【列王記・歴代誌】北王国の最期ー反逆と改革ー【解説】#11

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【国の葬送行進曲】

北王国のための葬送行進曲が聞こえます。実際には、葬送行進曲はヤロブアムが金の子牛を造った今期の初めにすでに始まっていました。この時から、事態は悪化の一途をたどっていました。有効な改革がなされないまま、不従順の結果についてのモーセと預言者たちの警告が実現するのは時間の問題でした。

そして、その時が来ました。ほぼ200年(前921~722年)におよぶ悲劇的な歴史の後に、反逆の精神から生まれたイスラエルは残忍で容赦のないアッシリア人の圧倒的な力の前に滅びます。当然と言えば当然でした。20人近くの王がそれぞれ平均10年半にわたってイスラエルを支配しました。そのうちの7人が王位に就くために前任者を殺しています。彼らはみなヤハウェの礼拝をゆがめ、人々にバアルやアシェラを拝ませました。エリヤ、エリシャ、その他の預言者たちは繰り返し彼らに警告しましたが、彼らは聞き従いませんでした。今回の研究ではエホアハズとエホアシの統治下で起こったこと、イエフによって根絶したはずのバアル礼拝はどのように復活したかを考えましょう。

この親にしてこの子あり…(列王下13:1~13)

「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪に従って歩み、それを離れなかった」(列王下13:2)。「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れず、それに従って歩み続けた」(列王下13:11)。

ヨアハズとヨアシュは王朝の創始者であるイエフと同じように歩みました。イエフはバアル崇拝を根絶するのに熱心でしたが、“自家製”の偶像崇拝に固執し(列王下10:31)、霊的堕落の道を歩み、ついには北王国の滅亡を招いたのでした。なぜこのようなことになったのでしょうか。

プラトンの『国家編』の中に出てくるソクラテスの「壮大な神話」はこの問いに関してある種の手がかりを与えてくれます。神話によれば、神が人間を造ったとき、ある人々の中に金を、ある人々の中に銀を、ある人々の中に銅を入れました。金を入れられた人々は政治的、社会的に最高位の守護者となり、銀を入れられた人々はその下の位の補助者に、銅を入れられた人々は最下位の階級になるのでした。

この神話を信じるなら、人はみな自分の社会的地位に満足します。神がそのように決めたからです。「ところで、どうやって人々にそのように信じさせるのか」。この問いに対するソクラテスの答えは古典文学の中でも洞察に満ちたものとされています。「1代目の世代はうまく行かないが、2代目以降の世代になればうまくいく」。どんなうそや作り話も、時間がたてば、人々は信じるようになるということです。

エリシャの生涯と死(列王下13:14~21)

エリシャはアハブとイゼベルの時代に預言者として召され、前任者のエリヤは火の戦車に乗って天に上りました(列王下2章)。恐るべき道徳的退廃と難問に直面しながらも、エリシャは自分の召しに忠実でした。「こうして、神の人エリシャは、毎年、忠実に務めを行って、人々と親しく接触して働き続けた。そして、危機においては王たちの傍に立って、賢明な助言者となった。王たちと国民が背信して偶像を礼拝したことは悲しむべき結果を生んだ。背信の暗い影はなお、至るところに明白ではあったが、ここかしこに断固としてバアルにひざをかがめることを拒否した人々があった。エリシャが彼の改革事業を続けたときに、多くの人々が異教主義から改宗した。そして、彼らは真の神の礼拝の喜びを知ったのである。エリシャはこうした神の恵みの奇跡に勇気づけられて、心の正しいすべての人々に救いの手をのばそうという大望をいだいた。彼はどこへ行っても、義の教師となるように努力したのである」(『国と指導者』上巻225、226ページ)。

問1

列王記下13:14~21を読んでください。偶像礼拝を行っていたヨアシュ王が臨終のエリシャのもとに来て泣きます。王が臨終の預言者を訪ねて来るのは珍しいことでした。ヨアシュがエリシャに関心を示したのはなぜでしょうか。王がエリシャのことを「わが父」「イスラエルの戦車」「その騎兵」と呼んでいることに注意してください。

預言者が生きている間は無視し、責めながら、預言者が死ぬと一転して彼らをほめる――このような例がほかに聖書の中に見られないでしょうか。イエスが宗教指導者たちに語られた言葉に注目してください。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う」(マタ23:29、30)。

ヤロブアム2世(列王下14:23~29)

ヨアシュ王の死後、ヤロブアム2世が王位に就きます。ヤロブアム2世が統治した41年間は、国が政治的にも経済的にも非常に繁栄した期間でした。しかしながら、彼もまた前任者たちと同様、「主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった」(列王下14:24)。

問2

列王記下14:25~28を読んでヤロブアム2世の軍事的成功に注目してください。彼は外国勢力に奪われていた領土を回復しました。主が彼にこのような成功をお与えになったのはなぜですか(26、27節)。

預言者ホセアとアモスのイスラエルへの活躍はこの時代でした。

問3

ホセアとアモスはどんな悪に対して警告しましたか。ホセ4:1、2、ホセ6:10、ホセ9:9、アモ2:6、7、アモ3:10、アモ4:1、アモ6:4~6

ホセアはバアル礼拝に言及しています(ホセ2:8、13、17)。バアル礼拝はどこから来たのでしょう。曾祖父のイエフが即位して王とその家族を殺し、イゼベルの肉を犬に食わせ、「バアルに仕える者」たちをみな滅ぼし(列王下10:21、25)、バアルの神殿を破壊し、それをごみ捨て場(便所)にしたとき、バアル礼拝を完全に根絶したはずではなかったでしょうか。しかし、バアル礼拝復活は驚くには当たりません。罪にはもともと自制心というものがないからです。ひとたび罪に対して扉が開かれるや、さらに重く、悪い罪が入ってくるものです。

「彼らは王を立てた」(ホセ8:4)

列王記下15:8~31、17:1~4を読んでみましょう。ヤロブアム2世のあと、その子ゼカルヤが跡を継ぎます。彼も「主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」(列王下15:9)。41年間支配した父と異なり(14:23)、ゼカルヤはわずか6か月で退位させられ、殺されてイエフ王朝は終わります。謀反(むほん)を起こして王位を奪ったシャルムもメナへムによって殺されます(シャルムについては悪を行ったとは聖書に書かれていませんが、わずか1か月で殺されているところをみると、彼も同じ罪を犯したのかもしれません)。メナヘム王は10年間支配しますが、彼もまた「主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を一生離れなかった」(18節)。

メナヘムの死後、その子ペカフヤが王位に就きますが、彼も「主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」(列王下15:24)。しかし、その2年後、彼は殺され、ペカが代わって王位に就きます。ペカも「主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」(28節)。彼は12年ほど支配した後、殺害され、「エラの子ホシェア」が跡を継ぎます(30節)。聖書によれば、ホシェアも「主の目に悪とされることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちほどではなかった」(列王下17:2)とあります。彼の罪がどんな点でほかの王たちの罪と違っていたのかは書かれていませんが、それは大した問題ではありません。罪はどのような形であれ、罪であることに変わりがないからです。ホシェアが国を守るためにしたことと結果が列王記下17:4にあります。

「イスラエルにとって、これは自殺行為であった。当時のエジプトはいくつかの弱小国家に分裂して争っていて、他国を助けるような立場になかった。……エジプトの王に援助を期待することはできず、事実、何も与えられなかった。紀元前724年に、シャルマナサルが攻め上ってきた。ホシェアは王と和解しようとしたが、捕虜として捕らえられた」(ジョン・ブライト『イスラエルの歴史』275ページ)。

イスラエルの最期(列王下17:5~23)

「主はモーセに言われた。『あなたは間もなく先祖と共に眠る。するとこの民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫(かんいん)を行い、わたしを捨てて、わたしが民と結んだ契約を破るであろう』」(申命31:16)。

北王国イスラエルの歴史をざっと読むだけで一つのことに気がつきます。現代でも神の民は、神が御自分の言われることを必ず実行されるという事実をなかなか理解できないということです。主は繰り返し、悔い改めなさい、罪を告白しなさい、悪の道を離れなさい、そうすればわたしはあなたを赦し、いやし、回復すると言っておられます。「わたしを求めよ、そして生きよ」(アモ5:4)。「善を求めよ、悪を求めるな/お前たちが生きることができるために」(アモ5:14)。「さあ、我々は主のもとに帰ろう。/主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる」(ホセ6:1)。問題は、人々が聞き従わなかったことにありました。

問4

列王記下17章を読み、イスラエルが犯した罪を書き出してください。

これらの罪の大部分は、主が申命記においてはっきりと警告しておられたことでした(8:19、20、9:16、12:2、3、30、31、29:17、18)。イスラエルを襲った悪の多くが外からの影響力であったことに注目してください。私たちは、教会として、また個人として、彼らよりも外からの影響力に対して安全であると言えますか。

まとめ

「主は、12部族に下った恐るべき刑罰の中に、賢明であわれみ深いご計画を秘めておられた。神は、先祖たちの地においては、もはや彼らに実行させ得なくなったことを、異邦人の間に彼らを離散させることによって達成しようとなさったのである。人類の救い主によって、ゆるしを受けようとするすべての者に対する神の救いの計画は、なお達成されなければならなかった。そして、イスラエルに与えられる苦難によって、神は、神の栄光が地の諸国にあらわされる道を備えておられたのである。捕らえられて行った者が、みな悔い改めなかったのではなかった。彼らの中には、神に忠実に仕えたものがあり、神の前にみずからを低くした者があった。このような『生ける神の子』によって、神は、アッスリヤ帝国の大群衆に、神の品性の特質と神の律法の恵み深さとをお知らせになるのであった(ホセア書1:10)」(『国と指導者』上巻258,259ページ)。

ミニガイド

【アッシリア帝国】

アッシリア帝国はチグリス川の北部流域に起こり、絶えず南のバビロンと競っていましたが、前11世紀のティグラトピレセル1世のころから300年にわたりオリエントで優位に立っていました。古代メソポタミアでは「アッシリアに征服されるな」という言葉があったほど、人々に恐れられていました。好戦的で絶えず侵略的遠征を行い、残虐、圧政で知られていました。他国の戦利品で国を造ったとも言われています。アッシリア軍は敵を滅ぼすとき、生きたまま捕虜の皮を剥ぎ、手、足、鼻、耳をそぎ、目をくりぬき、舌を切り、頭蓋骨を山にするなど、ニネベの彫刻などにその光景が描かれています。アッシリアに反逆する結果を見せつけて恐怖心を起こさせるのでした。

もうひとつの占領政策は被征服民を土地に残さず、他国に移住させて他民族と混合させ、民族意識や愛国心をなくすというものでした。“サマリア人はこうした混血民族で、キリストの時代に至り、ユダヤ人の強い偏見によって、かつての同一民族、兄弟国は犬猿の仲になってゆきます。「サマリア人よりパンを受けるは豚肉を食らうがごとし」という格言がユダヤ人の間にありました。

【イスラエルの最期】

ヤロブアム2世の41年に及ぶ治世については聖書にわずか7節しか書かれていませんが、北王国史上ではこの時もっとも繁栄し、「ハマトの入り口からアラバの海までイスラエルの領土を回復した(北国境線から死海まで)」(列王下14:25)とあります。ところが次の25年間にはゼカルヤからホシェアまで6人の王が相次いで即位しました。即ち、ゼカルヤは即位6か月でシャルムに殺害され、シャルムは1か月でメナヘムに殺されました。アッシリア王ティグラトピレセル3世はイスラエルに圧力をかけ、メナヘムは民衆に犠牲を強いて貢納します。これに不満が広がり、息子のペカフヤは侍従のペカに殺されました。ペカの治世20年の間に領土の半分をアッシリアに奪われて、最後の王ホシェアによって殺害されました。ホシェアはアッシリアから離反してエジプトに接近、これが結果としてアッシリアの格好の攻撃材料となり、シャルマナサル5世、そしてサルゴン2世によって3年のサマリア攻撃により壊滅したのでした(前721年)。滅亡理由については列王記下17章に詳細に書かれています。それは偶像礼拝、預言者を通しての神の警告に対するかたくなな反抗でした。「その子も孫も今日に至るまで先祖が行ったように行っている」(17:41)とはまことに悲しい表現です。

*本記事は、安息日学校ガイド2002年3期『列王記と歴代誌ー反逆と改革』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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