この記事のテーマ
南王国ユダに関しては、第9課でヒゼキヤ王の統治とアッシリアによる攻撃について学んだところで終わっていました。北の「兄弟」、イスラエルを滅ぼしたアッシリアでしたが、ユダのエルサレムは主の輝かしい導きによって守られ(歴代下32:20~22参照)、アッシリアは敗走します。この驚くべき勝利の後、ヒゼキヤは英雄視され、「あらゆる国の民から仰ぎ見られるように」なります(歴代下32:23)。しかしながら、成功した前任者たちと同様、ヒゼキヤは富、権力、名誉への対処を誤ります。これらはどれも霊的な祝福をもたらしませんでした(歴代下32:27~33、列王下20:12~19参照)。この問題はバビロニアの使者たちの訪問において現実となります。王にありがちなことですが、ヒゼキヤの霊的欠陥はユダに恐ろしい結果をもたらすことになります。
今回の研究ではヒゼキヤのあと王位を継いだのはマナセ、アモン、ヨシヤと続きます。ヒゼキヤの宗教改革後、また指導者が罪に陥りました。再び改革が必要とされ、若き王ヨシヤがその任に当たりました。彼の統治を支えたのは律法の発見、宗教行事の確立、偶像の追放といった一連の出来事に象徴されています。また預言者の働きを見逃せません。
マナセ(列王下21:1~17、歴代下33:1~9)
ヒゼキヤの死後、息子のマナセが王位を継ぎます。彼は12歳でした。ユダで55年間支配した彼ですが、これはユダの歴史において最も長い統治の一つです。55年前のあなたの国の指導者を思い出してみれば、これがいかに長い期間かがわかります。
マナセがなぜこれほどまでに堕落したかを理解する手がかりは、たぶんその年齢にあります。父のヒゼキヤは、その統治の終わりにかけて、富と権力と名声のとりこになりました。主から離れた父親の宮廷で育てられた若いマナセは、あまり良い霊的影響を受けなかったことでしょう。もしそうだとすれば、親が子どもに重大な影響を及ぼすことの強い教訓でもあります。
問1
列王記下21章全体を読み、マナセが行った悪を書き出してください。
マナセほど邪悪なことを行った王はあまりいません。古いユダヤの伝承によると、マナセはイザヤをのこぎりでひき殺したと伝えられています(ヘブライ11:37参照)。
マナセに対する刑罰(歴代下33:10~17)
「主はマナセとその民に語られたが、彼らはそれに耳を貸さなかった」(歴代下33:10)。これらの言葉は、ヘブライ民族と神の民の歴史を通じて、何度繰り返されてきたことでしょう。神はエデンで警告し、そして最後のバビロンに対して警告します。しかし、人々は耳を傾けません。個人としての、また教会としての私たちはどうでしょう。神は私たちに語りかけておられるでしょうか。もしそうだとすれば、何を語りかけておられるのでしょうか。それは、エバ、ノアの時代の住民、アブラハム、モーセ、イスラエル、過去の教会、終わりの時代の教会に対するメッセージと異なるものでしょうか。私たちはこれらの人たちよりも素直に聞き従うでしょうか。
問2
たとえ状況が異なっていても、神が人々に与えられるメッセージは変わりません。それは何でしょうか。あなたの考えを述べてください。
ついにその背信のゆえに、主はマナセを罰せられます。歴代誌下33:10~13を読んでください。アッシリアの王、エサルハドン(前681~669)とアシュルバニパル(前669~627?)はともにマナセを奴隷となった西アジアの王の一人に数えています。『SDA聖書注解』は次のように記しています。「アッシリアの彫刻絵画に、唇か鼻かを鉤(かぎ)でつながれて引いてゆかれる特別な奴隷が描かれている」(3巻305ページ、「鉤」の項―イザ37:29、アモ4:2参照)。鼻に通した鉤で引いてゆかれる奴隷の中に、神の選民の支配者、ユダのマナセ王がいたと思われます。これまで耳を傾けようとしなかったマナセが、鼻に鉤をかけられて初めて、自らの愚かさに気づいたはずです。
マナセの悔い改め
「こうしてマナセは主が神であることを知った」(歴代下33:13)。
悪に向かう人間の力以上に驚くべきことがあるとすれば、それは悪をお赦しになる神の力です。神は私たちの罪を赦すことがおできになり、その罪を赦そうとお望みになります。主は私たちを赦し、いやし、御自身に回復し、最終的な罪の結果である永遠の滅びから救い出してくださいます(Ⅱテサ1:9、ロマ6:23)。
もしキリストが十字架において全世界の罪を償う(つぐな)ために死んでくださったとすれば(Ⅰヨハ2:2)、それにはマナセの罪も含まれているはずです。彼は偶像を刻み、それを拝みました。それだけでなく、彼は自分の息子たちをいけにえとして祭壇の上で焼きました。さらに、彼は「罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たし」ました(列王下21:16)。つまり、彼は偶像崇拝者であるばかりでなく、殺人者でもあったのです。それにもかかわらず、またいかなる事情で悔い改めたにせよ、マナセは赦されたのです(歴代下33:13)。
問3
次の聖句は、神がマナセの犯したようなひどい罪でも赦してくださる理由を理解する上でどんな助けになりますか。イザ53:5エレ31:3ロマ3:22ロマ3:28ガラ3:13テト3:7
ユダの王ヨシヤ(歴代下34章)
マナセの死後、息子のアモンが王位に就きますが、2年後に家臣たちによって殺害されます(歴代下33:21~25)。代わって、アモンの子で、8歳のヨシヤがユダの王となります。聖書は、ヨシヤが主の目にかなう正しいことを行い、「右にも左にもそれなかった」(歴代下34:2)と記しています。これを現代風に言うなら、彼は神学的に左にも右にも偏らなかったということでしょうか。いずれにしても堅実な歩み、均衡のとれた行動を暗示します。
問4
ヨシヤが「父祖ダビデの神を求め」始めたのは何歳のときでしたか。それはどんな結果をもたらしましたか(歴代下34:3)。
歴代誌下34:3~7には、ヨシヤがどのような過程を経て偽りの礼拝を取り除いていったかが記されています。彼は偶像や彫像を壊しただけでなく、それらを粉々に打ち砕きました。
歴代誌下34:8~28を読んでください。そこには、職人たちが神殿を修理していたときに「モーセによる主の律法の書」(14節)を発見したことが記されています。学問的な裏づけはありませんが、発見されたのは申命記だったと思われます。律法の書が読み上げられるのを聞いたときのヨシヤの応答に注目してください(19節)。彼がこれほどまでに驚いたのはなぜでしょうか。このことが起こったのはヨシヤの治世の第18年目でした(8節)。それは偶像を粉砕し、ユダとエルサレムを清める改革が始まってから10年後のことでした。
その答えは、女預言者フルダの言葉(特に23~25節)にあります。彼女は民について何と言っているでしょうか。王が改革を実行し、外面的には改革が見られたにもかかわらず、民の心は依然として前のままでした。
ヨシヤの統治(列王下23章)
ヨシヤと彼の始めた改革は列王記下23章において新たな展開を見ます。歴代誌下34章では、ヨシヤの改革が律法の書の発見の先になっていますが、列王記下23章では後になっています。しかしながら、律法の書がヨシヤの前で読み上げられたのがヨシヤの治世の第18年という点では両書は一致しています。したがって、ヨシヤが歴代誌下34章にある改革に着手したのは、律法の書が発見される以前であると考えられます(この事実は列王記では省略されています)。律法の書が発見されるに及んで、リバイバルと改革はいっそう熱意を帯びました。
まとめ
列王記下の著者は、マナセが「主の怒りを招いた」と記しています(列王下21:6)。著者はまた、ダビデとの契約の条件を繰り返した後で(7、8節)、マナセがこれらの条件を無視したばかりでなく、人々を「惑わ」して、「主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国の民よりも更に悪いこと」を行わせた、と言っています(9節)。マナセは、「かつてアモリ人の行ったすべての事より」さらに悪いことを行いました(11節)。主に忠実に従う人たちは虐待されました(列王下21:16)。ユダヤの歴史家ヨセフスによれば、マナセは「ヘブライ人の中のすべての義人を残酷な方法で殺した。彼は預言者も容赦しなかった。毎日、預言者を何人か殺したからである」(『ユダヤ古代誌』X、Ⅲ)。
「大祭司ヒルキヤが、ヨシヤ王の神殿の保存計画に従って建物の大修復を行っていたときに、長く失われていた写本が、神殿の中で発見されたのである。大祭司はこの尊い書物を書記官のシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。そしてそれを王のところへ持って行って、その発見のことについて報告した。
ヨシヤはこの古い書物に記されている勧告と警告を初めて聞いたときに、深く感動した。彼は神がイスラエルの前に『命と死および祝福とのろい』をこれほどまでに明確に示されたことを自覚したことがなかった(申命記30:19)。そして彼らが生命の道を選んで、地上において人々の誉れを受け、すべての国民の祝福となるように、何度となく勧告されていたことをこれほどまでに自覚したことはなかった。『あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう』とモーセはイスラエルに勧告した(同31:6)」(『国と指導者』下巻14、15ページ)。
ミニガイド
【子育てということ】
ユダ王国には時々、信仰深い王が現れて宗教改革を行いました。ヒゼキヤはその一人です。しかしその子マナセとその子アモンは悪王であったことが聖書に書かれています。その子が善王ヨシヤでした。つまりヨシヤ王のおじいさん、お父さんは神に背いた王だったのでした。どうして良い王(ヒゼキヤ)の子が悪を行い、2代も続いた悪王の子ヨシヤが信仰深い行政を行ったのでしょうか。
ここに説明しがたい不思議があります。私どもは家庭教育の重要性を教会で学ぶとき、親の感化、影響、責任などを教えられ、良い模範を子供たちに示すように聖書や預言の霊からの言葉によって勧められます。
ところが思い通りになりません。信仰と祈りをもって育てれば必ず信仰深い子に育つといわれる“方程式”が“当然のよい答え”にならない現実に苦悩します。旧約の王たちの家系や物語は過去の事柄であり、結果から私たちは学んでいます。当事者たちはどうなるのか結論を見ていない中で考え、判断し、時に祈り、時に惑い、こうあってほしいとの願いを込めて子供たちの成長を見ていたでしょう。「これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは……わたしたちに対する訓戒のためである」(Ⅰコリ10:11、口語訳)のです。
私たちは誰も裁くことはできません。状況を知らない者が軽率に結果や外面で判断するのは危険です。「自分の子は教会に行っているから安心」と思わないでください。「自分の子は教会に来ていない」と失望しないでください。「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」(10:12)のであり、みずからへりくだって主の憐れみを乞い願うのみです。
何もせずに過ごすことでもありません。私たちは祈りの心を持ち、主のみ旨が行われることを求めて子供たちのために祈り、安定した信仰生活の中でクリスチャンであることのすばらしさや価値観を肯定的に伝え、必要に応じて健全なアドバイスを与えて成長を見ることが大事です。私たちは親として子供たちの幸せのために「健やかなときも、病めるときも、順境にも、逆境にも」愛し続けるものでありたいと思います。どんな親も、子供のことを考えるとき、神の前に謙虚でしかいられません。子供が与えられていること自体が神の恵みであることを感謝しましょう。
*本記事は、安息日学校ガイド2002年3期『列王記と歴代誌ー反逆と改革』からの抜粋です。