【コヘレトの言葉】富める人、貧しい人【5章解説】#6

目次

この記事のテーマ

ロシアの作家レフ・トルストイは『人間にはどれだけの土地が必要か』という民話を書いています。百姓のパホームは、「土地がたっぷりあったら、わしはだれもこわくないぞ、たとえ悪魔だろうと!」と豪語します。ある日、彼は土地を安く売ってくれるというバシキール人のことを耳にします。彼がそこに行くと、「1日1000ルーブルで土地を売る」と言われます。それはどういう意味か、と尋ねると、彼らは答えます。「1日単位で土地を売るということだ。おまえが1日かかって歩きまわった広さが、おまえのものになる」。ただし、一つだけ条件がありました。その日のうちに出発点まで戻らなかったら、お金は無駄になるのでした。大いに喜んだパホームは歩き始めます。彼はどんどん歩きました。もう十分土地を手に入れたのに、彼はなおも歩き続けました。気がつくと、日が暮れようとしています。彼は大急ぎで引き返しました。さもないと、すべてを失うのです。彼は急ぎに急ぎました。しかし、出発点を目前にして、ばったり倒れ、そのまま息を引き取ります。作男は墓穴を掘り、そこに彼を埋めました。人間にはどれだけの土地が必要なのでしょうか。「頭から足の先まで2メートルもあれば十分」、とトルストイは書いています。〔現在の1ルーブル=約4円〕

今回も引き続き、ソロモンが富と貧困について何と言っているかを学びます。

神は天に、人は地上に

問1

コヘレト4:17~5:6(口語訳5:1~7)を読み、その趣旨を要約してください。

ソロモンはコヘレトの言葉と箴言の中で実際的な生活と道徳的教えを強調していますが、その場合でも、必ず神の実在と臨在を意識しています。これらの聖句においても、ソロモンは神の実在と神の親密さに言及しています。つまり、神に近づく方法、神に語る方法、神に誓願する方法にまで、神は関心を払われるというのです。ソロモンの神、聖書の神は、理神論者の神のように、世界を創造した後、自らの仕掛けで動くままに放置されるような、よそよそしい神ではありません。もしそうなら、私たちは失望するしかありません。

ソロモンはここで、私たちが人間として神とどのようにかかわるべきかについて語っています。

問2

マタイ21:28~31を読んでください。これらの聖句は、ソロモンが言っていることとどのように調和しますか。

もちろん、要点ははっきりしています。ひとたび何かをすると主に申し上げたなら、それを実行したほうがよいでしょう。しかし、言うは易く、行うは難し、です。これこれをやめます、これこれを行います、と神に約束し、請願をたてながら、なんど失敗したことでしょう。確かに、当初はそのつもりで、実際にそのようにしたのですが、結果は失敗でした。では、私たちに希望はないのでしょうか。

問3

マタイ18:21~23、ローマ2:4、ヨハネIの2:1は、失敗しても希望を持つことができることに関して、どんなことを教えてくれますか。

貧しい人

「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(マタ26:11)。

ソロモンはここで、コヘレトの言葉の中心テーマであるお金、裕福な人、貧しい人について語っています。

コヘレト5:7(口語訳5:8)を読んでください。考えてみれば、これは不思議な言葉です。なぜなら、自国のために税金を課したのはソロモン自身、あるいは彼の政府だからです。ソロモンは、少なくともコヘレトの言葉の中で、貧しい人々がこの抑圧的な官僚政治のもとで直面していたいくつかの問題に気づいていたようです。

典型的な官僚制度のもとで、人々はいろいろな問題に直面します。ソロモンは何も解決法を示していません。ただ、「驚くな」とだけ言っています。

問4

次の聖句を読んでください。貧しい人々に対する態度に関して何と教えていますか。これらの聖句に共通しているテーマは何ですか。出23:6 レビ19:15、レビ25:39~43、申15:7、11、申24:14、15

ソロモンは先に(コへ4:1)、太陽の下でなされている虐げを見て、悲しんでいます。虐げにも、いろいろなものがあります。あらゆる時代に共通したものは、富める人々による貧しい人々の抑圧でしょう。上記の聖句などは、主が貧しい人々の存在を認める一方で、これらの人々の扱いに関して厳しい規則を与えておられることの一例です。すべての人は神の前に平等です。十字架はそのことを十二分に証明しています。しかしながら、悲しいことに、裕福な人々はそうでない人々に対して不当に権力を行使しがちです。当然ながら、このような行為は聖書の中で禁じられています。

王と耕地

「何にもまして国にとって益となるのは王が耕地を大切にすること」(コへ5:8)。

問5

上記の聖句を読んでください。それは、特に豊かで、権力のある人々に対してどんなことを教えていますか。申10:14、詩編8:7(口語訳8:6)、24:1、115:16

富める人も貧しい人も、権力のある人もない人も、一つ共通点があります。私たちがみな、この地球上に住んでいるということです。みな同じ空気を吸い、同じ水を飲み、同じ地から育つ食物を食べています。ある人はほかの人よりきれいな空気を吸い、きれいな水を飲み、よい食物を食べているかもしれませんが、基本的には、みな神から与えられるものに等しく依存しています。

しかしながら、ソロモンも彼の時代に感じていたように、このような認識は現代における不公正に歯止めをかけるまでには至っていません。

住む家もない人が世界に大勢いるというのに、パリのホテルの一室を一晩150万円で借りる人がいる世界について、ソロモンは何と言うでしょうか。

靴すら持っていない人が大勢いるというのに、4400万円もするフェラーリの車を買う人がいる世界について、ソロモンは何と言うでしょうか。

毎日の飲み水にすら事欠く人が大勢いるというのに、数年前、カナダのあるオークション(競売)で、一瓶1000万円もする1735年のドイツ・ワインを買った人がいるのを見て、ソロモンは何と言うでしょうか。

ソロモンはびっくり仰天するでしょう。主は地上の人間に十分なだけのものを備えておられます。貧困の理由はいろいろあるでしょうが、人間の欲望、堕落、貪欲が事態をいっそう悪くしていることは明らかです。

貧しい人々を搾取することによって、自らを豊かにしている人々は、裁きの日にその責任を問われることでしょう。

決して満足しない

あるポスターに次のように書かれていました。「お金はあなたを幸福にはしないが、不幸を大幅に軽くする」。

たいていの人は同意するでしょう。しかし、コヘレトの言葉にもあるように、お金と富はあらゆる問題を解決するとは限りません。幸福を保証するものでもありません。むしろ、新たな問題を招来することがあります。

問6

コヘレト5:9(口語訳5:10)を読んでください。どんな点が強調されていますか。金銭以外のことにも当てはまるどんな原則がここに述べられていますか。箴27:20、イザ56:11、12参照

主の支配下にない欲望、情欲、野心などは、いくら思いのままにしたとしても、決して満足させることはできません。麻薬常用者がよい例です。彼らは現在の麻薬の量では満足できなくなり、より多くの量を欲するようになります。このことは、金銭を含むほかの多くのことについても言えます。

問7

ルカ12:13~21を読んでください。このたとえの要点はどこにありますか。イエスが警告しておられるのは富そのものについてですか。それともほかのことについてですか。

このたとえを理解する鍵はたぶん、21節の終わりにあります。イエスはここで、

「神の前に豊かにならない」人たちに警告しておられます。つまり、イエスは神への義務を含む、ほかのあらゆることを犠牲にしてまでも富を追求する人たちに対して警告しておられるように思われます。イエスが言っておられるように、多く与えられた人は「多く求められ」ます(ルカ12:48)。富んでいる人はその富を賢明に用いる責任を負っています。しかし、よくあることですが、最も多く持っている人は最も貪欲で、わずかしか持たない人は喜んでささげます。

裸で塵に帰る

コヘレトの言葉は長年にわたって聖書研究者を悩ませてきました。わかりやすいメッセージがあるとすれば、それはコヘレト5:14(口語訳5:15)の言葉でしょう。ソロモンはここで、富の持つ愚かさと弱点について語っています。せっかく富を蓄えても、子孫に残す前にすべてを失うことなどはその一例です(コへ5:13、口語訳5:14)。

要点は明らかです。富める人たちもほかの人たちと同じように死にます。死んでしまえば、そのお金は無意味になります。しかし、言おうとしていることはそれだけではありません。ソロモンがこの書の中で言おうとしていることはこうです。「あなたの人生をながめてみるがよい。あなたは何のために生きているのか。ヘベル(蒸気)で満たされた人生にどんな価値があるというのか」。では、私たちは何を求めたらよいのでしょうか。

問8

マタイ16:24~26を読んでください。イエスはここで何を教えておられますか。

人は何によって自分の魂を買い戻すことができるでしょうか。お金、名誉、権力、情熱、それとも愛でしょうか。これらはみな神からの賜物であって(コへ5:17、口語訳5:18)、それなりの役割を持ちますが、同時に魂を誘惑するサタンの道具にもなります。この世の持ち物はすべて、私たちと同じく一時的で、はかないものです。この世に関するかぎり、私たちが死ねば、それでおしまいです。次に来るのは永遠です。つまり「、天地創造の時からお前たちのために用意されている国」(マタ25:34)か、「泣きわめいて歯ぎしりする」(ルカ13:28)永遠の破滅(IIテサ1:9)かのどちらかです。「アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出される」(ルカ13:28)のを見るとき、人間と同じく一時的で、はかないこの世に、どれだけの価値があるというのでしょうか。

今回のメッセージ

コヘレト5章を、今回の研究でふれなかった点に注目しながら、もう一度読んでください。

ルカ12:13~21に出てくる愚かな金持ちに関連して、エレン・ホワイトは次のように記しています。「貧しい者、孤児、やもめ、苦しむ者、悩んでいる者の窮状は、この金持ちも知っていた。……この人の目標は、滅んで行く獣の目標より高くはなかった。彼は、神も天国も未来の生命もないかのように、自分の持つものはすべて自分の物で、神や人にはなんの負うところもないかのように生活していた」(『キリストの実物教訓』232ページ)。

「神におのれをささげるには、私どもを神から引き離すものをすべて捨てなければなりません。ですから、『あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない』(ルカ14:33)と救い主は仰せになっているのであります。たとえ、どんなものであっても神から心を引き離すようなものは捨てなければなりません。多くの人は富を偶像にしています。金を愛し富を欲することはかれらを悪魔につなぐ黄金のくさりであります。ある人々は名声や世的な栄誉を神としています。また、なんの責任も負わず、利己的な安楽な生活を偶像にしている人もいます。けれども、こうしたどれいのきずなは断ち切らねばなりません。私どもは、なかば神に、なかば世につくことはできません。全く神のものでなければ神の子供ではないのであります(『キリストへの道』55ページ)。

私たちの教会は小さな教会ですが、すばらしい教会です。2つの教会のうち一つの教会では、ある姉妹とそのご主人が地域のホームレスの方々のためにボランティアとして奉仕しておられます。もう一つの教会のある姉妹は、若くして重い病を負われた方のために、ボランティアで身の回りの世話を頼まれ、良い働きをされました。彼女の真心からのケアで、その方は病院が考えていたよりも長く生き、安らかな最期を迎えることができました。私たちは「見返りを期待しない慈善」(『福祉伝道』240ページ)によって、人々の実際的な必要に応えるために、どうすればよいかを、もっと研究する必要があります。そうした地道な働きもまた「福音の右腕」になることを信じます。

*本記事は、安息日学校ガイド2007年1期『コヘレトの言葉』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次