【列王記・歴代誌】一方、北王国では……ー反逆と改革ー【解説】#10

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【オムリ王朝の最期】

イスラエル王国に関する前回の研究では、ラモト・ギレアドの戦い(前853)においてアハブが死に、ヨシャファトが(神の恵みによって)かろうじて生き延びたところまで学びました(歴代下18章)。今回は、後戻りして、アハブと彼の後継者である息子のアハズヤ、その兄弟のヨラム(オムリの最期の子孫)、反乱によって権力を握ったイエフについてもう少し詳しく学びます。そして最後に、旧約聖書ばかりでなく新約聖書においても重要な役割を果たしているエリヤの「地上」生涯について学びます。

今回の研究ではイゼベルがナボトにしたこととその結末、アハズアのこと、そしてエリヤの働きを学びます。とくに彼の改革と生涯の物語から私たちは現代において何を学ぶべきでしょうか。オムリ王朝はいかにして終わったか、またイエフがアハブに対してしたことを神はどのように見たのでしょうか。

アハブとナボト(列王上21章)

カルメル山でのエリヤとの対決後、意志の弱いイスラエルの王アハブの政治は比較的うまく行っているように思われました。彼は2度もシリア軍を打ち破り(列王上20:1~34)、経済的にも繁栄しました。短期間でしたが、イスラエルはアハブの下で大国アッシリアの西で最も力ある国の一つとなりました。しかし、繁栄は続きませんでした。アハブのような指導者では続くわけはありません。列王記上21:1~16を読んでください。ナボトには土地を王に譲る気はありませんでした。むしろ彼は神に従う責任を感じていました。このことを頭に入れて次の質問に答えてください。

問1

王はぶどう畑の代わりに何を与えると言いましたか。それは正当な値段でしたか。

問2

列王記上21:9、10によると、これはイゼベルの陰謀でした。彼女は「断食」を布告し、ナボトを「神と王とを呪(のろ)った」かどで石で打ち殺す計画でした。かつて主への礼拝を止めさせようとしたイゼベルです。自分の神々と預言者たちが敗北し、死んでいくのを見て、迫害者タルソスのサウロのように回心したのでしょうか。それともほかに何か計画があってのことでしょうか。

21章後半のアハブに対するエリヤの言葉に注目してください。「あなたは自分を売り渡して主の目に悪とされることに身をゆだねた」(20節)。ここに、彼がある程度善を知っていたこと、利得のために原則を犠牲にしたことが暗示されています。自分を売り渡したのは「その妻イゼベルに唆さ(そそのか)れた」からと書かれています。

「アハブはこれらの言葉を聞くと、衣を裂き、粗布(あら)を身にまとって断食した」(27節)。これは見せびらかしではなく、心から悔い改めたのでした。主はエリヤに言っておられます。「アハブがわたしの前にへりくだったのを見たか。彼がわたしの前にへりくだったので、わたしは彼が生きている間は災いをくださない」(29節)。

アハブの子、アハズヤ

列王記下1章を読んでください。そこには父アハブの死後、王位に就いたアハズヤのことが記されています。アハズヤの求め(2節)は、主に従う人々がイスラエルにおいて華々しい勝利を収めながら、異教信仰の問題だけは克服することができなかったことを示しています。アハズヤも苦境に陥ったとき、異教の神々に助けを求めました。

問3

主の御使いはアハズヤに語るためにエリヤに次のような言葉を与えています。「あなたたちはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして出かけているが、イスラエルには神がいないとでも言うのか」(列王下1:3)。ここにどんな霊的原則を見ることができますか。私たちも間違ったところに答えを求めてはいないでしょうか。天地創造の神が助けようと待っておられるのに、私たちは「エクロンの神」に尋ねようとしてはいないでしょうか。神以外のものに助けを求めることは危険です。自分自身のうちに答えがあると思っている人たちもいます。“現代のエクロンの神々”をほかに挙げてください。

アハズヤが兵士たちをエリヤのもとに遣わしたときに起こった出来事について読んでください(列王下1:9~18)。天から火が降って、犠牲ではなく100人の兵士たちを焼き尽くしています。3度目に兵士たちが送られたとき、隊長が命乞いをします(先に遣わされた人たちのことを聞いていたのでしょう)。聖書はこのような非情、苛酷な(かこく)出来事の理由を充分に説明していませんが、たぶんカルメル山での出来事のように生ける神の力をアハズヤに印象づけるためだったでしょう。そうでなければ、エリヤに山を降りて兵士たちに立ち向かう勇気を与えるためだったでしょう(何事が起ころうとも、彼は恐れるべきではありませんでした)。

エリヤの(地上における)最期(列王下2:1~12)

クリスチャン音楽家、リッチ・マリンズの作った賛美歌に、次のような一節があります。「わたしがこの世を去るときには、エリヤのように上って行きたい」。嵐の中を、火の馬に引かれた火の戦車に乗って天に上って行く(列王下2:11)――劇的な人生を送ったエリヤには、まさにふさわしい退場場面です。

どこからともなく現れて、権力者たる王を非難するエリヤ(列王上17:11)。神への祈りと嘆願によって子供を生き返らせるエリヤ(18~22節)。カルメル山において850人の偽りの預言者たちを震え上がらせたエリヤ(列王上18章)。王妃イゼベルの怒りに触れ、命からがら逃げのびたエリヤ(列王上19:4)。天から火を降らせ、敵を焼き尽くしたエリヤ(列王下1:10~12)。エリヤは旧約聖書の中でも最も傑出した人物のひとりです。

エリヤは旧約聖書中の巨人であるだけではありません。イエスはエリヤについて語り(マタ11:14、17:12、マコ9:11)、四福音書もエリヤに言及しています(マタ27:47、マコ9:5、ルカ9:8、ヨハ1:21)。パウロとヤコブは彼を模範として挙げています(ロマ11:2、ヤコ5:17)。旧約聖書の預言者の中で、エリヤとモーセだけが新約聖書の中にも現れます(マタ17:1~4)。彼はそれほど特別な人物でした。

問4

エリヤは調和のとれた人物でしたか。狂信的でしたか、中庸でしたか。自由主義者でしたか、保守主義者でしたか。エリヤが生きていたら私に、また教会に何と言うでしょうか。

パウロは『わたしは、バアルにひざまずかなかった7000人を自分のために残しておいた』とエリヤを神が励ましておられることを述べています(ロマ11:2~4)。ヤコブも「エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、3年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました」(ヤコ5:17、18)と書きました。パウロもヤコブも、偉大な預言者エリヤをひとりの人間として扱っています。

イエフ家の台頭(列王下9章)

「あなたはあなたの主君アハブの家を撃たねばならない。こうしてわたしはイゼベルの手にかかったわたしの僕たち、預言者たちの血、すべての主の僕たちの血の復讐(ふくしゅう)をする」(列王下9:7)。アハズヤの死後、オムリ王朝の最後の王となる兄弟のヨラムが後を継ぎます(列王下1:17参照)。驚くことではありませんが、ヨラムは「主の目に悪とされることを行」います(列王下3:2)。そのため、預言者エリシャは反乱を主導し、その結果、ヨラムは除かれ、将軍のイエフが王となります。

問5

列王記下9章を読み、次の質問に答えてください。

(1)エリシャがイエフの油注ぎに関して「預言者の仲間」の一人に与えた指示の順序に注意してください(列王下9:1)。行け、油を注げ、逃げろ、「ぐずぐずしていてはならない」(3節)。エリシャがそれを急いだ理由は何だったと思いますか。

(2)イエフとその軍勢が近づくのを見たとき、ヨラムはどんな質問を3回しましたか。この質問はヨラムの心理状態に関してどんなことを示していましたか。彼が恐れたのはなぜですか。

(3)ヨラムの死はナボトの死に伴うエリヤの預言の結果でした(列王上21章)。というのは、アハブが悔い改めたので、彼に対する刑罰はその子孫に下ることになっていたからです(列王上21:21)。列王記・歴代誌における祝福と刑罰の原則によれば、エリヤの預言は条件つきではなかったでしょうか。もしヨラムが父や兄弟と違って忠実であったなら、この預言は実現していなかったのではないでしょうか。あなたの考えを述べてください。

(4)列王下9:25によれば、ヨラムの死体はどこに捨てられましたか。ヨラムが両親の悪事に何ら関係していなかったのに、この処置は公正だと言えますか。それともこれは何かほかのことの象徴なのでしょうか。もしそうだとすればどんなことですか。

(5)イゼベルはやって来たイエフに何と言いましたか。彼女は何を伝えようとしたのでしょうか。ジムリはユダのバシャ王を滅ぼした人物でした(列王上16:12)。答えは列王記上16:15、16にあります。

イスラエルを改革するイエフ

9月5日第10課一方、北王国では……木曜日イスラエルを改革するイエフ9月5日「こうして、イエフ王朝は始まった。イエフは紀元前841年から同814年まで統治した。彼は可能な限り徹底的にバアル礼拝を根絶した。この点における正しい熱意のゆえに、彼は預言者エリシャから賞賛され、彼の子孫が4代にわたってイスラエルを統治するとの約束を受けた(列王下10:30)。こうしてイエフ王朝は90年にわたって国を統治した。これはイスラエルの存続期間の半分近くになる。しかしイエフはヤロブアムの子牛礼拝をやめなかった結果として、彼の改革は不完全なものと見なされた(列王下10:31)」(ジークフリート・H・ホーン「ユダとイスラエル、分裂王国」『古代イスラエル――アブラハムからローマによる神殿破壊まで』5章、125ページ)。

問6

列王記下10章は、イエフがイスラエルのアハブの家に対して、またバアルを拝んだ人々に対して取った行動を記録しています。次の聖句を読み、「アハブの家に対してお告げになった主の言葉」(列王下10:10)がどのように実現したか書いてください。列王下10:7、14、17、25~27

これらの虐殺がイエフの行き過ぎた熱心さから出たものであると言う人がいるかもしれません。しかし主が30節でイエフに対して言われたことを読んでください。「主はイエフに言われた。『あなたはわたしの目にかなう正しいことをよく成し遂げ、わたしの心にあった事をことごとくアハブの家に対して行った。それゆえあなたの子孫は4代にわたってイスラエルの王座につく』」。この聖句から、主が明らかにアハブ家に対するイエフの行動を是認しておられることがわかります。私たちはこれをどのように理解したらよいのでしょうか。それとも、数千年後の、全く異なった文化の中に住んでいる私たちにとって、これらの出来事は理解を超えたことなのでしょうか。

まとめ

「エリヤのメッセージ―キリストが天の雲に包まれて再臨される直前のこの時代に、神は主の大いなる日に立つ民を備える人々を召しておられる。バプテスマのヨハネがしたのと全く同じような働きがこの終末の時代になされなければならない。主は御自身の選んだ器を通して御自分の民にメッセージを与えておられる。主はすべての人が御自分の与える勧告と警告に注意を払うようにされる。キリストの公的生涯に先立って語られたメッセージは、徴税人、罪人よ、悔い改めよ、ファリサイ派、サドカイ派の人たちよ、悔い改めよ、『天の国は近づいた』、であった。私たちのメッセージは平和と安全のメッセージであってはならない。キリストの間もない出現を信じる民として、私たちは伝えるべき明白なメッセージを持っている――『自分の神と出会う備えをせよ』」(『SDA聖書注解』4巻1184ページ)。

「私たちのメッセージはヨハネのメッセージと同じくらい直接的でなければならない。ヨハネはヘロデ王の不義を告発した。命が危険にさらされても、彼は決して真理を語ることを止めなかった。この時代における私たちの働きも、同じくらい忠実になされなければならない」(同)。

「神がエヒウ(イエフ)を起こして邪悪なイゼベルとアハブの全家を殺されたのは、道徳力の弱い人々を神があわれまれたからであった。神のあわれみ深い摂理によって、バアルとアシタロテの祭司たちが除かれて、彼らの異教の祭壇が破壊されたのである。知恵に富んでおられる神は、もし誘惑が除かれるならば、異教を捨てて、その顔を天に向けるようになる者があることを予見された。災禍が次々に彼らの上にくだることを神が許されたのは、このためであった。神の刑罰には、あわれみが混じっていた。神は、神のみこころが達成されたときに神を求めることを学んだ人々のために、形勢を一変されたのである」(『国と指導者』上巻221、222ページ)。

ミニガイド

【北王朝の王のリスト】

ヤロブアム1世
ナダブ
バシャ
エラ
ジムリ
オムリ
アハブ
アハズヤ
ヨラム
イエフ
ヨアハズ
ヨアシュ
ヤロブアム2世
ゼカルヤ
シャルム
メナヘム
ペカフヤ
ペカ
ホシェア

北王朝の王たちは全部で19人、すべて偶像礼拝を行いました。預言者のエリヤ、エリシャ、ホセア、ミカ、イザヤ、アモスなどが警告を発しましたが、受け入れられず、分裂後、210年ほどしてアッシリアによって滅ぼされました。(南王朝は時折、善王が現れて改革を断行しました。そのためでしょうか、350年と命脈は延びましたが、最後は神への反逆から悲劇的な滅亡の道をたどりました)。

北の国イスラエルは内乱、将軍などによる暗殺やクーデターが頻発し(ひんぱつ)て不安定な状況があり、王朝交代が繰り返されました。オムリはジムリを倒して政権をとり、アハブ、アハズヤ、ヨラムと4代続きます。44年にわたる王朝は長いほうです。イエフはゼカルヤまで5代続く新王朝を開き、94年という全盛期を過ごしました(南王国ユダはダビデ、ソロモンから続く交代のない1代王朝)。

アハブの親衛隊長であったイエフはエリシャに油注がれて王となりました。彼はアハブの家を滅ぼし、ヨラム王、イゼベル、ユダ王アハズヤ、アハブの70人の子、アハズヤの兄弟、アハブ家の追随者、同情者、バアルの祭司、礼拝者を皆殺しにしました。徹頭徹尾、残忍、無慈悲でまことに血なまぐさい武断政治です。バアル礼拝には厳しかった彼は“ヤロブアムの罪”を捨てず、金の子牛礼拝を続けました。このような人間を神が用いられたこと、お褒(ほ)めの言葉を告げられたこと(列王下10:30)は不可解ですが、私どもの知らぬ背景、深い思想、価値観などがあるように思います。私たちは限られた範囲、記録された部分だけでしか判断できないことを覚える必要がありそうです。

ニネベの宮殿遺跡からアッシリア王シャルマナサルの「黒オベリスク」(大英博物館)が発見されました。そこにはイエフが王にひざまずいて貢納をしている光景が刻まれています。「オムリの子、イエフの貢ぎ物、銀、金、金杯、金碗、鉛、王のしゃく、槍を私は受けた」と書かれています。

*本記事は、安息日学校ガイド2002年3期『列王記と歴代誌ー反逆と改革』からの抜粋です。

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