サタンと盟友【ヨハネの黙示録-イエスキリストの働きを知る】#9

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黙示録12章は、神の忠実な民に対するサタンの攻撃を描いています。その攻撃には、1260日〔年〕(西暦538〜1798年、黙12:6、13、14)にわたる異教ローマとその後の教皇制ローマによる迫害も含まれています。黙示録13章は、キリスト教史を通じてなされたサタンの攻撃を更に詳しく説明しており、その攻撃は、いずれも獣として描かれている二つの盟友の助けを得て行われました。サタンの指図のもと、竜とこれら二つの獣は、時の終わりに団結して、神の贖いの働きに反対し、この世の忠誠を勝ち取ろうとします。

注意書きが一つ必要です。過去においてすでに成就した預言を解釈することは、比較的簡単です。しかし、まだ成就していない預言を扱う際には、火曜日の研究でするように、私たちはより慎重である必要があります。神は、私たちが驚かないように、終末時代にどういうことが起こるのかを示してくださいますが、私たちが知りたいと思う詳細のすべてを教えることはなさいません。

これらの預言が終末に起こることを教えているとしても、終末の諸事件がいつ、具体的にどのように起こるのかは述べていないということを、私たちは常に覚える必要があります。それゆえ私たちは、預言が語っていることを超えて推測しないように注意しなければなりません。黙示録の預言には実際的な目的(現在をいかに生き、未来にいかに備えるかを教えること)があるということを忘れないようにしましょう。

海の中から上って来た獣

黙示録13:1〜4、8と17:8を読んでください。ヨハネは、不思議な獣が海の中から上って来るのを見ます。獣は政治的勢力をあらわしますが、この海の獣の描写は、顕著な特徴として宗教を持つ政治的な勢力を示しています。海は人口の多いヨーロッパ地域を象徴しており、海の獣はこの海から出て来て、ローマ帝国滅亡後に権力の座に就くのです(黙17:15参照)。

ヨハネは、この獣が水の中からあらわれたと説明しています。この獣は、黙示録12:3、4の竜と同様、七つの頭と十の角を持っており、そのことは異教ローマとの密接なつながりを示しています。獣の頭の上には神を冒する名が記されており、角には王冠があります。獣の複数の頭は、歴史を通じてサタンが神の民を迫害するために用いてきたさまざまな王国です(黙17:9〜11参照)。神を冒する名前は、この獣が主張する聖なる称号を指し示しています。十の角はダニエル7:24を指し示しており、それらは、ローマ帝国が滅亡したあとにそこから興った国々を象徴しています。海の獣のこれらの特徴はみな、ローマ帝国から生じた教皇制を指し示しています。

海から上って来た獣は、熊の足と獅子の口を持つ豹に似ていました。従ってこの獣は、ダニエル7:2〜7に登場する四つの獣(バビロン、メディアとペルシア、ギリシア、ローマという世界帝国の象徴)の特徴を併せ持っています。しかしヨハネは、それらの順序を逆に列挙しており、そのことは、西暦1世紀の視点からすると、この海の獣がダニエル7章の第四の獣、ローマ帝国と関わりがあることを示しています。

竜(サタンによって力づけられた異教ローマ)はこの獣に、自分の力と玉座と大きな権威を与えました。父なる神が御自分の玉座と権威をキリストにお与えになったように(黙2:27)、サタンは、地上における自分の共同支配者かつ代表として、この獣を任命するのです。

黙示録13:5〜7は、キリスト教史を通じて、獣による迫害の活動期間が42か月であると述べています。清い女への迫害が「一時期、二時期、そして半時期」、つまり三時期半、預言的には3年半続くことは、先に触れたとおりです(黙12:13、14、さらにダニ7:25と比較)。それゆえ、「一時期、二時期、そして半時期」「四十二か月」「千二百六十日」は、いずれも1260年という同じ期間を指しています。この段階は、ヨハネが見ていて、「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われた」(黙13:3)ときに終わります。しかしその後、この「致命的な傷」が治ることは、獣が生き返り、力を回復する1798年以降の時を指しているのです。しかし傷が治ると、獣は生き返ります。致命的な傷の回復によってこの世は感嘆し、人々は竜と獣を拝みます

海の獣の活動

黙示録13:5は、きのうの研究で見たように、迫害の期間を特定しています。獣が活動する42か月は、黙示録12:6、14における女(教会)に対する迫害の期間の1260日(年)と同じ期間です(預言的「1日」は「1年」を象徴します〔民14:34、エゼ4:6〕。第7課木曜日の研究を参照)。いみじくも、西暦538年がこの預言の期間の始まりとなり、その年に、教皇を頭とするローマ教会は、中世を通じて西洋諸国を支配した教会国家権力を確立しました。1798年、フランス革命の諸事件が獣に致命的な傷を負わせ、それによって教会の抑圧的支配と国が権力を与えた宗教が一時的に終わりました。

問1

黙示録13:5〜8をダニエル7:24、25、IIテサロニケ2:2〜12と比較してください。海の獣の活動は、「小さな角」や「不法の者」の描写とどのように似ていますか。

預言的1260日(年)間の海の獣の活動は、「冒」という言葉で述べられています。新約聖書において冒とは、神との平等を要求することや(ヨハ10:33、マタ26:63〜65)、神の権威を奪うこと(マコ2:7)を意味します。海の獣は、「神を冒し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒した」(黙13:6)。神の住まいは天の聖所(幕屋)であり、そこではキリストが私たちの救いのために働いておられます。海の獣は、キリストの執り成しの働きを、救いと、冒の本質である罪や行為の赦しを与えると主張する、人間の司祭職に置き換えることで無効にするのです。神にのみ属するこのような権力を横取りすることが、冒の本質です。

黙示録13章は、キリスト教における大規模な背教の時代を指し示しており、それは、ローマ・カトリック教会が教皇を頭として神の地位と権威を要求したときに成就しました。ローマへの服従を拒んだ者たちは、迫害や殉教を経験しました。今日、こういうことを言うと、厳しいとか、頑迷だとかみなされますが、歴史を消し去ることはできません。ある人たちがどれほどそうしたいと願ったとしても……。

地中から上って来た獣

黙示録13章の前半は、預言期間1260日(年)の間に活動的なローマ・カトリック教会の権力を描いています。この政治宗教制度は、フランス革命の諸事件によって致命的な傷を負いました。しかし、その致命的な傷はやがて治り、この制度を生き返らせます。この章の後半は、獣の致命的な傷が実際にどのように治ったのかを説明しています。

黙示録13:11を読んでください。ヨハネは、もう一つの獣が現れるのを見ます。最初の獣と違い、第二の獣は地中から上って来ます。この第二の獣は、最初の獣と同じくらいの影響力を持つ世界的勢力です。しかし、恐ろしい外見をしていた海の獣とは異なり、この陸の獣は、少なくとも最初、無害に見えます。「小羊の角に似た二本の角」(黙13:11)を持っており、小羊というのはキリストの象徴です。それゆえ、この終末時代の勢力は、キリストのような外見をしています。

この勢力は、預言期間1260日(年)の終わりに、竜の迫害の水から女(神の真の教会の象徴)を守った地域から登場します(黙12:14〜16)。この陸の獣は、明らかに新しい登場者であり、フランス革命の諸事件の中で海の獣が致命的な傷を負ったあとに世界的勢力として登場しました。つまり、陸の獣は、もっぱら終末時代の登場者だということです。

「1798年に、新世界のどんな国が、勢力を伸ばし、将来強大な国家になる可能性を示して、世界の注目を集めていたであろうか。この象徴が、どの国に適用されるかは、実に明白である。この預言の指示するところに合致する国は、ただ1つしかない。それは、疑いもなく、アメリカ合衆国を指している」(『希望への光』1808ページ、『各時代の大争闘』下巻159ページ)。

しかし黙示録13:11は、大多数がプロテスタントであるアメリカが、やがて竜のように、つまり悪魔のように、ローマ帝国と似た世界的影響力を持って話し始めるだろうと教えています。この終末時代の勢力は、全世界に(かつて致命的な傷を負った)最初の獣を拝ませる道具になるのです。言い換えれば、かつて教会に保護と安全な逃れの場を提供したアメリカ合衆国が、終末の諸事件の中のある時点で、迫害する役割を演じるだろうということです。

獣の像

黙示録13:12、13を読んでください。列王記上18:38と使徒言行録2:3は、小羊に似た獣の惑わしの活動です。奇跡を行うことで、小羊に似た獣は、聖書とまったく調和していないのに、自分の言葉が真実であると、多くの人を信じ込ませるでしょう。「心霊術を通して奇跡が行なわれ、病人はいやされ、否定することのできない多くの不思議なことが行われる」(『希望への光』1885ページ、『各時代の大争闘』下巻350ページ)。このような奇跡は、致命的な傷を負った海の獣の像を造るよう、地球の住人を説得するうえで小羊に似た獣の助けとなります。

海の獣の致命的な傷が治ったことは、宗教的、政治的権力としてローマの教皇制の復活を指します。小羊に似た獣も竜のように話し始め、海の獣の力を行使し、これらの象徴によってあらわされる国々のように不寛容になることを示しています。

「このような行動は、この政府の原則、自由制度の精神、独立宣言の率直厳粛な言明、そして憲法に、全く相反するものである。……しかし、そのような矛盾した行動をとることは、象徴に示されているとおりである。小羊のような角を持った獣は、純潔柔和で悪意のないことを公言しながら、龍のように物を言うのである。

『地に住む人々を惑わし……(彼らに)獣の像を造ることを……命じた。』ここに、立法権が国民にある政体が明示されている。これは、合衆国が預言に示された国であるというきわめて顕著な証拠である。

しかし、この「獣の像」とは何であろうか。そして、それは、どのようにして造られるものなのであろうか。この像は、2本の角を持った獣によって造られるものであり、先の獣に模した像である。それは、また、獣の像とも呼ばれている。したがって、像が何であり、どのようにして造られるかを知るためには、獣そのもの、すなわち法王権の特徴を研究しなければならない。

初代教会は、福音の単純さを離れて堕落し、異教の儀式と習慣を受け入れた時に、聖霊と神の力を失った。そして、人々の良心を支配するために、世俗の権力の援助を求めた。その結果が、法王権であって、それは、国家の権力を支配し、それを教会自身の目的、特に『異端』の処罰のために用いた教会であった。……米国の主要な教会が、その共通の教理において合同し、国家を動かして教会の法令を施行させ、教会の制度を支持させるようになるその時に、プロテスタント・アメリカは、ローマ法王制の像を造り、その必然の結果として、反対者たちに法律上の刑罰を加えることになるのである。……『獣の像』は、プロテスタント諸教会が自分たちの教義を強制するために公権力の助けを求める時に起きてくるところの、そうした背教のプロテスタント教会を表している」(『希望への光』1809、1810、1812ページ、『各時代の大争闘』下巻161〜163、165ページ)。

獣の刻印

黙示録13章は、小羊に似た獣が最後の局面の中で指導的役割を果たすことを示しています。この世界的勢力は、人々の信仰を統制しようとして、地球規模の制度を設けるのです。この制度は、教皇の支配下にあった中世のキリスト教に酷似しています。

問2

黙示録13:16、17を申命記6:4〜8と一緒に読んでください。刻印を右手や額に押すことは、神の掟とどのような関係がありますか。

あらゆる社会階級の人々が、右手か額に獣の刻印を受けるように圧力をかけられるでしょう。額に押される神の印が神のものとみなされる人々を明らかにするように(黙7:3、4、14:1)、獣の刻印は、獣の礼拝者を明らかにします。

獣の刻印は、目に見えるしるしではありません。右手か額に押すことは、モーセがイスラエルの人々に、しるしとして神の律法を右手か額に結びつけなさい、と命じたことの偽物です(申6:8)。右手は行為と関係があり、額は思考や同意と関係があります。死の脅威を避けるために、獣の像を拝むことを選ぶ人もいれば、この背教の礼拝制度を心から、霊的にもすっかり支持する人がいます。

最後の局面における中心問題は、礼拝と、神の掟を守ることによる神への服従です(黙14:12)。とりわけ、安息日の掟が神に対する忠誠と服従の試金石になります。安息日が忠実な神の民の際立った服従のしるしであるように(エゼ20:12、20)、獣の刻印が獣に対する忠誠のしるしです。

獣の刻印は、人間の掟を神の掟に置き換えることを伴います。この事実の最大の証拠は、創造主によって聖書の中で命じられている第七日安息日の代わりの礼拝日として人間が設けた日曜日の制度です(ダニ7:25参照)。

神の権威のしるしをほかの日に換えようとする試みは、神御自身の役割と力を奪おうとする試みです。「獣の刻印は、法王制の安息日で……ある。……偽りの安息日施行の法令が出て、第三天使の大いなる叫びが獣とその像の礼拝に対して警告を発するに至る時に、……罪を犯し続ける者が獣の刻印を受けるのである」(『伝道』上巻318ページ)。

黙示録13:18には、「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である」と記されています。この人間はだれでしょうか。パウロはこの人間を「不法の者」(IIテサ2:3)と呼んでいます。この呼称は、海の獣によって象徴される教皇権を指しています。獣の頭の冒的な名前は、獣が自分のものだと主張する神の称号を指しており、獣は地上で神の子の代理を務めるとされています。

さらなる研究

黙示録は、安息日が歴史の終わりにおいて服従のしるしになるだろう、と教えています。しかし現時点において、ある人が日曜日を順守していることは、彼/彼女が獣の刻印を押されていることを意味してはいません。私たちはそのことを覚えている必要があります。日曜日順守が「獣の刻印」になるのは、世の中の惑わしや、礼拝日を選ぶことに関する問題をはっきり知っているにもかかわらず、人々が神に従うか、従わないかの選択をしたときです。しかし、その時はまだ未来のことです。

「まだ、だれも獣の刻印を受けていない。まだ、テストの時が来ていない。真のクリスチャンは、すべての教会の中にいるのであって、ローマ・カトリック教会も例外ではない。彼らに光が与えられて、第四条の戒めを守るべきことがわかるまではだれもとがめを受けない。しかし、偽りの安息日施行の法令が出て、第三天使の大いなる叫びが獣とその像の礼拝に対して警告を発するに至る時に、偽りと真理との間の境界線がはっきりと引かれる。その時、罪を犯し続ける者が獣の刻印を受けるのである」(『伝道』上巻318ページ)。

安息日順守によってだれも救われないように、今日、日曜日順守によってだれも失われないことを覚えましょう。しかし、「獣の刻印」が重要な問題となり、礼拝日を選ぶことが忠誠の試金石になる時が、やがて来ます。黙示録は神の民に、聖書を手に取って、内省の精神を持ちつつ預言の言葉を自ら研究し、今日、福音が伝えられていない人たちに福音を伝える努力をキリストのために全力でするように、と訴えています。

*本記事は、アンドリュース大学神学科新約学教授ランコ・ステファノビック(英: Ranko Stefanovic)著、安息日学校ガイド2019年1期『ヨハネの黙示録 イエス・キリストの働きを知る』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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