三天使のメッセージ【ダニエル書と黙示録—重要な黙示預言】#11

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黙示録13章は神の民が経済制裁と死刑宣告に直面するところで終わっています。彼らが獣の像を拝まないからです。敵が神の民を皆殺しにしようとするのは、自分自身をこの世の正当な支配者としてすべての人に認めさせるためです。自分に敬意を払わない人々がいる限り、この目的は徹底することもなく、満足することはないでしょう。サタンは昔も今も、この世の神になることを意図しています。

竜は世界的な運動・宣伝によって全世界のすべての人に自分を拝ませようとします。しかし彼には競争相手がいます。それは礼拝に関して彼に対抗するメッセージ、すなわち黙示録14章の三天使のメッセージです。

黙示録は本質的に異なる2つの世界的な運動が互いに並行して展開する様子を描いています。まさにそれは善と悪との大争闘で、サタンは偽りのメッセージによって人々に自分を拝ませようとする一方、神は救いをもたらす最後のメッセージを世界に伝えられます。それは神の民に、バビロンを出て、創造主を礼拝せよとの信仰を呼びかけるメッセージです。ここで学ぶ形で大争闘は展開しますが、背後にある真の戦いはキリストとサタンの大争闘です。

日曜日全世界的使命――シオンとハルマゲドン

神の計画と竜の計画との間には興味深い関係があります。

ハルマゲドンは文字通りの場所でなく、再臨前のキリストとサタンの最後の対決の象徴と考えられます。

ハルマゲドンについては、アドベンチストの中にも2つの解釈があります。“ハル”が「山」を意味するヘブライ語であることはどちらも認めますが、第1の見解によれば“マゲドン”はイスラエルにあるメギドの町を意味し、メギド山、つまりエリヤがバアルの預言者と対決し、神が火の中でご自身を啓示されたカルメル山を指すと考えています。そこでハルマゲドンは主と竜との最後の対決を表し、主は再びまことの、唯一の神としてご自身を啓示されるという考えです。

第2の見解によれば“ハルマゲドン”はイザヤ14:14を指します。ルシファーは神の御座があった「集会の山」(13節、口語訳、ヘブライ語で“ハル・モエド”)に自分の座を据えようとしました。したがってハルマゲドンはこの世において永遠に神の地位を占めようとするサタンの最後の企み(たくら)を意味します。どちらの見解も黙示録のメッセージと合致します。

神の刻印と残りの民

古代世界や聖書において印章はいろいろな機能を持っていました。印章と言っても円筒印章や印形つき指輪、粘土や臘(ろう)に押される印影とがあります。聖書においては印章は所有(エフェ1:13)、神聖不可侵(マタ27:66)、信頼性(列王上21:8)の象徴でした。押印された物は保存され、保護されました。新約時代には印章は「しるし」と同意語に用いられました。パウロは旧約の「割礼の印」を「義とされた証し」、つまりアブラハムが信仰によって義とされた証拠としています(ロマ4:11)。旧約聖書においては安息日もまた印とされました。

問1

次の聖句は安息日のどの点を強調していますか。出エ31:13、出エ31:17、申命5:15

黙示録では神の律法に従うことが神への服従と忠誠のしるしとされています(黙示12:17、14:12)。残りの民の額に押された刻印(黙示7:3)は神および小羊の御名と同等です。ここに2つの思想が表されています。

①額に名を記されるとは、彼らが神のものであって、神の保護と守りのもとにあることを意味します(黙示7:3)。

②彼らの生き方が神の品性と神聖さを表していることを意味します(黙示14:5)。聖書において名はその人の品性を表します。

終わりの時代の神のしもべたちはその生活において神に心から献身し、特に聖化のしるしである安息日をきよく守ります。したがって神の刻印は神に対する無条件の服従を意味します。それは神の律法、特に安息日の戒めに従うことによって表されます。

第一天使のメッセージ

第一天使のメッセージの構成は、まず初めにメッセージ、次にそれが与えられた聴衆、最後に招きという順序です。

  1. メッセージ宣べ伝えられているのは「永遠の福音」です。永遠の福音と言われているのはそれが不変で、永遠に有効で、真実だからです。「福音」とはキリストが受肉、生涯、死、復活、大祭司としての働きを通して成し遂げてくださった救いの御業のことです。福音は裁き(ロマ2:16)と再臨(Ⅰテサ1:5、9、10)をも含みます。救いはキリストに対する信仰、従順にいたる信仰によってのみ実現します。
  2. 聴衆福音が全世界に宣べ伝えられるのは罪が全世界的なものだからです。福音はすべての人種・民族に伝えられます。人はすべて罪人だからです。
  3. 招きそれは三重の命令によって表されています。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。……礼拝しなさい」。神の偉大さ(詩96:4)、正義(黙示15:3、4)、救い(イザ45:21、22)を目にするとき、人は信仰と服従をもって神にひれ伏します。神を畏れるとは神の戒めを守ることです。

この招きは神の栄光をたたえるようにも告げていますが、それは神を最も愛すべきお方、最も重要なお方と認めることです。神に並ぶお方はいません。神をたたえることによって私たちは悪の勢力ではなく、神との同盟、平和にあることを宣言するのです。神をたたえるとは何かを神に捧げることではなく、私たちの人生において神を第一とすることです。

この招きはまた大争闘の中心である礼拝を扱っています。竜ではなく、神だけが礼拝を受けるお方です。神だけが創造者です。使命は私たちを天地創造のしるしである安息日に導きます。それは偶像崇拝や進化論と全く相容れないものです。

第二天使のメッセージ

問2

バビロンと諸国の関係を述べてください。黙示14:8

旧約聖書でバビロンは神と神の民の最大の敵でした(エレ50:24、28、29)。黙示録でもバビロンは敵として描かれています。都市としてのバビロンは政治的な力を強調し、淫婦(いんぷ)としてのバビロン(黙示17章)は宗教的な力を強調しています。バビロンの起源は人間の尊大さと神への反逆と関係があり(創世11:1~9)、バビロンという名は「混乱」を意味します。

問3

聖書はバビロンを他にどんな存在として描いていますか。黙示17:1~4

バビロンは女で象徴されています。聖書においては、純潔な女は神の民を象徴し(黙示12:1)、不道徳な女は神に不忠実な人々を象徴します(出エ34:15、イザ1:21、エレ2:20、エゼ16:41)。霊的姦淫は(かんいん)2つの形をとって現れます。第1に、それは真理を否定し、偶像礼拝を行い、真理と虚偽を混ぜ合わせます(エレ2:23~25、ホセ1~3章)。黙示録において女はキリストの血を表すぶどう酒ではなく、自分自身のぶどう酒を諸国民に飲ませています。第2に、地上の諸国民との間に政治的な同盟が結ばれます(エゼ16:26~29)。バビロンが世俗的な権力を握り、真理を捨てたとき、教会は淫婦をもって象徴されるにふさわしい姿になりました。

パウロが預言したキリスト教会の背信は使徒時代のすぐ後に始まり、中世においてさらに発展し、次いで背信プロテスタントの支持を得て全世界的に広がります。宗教的、政治的勢力としてのこの背教は、キリスト再臨の前に世界を支配しようとし、バビロンは黙示録13:15~17に描かれた危機において頂点に達します。やがて獣とその像は世界的同盟によって宗教と政治の力を一つに結合します。バビロンの最終的な崩壊(ほうかい)は将来のことです(『各時代の大争闘』下巻92、93ページ参照)。

第三天使のメッセージ

第三天使のメッセージは獣と獣の像の完全な敗北を宣言しています。ここには何回か獣と獣の像と獣の刻印のことが出てきますが、これは第三天使のメッセージが獣のいやされる間、またその後に宣べ伝えられることを暗示しています。

問4

警告に注意を払わない人たちの運命はどうなりますか。

(1)警告に従わない人々は神の怒りのぶどう酒を飲む神の怒りの杯は神が強制的にぶどう酒を飲ませ、裁きを与えることを表しています。このぶどう酒が混ぜ物のないものであることは裁きの厳しさの象徴です。それは最後の7つの災いに加えて(黙示16章)、悪人の最終的な滅びを意味しています。残りの民は神の怒りの杯を飲む必要はありません。キリストが彼らのためにそれを飲んでくださったからです(マル14:36)。

(2)彼らは永遠の刑罰を受ける「その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り」(黙示14:11)という表現は、彼らが完全に滅ぼされることを意味しています。同じ表現がエドムについても用いられていますが(イザ34:9、10)、エドムはもう燃えていません。火が永遠であるのはその結果が永遠という意味で、火によって滅ぼされたものは永遠に滅ぼされたままです。

(3)彼らには平安がない獣と獣の像を拝む人たちには平安がありません。平安はキリストを通して神の民に与えられる神の賜物です(マタ11:28~30)。悪人は神の民に約束された永遠の平安にあずかることができません。

問5

黙示録14:12に残りの者はどのように定義されていますか。

イエスに対する信仰はイエスの教えとイエスを信じる信仰の両方を意味します。前者はイエスの真理に従うことを強調し、後者はイエスによって義とされることを強調します。

まとめ

神は全世界に対して愛と忠誠をもって神に帰るように召しておられます。三天使のメッセージで神は竜の最終的破滅をお示しになりました。遅くならないうちにバビロンから残りの者を召し出すのが神の目的です。

今回の研究を閉じるにあたって、次の点に留意してください。

(1)安息日が争点

「黙示録13、14章において7回、『拝む』という語が聖でない三位一体に関して用いられている。『竜を拝んだ』『獣を拝む』『獣の像を拝む』。これらの章には、まことの神を拝むようにとの招きは1回しか出てこない。もし真の礼拝と偽りの礼拝が終末における争点であるとすれば、この聖句(黙示14:7)はこの部分、また黙示録全体の中心的な聖句である。黙示録が最終的に、まことの神を礼拝するように人々に呼びかけるのは、第4の戒め、つまり安息日の戒めに関連してである。したがって黙示録の著者は特別な意味で、安息日が最後の危機において争点になると理解していた」(ジョン・ポーリーン『聖書は終末について何と述べているか』126ページ、1994年、強調付加)。

(2)バビロンとユーフラテス

「ユーフラテスに関する天使の解釈(『人々、群衆、国民、国語』)によれば、バビロンの川〔ユーフラテス〕は中東を意味しない。神が文字通りの川や、イスラエルの敵の『洪水(大群)』を涸(か)らされた場合には、いつも敵に対する摂理的な裁きを意味していた。将来の第6の災いにおいてバビロンの大河が涸れる(黙示16:12)というのも例外ではないだろう。すべての国の政治指導者と群衆が突然、宗教的バビロンに対する神の判決を認め、一致して支持を取り下げるとき、裁きが始まる」(ハンス・K・ラロンデル「ハルマゲドン」『黙示録論集』第2巻386、387ページ、1992年)。

ミニガイド

黙示録の著者であるヨハネは何を意識して三天使のメッセージを書いたのでしょうか。自身はドミティアヌス皇帝の迫害の中、パトモスの孤島で主から後の日に関する幻を受けました。「天と地と水のみなもとを造られた神を拝め」はローマの皇帝礼拝への批判であり、「バビロンより出よ」はローマ異教主義からの離脱へのメッセージであり、「獣を拝むな」は多神教ローマ否定の叫びであったでしょう。初代教会は獣で代表されるサタンの手先となって教会を迫害したローマ政府の手中にありました。当時の信仰者にとって三天使のメッセージはローマからの決別の訴えでした。

*本記事は、神学者アンヘル・M・ロドリゲス(英: Angel Manuel Rodriguez)著、安息日学校ガイド2002年2期『重要な黙示預言』からの抜粋です。

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