【列王記・歴代誌】北王国における背信ー反逆と改革【解説】#6

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【乳と蜜と……血の流れる土地】

【列王記と歴代誌ー反逆と改革】#4では、北王国イスラエルのヤロブアムがイスラエルをユダから分割し、金の子牛を造り、偶像を建て、「これまでのだれよりも悪を行」ったことを学びました(列王上14:9)。ヤロブアムの死後、その子ナダブが王位を継承しますが(前910~909)、ナダブもまた「主の目に悪とされることを行」いました(列王上15:26)。ナダブは間もなくバシャによって殺害されますが、このバシャも即位後、ヤロブアムと同じ道を歩み、イスラエルに罪を犯させました(列王上16:2)。バシャの死後(前886)、子のエラが即位しますが、エラはジムリによって殺害されます。ジムリはわずか7日間支配した後(列王上16:15)、イスラエルの軍勢に降伏するのを拒み、自ら王宮に火を放って死にます。エラの殺害に怒ったイスラエルの軍勢は謀反(むほん)を起こし、軍の司令官オムリを王にします(列王上16:8~20)。このオムリ家のもとで、事態はさらに悪化していきます。

今回はオムリの家系、アハブ王が取り入れた宗教、預言者エリヤの働きなどを学びましょう。カルメル山での戦いから、私たちは今日、どのような教訓を受けるでしょうか。

オムリ家の台頭(列王上16章)

オムリ王朝の全期間は紀元前885年ごろから同841年ごろまでの44年間で、北王国イスラエルの存続期間の5分の1にあたります。オムリ王朝の特徴は、代々の支配者が「彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った」と繰り返し書かれていることです(列王上16:30)。アハブに至っては、「ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず」(31節)とも書かれています。

イスラエルの軍司令官であったオムリは、ティブニとの4年に及ぶ戦いの後に王国を引き継ぎます。オムリという名前は『モアブ碑文』という考古学的記録に載ったヘブライ人の最初の王です。そこには、「イスラエルの王オムリは長年にわたってモアブを苦しめた。ケモシ〔モアブ人の主神〕が彼の地に対して怒られたからである」と記されています。オムリは強力な王朝を打ち立て、サマリアをその首都に定めました。彼の死後何年も、アッシリアの指導者たちはイスラエルの王を「オムリの子ら」と呼びました。

オムリ王朝
王の名関係治世
オムリ王朝の創始者12年
アハブオムリの子22年
アハズヤアハブの子2年
ヨラムアハブの子12年

問1

「オムリは主の目に悪とされることを行い、彼以前のだれよりも悪い事を行った。彼は、ネバトの子ヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返して、空しい偶像によってイスラエルの神、主の怒りを招いた」(列王上16:25、26)。ここで重要なのは「イスラエルに罪を犯させた」という表現です。他人に、あるいは全国民に罪を犯させるというようなことがありうるのでしょうか。指導者はある種の責任を負うことは理解できます。しかし本人の意に反して人に無理やり罪を犯させることができるのでしょうか。最終的な罪の責任はだれにあるのでしょうか。私たちは他人の罪の責任を問われることがあるのでしょうか。

アハブ、イスラエルを統治する(列王上16:29~34)

オムリも邪悪な王でしたが、紀元前874年に即位したオムリの子アハブはさらに悪い王でした。アハブの妻イゼベルはフェニキア出身の異教の王女で、バアル礼拝を含む異教の宗教によってイスラエルを支配しようと企ん(たくら)でいました。アハブの二人の息子の名が暗示するように(アハズヤ「主は守られる」、ヨラム「主は高められる」)、彼はヤハウエ礼拝をバアル礼拝に置き換えようとしたのでなく、二つの宗教を融合させようとしたのかもしれませんが、しかしアハブがバアル礼拝を積極的に勧め、支持したことは確かです。

問2

アハブがバアル礼拝とヤハウエ礼拝を融合させたことのどこがいけなかったのでしょうか。お互いにある面において共通の信仰を共有することができたのではないでしょうか。このような考えは正しいと思いますか。今日の教会にも、私たちの信仰とほかの信仰とを融合させようとする試みが見られないでしょうか。

カナン人の宗教は当時の宗教の中でも最も堕落していました。彼らは豊穣の儀式を行い、人身御供も含まれていました。また礼拝者たちは神の名において性的乱交を行い、バアルの神殿には、礼拝に集まる人々を喜ばせるための男女の“接客係”がいました。「人々は、イゼベルとその不敬な祭司たちの影響によって、偶像の神々がその魔力によって自然の力、火、水を支配していると、教え込まれていた」(『戦いと勇気』204ページ)。

「イゼベルは母国から何百人ものバアルおよびアシェラに仕える預言者を連れて来た。そして、カナン人の宗教儀式を広め、ヤハウエを礼拝する人々を迫害し、殺害した。イゼベルはこうして第一級の宗教的危機を招いた(列王上18:4、19)」(ジークフリート・ホーン『古代イスラエル――アブラハムからローマによる神殿破壊まで』121ページ、1988年)。

エリヤの出現(列王上17:1~9)

「エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、3年半にわたって地上に雨が降りませんでした」(ヤコ5:17)。

あなたがイスラエルの王であると仮定してください(しかも、かなり「成功した」王であると)。ある日、一人の農夫が現れ、あなたの王座の前に立ち、次のように宣言します。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」(列王上17:1)。そして知らぬ間に立ち去ります。初めのうちは、彼がどこかの変人か狂信者に違いないと考えるかもしれません。「私が告げるまで雨が降らない」などと確言するとは。しかしそう思うのも雨が降らなくなり、本当に地に飢饉(ききん)が来るまでだけのことです。

問3

エリヤの言葉がいかに大胆で不遜なように思われても、それはアハブ王にとって驚くべきことではありませんでした。その理由を、申命記11:16、17、28:23、24、レビ記26:19に照らして考えてください。

エリヤとは「ヤハウエはわが神」という意味です。彼が異教の宗教との戦いにあったことを考えると、実にふさわしい名です。

アハブに警告を与えた後、エリヤは主からケリト川のほとりに身を隠すように告げられます。彼はそこで川の水を飲み、カラスによって(神の奇跡)養われるのでした。水は自然(川)の贈り物でしたが、食物は超自然(カラス)の贈り物でした。その川の水は涸れます。「雨がこの地方に降らなかったからである」(列王上17:7)。食物はカラスが運んでくれましたが、水がなくては生きてゆけません。

カルメル山の対決(列王上18章)

問4

カルメル山の対決を読み、次の各質問に答えてください。

(1)宮廷長オバドヤがエリヤから命じられたことを実行するのを恐れたのはなぜですか。オバドヤは先のどんな出来事のゆえに王を恐れていましたか。

(2)アハブは初めエリヤに対してどんな態度を取りましたか。自分の罪を人のせいにするという、この実例をほかに挙げてください。

(3)民に対するエリヤの問いかけ(21節)を読んでください。それはイスラエルにおいてなされていた礼拝に関してどんなことを暗示していますか。それは純粋な異教信仰でしたか。それとも二つの信仰の混合したものでしたか。

(4)エリヤがバアルの預言者たちを嘲ったのはなぜですか。それは彼自身の個性や欲求不満から出たものでしたか。

(5)エリヤが一定の時刻に、主が天から応答し、御名を擁護されるように嘆願したことに注意してください。その一定の時刻にはどんな重要な意味がありましたか。

(6)バアルの預言者たちは自分たちの信仰に従っていただけでした。それなのになぜ、その熱心さのゆえにこれほどの厳しい刑罰で殺されねばならなかったのでしょうか(28節)。

(7)カルメル山におけるエリヤの物語に示されている原則は明白で、私たちは偽りの神々でなく、唯一のまことの神、「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主」(36節)、天と地の創造者だけを拝むべきであるということです。私たちは今日、このことから何を学ぶべきでしょうか。私たちはこのような劇的な状況に立たされることがあるでしょうか。これほどはっきりした真理と虚偽に直面することがあるでしょうか。今日、エリヤと同じ神に仕える者として、私たちはここで学んだ教訓をどのように生かすべきでしょうか。

イゼベル(列王上19:1~18)

「アハブは、エリヤの行ったすべての事、預言者を剣で皆殺しにした次第をすべてイゼベルに告げた。イゼベルは、エリヤに使者を送ってこう言わせた。『わたしが明日のこの時刻までに、あなたの命をあの預言者たちの一人の命のようにしていなければ、神々が幾重にもわたしを罰してくださるように』」(列王上19:1、2)。

私たちの神は憐れ(あわ)みの神、赦しの神、想像を絶する恵みの神です。十字架において、イエス・キリストは世の罪のための代価を支払われました。私たちのすべてのうそ、貪欲、(どんよく)ねたみ、肉欲、うぬぼれ、不正、利己心、汚れた言動が十字架に架けられました。一つ一つは大して悪いとは思われない行為であっても、すべてを集めて合計し、目の前に見せられると、胸を打ちたたいて悲しむほどになります。キリストは十字架においてそれらすべてを負い、死なれたのです。私たちが自らの罪の重みによって永遠に滅びることがないためでした。ここに憐れみがあります!

問5

次の各聖句を読み、それらが救いと恵みについて何を教えているか調べてください。ヨハ3:16、17、ロマ5:6、Ⅰヨハ2:2

カルメル山での事の次第をアハブから聞いた後のイゼベルの態度に注意してください。真の神の力強い現れを見て、イゼベルは改心し、悔い改め、神の赦しを乞い求めたとしてもおかしくありません。そこまでいかなくても、町を離れ、エリヤとかかわりにならない方が無難であると考えるのが普通です。実際にはどうだったでしょうか。

まとめ

古代の歴史は、地中海の東の地域に住んでいた民がまれに見る堕落した民であったことを記録しています。彼らは欲望を宗教としていました。彼らはモレク神に子供を人身御供として捧げました。レビ記18章はカナン人の堕落した道徳性をいくぶん明らかにしています。あとは推して知るべし、です。カナン人はあまりにも汚れているので、土地そのものさえ彼らを「吐き出す」と言われています(レビ18:28)。彼らの宗教に影響されて汚されてはならないと、主がイスラエルを厳しく戒められたのも不思議ではありません。

「バアルの祭司たちは、主の力の不思議なあらわれを眺めて驚く。しかし彼らは、自分たちの失敗と神の栄光のあらわれを見てもなお、悪行を悔い改めようとはしない。彼らはなおも、バアルの預言者でありたいのである。こうして彼らは滅びの時が熟したことを示した。悔い改めるイスラエル人は、彼らにバアル礼拝を教えた者の惑わしから保護されるのであるが、エリヤはこれらの偽りの教師を滅ぼす指示を主から受ける。罪を犯した指導者たちに対する人々の怒りは、すでに燃え上がっていた。そしてエリヤが『バアルの預言者を捕えよ。そのひとりも逃がしてはならない』と命令したときに、彼らはすぐに従う用意がある。彼らは祭司たちを捕えて、キション川に連れていく。そして、決定的改革が始まったその日の終わる前に、バアルの預言者たちは殺される。そのひとりも生かしておいてはならない」(『国と指導者』上巻122ページ)。

ミニガイド

【アハブ、イセベル】  

アハブについて聖書は冒頭から容赦なく、イスラエル史上、最悪の王と断罪しています。アハブは「彼以前の(王の)だれよりも」悪を行いました。「ヤロブアムの罪」とは子牛礼拝を指します。彼はそれだけで満足せず、異教徒であるシドン王の娘イゼベルと結婚して、外国の宗教をイスラエルに“奨励”“推進”しました。彼女の父エテバアルはバアル教の最高神官であり、歴史家ヨセフスは彼を「アシタロテ女神の祭司」としています。ティルスとシドンはともにフェニキアの主要都市で、並列して表現することが多く、ティルスの王のことをシドンの王と呼称する習慣もありました。

【バアル】

バアルとは“主”という意味で、嵐の神、また農産物、生殖を支配する豊穣の神として広くパレスチナ地方で信奉されていました。イゼベルの名は悪女の代名詞のように使われ、新約時代にも“教会に偶像礼拝をもたらす女預言者”(黙示2:20)として書かれています。考古学者たちはサマリアに近いメギドの発掘で、アハブ時代の地層からバアルの配偶神アシタロテ神殿の廃墟を発見しました。神殿から数歩のところに墓場があり、そこで犠牲にされた幼児たちの遺体を入れた壺が(つぼ)多数見つかりました(シカゴ大学東洋研究所に保存)。バアル礼拝がいかに恐ろしいものであるかを示すものです。前2世紀にポエニ戦争がありました。ローマ軍はフェニキアの植民地であったカルタゴ(地中海を隔てた対岸都市)を殲滅したとき、何世紀も前の幼児犠牲の習慣を発見して驚愕しました。その頃まで悪習が続いていたのでした。「ローマの軍隊は神に代わって異教徒に裁きを下した」とローマ歴史家は書いたといわれています。この宗教が続いたとしたら世界に恐ろしい邪悪宗教が広まったことでしょう。

【エリヤ】

アハブ王についての聖書の記述はエリヤとの関連で7章にも及んでいます。エリヤの勇気ある行動と耐えがたいほどの失望感は対照的ですが、このことは預言者といえども神とともにある場合と孤独に思い込む人間との間の葛藤を現しています。神の言葉をそのまま伝えるべく神から直接召されたのが預言者です。彼らは自分の立場や命をかけて権力者である王に語りました。預言者エリヤは王と王妃の罪を指摘して命を狙(ねら)われ、バプテスマのヨハネはヘロデ王と王妃の罪を責めて無残にも首を斬(き)られて殺され、預言者ナタンはダビデ王を批判しましたが、彼の場合、王が素直に悔い改めたために許しのメッセージを伝え、その後もよい支持者として働きました。

*本記事は、安息日学校ガイド2002年3期『列王記と歴代誌ー反逆と改革』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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