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行動の人
短い序文の後で、マルコはガリラヤにおけるイエスの伝道について記しています。彼は一連の、短い、行動中心の人物描写をしていますが、それはテンポの速いテレビの報道番組を見るようです。
ここでも、マルコの描写をほかの福音書のそれと比較してみましょう。マタイによる福音書で、イエスの伝道において強調されている最初の大きな出来事は山上の説教ですが(マタ5~7章)、マルコによる福音書はひと言もそれに触れていません。ルカによる福音書はナザレにおけるイエスの説教に注目していますが
(ルカ4:14~30)、マルコによる福音書はこれも省略しています。ヨハネによる福音書の中では、カナの結婚式での奇跡がイエスの伝道において重要な位置を占めていますが、マルコによる福音書は全くそれに言及していません。このように、福音書の著者はそれぞれ、聖霊の霊感によって、驚くべき人、われらの救い主であり主である方の生涯と働きについて独特の記述をしています。
イエスが来られたのは、悪の勢力が優勢であって、人々をその支配のもとに捕らえている時代でした。エレン・ホワイトはこの時代を次のように描写しています。
「罪の欺瞞は絶頂に達していた。人々の魂を堕落させるあらゆる手段が実行されていた。神のみ子は、この世をながめて、苦難と不幸とをごらんになった。キリストは、人間がサタンの残酷な行為の犠牲となっているのを、あわれみをもってごらんになった。……悪霊の印そのものが人間の顔つきにおされた。人間の顔は、その身を占領している大勢の悪霊の表情を反映した」(『各時代の希望』上巻27ページ)。
問1
イエスはマルコ1:21~28で、御自分が特別な方であることを人々に印象づけるどんなことを初めにしておられますか。
イエスは人類の偉大な解放者として来られました。仕えられるためにではなく仕えるために、ほめられるためにではなく希望といやしを与えるために来られました。自分の捕らえた人間を決して離そうとはしない悪の勢力とは対照的です。悪霊の力は強力ですが、イエスの力はそれに勝ります。
問2
カファルナウムの会堂での悪霊につかれた男のいやしについて注意深く読んでください(マルコ1:21~28)。この奇跡はイエスの身分を明らかにする上でどんな助けになりますか。
イエスは最終的には、御自分が救うために来られた多くの人々によって拒否されることになります。力強い証拠にもかかわらず、彼らがイエスを認めることを拒否するようになるからです。対照的に、悪霊はイエスを認め、イエスの権威の前にひざまずいています。何という皮肉でしょう!
ペトロのしゅうとめ(マルコ1:29~39)
問3
ペトロのしゅうとめのいやしのうちに、イエスの個人的な関心がどのように表されていますか。マルコ1:29~34
「シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」(マルコ1:30、31)。シモンのしゅうとめが病気だと聞くとすぐに、イエスは彼女の病床に駆けつけられます。安息日の昼食を済ますまで訪問を延ばしておられません。弟子たちに教える時間もとられませんでした。何よりも彼女を優先しておられます。枕もとで言葉をかけられただけでなく、手をとって起こしておられます。何という優しい、思いやりに満ちたいやし主でしょう。このいやしが瞬間的で、かつ完全なものであったことに注意してください。熱との戦いはしばしば病人を衰弱させます。しかし、ペトロのしゅうとめの場合はそうではありませんでした。彼女は起き上がり、すぐに一同をもてなしています。
問4
イエスはペトロのしゅうとめのできないことを彼女のためになし、彼女もそのことに応答しています。このことはクリスチャンの生き方について何を教えていますか。マタ10:8、ヨハ15:12、Iヨハ5:2、3参照
重い皮膚病を患っている人(マルコ1:40―45)
問5
イエスがらい病患者をいやされたとき、イエスの思いやりはどのように表されていますか。マルコ1:40~45
「らい病」という言葉は新約聖書のギリシア語“レプラ”から来ていますが、実際には、さまざまな皮膚病を表すために用いられていたようです。『SDA聖書辞典』(改訂版)はレビ記13章の「らい病」(口語訳)に関連して次のように記しています。「さまざまな症状を分析すると、らい病という言葉が明らかに今日よりも広い意味で用いられていたことがわかる。ある人たちは、レビ記13章が『らい病』という一般的な言葉の中に七種類の病気を含めている、と指摘している。記述されている症状のいくつかは、……ハンセン病とも呼ばれるらい病よりも(明らかにそれも含まれるが)、むしろ乾癬(疥癬)に似ている」(667ページ)。旧約聖書は祭司に重い皮膚病と診断された人に対して明確な指示を与えています。患者は家庭と社会から離され(民5:1~4、12:9~15、王下15:5)、町に入ることを禁じられ(王下7:3)、裂けた衣服を着て、髪をほどき、人が近づくと、「汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばなりませんでした(レビ13:45、46)。明らかに、こうした慣習はイエスの時代にもまだ生きていました。ある村の外でイエスに出会った十人の患者は、遠くに立ち止まったまま、大声でイエスに呼びかけています(ルカ17:12参照)。しかし、マルコ1:40に出てくる患者は、イエスのすぐそばまで来て、ひざまずいて、いやしを嘆願しています。
イエスは、重い皮膚病の患者が自分に近づくのをお許しになっただけではありません。当時の慣習を破って、自ら手を差し伸べ、彼に触れておられます。この行為は救い主の同情心を生き生きと表しています。私たちはまた、触れることによって与えられるいやしの力を過小評価してはなりません。適度の慎みをもって行うなら、握手することであれ、抱擁であれ、愛に満ちた接触は傷ついた心に言葉の力を超えた効果をもたらします。
中風の人(マルコ2:1~12)
屋根に穴をあけ中風の人をつり降ろした話はいつの時代にあっても感動的です。それは決意と工夫の大切さを教えています。何とかイエスに近づこうと、戸口の群衆をかき分けて屋上に上り、屋根をはがして穴をあけ、そこから病人をつり降ろした四人の男たちの友情をたたえずにはいられません。ユーモラスなのは、一般人で込み合った汗臭い部屋の中に押し込められ、いかにも居心地が悪そうな律法学者です。屋根がはがされて、人がつり降ろされてくるのを見て、彼らは仰天したことでしょう。
問6
マルコ2:1~12をゆっくりと、祈りをもって読み、イエスのことばとみわざに接した人々の反応を考えてください。中風の人をつり降ろした男たち、中風の人、律法学者、奇跡を目撃した人々。
イエスは中風の人を連れてきた男たちの信仰を認め、それに応えられました。しかし、それは彼らの期待とは異なっていました。イエスは彼らの知らないことを知っておられました。中風の人がいちばん重荷に感じていたのは霊的な問題でした。病人は肉体的ないやしと同じ程度、いやそれ以上に、神との平和、自分の罪の赦しにつての確信を求めていました。
「あのらい病人と同じように、この中風患者の回復の望みはすっかり失われていた。彼の病気は罪の生活の結果であって、その後悔のために苦しみは一層ひどかった。彼は心の苦しみと肉体の苦痛から救われたいと望んで、ずっと前からパリサイ人たちや医者たちに訴えていた。しかし彼らは彼の病気はなおらないと冷淡に宣告し、彼を神の怒りにまかせた。……
しかし彼が熱望したのは肉体的な回復よりもむしろ罪の重荷からの解放だった。もしイエスにお会いすることができて、罪のゆるしと天とのやわらぎの保証が与えられるなら、神のみこころにしたがって死のうが生きようが満足だった」(『各時代の希望』上巻336、337ページ)。
レビ・マタイ(マルコ2:13―22)
レビは徴税人でマタイという名でも知られていました(マタ10:3参照)。人々は二つの理由で徴税人を憎んでいました。
彼らは外国の占領勢力ローマのために働く敵の協力者でした。
彼らはしばしば悪らつでした。ローマ人は直接税金を徴収するのではなく徴税請負制度を取り、徴税請負人によって税金を徴収していたのですが、請負人は一定の契約額をローマの国庫に納め、あとは好きなだけ集め、差額を自分のものにしました。彼らは、同胞を食い物にして富を得ていたのです。
イエスがレビ・マタイを召されたことは、弟子たちを含めて多くの人々に衝撃を与えたはずです。その上、イエスは、マタイが感謝の気持ちでイエスのために催した夕食会に出席しておられます。マタイはほかにも仲間の徴税人や「罪人(」ファリサイ人たちが自分たちの神に対する優位な立場を誇って、そのように呼んでいた普通の人々のこと)を招いていました。ファリサイ人の一般人に対する態度は次の言葉によく表されています。「律法を知らないこの群衆は、呪われている」(ヨハ7:49)。
しかしながら、イエスは、社会や彼らの見方とは異なり、すべての人を天国への候補者と見なされました。次のように言われます。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)。
問7
今日の研究に関連して、新しい布切れと新しいぶどう酒のたとえ(マルコ2:21、22)の意味を説明してください。
イエスは単なるもう一人の預言者ではなく、それ以上のお方でした。彼は肉体を取られた神、天から地上に遣わされたお方でした。この「新しさ」は、たとえば真の信仰の原則に反して、ある種の人々を見下すような古い宗教的伝統や社会的慣習を打破するのでした。福音が異邦人に宣べ伝えられるとき、それは伝統的な宗教そのものの革袋を破ることになるのでした。
ミニガイド
今回は主にキリストの癒しの奇跡が記されています。悪霊につかれた人、ハンセン病、中風、「さまざまな病を患っている多くの人々」が癒されました。それはキリストのお働きの大半の時間を占めていました。私たちはキリストの癒しの記録を読むとき、なぜ今日はそのようなめざましい癒しの奇跡がないのかという疑問が起こります。私たちの周りには病に苦しんでいる人々がなんと大勢いることでしょう。イエス様が「昨日も今日も」変わらず生きておられる方であるなら、どうしてこの地上においでになったときのように今でも癒しのわざを行ってくださらないのでしょうか。
キリストの癒しの奇跡の意味を考えてみますと、
- ナザレのイエスが神の子キリスト(救い主)であることを人々が信ずるためのしるしとして。
- 病に苦しむ人々に対し、神がどのようなお気持ちを持っておられるか人々が理解するためのしるしとして。
キリストの御在世、当時の癒しのわざはしるし(象徴)として行われたものであって、すべての人の究極的な癒しは「万物更新」の時まで信仰を持って待たなければならないということです。「病人に手を置けば治る」(マル16:18)という約束も神の摂理のうちにあるならばということであって、普遍的なものではありません。ホワイト夫人はこのように勧告しておられます。「病人のために祈るときは『私たちはどう祈ったら良いかわからない』ことを覚えなければならない──もし主の栄光となり、病人の益となるならば健康が回復するよう──もし回復することがあなたのみ旨でなければ、苦しい時にあなたの恵みが彼らを慰め、そば近くにあなたがおられまして、彼らを支えてくださるようにお願い申し上げます」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』207ページ)。しかし病気の苦難も信仰を持って受けとめるなら、私たちの思いを清め、霊性を高め、神とのいっそう深い交わりに導く祝福となることは確かです。
*本記事は、安息日学校ガイド2005年2期『マルコの見たイエス』からの抜粋です。