬と礼拝を神がお求めになるわけは神が創造者であり、その他のものはみな神に創造されて存在するからである。……もし安息日がいつも清く守られていたなら、無神論者や偶像礼拝者などはあり得なかったことであろう」(「人類のあけぼの』上巻396ページ)。
質問12
神はイスラエル人の子供たちに何と言われましたか。エゼ20:18~26
「人々が従っていた良くない定めは周辺の異教の民から取り入れたものであった。しかし、なぜ神がそれらを彼らに与えたと言われているのであろうか。聖書のたとえでは、多くの行為が神に帰せられている。しかしそれは、神が実際にそれらをなさるという意味ではなく、神が全知全能のゆえにそれらを妨害されないという意味である。この原則を理解することは、一見、矛盾するように見える多くの聖句を説明する助けになる。神の品性が純潔にして聖であるという聖書の教えと明らかに矛盾するように思えるこの聖句もその一つである」( 「SDA聖書注解』第4巻647ページ)。
質問13
自分たちに対する神の忍耐にもかかわらず、カナンにおけるイスラエルは、初めからどんな状態でしたか(エゼ20 : 27、 28)。エゼキエルの時代の人々はどんな点においてその先祖と似ていましたか(エゼ20:30~32) 。
質問14
バビロン捕囚は最終的にイスラエルの残りの子らをどうすることになっていましたか。エゼ20:37、38、42、43
二人の姉妹(エゼ23章)
エゼキエルは三たび、捕囚の民にその過去の歴史を回顧させるように命じられています。彼は別のたとえを語っています。
質問15
二人の姉妹はだれを表していますか。母はだれですか。エゼキエル書23:1~4に記されているたとえの基本的な意味は何ですか。
二人の姉妹についてのこのたとえは、偶像崇拝と世俗主義に対するイスラエルの異常な熱望が、出エジフ.卜よりもずっと前にエジフ・卜において始まったことを示しています。それはイスラエル人の両王国に滅びをもたらす最終的な原因となりました。
質問16
アホラ(北王国)はだれと同盟を結びましたか(エゼ23:5)。 この「恋人」はのちにイスラエルに何をしましたか(エゼ23:9、10-列王下17:3~18、23比較)。
アッシリアとの初期の同盟の一つはエヒウによって結ばれました。サマリヤは紀元前722年に陥落し、大部分の住民はアッシリヤ帝国内の方々に移されました。
質問17
アホリバ(ユダ)は偶像崇拝および異教との同盟に対してどれほど強い熱望を持っていましたか(エゼ23:11)。 エゼキエルはそのひどい堕落ぶりをどのように描いていますか(エゼ23:35~39)。二人の姉妹はどんな運命をたどりますか(エゼ23:46~49)。
まとめ
イスラエルは「初めの愛」をはぐくむことを忘れたために偶像崇拝にひきずり込まれ、はなはだしい罪におちいりました。私たちは記憶をよみがえらせることによって神との関係を深めることができます。
*本記事は、安息日学校ガイド1991年2期『雨の中のにじ エゼキエル書』からの抜粋です。