【ヨシュア記】神の人、ヨシュア【27章解説】#1

目次

中心思想

カナン征服以前のヨシュアの生活を見れば、彼がどんな経験と品性のゆえにイスラエルの偉大な指導者に選ばれたのかがわかります。

アウトライン

  1. 将軍ヨシュア(出エ17: 8~14)
  2. 筆頭大臣ヨシュア(出エ24:12~14,33:11,民数11 : 28)
  3. 斥候ヨシュア(民数13: 1~14 :38,32:11,12)
  4. 聖霊に満たされた指導者、ヨシュア(民数27:12~23)
  5. 二度、モーセの後継者に任命される(申命31: 1~6,14,23)

栄誉の殿堂

聖書に出てくる有力な指導者の名前をいくつかあげてみましょうーシャンマ、シャパテ、イガル、パルテ、ガデエル、ガデ、アンミエル、セトル、ナヘビ、ギウエル。あなたはこれらの人物を知っていますか。たぶん、知らないでしょう。では、民数記13章に出てくる人物をもう2人、つけ加えてみましよう-カレブ、ヨシュア。驚くべきことに、これらはみな何万人もの民を支配していた部族のつかさたちです。しかし、10人の名は忘れられ、2人だけが有名になりました。10人はみじめにも失敗し、部族を落ちぶれさせました。しかし、2人の勝利、信仰、成功は永遠に覚えられることになります。この違いはどこから出たのでしょうか。

カレブについては後の研究にゆずることにして、今回は、ヨシュアについて、さらに、ヨシュア記に記された諸事件の序曲となる出来事について学びます。これらの記録から、偉大な人物、霊的巨人、ヨシュアの人物像が明らかになります。

将軍ヨシュア(出エ17:8―14)

ヨシュアは突然、聖書に登場してきます(出エ17: 9,10)。彼の祖先、部族、経歴については何も記されていません。しかし、モーセは彼のことをよく知っており、その指導者、軍人としての能力に信頼しています。初めから、ヨシュアは主の戦いを指揮する有能な戦士また将軍です。14節にはまた、神が彼のために計画された働きが暗示されています。神がアマレク人を完全に滅ぼされるという約束が書物に記されて、全イスラエルの前で、またヨシュアの前で読まれました。神のみ手はすでにヨシュアの上にありました。

質問1

将軍ヨシュアのうちに指導者としてのどんな特徴が認められますか(出エ17:8~16、ヨシ6~8章)。ヨシュアはどのようにして同情心を示しましたか。ヨシ6:22,23

神の戦いにおいては、憐れみが重要視されます。エリコの住民はエジプトに下った災い、紅海での出来事、ペオルのバアルを礼拝したためにイスラエルに下ったさばきについて聞いていました。彼らは(イスラエルがエジプトを出てからカナンに入るまでの)40年間、まことの神の性質について考え、神に従う時間を与えられていました。しかし、そうしたのは1家族だけでした。憐れみに満ちたヨシュアの行為は、神が滅びよりも救いをお喜びになることを教えています(エゼ18:21~23,32参照)。

質問2

戦いにおけるヨシュアの力はどこから来ていましたか。このアマレク人との戦いの記録から信仰と行いの関係についてどんなことがわかりますか。出エ17:11~15(ヨシ5:13~15比較)

「モーセが、手を天に向かってさしのべ、民のためにとりなしているときにへブル人が勝利したように、神のイスラエルは、信仰によって、偉大なる助け手の力にたよるときに勝利するのである。しかし、神の力は人間の力と結合しなければならない。モーセは、イスラエルが活動しなければ、神は、敵を打ち負かしてくださらないと思った。大指導者モーセが主に訴えている間、ヨシュアとその勇敢な部下たちは、イスラエルと神の敵を撃退するために全力を尽くしていた」(『人類のあけぼの』上巻347ページ)。

筆頭大臣ヨシュア(出エ24:12―14、33:11、民数11: 28)

質問3

 どんな言葉がモーセの助手としてのヨシュアの立場をよく示していますか。出エ24:13,33:11

ヨシュアの務めを表すヘブル語に相当する現代語は「大臣」、それも「筆頭大臣」です。このへブル語は奉仕を意味しますが、それは「召使いの奉仕」ではなく、「大臣の奉仕」です。

質問4 

モーセの筆頭大臣としてのヨシュアはどんな責任を負っていましたか。出エ24:12,13,33:7~11

質問5 

これらの出来事からヨシュアのどんな品性の特徴が明らかになりますか。これらの特性は彼がのちに責任を負う上でどんな役に立ちましたか。

モーセの個人的な従者としてのヨシュアに高い名誉が与えられていたことは、ヨシュアに与えられていた務めを見ればわかります。民数記1l :27~29のうちに、彼の純粋な品性が示されています。モーセはヨシュアの品性について次のように述べています。「あなたは、わたしのためを思って、ねたみを起しているのか。主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられることは、願わしいことだ」。イスラエルの民が金の子牛の回りで歌い踊った時、ヨシュアは他の人々とは全く違っていました。

「荒野を旅した間、彼[ヨシュア]はモーセに仕える首相(筆頭大臣)として行動し、その静かで二心のない誠実と、他の人々が動揺したときにも堅く立ち、危険のさなかにあって真理を維持しようとした信念の強さによって、神のみ声によってその地位に召される以前でさえ、すでにモーセの後継者としてふさわしいことが明らかであった。

ヨシュアは、彼の前にある仕事のことを考えたときに、大きな不安と自己に対する不信感をいだいたのであるが、神からの保証が与えられて、恐怖が取り除かれた。「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない』」(『人類のあけぼの」下巻100ぺージ)。

斥候ヨシュア(民数13:1―14:38,32: 11,12)

質問6 

12人の斥候に関する記録からヨシュアについてどんなことがわかりますか(民数13:1~14:38,32:11,12)。

「カレブとヨシュアは、騒動を静めようと試みた。悲しみと怒りの表現として、彼らは衣を裂いて人々の中に飛び込んでいった。そして、鳴り響く大声で暴風のように泣きわめく声と反逆的悲嘆の声を圧倒して、彼らは言った。……不忠実な斥候たちは、口をきわめてカレブとヨシュアを責めた。そして、彼らを石で打てという声があがった」(『人類のあけぼの』上巻468,469ページ)。

質問7 

多数派の声に従うことの危険について、ヨシュアの経験からどんなことを学ぶことができますか。

「ヨシュアにとって、教訓はきわめて明白であった。つまり、多数派が必ずしも正しいとは限らないということである。事実、多数派が間違っていることがよくある。神に用いられる人々はいつでも流れに逆って立つ。……私たちはこのことを銘記する必要がある。現代は、真理が全体の合意によって決定され、正義が5分の4の投票によって決められ、『みんながやっている』ということが行動を決める一般原理とされる時代である。……霊的な指導者は必ずしも多数派の意見に従うわけではない」(R・ケント・ヒューズ『指導者として生きる—ヨシュアと霊的指導者」16,17ページ)。

聖霊に満たされた指導者、ヨシュア(民数27: 12—23)

質問8

 神はどんな出来事の後で、モーセに後継者を任命するように命じられましたか。民数20:10~13,27:12~17

質問9 

ヨシュアがモーセの後継者に選ばれたのはどんな際立った特性のためでしたか。民数27:18

質問10 

これと同じ特性を持っていた聖書の人物をほかにあげてください。創世41:38,39、士師6:34、詩51:11,12、ルカ1:35,41,42、使徒2:1~4

「はじめから、神は堕落した人類を救うご計画を完成するために人々を用い、聖霊によって働いてこられた。これは父祖たちの生活にはっきりあらわされていた。モーセの時代の荒野の教会に対しても、神は『良きみたまを賜わって彼らを教え』られた(ネヘミヤ記9:20)。使徒の時代にも、神は聖霊の力により教会のために偉大な働きをなさった。父祖たちをささえ、カレブやヨシュアに信仰と勇気を与え、使徒の教会の働きを効果的なものにした同じ力が、後につづくすべての時代に神の忠実な子らをささえてきた」(『患難から栄光へ』上巻50ページ)。

質問11

 今日の霊的指導者にとって聖霊はどれほど必要ですか。どうしたら聖霊の臨在を確信することができますか。ゼカ4:6,ヨハ14:12~18,16:5~15

聖霊はあらゆる天の富と力を与えてくださいます。しかし、私たちが喜んで聖霊を心に受け入れない限り、この力は与えられません。聖霊はご自分を歓迎しない者に強制的に与えられるのではありません(『キリストの実物教訓』394,395ページ参照)。

二度、モーセの後継者に任命される(申命31:1~6,14,23)

質問12 

ヨシュアがモーセによって任命された時の「手を置く」行為は何を意味していましたか(民数27:18~23)。この行為は今日の牧師・伝道者の任命においても同じ意義を持ちますか。使徒6:6,13:3、Ⅱテモ1:6参照

旧約時代において、手を置く行為は祝福のための特別な儀式や全時間の奉仕に献身することと関係がありました(創世48:14、民数8:10)。ヨシュアの就任式においてモーセがヨシュアに手を置いた時、モーセはヨシュアに自分の権威の一部を与えました(民数27: 19,20)。この時、ヨシュアは聖霊に満たされました(申命34:9)。

「これらふたりの使徒たち[パウロとバルナバ]は、異教徒の地域に宣教師としてつかわされる前に、断食して祈り、按手によって厳粛に神にささげられた。こうして彼らは、教会の完全な権威をさずけられ、真理を教えるばかりでなく、バプテスマの式をあげたり、教会を組織したりする資格を教会から与えられた。……彼らの按手礼は、彼らが、福音のよろこびのおとずれを異邦人に伝える働きに立つよう、天から任命を受けたことを、公認するものであった。

パウロとバルナバのふたりは、既に神ご自身から任命を受けていたので、手を置く儀式は、新しい恩恵や実際の資格を付け加えるものではなかった。それは任命された職務を認定することであり、その職務における権威を認知するものであった。按手によって、神の働きの上に教会の印が押されたのである」(『患難から栄光へ』上巻173,174ページ)。

質問13 

ヨシュアはモーセの手から人間の任命と神の任命とを受けました。神の任命はどのようにして与えられましたか。申命31:14~23

質問14 

これらの任命においてモーセと主によって強調されていることは何ですか。申命31:6~8,23

まとめ

ヨシュアが神によってモーセの後継者、イスラエルの指導者に任命されたのは、その賢明な将軍、誠実な筆頭大臣、忠実な斥候、霊的指導者としての経験を通してでした。神は今日の教会においても同じ霊的指導者を必要としておられます。

*本記事は、安息日学校ガイド1995年2期『神の安息に入る ヨシュア記』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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